どんな思惑と蒼黒の瞳・1
「きゅきゅきゅうーっ」
ごめんなさいごめんなさい見つかっちゃったー!
いきなり帰ってきて木乃香の目の前にぽんと現れた五郎は、きゅうきゅうと訴えた。
「えっ? ええっ?」
「きゅ、きゅうっ」
……曰く。
この最小使役魔獣は、様子を見に行った先の建物の中でしばらく潜伏していたらしい。
というか、あまり素早く動けないので屋根裏でただじっとしていただけのようだが。
とはいえ大きな商会や貴族の邸宅にはありがちな、魔法あるいは物理防御、不法侵入者探知といった防犯設備をあっさりとすり抜け。
さらにはあのカルゼという魔法使いが重ねて張っていたらしい魔法探知にも引っかからず、である。
まあ、けっきょく見つかってしまったのだが。
「なっなんでそんな近くまで行ったの!」
「きぅぅ……」
だって入れたんだもん。
五郎はしゅんと髭を垂らす。
…皮肉にも、上司タボタ・サレクアンドレの「小さすぎて見つからない」という言葉通りになったわけだ。
相手の様子がよく観察でき、何かあればすぐ対処もできる。ついでに風雨もしのげて屋根裏はけっこう快適だったという使役魔獣に、木乃香は怒れない。主である彼女がちゃんと言わなかったせいもあるのだ。
本職の偵察顔負けの距離まで近づけるとは、ぜんぜん全く想像もしていなかったが。
そのうち、五郎について行っていた三郎と四郎も帰ってきた。
五郎の姿かたちは以前に知られてしまっているし、召喚主である木乃香が滞在する宿だって向こうは知っている。さっそくこちらへ向かっているようだ。
まず間違いなく、敵認定されているだろう。
そもそも彼らは隣国から潜入してきたらしい人間で、そんな彼らの話を勝手に屋根裏に入り込んで聞いていたのだ。
大した情報は聞いていないし、悪気なかったんです、と言ってもおそらく信じてもらえないだろう。木乃香が彼らの立場ならまず信じられない。
数日前の北市場で、彼らから向けられた殺気を思い出す。
あのときは誤解だったのですぐに殺気を引っ込めてくれたが、今度はそうはいかないはずだ。
問答無用で殺される……わけではないと、思いたいのだが。
「と、とりあえず逃げ……ええと、荷物、荷物をまとめて。ああ、そんな時間ないか。とりあえず貴重品だけ……、でも、うう、宿の人に迷惑が……っ」
「……」
「このかー…」
落ち着きなく部屋の中をうろうろする割におろおろするだけで何も進まない彼女の後ろを心配そうに見上げて健気に追いかける二郎と、同じく追いかけながら「落ち着いて」となだめようとする一郎。
「ぴっぴぃっ」
「にゃあ」
室内を器用にぱたぱたと飛び回る三郎に、窓辺で外を見ている四郎は「はやくはやく」と彼女を急かしているようだ。
そして五郎は、木乃香が椅子から取り上げた外套のポケットになんとか滑り込んだ。
……とりあえず、いったんは出る。素早く宿から遠ざかる。
今はそれしか思い浮かばない。
と。木乃香のそんな思いもむなしく。
「おでかけですか? 皆さんお揃いでなんて珍しいですねえ」
なにも知らない宿のフロント係が、にこやかにそう言って呼び止めた。
お揃いというのは、使役魔獣たちのことだ。
そういえば王都でもここジラノスでも、普段の外出であれば連れているのはいつも一~二体程度だった。理由は、単にかさばるからである。
近くの役所へ行くときのようにするりと通り過ぎようとした木乃香だが、連れている使役魔獣の多さで気を引いてしまったようだ。
「ロレンがもうすぐ帰ってきますから、少々お待ちください」
「え、ロレンさん? …あっ、いえ護衛はいりませんから!」
「いえいえ必要です。若い娘さんがこんなに可愛い子たちを連れて、人さらいに攫ってくれと宣伝しているようなものですよ」
何かと物騒ですからね、と大真面目な顔でフロント係が言う。
使役魔獣たちが可愛いのはまったくもってその通りだと思う。が、彼らは見た目ほど頼りないわけではない。
これでも下級とはいえ国家認定の“魔法使い”とその使役魔獣だ。
じっさい、下町をうろつくスリから街道沿いに現れる窃盗団まで、木乃香が被害に遭ったことはない。彼女がその存在すら気付かない間に使役魔獣たちが撃退している場合もある。
…が。
「この前も、北市場からヨロヨロになって帰って来たでしょう」
「うっ……」
それを言われると反論できない。
「ロレンに支えられてやっと歩いていたじゃないですか。彼が居てくれて助かったと我々にも頭を下げていらしたと記憶しておりますが?」
「そ、そう…でしたね……」
宿の従業員たちは、もちろんお客の誰にでもこんな過保護発言をしているわけではない。
自尊心が無駄に高い者が多いという“魔法使い”であればなおさらだ。相手によっては心配するのも失礼だと怒られかねない。
目の前の“魔法使い”様がそんな簡単には怒り出さない、むしろ自信なさげに視線をうろうろさせているようなお客様だからこそ、宿側としてもついつい世間一般の若いお嬢さん―――しかも世間知らず―――の扱いになってしまうのだ。
ここで、一郎が木乃香の外套の裾をくいくいと引っ張った。
「……このか」
「いっちゃん? どうしたの?」
見下ろせば、使役魔獣第一号が不安そうな、どこか悔しそうな顔つきをしている。
早く行こうと急かしているのかと思えば、そんな風でもない。
宥めるように小さな赤い頭を撫でていると、フロント係がまた声をかけてきた。
「ところでどちらへお出かけのご予定ですか?」
「え? いえ、ちょっと、ええと……散歩?」
「そうですか。それならお勧めのカフェなどご紹介させて頂きますよ」
「え、」
「ロレンに案内させますので」
馴染みの護衛が付くのはもう決定事項らしい。
そして手書きのメモがびっしりと書かれた周辺地図を取り出したフロント係は、本領発揮とばかりにどこそこのカフェがいいとか、ここの甘味が美味しいとか、滔々と語り出した。
「このような状況ですが、ジラノスの街にはまだまだお勧めのお店はございます」
「にゃーぅ」
足元の白猫が、そういうのはいいからー、と突っ込みを入れるように鳴く。
が。フロント係には通じなかったようで、にこにこと「そうですなあ、使役魔獣の皆さんは甘いものがよろしいですか? それともお食事の方で?」と返された。
サヴィア王国が攻めて来る前までは、フロントでのこんなやり取りは日常茶飯事だったのだろう。どこか嬉しそうで少し得意げな彼の言葉を穏便に遮るような、上手い言葉が見つからない。
宿の専属護衛であるロレンが帰ってきたのは、そのフロント係の前で彼女が「う」とか「あの」とか口の中でもごもごと言っているときだった。
「ただいま戻りましたー。あ、ミアゼ・オーカさん」
従業員の彼ひとりだったなら裏口から入って来ただろう。
しかし残念ながら、彼には連れが居た。
―――残念ながら。
「お客様ですよ。ちょうど宿の前で会ったんです」
一郎が、木乃香の外套の端をぎゅうっと握りしめた。
「おお。それは入れ違いにならなくて良かったですねえ」
「ひっ……」
にこやかなフロント係の言葉に被るようにして、木乃香は小さな悲鳴を上げた。
ロレンと一緒に入って来たのは、彼女が会いたくなくて逃げ出そうとしていた、まさにその相手だったからだ。
「どうも。先日のお礼に伺いました」
ロレンの後ろからにこやかに言ったのは、間違いなく北市場で遭遇した、カルゼと呼ばれていた男性である。隣にはもうひとりの、黒髪の男性もいる。
どちらもぱっと見表情は穏やかだが、目はぜんぜん穏やかではない。
こちらを油断なく捉えるそれに、言葉通りの友好的な雰囲気はかけらも感じられなかった。
外套のフードを取ったカルゼは、少し癖のある茶髪だ。傍らにいる使役魔獣のふさふさの毛並によく似た色合いだった。
そう。
使役魔獣が、すでに召喚されて傍にいる。
「お礼もそうですが、もう一度会ってお話を聞かせていただこうと思っていたんですよ」
「わんわんわん!」
彼の言葉に重なるように、黒犬が突然騒ぎ出した。
それで木乃香は、彼が魔獣を出した召喚魔法に加えてさらに宿全体に結界まで張ろうとしていたことに気が付いた。
こんな静かで速やかで滑らかな結界の作り方はいままで見たことがない。しかも普通に歩きながら、関係のない話をしながらだ。
結界の種類は防御。
外へ魔法や物理攻撃などの被害が及ばないようにするものだ。
それ自体に対象を攻撃できるような力はない。
しかし木乃香はぞっとした。たぶん吠えた二郎もそうだったのだろう。
だって話をするだけなら、こんなものを作る必要はないはずだ。
これは結界の中、つまり宿の中で彼らが暴れる予定ですと言っているようなものではないか、と。
彼女がマズいと思ったのが先か、彼女の使役魔獣たちが動いたのが先か。
彼女の足元に隠れた白猫がにゃ、と短く鳴いたかと思うと、あと少しで完成しかけていた結界がぴきんと凍って停止し、ぱんと音を立てて粉々に砕けて消えた。
「……はっ?」
結界の作り方はフローライドの“上級魔法使い”にも負けず劣らずの秀逸さだ。
しかしその結界を完成前に凍らせて破壊する…それが出来るのは、前代未聞である。
余所行きの、どこか胡散臭い笑顔を浮かべていた男がぽかんと目を見開く。
驚いた表情がさっと警戒感をあらわにした険しいものに変わった。
とっさの事とはいえ、後から考えてみればこれは悪手だったかもしれない。
訪ねてきた男たちに対して、抵抗の意思あり―――つまり、敵か味方かで言えば彼女たちは敵、と完全に見なされてしまったのだから。
「スプリル!」
男が声を上げれば、オオカミにライオンを足したような四本足の獣が軽い音とともに跳躍した。狙いは木乃香を守る彼女の使役魔獣たちだ。
しかし。
「だめ!」
木乃香の外套をぎゅうぎゅう握りしめた一郎が「まて」を教えるように小さな手の平をソレに向かって突き出す。
と、飛びかかってきた使役魔獣は一郎の横に着地したかと思うとすぐに後ろに飛び退いた。その場で足踏みしたりうろうろと首を巡らせたりしている。
行こうかどうしようか、と迷っているような仕草だ。
「え、スプリルっ!?」
「わんわんっ」
「なにやってんのカルゼ、……っ?」
背後から呆れたような声と鋭い殺気が飛んでくる。
裏口からでも侵入したのだろうか。背後に同じような旅装の金髪の男が立っていた。
二郎がそれに反応して―――正確には男の放った炎の魔法に反応して吠える。
反射的に振り返ってしまった木乃香は、振り返ってしまったことを激しく後悔した。
彼女の頭ほどの大きさの炎が、彼女の頭めがけて向かってきていたのだ。
しかしその炎も、届かない。
彼女の手前で風に吹き消されたように、ふっと消えてしまった。
「サフィアス!」
「ち、結界魔法の使い手なんて聞いてないぞ!」
誰かが咎めるように声を荒げたのとほぼ同時に、金髪の男が舌打ちする。
そして男が腰に佩いた剣の柄に手を置いた。
「結界なら自分が」
低く短く呟いて向かってきたのは、カルゼの横をすり抜けた大柄な男だ。
すらりと抜き放った、体格に似合わない細く華奢な武器は魔法剣である。
彼はそれを大剣か斧のように相手へと振り下ろす。
今度はずん、と鈍い音とわずかな振動があった。
しかしそれだけだ。粘土を切ったような重い手ごたえがあっただけで、剣先は木乃香に届くことも、“結界”を切った感覚もない。
次いで両手で大仰に構え相手めがけて突き出すが、同じように剣先が届く前にぴたりと止まる。
一瞬の後。今度は力がそのまま跳ね返ったかのように、大柄な男が真後ろに吹っ飛んだ。
男が、いや男たちが息を飲む。
外套の内ポケットに収まっていたハムスターが小さく、しかし勇ましく鳴いたが、その声は小さすぎて彼らの耳には届かなかった。
金髪の男が剣を抜き放ち、薙ぎ払う。叩きつける。
吹っ飛ばされた大柄な男も、体躯に見合った大ぶりの剣に持ち替えて向かってくる。
しかし振り下ろしても横に払っても、相手の外套をかすめることすらできない。
「物理もダメかよ……っ」
金髪の男が吐き捨てる。
手ごたえは、相変わらずあって無いようなものだった。
跳ね返されるわけではなく、剣先を捉えられたわけでもない。
何かに触った感触すらもない。ただ、先から力がすっと抜けていくような、奇妙な感覚があるだけだ。




