そんな嵐の前の一波乱・3
「夢でも見たんじゃないの」
とことん冷めた声で言ったのは、サフィアス・イオル。
歴史あるサヴィア貴族の生まれなのにやたらと口が悪く、王弟でもある団長ユーグアルト・ウェガよりも態度がでかいという彼は、これでもサヴィア王国軍第四軍の最年少幹部である。
シルベル領領都ジラノスの潜伏先で合流した彼に、北市場での件を説明した後の反応がこれだ。カルゼ・ヘイズルはがっくりと肩を落とした。
「……そうだよな。そう言われると思ったよ」
「いくらここが魔法大国っつったって、端だろ。国境侵されてもろくな魔法使いが出て来ないってのに、あの王女の力を抑え込めるような凄腕とこんな街中でバッタリ出くわすとか。どんな確率だよ」
「いや、抑えたというか鎮めたというか」
「どっちにしろ、出来るわけないって言ってんの」
サフィアスが商人風の外套をぽいっと乱暴に放りながら言い放つ。
彼の所属は魔導部隊ではない。
が、こんなにびしっと断言するのは、彼は剣を振るうほうが得意だが魔法も使え、ナナリィゼ王女の暴走っぷりを何度も目の当たりにし、そして後始末に奔走してきた経験があるからだ。
「だがもし本当の話であれば、その魔法使いは我々にとって脅威となるのでは」
淡々と、しかし持ち前の低い声で静かに意見を述べたのは、同じく後から合流したバドル・ジェッド。
この中では一番大柄な強面だが、こちらは相手が老若男女誰であろうと丁寧な敬語を話す礼儀正しい男だ。平時、味方に対しては、という但し書きが入るが。
ちなみに、こちらは生まれも育ちも貴族のきの字も無い。
バドルは魔法の才能にまったく恵まれなかった。が、どこぞの城の蔵に眠っていたという魔法剣―――魔法による攻撃をある程度なら無効化し防いでしまうという剣だ―――を下賜されていて、やはり魔法力暴走への対処や後始末も経験があった。
第四軍所属の彼らだが、第四軍に所属しているわけでも、常に一緒に行動しているわけでもないナナリィゼ王女への対応経験がそれなりにあるのは、王女が暴走するのは戦場に限った事ではないからだ。
力をぶつけてもいい敵がいる戦場のほうが、むしろお互いに楽だ。
王女もその安心感が精神の安定につながっているのか、意外に戦場では暴走せずに魔法を扱えたりするから皮肉なものだ。
慎重なバドル・ジェッドの言葉にも、カルゼ・ヘイズルは「うーん」と唸る。
あらためて件の女性魔法使いとその使役魔獣たちを思い浮かべてみた。
「脅威か……“脅威”、なのかなあ」
街中なら、まだいい。
いや何がいいのかと言われても困るが、たぶんマシだ。
だが戦場のど真ん中で、魔法使いはともかくあの使役魔獣たちと対峙するはめに陥ったとしたら。
「嫌だなあ、あんな“脅威”……」
足元で行儀よくお座りしていたカルゼの使役魔獣“スプリル”が、主に同意するようにふっさりと尻尾を揺らした。
馬どころか下っ端の歩兵にでもうっかり踏み潰されて終わりそうなあの小さなモノが大陸を震撼させているサヴィア王国軍の“脅威”とか、嫌すぎる。
「まあ、とりあえず警戒はしておけという話だ」
ユーグアルトが、ふっと小さくため息をついて言った。
彼だってカルゼ・ヘイズルだって、あのジラノスの市場で遭ったあの魔法使いについては実は納得しきれていないのだ。
「おれとカルゼが見た時には、終わっていたことだ。本当のところが分かるのはナナリィゼだけなんだが」
そこで彼は部屋の隅で静かに座っている妹王女に視線を向けた。
つられるように、彼の部下たちも彼女を見る。
その視線に気付いているのかいないのか、そもそも人の話を聞いているのかいないのか、彼女は一言も発さずに俯いたままだ。
ものすごく静かだが、彼女は最初からずっとそこにいた。
「こういうわけでな」
「……」
ナナリィゼの様子がおかしい。
それだけは後続組が見ても明らかだった。
そもそも王女が部屋の隅で大人しくしているのがおかしい。平時ならともかく、敵地に潜入したこの状況でだ。
感情を乱して魔法力の暴走を引き起こすよりはましだが、この静けさはなんだか不気味なくらいだ。
「……警戒心は、薄れていたかもしれません」
深いため息とともに、バドル・ジェッドが言えば。
見てはいけないものを見てしまった、というような、怖いもの見たさというような、複雑な眼差しで王女を見つめていたサフィアス・イオルも同意した。
「ここへ来るのも拍子抜けの連続だったからな。簡単すぎて」
サヴィア王国軍と悟られるわけにはいかないので、彼らは商人を装っていた。
しかし、ただでさえ行き来する商人が激減しているこの領内で、外から来た商人は目立つし不審がられるだろう。サヴィア軍の駐屯地からここまでの間には、フローライド王国軍だって広く展開しているのだ。
だからそれなりの下準備をして対策も練っていたが。
ほとんどが不要だった。
「うちの軍の陽動があったにしても、フローライド軍のあんな近くを通って見つかりもしないってさあ。哨戒はどうなってんの。しかもここの関所の警戒感の無さってなに。あっけなく通り過ぎて逆に罠かと思った」
いや本当にさ、とサフィアスが吐き捨てるように言うと、返事があった。
「兵は慣れてますからねえ、そういうの」
この場にいる第四軍の幹部たちではない誰かの声は、商人姿の男。
いつの間にか部屋の入口に立っていた彼は、潜伏先として使わせてもらっているこの建物の商会の者ではない。
正真正銘のフローライド商人。ただし、後続組がジラノスに入る際に世話になった“協力者”でもある。
殺気がなくてもそれなりの緊張を感じ取ったのか、「あ、すみません」と彼は軽い口調で付け足した。
「そろそろお暇しようかと思いまして、ご挨拶に来ました。ドアが開けられていたのでいいかなと思ったのですが、大事なお話をされてましたか?」
「いや、大丈夫だ。部下が世話になり感謝している」
彼らが滞在しているようなそれなりの規模の商家なら、大事な商談や聞かれては困る密談のために防音の結界が張られた部屋がひとつやふたつはある。
ドアが開いていれば結界魔法は発動しない。つまり聞かれて困る話はしていない、ということになる。 そもそもこういった部屋は、部外者が簡単に近づける場所には無いのだが。
この商会も、一般のお客様立ち入り禁止である上階にこの部屋はあった。
ユーグアルトが商人を室内へ招こうとしたが、彼は「いえわたしはこちらで」とにっこり笑って遠慮する。
お暇すると言いながら軽装で、外套も羽織っていない。
おそらく何も隠し持っていませんよ、危害を加えませんよという意志表示なのだろう。
付き合いの浅い相手から信頼を得たければ、これくらい徹底したほうがいい。
例えば先ほど簡単に放り投げたサフィアス・イオルの外套だって、ゆったりした造りなのを良いことに内側にいろいろと仕込んでいるのだ。
つまりこのフローライドの商人、以前から協力してくれている仲間というわけではない。
ここ潜伏先の商会の主と顔見知りのようだが、それも後で知った事実である。
サフィアスらがジラノスへと向かっていた途中、ばったり出くわしたのが彼と彼が率いる商隊だった。
すぐそこに駐留しているフローライド王国軍に物資を納めて出てきたところだったらしい。
初対面の商人に遠慮なくずかずかと近寄られ、彼らだって警戒しないわけではなかったのだが。
「いやもう、なんか馬鹿馬鹿しくなりまして」
今のような鉄壁の営業スマイルに加え、なぜか額に青筋まで浮かべて彼はそう言った。
もう愛想が尽きたのだと。
「わたしはフローライドの体制そのものを変えたいとまでは思っていなかった。うちの奥さんが頑張っていることだし、いまの国王と一部いや大半の上層部の心根が気に食わないだけで。うちの奥さんがいるから何とかなるかなと思って。いやうちの奥さん、ものすごく有能なんですよ?」
ひとしきり“うちの奥さん”ののろけ話を聞かされた後。
でもね、と彼は言った。
「・・・・・・もう駄目だな。上の顔ぶれを変えたってこの国は変わらない。目の前に分かりやすくサヴィアという脅威が迫っていてさえバラバラだし危機感がないぜんぜんない。これはうちの奥さんひとりじゃどうしようもないでしょう。せめて彼女くらいの人材が十数人いれば良かったんだけど。いない事はないんだけど」
どんどん低く早口になっていった後半は、聞かせたかったのかもはや独り言か。
「―――というわけで、協力できることはするので欲しかったらどうぞ」
と、彼は締めくくった。
お安くしときますよー、とでも続けそうな商人が「どうぞ」と言っているのは、店の売れ残り商品ではなくフローライドという国である。
海千山千の商人相手に、第四軍の中でも交渉事に長けているとは言い難いサフィアス・イオルとバドル・ジェッドが太刀打ちできるわけがなかった。
ただ唖然とし、これにどう反応したものかと頭を悩ませた。
さらに困惑したのは、そうやって悩んでいる間にフローライド軍どころか領都ジラノスの関所の兵士たちの目も掻い潜り・・・というかほぼ商人の顔パスであっさり通過。気が付けばジラノスの街中に立っていたことだ。
それで先行していたユーグアルトらと合流してみれば、こちらはこちらで王女に関する不可解な現象の話をされる。
彼らにしてみれば、仲間の言葉が信じられないというよりはとっくに頭の許容範囲を超えて混乱しきりだったのだ。
「兵が慣れている、とは?」
あらためてユーグアルトが聞けば、商人の男は怖い笑顔で答えた。
「言葉通りですよ。今でも旧アスネ側から来る商人たちは割といるんです。殿下はジラノスの北市場をご覧になったんでしょう? 現在シルベル領は慢性的な物資不足で、訴えても国王や領主は何もしてくれない。忠誠心もわかない。豊かさに慣れている土地ですから、そもそも我慢がきかない。それで物資を運んでくれる商人たちは、暗黙の了解で通しているのです。多少の融通をきかせるため、地方官か地方軍の上層部にサヴィアの内通者がいるのかもしれませんが、それはあなた方のほうが良くご存じですね」
「……ザルだな」
「ええまったく」
呆れたような呟きにも、商人は楽しそうに相槌を打つ。
何かが吹っ切れたような、あるいは振り切ったようなスッキリ笑顔であった。
「これもまあ察しているかと思いますが、フローライド中央軍と地方軍は、お互いに張り合って連携がまったく取れておりません。それぞれの軍の内部でさえ統率取れてませんし、統率取れそうな人材もいませんし。軍務局はとくに平和ボケが激しいんですよねえ」
「・・・・・・」
「魔法大国のくせに、この期に及んでも大した魔法使いが出て来ないのが不思議だったでしょう。こちらは平和ボケに加えて能天気と自信過剰ですね。上層部は腰が重いのが多いんですよ、じっさい身体も重いし」
けっこうひどい言われようである。
敵だというのに、聞けば聞くだけ情けない気分になるのはなぜだろう。
こんな状況でこれまで国の体裁を整えていられたのが逆にすごい。
酒の席での愚痴のように内部情報をさらっと吐きだす商人は、周囲を見渡した。
さあどうしますか、とこの場の者たちに問いかけるように。
挑発にあえて乗ったのか乗せられたのか、まず口を開いたのはサフィアス・イオルだった。
「おれは正直いりませんね。こんな面倒くさい国」
面倒くさい、と商人が繰り返したが、彼は構わずに続ける。
「オーソクレーズといいフローライドといい、同じ大陸の国でもサヴィアとはいろいろ違い過ぎる。取ったところで苦労するのが目に見えてるだろ。その苦労を背負ってまで手に入れる利点がこの国にあるのか? 無いと思うね」
歴史だけは古い北の“お荷物”オーソクレーズでの苦労を知っているだけに、彼の言葉は辛らつだが説得力がある。
「おれの意見は違います」
丁寧に前置いて、口を開いたのはバドル・ジェッドだ。
「勝手に我が国に寝返った地域への対応を間違えると厄介です。協力者も多数いることですし、中途半端に領土の割譲を迫るくらいならいっそこれを機に王都まで攻め上り、国王の首を取ったほうが手っ取り早いのでは」
いらないからといってさっさと撤退できるくらいなら、そもそも第四軍に応援要請など来ないのだ。
バドル・ジェッドのはたいへん脳筋な意見だが、引いても面倒、攻めても面倒なのが現状であることは間違いない。
そしてこの場の誰もが「できない」とは言わないし、思ってもいなかった。
「完全な撤退か、徹底的な制圧か。最終的にはその二択だと思います」
言ったのはカルゼ・ヘイズルだったが、おそらくはこの場の共通意見だ。
「シルベル領の交易都市は魅力ですが、それだけを奪ってもフローライド王国内との交易が出来なければ意味がない。奪い返しにくることを想定した防衛設備を作る手間暇などを考えると、むしろ益はないですね」
旧アスネ王国とここフローライドの国境は、深い森が広がっているがなだらかな平地だ。
シルベル領内とそこから伸びる王都フロルへの街道も、難所らしい難所は見当たらない。
同じく国境に接するマゼンタ領は平地でも街道が整備されていない、というかできない不毛の荒れ地で、加えて危険な魔獣まで出没するので、商人たちの行き来はどうしてもシルベル領に集まる。
フローライドにとってもシルベル領は重要な交易拠点のはずなのだが、少なくとも彼らが調べた限りではレイヴァンの砦以外に大した防衛設備はなかった。
ここ数年、サヴィア王国という分かりやすい脅威があったはずなのに、何かを新しく作った形跡はない。それるどころか街や集落の入口に設けられた関所でさえ多少の賄賂で簡単に通り抜けられてしまう。
それはもうザルに水を通すがごとくだ。
そんな具合なので、攻め落とすのはおそらく簡単。
しかしその後、守るのは非常に難しい。
フローライド側としてもシルベル領を失うのは困るはずで、これまで以上に取り返そうと躍起になるだろう。
つまり、中途半端な領土の割譲はいちばん面倒なのだ。
次話は明日の投稿予定です^^
よろしくお願いいたします。




