そんな嵐の前の一波乱・4
「団長の意見は、どうなん、です?」
続いたカルゼ・ヘイズルの言葉だが、不自然に途切れかけた。
それはほんの一瞬。
何かを探るように眉をひそめたのも、わずかな時間だ。
数々の戦場を共にした仲間たちにしか、分からないほどの。
「・・・・・・さすがにこれ以上は我々だけでは決められない」
あくまでさりげなく会話を続けながら、ユーグアルトが問いかけるような視線を魔法使いの部下に向ける。
サフィアスとバドルも同様だ。
「ってか陛下だったらけっきょく現場に任せる、とか言うんじゃないの」
「まあ、あの方だってわざわざ中枢の判断を仰いでから動くという効率の悪さを知ってるはずですからね」
「いつまでもここに潜伏しているわけには」
成り行きを見守るフローライドの商人は出入り口付近から動かず。張り付けた笑顔もまたちらとも動かなかった。
彼ではないそんな気配はないとカルゼはかすかに首を振る。
妙な気配は上、と天井にそっと視線を動かした。真剣に今後の対応を話し合うよう見せかけたままでだ。
カルゼ・ヘイズルは魔導部隊の指揮を任されるほど魔法に長けた男である。
中でも魔法感知能力やそれを活用した索敵に優れている。
その彼がいちばん先に勘付いたなら、それは何らかの魔法が関わっているとみて間違いない。
ただ、彼をもってしても、その妙な気配はひどく微弱にしか感じ取れなかった。
彼らがいる部屋は三階建ての建物の最上階にある。
いるのは、おそらく天井裏。魔法の気配が薄く殺気もないとなれば、暗殺目的ではなく単なる情報収集といったところだろうか。偵察とはっきり分かれば、偽の情報を流すなどして利用することも出来るのだが。
ただ、ここは腐っても魔法大国フローライド。カルゼ・ヘイズル以上の能力を持った魔法使いが近くに潜んでいないとも限らない。
慎重に探っているのはそのためだ。
ユーグアルトは、妹王女が座る部屋の隅へと移動した。
その真上が、カルゼの目線が「怪しい」と示した場所である。
「ナナリィゼ、おまえの意見はどうだ」
「え・・・」
急に名前を呼ばれた王女は、ゆっくりと顔を上げた。
この中でいちばん魔法力の多い彼女だが、彼女は他者の魔法の気配や、実質的なそれを探るといった繊細な技は苦手としている。
その上自分の気持ちにいっぱいいっぱいな彼女は、“相手”に気取られぬようほんの少しずつ周囲が緊張しだしたことにも気付いていない様子だ。
ユーグアルトは彼女と目を合わせるようにして、斜め向かいの椅子に腰かけた。
「あんな話を聞いたいつものお前なら、ここの誰よりも早く攻めろ落とせと騒いでいただろう。今日はまだナナの意見を聞いていない。何か思う所があるのなら、言わなければわからないぞ」
「・・・・・・兄さま」
ナナリィゼは、テーブルの下で両手をきゅっと握りしめた。
サフィアス・イオルは先ほど脱いだ外套をさりげなく拾い上げつつ、いつでも動けるようにそれとなく体勢を整え。
バドル・ジェッドはちょっと目が留まった、という素振りで壁に掛けられていた装飾の多い槍を眺め、柄を撫で感触を確かめた。
気配を探り続けているのか何か思案しているのか、俯いて腕を組んだカルゼ・ヘイズルの傍らからは使役魔獣のスプリルがのっそりと頭を持ち上げ、出入り口付近で立っている商人のほうへと優雅に歩いて行く。
そこに立つ見慣れない客人を観察するように、ふさりと尻尾を揺らしながら。
商人は最初こそ驚いたように目を見張ったものの、すぐに笑顔に戻った。
「やあこんにちは。素敵な毛並みの使役魔獣ですね。怪しそうに見えるかもしれませんが怪しい者ではないですよ」
商人は気安く話しかけた。
・・・・・・使役魔獣に向かって。
にもかかわらず、その直後に「あ」と口を押える。
「普通の使役魔獣には簡単に話しかけないほうが良かったのかな?」
「・・・声を付けていないので返事はできませんが」
スプリルはこの国で“良い”とされている戦闘能力特化の使役魔獣ではない。
むしろその脚力や身のこなしを生かした偵察や離れた場所への伝達に使っているモノだ。
鋭い牙や爪で襲いかかろうと思えばできるが、問答無用で襲ったりはしない。
ちょっと目が合ったとか話しかけたとかくらいではスプリルは何もしないのだ。
そして召喚主ではない誰かに懐くこともない。・・・これに関しては世界共通の常識だと思うのだが。
常識の範囲内である使役魔獣・スプリルは、商人の言葉に反応を示すことはなく、そちらを探るように見つめるばかりだ。
「そうですか。すいません、うっかりしていました」
この商人、たしか先ほどまでフローライド王国の“魔法使い”の証である外套を羽織っていなかったか。
鉄壁の笑顔ではなく単なる苦笑をこぼす彼にカルゼが呆れたような視線を向けた一方。
「わからないの・・・」
商人の言葉を聞いていたナナリィゼは、なぜか少し泣きそうな顔つきになった。
力なく、ぽつりとこぼす。
「・・・・・・わからなく、なってしまって」
そのとき。
わずかな――—会話が途切れた静かな室内であっても聞き逃してしまいそうな程にかすかな音が、天井裏から聞こえた。
「おまえは今、どうしたいんだ?」
また黙り込んでしまった妹を急かそうとはせず、ユーグアルトがゆっくりと問いかける。
何気なく、テーブルの上に肘をつきながら。
「また、・・・・・・会ってみたい」
誰に、とは言わず。
親に叱られている小さな子供のように、恐る恐る口からこぼしたナナリィゼ。
ユーグアルトが口を開こうとしたときだった。
かりっ。
ごくごく小さな。何かを―――おそらくは天井裏を引っかく音が、先ほどよりはっきりと聞こえた。
決定的であった。
そのとたんユーグアルトは、肘をついていない腕の袖から隠してあった中指の長さほどの小刀を素早く手のひらに滑り落とし、真上に投擲する。
小刀は軽い音とともに、しかししっかりと木製の天井に突き刺さる。
と同時にその刃から炎を吹き出し、もとの何倍もの大きさの火球となって天井の一部を瞬時に焼いた。
魔法力の大きさでは妹王女に遠く及ばないユーグアルトだが、彼は自身の魔法を普通の武器に纏わせる、少々珍しい戦い方をする。
炎が収まらないうちに、バドル・ジェッドが槍の穂先とは逆の持ち手部分で勢いよく天井を突き上げた。
サフィアス・イオルが真下にいたナナリィゼを椅子ごと下げて自身の外套を頭から被せ、彼女を守るように抱き込む。
と。
焼け焦げた天井の残骸がばらばらと落ちて来るテーブルの上。
一緒になって何かが、ぽてっ、と落ちてきた。
「きゅ」
落ちた衝撃で思わず、といった小さな小さな鳴き声が上がる。
手のひらに余裕で乗るほどちんまりとした体。
場違いなまでにふわふわもこもことした、薄ピンクの丸っこいそれ。
「あ・・・・・・」
以前に見たことがなければ、天井裏に置き忘れた毛糸玉か子供の玩具か、と勘違いしたに違いない。
じっさい、ソレがのそりと動くまではサフィアス・イオルやバドル・ジェッドはまったく注意を向けてはいなかった。
そして薄ピンクの存在を認めてからも、それぞれに中途半端な表情で何も言えずに固まっている。
ぱらぱらと天井の残骸の残りが降るだけの奇妙な沈黙の中。
ちょっと大きなまんじゅうくらいの大きさしかないソレは、そろり、そろりとブルーベリーのような暗紫色の鼻先を左右に動かした。
恐る恐る、辺りをうかがうように。
やがて。
自分の姿が周囲に丸見えで、しかも部屋の誰もが自分に注目しているとようやく気付いたソレは、ひくっと気まずそうに髭を動かした。
それから。
「きぅ」
どうもお邪魔してます。
のそりと後ろ足で立ち上がりながら、そんな感じで控えめに鳴く。
さらに。
驚いて薄青の目を真ん丸にしているナナリィゼに向かってちょっと首を傾げ。
ふっ、とその場から消えた。
☆ ☆ ☆
サヴィア王国軍の精鋭たちが慌ただしく指示を飛ばし自らも武装していた。
「やはり密偵だったか」
「まあこんな時期に中央からの派遣職員なんて、十中八九そうでしょうね」
「一時期下手な探りをいれてくる連中が煩いくらいだったのが急に気配が消えたと思っていたら。いつから探られていた?」
「どのみち、我々のことを知られたのなら長居はしていられません」
「・・・・・・もしかして恐ろしく切れ者なのかあの魔法使いは」
「あのとぼけた雰囲気がつくられたものだったとしたら、大したものです。うちの諜報部隊に引き抜きたいくらいですよ」
そんな正解と不正解がごちゃ混ぜになった推論を交わしながらも、彼らの手は止まらない。
サヴィア王国軍は、そもそも大体が動きを重視した軽装だ。準備も早かった。
「さっきの・・・・・・。あれは、もしかしてゴロー? はあ? いや、どうしてこんな所に??」
ばたばたと迅速に、かつ密やかに動く彼ら。
しかし、もともと八割がた部外者のフローライド商人―――ルツヴィーロ・コルーク氏の呆気にとられた呟きには、残念ながら誰も気が付かなかった。
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