どんな思惑と蒼黒の瞳・2
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
こちらはサヴィア側の視点です。
誰に何を言っても、下手な言い訳だと眉をひそめられることは間違いない。
しかし。ユーグアルト・ウェガ・サヴィアはこう思っていたのだ。
少なくとも、最初は。
彼女とただ、話がしたいだけなのだと。
北市場で出遭った女性。
妹王女を保護してくれたあの黒目黒髪の女性に、ユーグアルトは興味を持っていた。
今までにない人種に会ったぞと、そういう感じの物珍しさだ。
怪しいと思わなかったわけでは無い。
普通に考えればものすごく怪しい。
困っているところに出くわして颯爽と助けに入り、人見知りの妹の信頼まであっという間に勝ち取ったなど、タイミングが良すぎるし何か裏があるとしか思えない。
そんな彼女は、後日調べたら王都フロルから来た官吏だった。
後から合流したバドル・ジェッドとサフィアス・イオルなどは、話を聞くなり顔をしかめ警戒心を露わにしていた。
それはそうだろう。話を聞いただけならば、ユーグアルトも同じ反応をしたと思う。
しかし実際に見た印象は、どうも違う。
見た目だけではない。北の大国オーソクレーズを攻めていたころ、うんざりするほどあの手この手で入り込んで来たそれらで鍛えられた感覚までが、あれは違う、裏はないと告げて来るのだ。
まず、素性がばれるのが簡単すぎる。
こちらを油断させたいのなら、そもそもあんな「フローライドの“魔法使い”でございます」と主張するような外套で近づいて来ないだろう。連れの護衛も彼女を変に隠したり偽ったりする様子はなく、実に素直だった。
むしろ彼女からは、面倒事から全力で遠ざかりたいという意思がだだ洩れだった。そういえば顔色も悪かったように思う、
にもかかわらず、あのとき最大の面倒事だったに違いないナナリィゼのことは放り出さず、最後まで気にかけていた様子で。
人見知りのところがある妹王女がすぐに懐いてしまったことといい。
役に立つのか立たないのかよく分からない、疑った先から疑った自分が馬鹿馬鹿しくなるような、人懐こくて緊張感のない使役魔獣といい。
国の役人だろうとなんだろうと、彼女はもうただのお人好しという判断でいいのではないかと思う。
実はこれらが全て作られたもので、彼女が真実密偵だったとしたら。
そのときはもう、天晴としか言いようがない。
ユーグアルトはそう思っていた。
彼女を妹の側仕えとして引き抜きたいとまで考えていたのだから。
彼女とその使役魔獣が何らかの意図があってこちらを探っていたのは間違いない。
ならばいったん捕らえて話を聞きださなければならない。相手に悪意があろうと無かろうと、これは変わらない。
幸い彼女の滞在先は把握済みだし、この短時間では逃げたとしてもそう遠くへは行けないはずだ。
ここに居るのはサヴィア王国軍第四軍を束ね、指折りの実力を誇る士官たちである。彼らにとって、魔法使いとはいえ女性ひとりの捕縛など、とても簡単なことのように思われた。
そう思っていたのだ。
―――彼らが余裕を持って構えていられたのは、ここまでだった。
彼女に相対する前、目的の宿にたどり着くだけで大変な思いをすることになろうとは、いったい誰が予測できただろう。
まず、商会で馬車を用意してもらったところ。
先ほどまで軽快に動いていたはずの馬車が、正確には馬車を引く馬が、動かなくなった。
押しても引いても鞭をあてても、まったく動こうとしない。それならと直接馬の背に乗ろうとしても、嫌がって振り落とそうとする始末である。
何か薬でも嗅がされたか、あるいは飲まされたのかもしれないが、さすがに馬に構っている暇はない。
彼らは商会の者に後を託して、自分の足で移動することにした。
ところがだ。
大通りに止まっていた馬車が、今度は勝手に動き出す。
フローライド側の襲撃か、と身構えたのは一瞬。
しかし彼らの前に立ちはだかったのは、馬車を引いていた馬だけだった。
急に動いては彼らの行く手を塞ぐように方向を変える。御者が居ても居なくてもお構いなしである。
ぶるるっと鼻を鳴らして前足でがしがしと地面を蹴る馬は、明らかにこちらを睨みつけ威嚇していた。
それも馬車一台きりでは終わらず、近くに停まっていた馬車のほとんどすべてが動く。そして狙いすましたように彼らが通ろうとするときに道を塞ぐ。
馬ごときに怯む軍事国家の士官たちではない。
が、少しずつでも確実に時間を取られている苛立ちと原因が分からない不気味さを感じた彼らは、それでも冷静に考え。
大きな馬車が通らない、一本横に入った小さな通りを進むことにした。
すると今度は、上から野生の鳥が襲来してきた。
普段は街に近づかないか、近づいてもはるか上空を飛んでいるような鳥である。よほどのことがない限り人を襲うことも無い、比較的穏やかな種だったはずだ。
それが複数羽、大きな翼で彼らの頭上ぎりぎりを飛んではぎゃあぎゃあと何かの警告のように鳴いている。
追い払おうとしても、一時的に上空へと逃げるだけで繰り返し絡んでくる。
そう。襲うというよりは絡むという感じだった。
怪我はしない。しかし突いてくる嘴は地味に痛いし、近くで羽をばさばさと動かされるとうっとおしい上に視界が塞がれ安易に動けない。
狭い場所では簡単に剣を振り回したり魔法を放ったりもできないし、派手に動いて目立ちたくもない。そんな彼らの心情をあざ笑うかのような動きだった。
もともと短気なサフィアス・イオルがとうとうキレて炎の魔法で鳥の羽を焼き、驚いた鳥たちが逃げていくまでそれは続いた。
けっきょく大通りに戻り、どうにかこうにか目的の宿に近づいた頃。
カルゼ・ヘイズルが自らの使役魔獣を召喚した。
相手の使役魔獣たちを、こちらの使役魔獣で抑えようと思ったのだ。
スプリルは戦闘向きではないが、あちらは愛玩用としか思えない極小サイズだ。
捕まえるくらいは簡単に出来るだろう。
召喚主だけでなく誰もがそう思っていたのに。
召喚した使役魔獣は、召喚した時から明らかに気が進まないという素振りでカルゼの周囲をうろうろとしていた。
こんな様子の使役魔獣は初めてだ。
これだけ奇妙なことが重なれば、運が悪いとかで片づけられるレベルではない。
そして彼らは考える。
自分たちはいったい何をしているのだろうか。
何を、相手にしているのだろうかと。
「……っざけんな、よ」
馬鹿にするのも大概にしろ。
サフィアス・イオルの苛立った声に殺気が混じり始めたのも、仕方がない事だったかもしれない。
☆ ☆ ☆
張れない結界。
思うように動かない使役魔獣。
まったく当たらない魔法。
かすりもしない剣先。
傷ひとつ付けられない相手に対して、苛立ちよりも焦燥感に支配されかけたころ。
「はあ」
ユーグアルトはため息を吐いた。
重い、重いため息である。肩まで落とさなかったのは、これからやる事があるからだ。
迷いのない足取りですたすたと近づきながら、腰に下げていた剣を鞘ごと外す。
そして相対する女性の靴先まであと二歩という場所まで迫ったとき。
今まさに振り下ろされようとしていたバドル・ジェッドの剣を、自らのそれで弾き飛ばした。
「……っ!」
バドルは腰に佩いていたもう一本の剣―――魔法剣でない普通の支給品だ―――の柄に反射的に手をやりながら素早く後ろを振り返る。
剣を弾いたのが後ろに控えていたはずの上司だ。それを知って、彼は驚くと同時に思わず硬直した。
固まるバドルを一瞥し、次にユーグアルトは女性を挟んで反対側にいたサフィアス・イオルの喉元に鞘付きの剣先を突き出す。
とっさに仰け反ることで避けたサフィアスは、体勢を崩して後ろに下がりながら不満げに唸った。
「団長! どうして邪魔するんだよ!」
「落ち着けお前ら。……カルゼはいい加減に戻って来い」
どん、と剣で床を叩けば、後ろでぽかんと呆けていたカルゼ・ヘイズルがはっと我に返った。横で彼の使役魔獣が労わるように主を見上げている。
「バドル、サフィアス。おれは逃げられないように表と裏を守れと言ったが、危害を加えろと命令した覚えはない」
「しかし……」
「はっ。怪我のひとつもないだろう!? こいつを見れば―――」
やけくそのように笑ったサフィアスだったが。
「命令違反だと言っている。それに、見た目に傷がなければ何をしてもいいのか」
冷静に指摘されて、ぐっと詰まる。
傷があろうとなかろうと、無抵抗の女性相手に複数の男たちがよってたかって痛めつけようとしていた図は変わらない。
誰かに目撃されれば……それこそ潔癖なナナリィゼ・シャル王女にでも知られれば、こちらが非難の対象になり王女の攻撃対象ともなることは間違いなかった。
ユーグアルトも、焦る気持ちは分からないでもない。
先走る部下を見ていなければ、彼も同じように刃を向けていたかもしれない。
サヴィア王国の士官たち複数対フローライドの下級“魔法使い”ひとり。圧倒的に有利であるはずなのに、相手は未だまったくの無傷なのだ。
傷ひとつ付けられない、得体の知れない相手。
彼女はかつてサヴィア王国が魔法大国フローライドに抱いていた畏怖そのものだ。
しかし。
ユーグアルトは、あらためて周囲を見渡した。
部下たちに見せつけるように。
「気付いているか? 彼女もそうだが、周りの誰も血など流していない」
目の前でうずくまる女性や彼女の使役魔獣だけではない。対する男たちも、そして玄関に取り残され巻き込まれてしまった宿の従業員も、かすり傷ひとつ負っていない。腰は抜かしているようだが。
サフィアスが出てきたはずの従業員専用の出入り口や客室へ続くドアは、いつの間にか隙間が氷で覆われ動かせなくなっていた。向こう側からドアを叩く音や慌てたような声が聞こえるので、従業員たちがうっかり出て来ないように―――巻き込まれないように配慮したのだと思われる。
とっさの状況で、よくもまあここまで周囲に気を配れるものだと思う。
これだけ氷が操れるのなら、氷を使って反撃することも、隙をついて自分だけ逃げ出すことも可能だっただろうに。
彼女はやはり。
呆れるほどに臆病で優しい、ただのお人好しなのだ。
女性の傍らに膝を付く。
すると彼女の白っぽい外套から、ひょこりと赤い頭がのぞいた。
小さな子供のような、しかし子供とは違うソレは、見間違いでなければ先ほど他の使役魔獣を言葉と手の平だけで止めていた。
これも彼女の使役魔獣だというのなら、彼女が庇うように抱き込んでいるのは世間一般の使役魔獣と召喚主の位置関係が逆だ。
だがそれも彼女らしいかもしれない。
「このか……」
小さな角を持つ赤髪の使役魔獣は、ちらりとこちらを見上げてからしゅんと眉尻を下げて召喚主へと小さな手を伸ばす。
もみじのような手が彼女の頭をそっと撫でる。
と、それが合図だったかのように彼女の身体がぐらりと傾いた。
ユーグアルトがとっさに腕を伸ばして抱きとめる。
サヴィア王国軍第四軍の士官たちは決して弱くはない。その力を容赦なくぶつけられて、彼女もとっくに限界を超えていたようだ。
外套の陰からもう一体、手のひらに乗るくらいの薄ピンクの毛玉がころんと転がり出た。
屋根裏に侵入していたソレは、見つかったときと同じようにふるふると髭を震わせてこちらを見上げている。
両脇にいた黒い子犬と白い子猫も、彼女を守るようにより一層彼女に身を寄せる。
赤髪の子鬼は、外套をきゅっと掴んだままだ。
いま彼が彼女を傷つけるような素振りでも見せれば、彼はただでは済まないだろう。
――そういえば、以前会った時には黄色い小鳥もいたな。
ふと思い出したユーグアルトだが、あまり深くは考えなかった。
使役魔獣は、必要な時に必要な時間だけ召喚して使うという魔法使いが多いし、鳥がいなくてもすでにここに四体いる。
小さくてもこれだけ召喚すれば、魔法使いはじゅうぶん大変だろうと。
小さな使役魔獣たちの強い視線が、彼に集中する。
周囲を囲んでいる男たちが再び動こうとする剣呑な様子を眼で制し、彼は出来る限りの穏やかな声音で話しかけた。
「手荒な真似はもうしない。簡単に信じてくれとは言えないが……すまなかったな」
☆ ☆ ☆
シルベル領シグート。
ここは西隣のマゼンタ領にも程近く、ふだんはふたつの領を行き来する商人たちやその荷物で賑わう、そこそこ大きな街である。
マゼンタとの交易は続いているので領都ジラノスほどひどい物資不足にはなっていないのだが、情勢が情勢だけにやはり閑散としてどことなく荒んだ雰囲気が漂っているような気がする。
ましてそんな街の上空。
これまでに見た事のないような、禍々しいほどに鮮やかな赤色をしたドラゴンがゆるりと旋回しているのだから、人々は不安げに空を眺めていたのだが。
「ねえリアン、付いてきて良かったの? お母さん心配してるでしょ」
「ちゃんと言って来たから大丈夫だよ!」
「ぐあぁう」
そうだよ大丈夫ーと言いたげに鳴いたのは、彼らの上を飛んでいるその真っ赤なドラゴンである。
ああ自国の魔法使いたちの使役魔獣か、と納得した人々は、途端にドラゴンに関心を向けることをやめた。
「ふたりと一緒だって言ったら母さんも安心してたから。危なかったらルビィに乗って逃げるしさ」
「ぐああぁう」
「それにオーカのとこの使役魔獣と会っても話が分かるのはおれのルビィだけだし。で、ルビィの言ってることが分かるのはおれだけだろ」
「ぐああっ」
「…うーん、まあそうなんだけど」
シェーナ・メイズはいつも手紙を運んでくれる小鳥に、ひとつお願いをしていた。
彼らの主である木乃香の身に危険が迫ったとき、彼女と使役魔獣たちではどうしようもないとき、魔法研究所まで知らせて欲しいと。
どうせオーカは変な遠慮をしたりやせ我慢をしたりで知らせてくれないだろうから、と。
ただし今回はちょっと、王都から無視できない内容の手紙が来たものだから、木乃香たちからの連絡が来る前に彼らはマゼンタから隣のシルベル領までやって来たのだった。
「まあ、あいつらがオーカなしでこっちに来るって滅多にないからな。それが無いってことは、オーカは無事ってことだろ」
だから、勝手に暴走したらダメだからな。
そう言ってクセナ・リアンとシェーナ・メイズが見つめる先。
漆黒の外套を身に纏った最上級魔法使いが、これでもかと眉間にしわを寄せて、そこに立っていた。
―――クセナの使役魔獣ルビィが、三郎の気配を近くに感じて騒ぎ出すまであと少し。
追記 誤字報告下さる方へ。
いつもありがとうございます。大変助かっております!
この場で御礼申し上げます。




