どんな思惑と蒼黒の瞳・4
大変ご無沙汰しております。
いつも以上に間が空いてしまったので、拙いですがちょっとだけあらすじをば。
上司の八つ当たりでサヴィア王国が攻めてきているその最前線・シルベル領に出張に行く羽目になった主人公・木乃香。
ひょんな出来事から潜入していたサヴィア王国軍の人々と出会ってしまい、お互いにお互いを不審に思った結果、彼女は滞在している宿屋で彼らに襲われてしまう。
いっぽう、彼女を心配したマゼンタの保護者様方もシルベル領入りをしていて…。
多数の馬が揃って進む蹄の音と振動が、どかっどかっと伝わってくる。
少し離れて先を走るこの馬が怯えて浮き足立つほど、それは力強い。同じ“馬”だというのに。
それはそうだ。
後ろの馬たちはよく鍛えられ調教された軍馬で、しかも多数。こちらは近くの店で借りた一般旅人向けの移動用である。体力や強さは比べものにならない。
店の中では大きく体力もあって気の強そうな個体を選んだつもりだが、馬にしてみれば、同族ではなく肉食獣の群れにでも追いかけられているような心境なのかもしれない。
じっさい、追いかけられていたのだ。
これ以上追いつく気はないようなので、現在は堂々と後をつけられているというべきか。
前を向いたまま、ラディアル・ガイルはぐぐっと顔をしかめた。
先頭を走っているのが彼。後ろを付いて来るのがフローライドの中央軍である。
……こういう面倒くさい状況になるのが嫌だったから、急いでいるのにわざわざ大回りまでして避けていたというのに。
しつこく無責任な蹄の音と振動が、どかどかと後ろから響いてくる。
……迷惑である。
非常に不愉快である。
もう何度目か分からないが、彼はぐわっと後ろを振り向いて怒鳴った。
「おまえら、ついて来るなって言ってるだろうが!」
☆ ☆ ☆
ミアゼ・オーカがサヴィア王国軍に連れて行かれた。
それを聞いたとき、ラディアル・ガイルはなんの冗談かと思った。
いや、冗談だと思いたかった。
残念なことに、知らせに来たのは他でもないオーカの使役魔獣・三郎であった。そのへんの密偵よりもはるかに信用できる情報源である。
この黄色い小鳥はピッピピッピと非常におしゃべりだが、わざわざ主の元を離れてきてまでこんな質の悪い嘘はつかない。もちろん小鳥の囀りの通訳をしてくれた赤いドラゴンもだし、その鳴き声を通訳したドラゴンの召喚主、クセナ・リアンもである。疑いようがない。
しかし。しかしである。
だからといって納得はできない。
うちの弟子が、一体全体何がどうなって現状そうなったと、ラディアルは大声で問いたい。
実際、大声で怒鳴ったと思う。
こんな時期にこんな国境近くまでたったひとり、武官でもない新人の下っ端中央官たる彼女が出張に行かされるのがそもそもおかしい。
どう考えても、きっと誰が考えても意味がわからない。命令を出した上司が上司なので、たぶん深い意味などないのだろう。
オーカもオーカだ。こんな意味不明な命令など、素直に従う必要などないではないか。
何より。
そこで師であり後見人である自分をどうして頼ろうと思わなかったのか。
何のために養子縁組をしたと思っているのだと。
こんなことなら、恨まれても何でもさっさとマゼンタに連れ戻せば良かった。
いや。
連れて帰れば良いのだ。今からでも。
何が何でも。
――たとえ、サヴィア王国軍と単身真っ向から対立する羽目になったとしても。
……と。
だんだん危険な方向に気合いが入ってきた彼をいったん思いとどまらせたのも、三郎とその通訳たちだった。
彼女は大丈夫なんだから、と。
むしろ丁寧に扱われているらしい。
―――本人の意志とは無関係に連れて行かれたが。
もちろん危害も加えられていないらしい。
―――それ以前に、魔法力の使いすぎでいまだに本人の意識が戻らないらしいが。
……なんだか、心配要素だらけである。
むしろ安心要素はどこにあるのか。
とはいえ、言っているのは他でもない彼女の使役魔獣なのだ。大丈夫なのだろう。
少なくとも、今のところは。
しかし。今は良くてもこの先どうなるかは分からない。
なにしろ、彼女を保護しているのはサヴィア王国軍。
フローライドと敵対し、いま現在こちらに侵攻中の輩なのだから。
と、そんなわけで。
できる限り迅速かつ穏便に、そして何より確実に弟子兼養女をサヴィア王国軍から引き取るべく、ラディアル・ガイルは単身でサヴィア王国側の陣へ向かうことにした。
単身で向かうのは、そのほうが身動きが取りやすいから。ラディアルひとりであれば多少何か起こっても、何とでもなるからである。
少し冷静になったらしい彼を、今度は使役魔獣たちも止めなかった。
さらに、彼はあえて自国の軍のいる場所を避けるように大回りをしていた。
急いでいるのに遠回りした理由は簡単。
「そのようなお気遣いは無用です!」
「サヴィア軍殲滅に、微力ながら我らも加勢をっ」
「どうか、どうか我々にあなた様の勇姿をこの目に焼き付ける機会をお与えくださいー!」
……こういう、意味不明なことを喚いては付きまとってくる面倒くさい連中が軍にいて、彼らに見つかると非常に厄介だからである。
☆ ☆ ☆
ラディアル・ガイルは馬を降りた。
魔法も使って何とかなだめすかして走らせてきた馬だが、そろそろ制御が難しい。
ただ降りただけでなく、手綱まで放してしまった彼と相対するように、後続の軍も止まった。
怪訝な表情を浮かべた――ほんの一部、きらきらとした目で何かを期待しているような者もいた――フローライド軍の面々に向かって、彼は口を開いた。
移動しながらではしっかり聞き取れなかったようだからもう一度言ってやる、と。
「お前ら、これ以上付いて来るな。帰れ」
その言葉にいちばんに従ったのは、ラディアルが乗ってきた馬だった。
労りを込めて軽く胴体を叩いてやれば、貸し馬屋のあった町の方向へと一目散に駆け戻っていく。そう教え込まれているようだ。
この場の誰よりも素直で聞き分けがいい。
しかし、人間には思ってもみなかった言葉だったらしい。
「は……? いや、しかし……」
唖然として、それでもどうにか声を絞り出したのは、一団の先頭にいた男だった。
ごつい全身鎧をひとり身につけた、派手な男である。何かの魔法を付与しているのか、鎧が妙にキラキラしていた。上から羽織った“上級魔法使い”を示す暗い色の外套がなければ、どこかの劇団の安い舞台衣装かと思うくらいだ。
「たったおひとり、で行かれるなど……」
「邪魔なんだよ、お前たちは」
ラディアル・ガイルはじろりと睨み上げた。
大きな軍馬にまたがる将校たちのほうが目線は上であるはずなのに、なんだか見下ろされている気分だ。無性にごめんなさいと頭を垂れたくなる。
微妙な雰囲気に、後続の歩兵たちの間でも「なんだかおかしい」とひそひそ声が漏れ始めた。
「その……あなた様は、サヴィアの軍に立ち向かわれるのでは」
全身鎧ではなく、その傍にいた将校が戸惑いがちに口を開いた。
「確かに向かってはいるが、話をしに行くだけだ」
誤解を招く言い方をするな、とラディアルは眉をひそめる。
えっ、と当てが外れたような声が複数上がった。
「はあ。はなし、ですか……?」
「そう、個人的に」
「こじんてきに」
副官だろうか。年かさと思われる将校は、彼の言葉をオウムのように繰り返す。戸惑いを隠せない様子で、全身鎧にちらりと視線を送った。
そういえば、と彼は思い返す。
「あの方に続け」と号令され、唐突ながらもとりあえず言われるままに漆黒の外套の後を追ってきた。
言ったのは彼らの上司。そこの全身鎧――フローライド中央軍の指揮を任されているベニード・グラナイドである。
急なことに驚き訝しんだものの、彼が指さした先には遠目にも目立つ漆黒の外套。最上位の“魔法使い”の証をはためかせ馬を駆るその姿には、誰もが歓声を上げた。
しかも、外套の持ち主はラディアル・ガイル。強力無比の武器を召喚できる武闘派魔法使いである。助っ人としてこれほど頼もしい者はいないと、だからこそ後を追ってきたのだが。
そういえば、ラディアル本人が「付いてこい」と言っていたわけではない。
「おれは武官じゃないし、それに関係するような地位もない。国王からの命令だってもらっていない。さっきは何か妙な話が聞こえた気がするが、なんでおれが軍に加勢しに来たと思ったんだ」
言われてはたと気付く。
それもそうだ。
彼は最上級“魔法使い”だが、ものすごく頼りになりそうだが、武官ではない。
たしかラディアル・ガイルの現在の地位は、マゼンタ王立魔法研究所所長。
彼が国内屈指の魔法使いであることに間違いはないが、辺境に引きこもる彼を引っ張り出す前に他に誰かいただろうと、冷静になって考えてみればそう思う。
何より、本人にやる気が全然なさそうだ。
「お前らの邪魔をする気はないから、おれの邪魔もしないでもらいたい」
「は、はあ」
彼は堂々と、きっぱりと言い放った。
「お前らが付いて来ると、戦を仕掛けてきたと思われるだろう。面倒なんだよ、そういうのは」
「はあ……あ、いや……」
最上級魔法使い様は、それはもう心の底から面倒そうな顔つきだった。
そんな彼がいったい何の用でここにいるのか。気になるところだが、気安く聞ける雰囲気でもない。
こんなやりとりに、とりあえず付いてきた者たちも何か変だと思い始めたようだった。
「…おかしいなとは思ったんだよなー」
「敵陣に攻め入るぞーとか急に言われてもなあ」
そもそも付いてきた人数は、フローライド中央軍のほんの一部だ。あまりに唐突な進軍について行けなかった者の他に、唐突過ぎて不審に思った者たちも多かったのだろう。
「事前の知らせもなかったし、そんな雰囲気もまったくなかったし」
「なー。いままで上級魔法使いの加勢なんてひとりも来なかったのに」
「まあ、おれらが来てから戦闘らしい戦闘もなかったけどなー」
「戦の心配より兵糧の心配ばっかりしてたな」
こんな状況では、軍の士気だってだだ下がりである。
彼らを率いる指揮官にも、それを補うようなカリスマ性や信頼性は無かった。
その指揮官ベニード・グラナイドが、いまだ茫然とした様子で言った。
「ら、ラディアル・ガイルさま」
「なんだ」
いっそう声が低く、そして怖くなった最上級魔法使いに周囲はびくりと体を強張らせたが、ベニード・グラナイドは気がつかないのか気にならないのか、続けて口を開く。
「あなたは、わたしの再三の書簡に応えて来て下さったのでは――」
え、そうだったの? と驚く部下たち。
「………はああ?」
ラディアルは眉間にしわを寄せた。
その反応で「あ、やっぱり違うんだな」と納得する部下たち。
しかしベニード・グラナイドはさらに声を張り上げた。
「わが国は建国以来、一度も他国の侵略を許したことがなかった! だというのに、サヴィアなどという北の蛮族にここまで入り込まれるなど、腹立たしいことこの上ない! これを許したいまの中央の無能ぶりは明らかではありませんか!」
ラディアル・ガイルの眉間のしわが、よりいっそう深くなる。
「これ以上奴らに国を任せてはおけません! この国難を乗り切るには、あなた様の力が必要不可欠なのです! もはやあなたしかいない! 我が国最上の魔法使い、現国王とともに最後まで残った国王候補! あなたでなければ為し得ない! だから再三手紙をお送りしたのです。どうか共に立ち上がり、サヴィアを追い返しましょうと! その上で―――」
「だから、どうしておれなんだよ」
「あなた様がこの国を―――……へっ?」
きらきらしい全身鎧の下から、間抜けな声が漏れた。
いえあのですから、と続けようとした男の言葉を、ラディアルは片手を振って遮った。
「別に、誰でもいるだろうそんなもの」
「……いえあの」
「というか、そもそもお前は誰だ。どこかで会ったか?」
「……」
ラディアル・ガイルが首をひねる。
とぼけているわけではない。本当に分からなかったのだ。
え、そこから? と誰かが呟いた。
外套の色からして、おそらくベニード・グラナイドの階級は三。
上級ではあるが、彼くらいの階級の“魔法使い”ならば中央にはけっこういる。
目の前の男はきんきら鎧が非常に特徴的ではあるが、まさか四六時中身につけている訳ではないだろう。どこかで見た覚えも、聞いた覚えもない。
軍を率いているくらいだ。軍務局の役職持ちだろうが、王都どころかマゼンタの領都にもほとんど近寄らないラディアルは、長官クラスの魔法使いくらいしか顔と名前が一致しないのだ。
覚える気も無いし、その必要性も感じない。
ちなみにラディアル・ガイルの名前のほうは、先ほど彼が言ったように肩書きやら経歴やらがなかなか派手なので、辺境に引きこもっている今でもよく知られている。
そのせいか、たまに出るのだ。彼に勝手に夢を託そうとする、こういう輩が。
「手紙なんか知らん」
半眼で、きっぱりと言い切るラディアル・ガイル。
「よく知らない人間からの手紙は、読まないことにしているんだ。ろくな内容ではないからな」
付け加えると。
彼は差出人によく知った名前が書いてあっても、魔法印が施された信頼性の高いそれさえ、手紙は読まない。
それがどんなに重要な内容でも、どれだけ心を尽くした文言が並んでいても、心を揺さぶるような内容がしたためられていても、関係ない。中身をまったく見ていないのだから。
そんな彼のもとに届く手紙は、彼の手紙嫌いを知らない、大して親しくもない者たちからのものか、“王立魔法研究所所長”宛の、義務的に中央から送られてくる公的な書簡くらいである。
「何を書いたのかは知らないが、返事はあったのか? あったとしてもおれが書いたものではないと思うが」
ついでに言うと、ラディアル・ガイルは筆無精でもある。
「返事など! あなた様なら必ず我々の求めに応えて下さるものと―――」
「おれはそんな便利な奴じゃないぞ」
ラディアルは、呆れたようにため息をついた。
ベニード・グラナイドが驚愕に目を見開く。
「い、いや、便利などと―――」
どんっ。
言葉の途中で、轟音と小さな地鳴りがあたりに響いた。
ベニード・グラナイドが思わず口を閉じる。
「だいたいなあ」
どかっ。
「お前たちはサヴィアの侵攻を食い止めるためにここに居るんじゃないのか」
ずしっ。ずしん。
轟音と地鳴りの発生源は、ラディアル・ガイル。
いつの間に召喚したのか。彼の手には、大ぶりの戦斧が握られていた。
「現状に不満があるならそれでけっこう」
長身のラディアルよりさらに長い、材質も分からない漆黒の柄。その先には、血を吸ったように赤黒く禍々しい半月型の刃が付いている。
「だが、文句は自分の職責を全うしてから言え。」
どがーん。どすっ。
「最初から他人に頼ろうなんて、ムシが良すぎるぞ。まずは自分たちでなんとかしてみろよ。そういう立場だろうがお前たちは! 出来ないなら出来ないで、相談する相手が違うんだよ」
どかっ。どかっ。どがん。
彼の苛立ちを表すように、しかし軽い仕草でどかどかと下ろされる戦斧の刃先は、下ろされるたびにべこべこと周辺の地面をえぐっていく。
同意したのか単なる反射か、彼の言葉に忙しなくこくこくと頷いている者もいた。
「そもそも、お前たちがちゃんと仕事をしていればだな」
どすん。ぴしっ。
短い草しか生えていない固い地面に、とうとう亀裂まで入った。
「うちのムスメがこんな面倒事に巻き込まれることも無かったんだぞ」
どんっ。びきびきびきっ。
無残にえぐれていく地面と広がる地割れ。
彼を追いかけてきたフローライド軍の大半は、このときすでに相手の言葉もろくに頭に入ってこないくらいに動揺していた。
―――怒っている。ものすごく怒っている。
しかも、国内屈指の魔法使い様が怒っているのは、明らかに敵国サヴィアではなく自分たち自国の兵に対してである。
つまり。今は地面をボコボコにしている彼の魔法が、いつこちらに向けられてもおかしくないということだ。
「……で。おれに何をさせたいんだって?」
にやり。
自分の頭上で戦斧をゆるりと回し、ラディアル・ガイルは口の端を不敵に持ち上げる。
そしてぴたりと、血色の刃先をフローライド軍に向けた。
誰かが「ひっ」と悲鳴を上げた。
そしてそれが始まりだった。
しばらくの後、戦々恐々と様子を見に来たサヴィア王国軍が見たものは。
そそくさと撤退しごま粒ほどにまで小さくなったフローライド王国の中央軍と砂煙。
加えて、なぜかそこだけでこぼこに掘り返された地面と、戦斧を肩に担ぎでこぼこの中央で仁王立ちする、漆黒の男ただひとりだった。
次話は明日投稿予定です。




