どんな思惑と蒼黒の瞳・3
たいへんお待たせして申し訳ありません(-_-;)
今回はサヴィア側のお話です。
目の前でずらずら並ぶ白灰色の男たち。
「フローライド王国シルベル領、サヴィア王国に下ることをここにお誓い致します」
一斉に深々と腰を折った彼らの頭頂部をうつろに眺めつつ、ユーグアルト・ウェガ・サヴィアはため息を吐いた。
「どうぞ…どうぞ! 末永くよろしくお願いいたしますっ」
―――こうなるから嫌だったんだ、と。
サヴィア王国は、現在じわりじわりと、しかし確実にフローライドを侵略している。
と。傍目にはそのように見えている。
サヴィアが意図的にやったわけではなく、結果的にそうなってしまったというだけである。
戦を仕掛けた当初はともかく、現在のサヴィアでは、積極的に他国へ攻め込もうという好戦的な考えは少数派だ。
戦に飽きた、あるいは精神的に疲弊してしまったというのもある。
すでにここ十数年で領土が何倍にも広がっている。
むしろ急速に広がり過ぎて国内に目が行き届きにくくなったことが現在の問題で、現サヴィア国王は内政のほうに力を入れているところなのだ。
戦がない事によって戦で亡くなる者は減り、国内の治安も良くなっているのだから、多くの国民も国の方針に賛成していた。
サヴィアはもともと小さな貧しい国だった。
厳しい環境と痩せた土地のため、とくに食糧事情は良くなかった。
なので、農業大国と言われていたアスネを支配下に置いたとき、サヴィア王国の上層部は胸を撫で下ろしたものだった。
これ以上の戦は不要だとする意見が多くなってきたのも、この頃からだ。
じっさい、最初は良かった。
国境があったときは払わなければならなかった通行税や面倒な手続きがなくなったぶん、食糧が手軽に安く手に入れられるようになったのだ。
相変わらず貧しかったサヴィアのもとの領土では、不作の年でも飢える者が減った。少しだけ生活に余裕もできた。
その土地で生きている者にとっては、ささやかだが劇的な変化だ。
そしてアスネにとっても、サヴィア王国に加わるのは悪い話ではなかった。
交易相手国の半数以上は、すでにサヴィア王国の支配下に入っていたからだ。
しかもサヴィアはアスネの広大な耕作地や人々が暮らす街をなるべく荒らすことなく迅速に乗っ取ったため、アスネ国内の反発も少なかった。いつの間にか国の名前と王様が変わっていたわ、くらいの感覚だ。
むしろ豊かさにあぐらをかいて腐敗が進んでいた上層部を叩き潰してくれてありがとう、と一部に歓迎されたほどだ。
そう。ここまでは良かったのだ。
問題はその後。
サヴィアがフローライド王国に侵攻してからだった。
アスネにとって隣の大国フローライドは最大の食糧輸出先であり、アスネを通ってフローライドへ続く街道を行き来する品物や商人たちも利益を生み出す元となっていた。
が、両国の戦によって当然それらの行き来は無くなってしまった。
とくに食糧は深刻だった。フローライドへ行くはずだった食糧が、アスネで大量に余ってしまったのだ。
一時的に買い取るにしても、際限なく買えるわけではない。
戦続きのサヴィアはそんなに国庫に余裕があるわけでもないのだ。
それに、買ったとしても放っておけば駄目になってしまう。
保存がきく食糧ばかりではないし、保管できる場所だって限られているのだから。
これまで食べ物がなくて困るという経験は嫌と言うほどしてきたサヴィアだが、食べ物が余って困るという事態は、経験どころかまったく予想もしていなかったのだった。
そんな、食べ物を粗末にするなんてとんでもないサヴィア王国のもったいない精神と。
せっかく作った農作物を無駄にしたくない旧アスネの人々。交易によって利益を得ていた商人たち。
さらには、当たり前のように入って来ていた物が入って来なくなり、困り果てているフローライド北部の人々など。
さまざまな人々の思惑やら利害やらが合わさった結果が、フローライドへの物資の大量輸送。
街道を普通に行き来していた頃とは比べものにならない微々たる量だが、しかし密輸というにはあまりに堂々とした“輸送”であった。
単に商人たちの行き来をサヴィアが見逃しただけなのだが。
ともあれ、これによって食糧の大量廃棄とそれによる大損害は一時的には回避することができた。
フローライド側に見つかり取り締まられるまでの、その場しのぎの苦肉の策だという自覚はあった。
まして食べ物でフローライドの民を懐柔しようなどとは、できるとも思っていなかった。
万年食糧不足だったサヴィアと違い、相手は大陸有数の繁栄を誇る大国。
北の街道が使えなくなったからといって、南には大きな港もある。すぐに困窮するようなやわな国ではないのだ。
そのはずであった。
……フローライドがよほど誤った対応をしなければ。
いま。
ユーグアルトらの前で一様に頭を下げているのは、シルベル領の地方官吏たちだった。
微妙な濃淡の違いはあるものの、お揃いの白灰色の外套は中級から下級の“魔法使い”である。
フローライドでは優遇されているはずの“魔法使い”だが、その中でも“上級”と呼ばれる階級の者たちとそれ以下とでは、扱いに大きな差があるという。
常日頃から上司でもある上の“魔法使い”たちの横暴と横着と身勝手ぶりに振り回され。
やはり彼らの行いに悩まされている一般住民たちからは、同じ“魔法使い”というだけでしばしば冷たい視線を向けられる。
かといって反発すれば左遷かクビか、残れても悪質な嫌がらせが増して結局心身を病んでしまうかで、真面目にお役所勤めをしていた“魔法使い”たちが実はいちばん不満を燻ぶらせていたようだった。
そして、それなりに荒波を越え苦労してきた彼らのような役人たちが、魔法の才能はなくてもそれなりに使える人材のようだった。
ろくな指示も援助ももらえない中で領内をなんとか切り盛りし、身分的にも魔法の能力的にも上であるシルベル領領主を捕まえてサヴィア側に手土産として突き出してくるくらいには。
……そういえば、先日保護した“魔法使い”も彼らと似たような色の外套を身に纏う下級官吏だった。
彼女が滞在していた宿の者がいうには、上司からの単なる嫌がらせで仕方なくここまでやって来たという。
それが事実なら、宿の従業員でなくとも同情してしまう。
こんな時期に若い女性がたったひとり、中央から前線に近い国境付近へ追いやられる理由が単なる嫌がらせとか。いったい彼女の上司はどれほどの人でなしなのかと。
―――話を戻して。
ところでその突き出されたシルベル領領主セルディアン・コルドーだが。
「これはまた……絵に描いたような小者だな」
思わず口に出したのは第二軍軍団長ジュロ・アロルグ。
サヴィア軍の大半の感想は、彼と同じだった。
ちなみにこのとき彼が立っていたのは、ユーグアルト・ウェガの右斜め後ろ。同じ軍団長なのに、彼はあえてユーグアルトの部下であるかのような立ち位置に下がったのだ。
別にユーグアルトが王弟だから遠慮したとか、そういうわけではない。
彼はジラノスの役人たちが来たと報告を受けたとたん、「交渉事はオレには無理ムリ―」とユーグアルトに押し付けてきた。そして自分は斜め後ろの位置からの傍観を決め込んだのだ。
言葉よりも拳で語り合うのが大好きなジュロ・アロルグ団長に、誰も交渉を任せようなどとは思っていない。
そこに立っているだけで相手を委縮させられる迫力がある筋骨隆々の熊男は、真ん中でふんぞり返って相手を威圧していればそれで良かったのだが。
熊男、引き際を見極めるのと空気を読むのだけは上手くなったらしい。
先手を取られなおかつ押し切られるとは、ユーグアルトもまだまだである。
……こちらは他に構っている余裕などないというのに。
それでその領主だが。
上級“魔法使い”の魔法対策だろう、専用の捕縛道具で肩から足首までがちがちのぐるぐる巻きに拘束され、サヴィア軍の将校たちの前に雑にぽいっと放り出された。
この扱いを見ただけでも、領主に人望がないのは丸わかりである。
密偵の報告からも評判はあまりよろしくなかったが、突き出してきた役人たちの数や顔ぶれを見ると、報告以上に嫌われていたようだ。
あちらの上層部はこんなのばっかりかよ、と呟いたのは誰だったか。
目の前の男は、部下に裏切られたからか、あるいは格下の“魔法使い”に不覚を取ったのが悔しいのか。
最初、放り出された領主はがばりと顔を上げ、猿轡をされたその口でくぐもった呪いのような罵倒のような声を漏らした。おそらく「こんなことをしてただで済むと思っているのか」あたりだろう。
が、元気だったのはそこまで。
自分が誰の前に突き出されたのかを理解すると、とたんに真っ青になってがたがたと震え出した。
もと部下たちが何を言っても、聞こえないのか聞きたくないのか。
何か言っているようだが、猿轡で遮られてほとんど言葉として聞こえない。
伝わらない、猿轡も外してもらえる気配がないと分かってからは、ひたすら身体を縮こまらせるばかりだ。
もともと赴任してから大した仕事もせず功績もなく、かといって大きな悪事を働いていたわけでもなく、領地の収入をちょろまかしてこつこつと私腹を肥やしていただけの男だ。
そしてサヴィア王国に領地を脅かされても前線どころか領都の館からさえ出ようとせず、挙句の果てに自分だけさっさと王都に逃げ帰ろうとしていたらしい。
それはぐるぐる拘束され転がされても文句は言えないと思う。
実際に見た感じも行いからしても、立派な“小者”である。
ついでに言えば、そんな男を土産にもらってもサヴィアはまったく嬉しくない。
隣国と国境を接する守りの要、交通の要衝、交易の拠点、北部の経済の中心地。そのシルベル領を中央より任され、なおかつ一人で何千何万の兵にも匹敵するといわれるフローライドの“上級魔法使い”。
それが目の前のぐるぐる巻きとか、何かの間違いではないか。
もう少しこう、貫禄とか、得体の知れない怖さとかないのかと。
思わずため息を吐いたユーグアルトはきっと悪くない。
……そう。得体の知れなさで言えば、彼女のほうがよほど不可解だ。
「―――はあ、とうとうジラノスまで落ちたぞ」
兵を動かしてもいないのになあ、とジュロ・アロルグが笑った。
ただしいつものからっとした豪快なそれではなく、どこか気の抜けた苦笑いである。
ユーグアルトも自身のこめかみをぐりぐりと押さえた。
ほんとうに、こんな事に気を取られている場合ではないのに。
「シルベル領全体を取られたと知ったフローライドは、さすがに黙っちゃいないだろうな。普通は取られる前に取られまいと必死になるもんだが」
とはいえ。
この後に及んでも、いまだにフローライドの中枢はシルベル領の状況を正確に把握していないようだ。
それはフローライド国内にじわじわと増えているサヴィアの支持者、あるいは内通者たちの暗躍の成果でもあるし、領主のように上の者たちが保身やら個人的な利害やらを優先させた結果でもある。
現体制の求心力の著しい低下と機能不全がいま、最悪の形で表面化しているのだ。
ユーグアルトは、目の前に跪く男たちを見た。
シルベル領においてそこそこの地位にいた、そこそこ使える者たち。この先この土地がどちらの国のものになろうとも、彼らの力は必要になるだろう。
ただしそれは国の仕組みの一部として。部品のひとつとしての話だ。言い方は悪いが、無ければ多少は困っても替えがきく。
必要なのは、彼らの上に立ちまとめ指揮する者である。
上に立ちたいという野心を持つ者はいるかもしれない。しかし資質を持った者は、少なくともいま居る中には見当たらない。まあ、居たらあえてサヴィアを頼ろうなどとは思わなかったかもしれないが。
目の前の彼らはおそらく、いや確実に、その役割をサヴィアに期待している。
迷惑な話である。
なにしろこちらは最初からその気がない上に、現在こちらはこちらで大変なのだ。
つい先日も壊滅の危機にさらされたところで、まだ予断を許さないというのに。
そう、つい先日。
領都ジラノスに潜入し、フローライドの官吏にして下級“魔法使い”である女性を保護――拉致ではなく、名目は保護だ――し連れ帰ったその時から、ユーグアルトは心休まる暇がない。サヴィア軍全体が戦々恐々、ぴりぴりとしている。
ちなみに、保護した際に中心地にほど近い宿でうっかり騒いでしまったためにユーグアルトらの潜入がばれ、そして侵攻の準備中と勘違いされて内通者たちが勢い付いた結果が目の前にあるのだが、それはそれで別に反省するとして。
それよりも現在深刻なのは、件の女性のほうである。
未だに目を覚まさないのに、なぜ彼女の周囲がこうも騒がしいのか。
いや、表面上は静かなものだ。
……ときどき周辺に配置した魔導部隊の魔法使いがばたばたと倒れるくらいで。
それも、彼女が悪いわけではない。
そもそも意識が無いのに良いも悪いもない。
直接的な原因は別のところ、というか彼女の隣にある。
それは分かっているのだが―――。
「あーこりゃもう、どうするかなあ」
ジュロ・アロルグがぼやいたのは、ユーグアルトの頭の中を覗いたからではない。
現在シルベル領の役人たちが頭を下げている、この状況に対してだ。
何事もなかったかのように退却することはできない。
シルベル領のみをサヴィアの領土とするのも難しい。
かといって、これ以上進軍するにも自軍が整わない。
「……戦をしてもいないのに進退窮まるとは思わなかった」
「それな」
思わず口からこぼれた言葉に、ジュロ・アロルグも同意したときである。
ざわざわ、ばたばたと周囲が急に騒がしくなったと思ったら、伝令係の兵士が横から駆け込んで来た。
「も、申し上げます! 駐留するフローライド中央軍がこちらに向かって進軍を始めました!」
「……は?」
今さら? というか、なぜ今?
少なくとも前日までは何の動きもなかったと思うのだが。
ユーグアルトが正面に視線を戻すと、ジラノスの役人たちは一様に驚き、そして真っ青な顔でぶんぶんと首を横に振っている。
彼らの計略ではないことは分かっているが、この顔つきだと思い当たるふしもないようだ。
伝令係の報告に眉根を寄せている間に、次の伝令が飛び込んで来る。
「も、もも申し上げますっ。中央軍の先頭に、黒衣の男が見えます。ま、“魔法使い”ではないかと……」
最初の伝令よりも上ずった声で告げられた言葉。
その報告に、ぴしっと緊張が走った。
フローライド軍に魔法が使える者が従軍しているのはおかしなことではない。文官だけでなく武官だって位が高い者はもれなく“魔法使い”なのだ。むしろ当たり前である。
しかしそれが、黒を纏っているという。
黒はフローライドで最高位の“魔法使い”のみに許された色だ。現在は国王と他にほんの数名いるだけのはず。
それだけの魔法使いとこれまで戦場で対峙したことは、ない。
「は、はは。とうとう出やがった、のか」
それも、今。
呻いたジュロ・アロルグの声を打ち消すように、次の伝令が「申し上げます!」と声を張り上げた。
しかし声を張ったのは最初の「申し上げます」のみ。
「あの、それが、進軍が……いったん止まりました」
「……は?」
自分の言っていることがよく分からない、というように伝令係は困惑気味に続けた。
「先頭の黒衣の男と後続の軍が……なにやら揉めているように見えるのですが……いったい何が起こっているんでしょう」
「…………」
そんなの、こちらに分かるわけがない。
読んでいただき感謝です^^




