どんな思惑と蒼黒の瞳・5
今回は短いですが、きりの良いところで。
「うん? わたしが何をすれば良いと?」
首をかしげてみせる相手に対して、タボタ・サレクアンドレは頬の肉をできる限り持ち上げて顔をにこやかに保ちつつ、内心で舌打ちをした。
相手は、今のところは魔法使いの地位も社会的な地位も上の人物。気に入らなくても、それを顔に出すことはしない。
彼は、自分よりも上の人間にはちゃんと礼儀を尽くすことにしている。表面上は。
しかし、自分と大して変わらない年齢の、自分と大して変わらない体型を持った男がきょとんと首をかしげる姿にイラッとしてしまうのは、仕方が無いことだと思う。
この大変な時期に、どうしてここまでのんびりのほほんとした顔をしていられるのかと。
「はい。ですから」
そろそろ国王陛下に、前線へのお出ましをお願いしたく。
タボタ他、高官たち約半数ほどの意見がこれだった。
ちなみに残り半数は反対である。その中にはサヴィアに軍を派遣している軍務局の長官や、魔法使いの追加派遣を提案している学術局の長官などもいたが、彼らに任せていまの状況なのだから、聞いてやる義理はないだろう。
彼らの提案した政策や方針のことごとくに難癖をつけて反対し、しかもちまちまねちねちと邪魔していたのはタボタ・サレクアンドレなのだが。
それは高い高い棚の上に上げて隠し、いずれ彼らの責任を厳しく追及してやろうと目論んでいるがそれは後で考えるとして。
「身の程知らずにも北の蛮族が我が国に入り込んで二年余り。シルベル領内で侵攻を食い止めてはおりますが、あちらも引く様子は見せておりません。これ以上戦が長引くのは、民にとっても良くないでしょう」
「そうだね。二年だものね」
どこか他人事のように、相手はうなずいた。
その上で「それで?」と先を促してくる。そこで蕩々と彼は語り出した。
「我が国随一の魔法使いである国王陛下が前線に立ち、サヴィアの者どもを殲滅して頂きたいのです。それはもう、完膚なきまでに! もちろん現在対峙している領軍と中央軍でも退けることは可能でしょう。しかし少々手こずっているようでして、まだ時間はかかるのではないかと。ここで圧倒的な力を見せつけることで奴らは二度と我が国に入り込もうなどと思わないでしょうし、国内における陛下のご威光もより一層―――」
「ああ、そういうのは良いから。それで」
羽虫を追い払うようにひらひらと手を振って、彼は言った。
「きみは、何をするの?」
「………は?」
不思議そうに、彼は言った。
「え、いや、わたしは―――」
「何か、したの?」
心の底から不思議そうに、彼は言った。
サヴィア王国がフローライドに侵攻して、二年余り。
そう。二年も経っている。
その間、フローライド国王である彼自身は、報告を聞いても特に何もしなかった。
しかし国王に次ぐほどの権限を持つ統括局長官であるタボタ・サレクアンドレもまた、自身で何かをしたわけではない。サヴィアに対して悪態をついたり、なんとかしろと辺りに怒鳴り散らしてはいたが。
「“ただ玉座に座ってさえ頂ければそれでいいのです。全ては良いようにわたし共が取り計らいますので”」
場違いなほど穏やかに、彼は言った。
「きみたちは言っただろう。ちゃんと覚えているよ」
だから、国王は国王の地位に就いた。
ほんとうに玉座に座っていただけだ。それでいいと言われたから。
彼を国王に据えた者たちが国王の名を使って何をしても、黙っていた。何か言われれば、ただ鷹揚に頷いてみせた。
それが、彼の役割だったから。
「だから、今回もきみたちが良いように取り計らってくれればいいんじゃないのかい?」
のんびりと、のほほんと、口元に笑みさえ浮かべて彼は言う。
それから、「そうだ」とぽんと手を叩く。
「きみの使役魔獣、今こそあれを使う時だろう。文官の長なんてやっているから、かわいそうにあの使役魔獣は暴れる機会もなかっただろうし。圧倒的な力を見せつけてやればいい。上級魔法使いであるきみなら出来るだろう?」
タボタの背中に、嫌な汗が流れた。
出来ないとは言えない。
日頃から武官たちをこき下ろし、自分の力なら簡単にできると豪語していたのは自分自身だから。
「そしていつものように言えば良いんだよ。国王陛下のご命令です、とね。それで国王のご威光とやらも強まると思うよ。欲を言えば、もう少し早いほうが良かったとは思うけどね。二年も何をしていたんだろうね」
他人事のように、彼は笑う。
それからまたぽんと手を打って「ああ、それとも」と続けた。さも名案が浮かんだと言いたげに。
「自分の名前を、高らかに告げるのも良いかもしれないね。そうすればきみもなれるかもしれないよ。最上級魔法使い、その先のフローライド国王に」
「そ、ご……」
ご冗談を、とかすれ声で呟きながら、タボタ・サレクアンドレはなんとか笑おうとした。
相手は国王。この国の頂点に立つ男である。言い返すことなどできない。
とはいえ表面上は敬い媚びへつらっていても、内心で扱いやすい男と侮っていた男である。
余計な事は耳に入らないようにしていたし、何も知らないし、知ろうという気もない、へらりと笑っているだけのおめでたい頭の持ち主だと思っていた。
なぜか今。
見慣れているはずの脳天気な笑みが、ひどく薄っぺらいものにも、逆に底が知れないものにも感じられる。
何年も傍近くに仕えているというのに、初めてぞっとする気分を味わった。
「と。そういうことで、どうだろうか。武官が反発するかもしれないから、国王命令にしたほうが動きやすいかな。勅令が良いかい? ―――それとも、いつものように自分たちで書くかい?」
どちらでもいいよ、とフローライド国王は笑った。
へらりと。のほほんと。
☆ ☆ ☆
―――ああ、頭が痛い。
寝ているような起きているような曖昧な意識の中で、木乃香はわずかに眉間にしわを寄せた。
すっかりお馴染みの感覚は、しかしいつまで経っても慣れるものではない。
痛み止めの薬もあるが、魔法力の欠乏が原因であるこの頭痛には気休め程度にしか効き目がないのは実証済みである。
ひどい時はほんの少し身体を動かしただけでも目が回るので、とにかくじっとして自然に回復するのを待つしかない。
そして今は、そのひどい時のようだった。
ここまでつらいのは久しぶりだ。
何度も意識が浮上しかけているのに、目を開けることさえ億劫で。
手先足先も氷になってしまったかのように冷えて痛むし、何も食べていないのに吐き気もする。
久しぶりだからか、それともほかに原因があるのか、なんだか最悪の状態がいつもよりとても長く続いているような気さえする。
通常の魔法力不足であれば、木乃香の無自覚と無計画と無頓着ぶりに対して、師匠であるラディアル・ガイルをはじめとした保護者の面々からの小言や説教が入る。
が、今くらいの症状になるとそれもなくなる。
説教されている本人が、とても人の話を聞けるような状態ではないからだ。
うんうん唸るだけの彼女に分かるのは、使役魔獣たちの心配そうな、寂しがっているような気配、代わる代わる近くに寄り添ってくれる温もりと小さな鳴き声くらいだ。
それから、たまに保護者の皆様がたの気配が加わる。
お師匠様の、大柄な身体がひとまわり小さくなったようにしゅっと肩をすくめる姿と、心底困り果てたような弱った声。そんなお師匠様を呆れたように叱咤しつつ、こちらには優しく身体の調子を聞いてくる女性にしては少し低めの声、世話を焼いてくれる物音。
ときどき扉の外で慌ただしい足音や声が聞こえたりもするが、大抵は部屋の中の保護者たちに一喝され追い払われている。
……今思えば、寝込んでいる人間の周囲にしては騒がしく落ち着かない環境だったかもしれない。不思議と、ぜんぜん嫌ではなかったのだけれど。
それに比べれば、今はやけに静かだ。
使役魔獣たちがそばにいてくれているのは分かるが、それだけ。
……そういえば。
自分が寝ているここはどこだ。
マゼンタの王立魔法研究所であるわけがない。
王都フロルに戻った覚えもない。
滞在していたジラノスの宿屋、にしてはベッドが少し硬い気がする。
「―――――あれっ?」
実際に声に出たのか、頭で思っただけなのか。
ようやく現在の自分の居場所に疑問を持った直後、木乃香はぱちっと目を開けた。




