そんな嵐の前の一波乱・2
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「何か……厄介なことになった、かも……しれない?」
滞在している宿の一室にて。
木乃香は、ぐったりと椅子に腰かけ、テーブルに額をくっつけた格好で突っ伏していた。
情けなくもあやふやな独り言を聞いているのは、彼女の使役魔獣たちだけである。
宿の従業員たちが用意してくれた子供用の椅子に腰かけた一郎が、彼女の向かい側から心配そうにのぞき込んでいる。
二郎は彼女の足元をうろうろと歩いてはちろちろと落ち着きなく主を見上げ。
四郎は突っ伏す彼女の背中で丸くなると「にあー」と鳴いた。
三郎と五郎―――現在彼女が悩んでいるその原因の一端である彼らは、テーブルの上で揃ってしゅんと頭を垂れていた。
……何が厄介かもしれないのかというと、先日の北市場でのひと騒動が、である。
反省はしているが、後悔はしていない。そこは間違いない。
あの美少女を魔法使いたちの魔の手から守ろうと思ったら、仕方がないことではあった。
だって、放っておけなかったのだ。
灰色の魔法使いたちに追いかけられているのを、どうしても見過ごせなかった。
問答無用で向こうから飛び込んで来られて避けられなかったというのもあるが、むしろあの時は「この子はわたしが守らねば」という使命感に燃えてすらいた。他人事に思えなかったのだ。
ついでに、精神不安定のため少女が自身の魔法力を制御しきれなくなっていたのだから、それがまた強大な力だったものだから、何とか抑えようとつい頑張ってしまったのも仕方がないと思う。
そう。仕方がなかったのだ。
問題だったのは、さらにその後に出遭った彼ら。
少女の連れである男たち(と使役魔獣)である。
彼女の師なのか兄弟子なのか、それとも別の関係なのか分からないが、スプリルというふっさふさの使役魔獣を連れていたあのカルゼという魔法使い。
少女ほどではないが、かなりの魔法力を持っているようだった。
少女の兄だと紹介されたもうひとりの男も同様だ。
宿付きの護衛であるロレンよりもよほど洗練された身のこなしと殺気で、手をかけていた腰の剣には大きな魔法石すらはめ込まれていた。
魔法剣。剣を振るえば自身の持つ魔法力の効果まで付けられるという、武闘派魔法使いのために作られた武器である。
召喚した武器ではなく人工で作られたそれらはフローライドではあまり見かけないが、研究のためにと師ラディアル・ガイルが収集していたので彼女にはなんとなく分かった。分かってしまった。
そんな彼らは、“魔法使い”の証である外套を身に着けていなかった。
フローライドで認定された“魔法使い”は、その証である支給品の外套を常に身に着けていなければならない。
……という決まり事が、この国にはある。
といっても、見せびらかす必要はない。
すぐに見せられるように持ってさえいれば良く、上から他の外套などを羽織って隠しても、なんならバッグの中にしまっていても問題ないらしい。
階級が上の魔法使いならば尚更、あえて見せつけて歩いている者も多いが、例えばルツヴィーロ・コルーク氏のような商人であれば、必要なければ身に着けずに持ち歩いているだけの人も多いのだという。
そして、彼らは外套を身に着けていなければ、持ってもいなかった。
年齢的に少女は微妙だが、少なくとも彼女の連れであるふたりは、見た目年齢と推定できる実力を考えると“魔法使い”の外套を持たないのはおかしい。
つまり彼らは、フローライドの認定“魔法使い”ではない――他国の魔法使いである確率が高いということになる。
思えば、木乃香が“下級”と知っても引かない態度だって、いかにもフローライドの“魔法使い”らしくなかった。
階級制度に馴染んだフローライドの魔法使いであれば、自分よりも格下、それも“下級”と呼ばれる階級の者に意見を聞く、教えを請うといった行動を、たとえ気になったとしても普通自分からは意地でもやらないものだ。
もちろん全ての魔法使いがそうではないし、例えばとある辺境の魔法研究所などは、表向きの肩書などに捕らわれない信念をもって研究に明け暮れている人の集まりなので、目的の為なら“流れ者”だろうと見習いだろうと下級だろうと平気で突撃してくる者ばかりだが。
それらを踏まえて。
現状、ここシルベル領で見かける他国の魔法使いといえば。
「サヴィア王国の人……っぽい、よねえ……」
男たちから向けられた殺気を思い出して、身震いする。
彼らは終始にこりともしなかった。「礼がしたい」などと口では丁寧に言っていたが、結局彼らは自分たちのちゃんとした名前も素性も、滞在先さえはっきりと明かさなかったのだ。
秘密裏に潜入しているのなら、あの警戒ぶりは納得である。
にこりともしない、というか出来なかったのは木乃香も一緒だが、しかし彼女のほうは相手にフローライドの“魔法使い”だと、その滞在先までばっちり知られてしまった。
せめて自分も魔法使いの外套を隠しておけば、と後悔しないでもない。
が、あの時は最初、護衛を頼まずひとりで行く気だったので防犯に必要だと思ったし、護衛のロレンが言っていた通り、もともと隠していないのだから少し調べれば彼女の素性なんてすぐにばれる。早いか遅いかの違いだけだ。
ここで気になるのが、シルベル領はどれくらいサヴィア王国とつながりを持っているのか、ということだ。
こんな状況下でシルベル領内に他国から輸入された品が当たり前のように流通しているこの状態がおかしい事くらいは、彼女にだって分かる。
で、そんなおかしな品物も並ぶ北市場には地方軍からの警備兵だって配置されていたのだ。シルベル領とサヴィア王国がすでにある程度繋がっていると考えて間違いはないと思う。
とはいえ、領主から末端までまるごと寝返っているのだとしたら、木乃香は今のようにのんびりまったり自由な宿暮らしなんて出来ていないだろう。
下っ端とはいえ、木乃香は中央機関、統括局の職員なのだから。
「うう……わからない」
ごん、と額をテーブルにぶつけてみる。
一郎が「わあ」と驚いたように声を上げ、テーブルの上の三郎と五郎がびくびくっとそれぞれの体を震わせた。
わからない事は中央に聞けばいいのかもしれないが、彼女が王都へ向けて送った手紙は、たぶん間違いなくどこかで意図的に止められている。
転送陣は使えるようだし、どこで止まっているかまでは分からないが、だっておかしいのだ。
仕事という名の嫌がらせで送った自分の部下が目的地にも行かず、それどころか領都でも指折りの高級宿で三食おやつ昼寝付きの高待遇を受けていると知って、あの上司から何も反応がないわけがない。
サボるんじゃない。とっととリュベクへ行け、もしくは帰って来いこの役立たず。――そんな怒りの手紙が王都から飛んで来ないのは、絶対に変なのだ。
上司だけならその他の書類と同じように長官室の机に山積みにされて忘れられている可能性もないわけではないが、ジェイル・ルーカや他の同僚宛てに送った手紙も反応なしだ。
それで考えたのが、あの暇つぶしに見せかけた一見どうでも良さげな一郎直筆の絵日記風お手紙であった。
ジント・オージャイトなら届いたその日に速攻で読んでくれるだろう。
これも届かないようなら、あとは小鳥を飛ばすしかない。
情報が少ない、もしかしたら敵の真っただ中かもしれないこの場所で、そうと知ってしまっては安易に動けない。
かといって、ただじっとしているのも怖い。
こうしている間にも、ジラノスにサヴィア王国軍が攻めてくるかもしれないのに。
「…うう。どうしたらいいの」
誰か、誰でもいいから教えて。
そんな心の叫びが届いたのかどうか。
手紙を出してから三日後。北市場での出来事から一日後のその日の夕方。
木乃香のもとに、出張の取り消しと帰還要請の手紙が届いた。
☆ ☆ ☆
「あんなふわっとした説明では納得できませんよ」
ユーグアルト・ウェガ・サヴィアにそう訴えるのは、カルゼ・ヘイズルである。
眉間にぎゅっとしわを寄せ、額に手の平を当てている。頭痛を堪えるような仕草だが、実際考え過ぎて少し頭が痛かった。
納得できないのは、昨日の北市場での一件。
ナナ―――ナナリィゼ・シャル王女が街中で危うく魔法力を暴走させるところだったのを、この国の“魔法使い”であるらしい女性が抑えてくれた。
ちょっと街の様子を見に連れて来ただけでそんな大事になるとは思わず、加えてナナリィゼの魔法力の痕跡をたどって入り込んだ路地裏が予想以上に複雑で合流までに時間がかかったのは完全に同行者である彼らの注意力不足、判断ミスだ。
それはそれで大いに反省すべきとして。それよりも。
「いったいどこをどうやったら、魔法力の暴走が途中で治まるっていうんですか!」
これである。
サヴィア王国の魔法使いたちは、王女の魔法力の強大さに喜びつつもその暴走に長年頭を悩ませてきた。
年齢とともに自身で制御できるようになると言われていたのに、年々魔法力は増大するばかりで制御のほうが追い付かない。
フローライドなどの他国から魔法使いを招いてみたり文献を取り寄せたりもしたが、大した成果は得られず。もう半ば諦めてさえいたのだ。
今回も、放っておけば北市場とその周辺は最悪レイヴァンの砦のような瓦礫の山と化していただろう。暴走が始まればいつも大体それくらいの規模である。
けっきょく魔法力が暴れ出すと同時に王女の周囲に複数の……いや大勢の魔法使いたちが防御結界を張って被害を抑える、というのがいつもの対処法であった。
あのとき。魔法の感知能力に優れたカルゼの感覚と、一足先に現場に駆け付けた彼の使役魔獣スプリルの報告、王女本人の様子や証言から、少なくとも暴走の兆候があったことは事実だ。
少なくとも王女ひとりで抑え込むのは絶対不可能な段階である。
だというのに、一緒にいたフローライドの“魔法使い”は彼女が自分で抑えたのでは、という。
「精神を安定させるとか、そんな基礎中の基礎を持ち出されても!」
嘘くさい。果てしなく嘘くさい。
絶対に納得できない。
「……全部が嘘ではないのだろうがな」
ユーグアルト・ウェガが腕を組みつつ、慎重に言った。
彼らが合流できたとき。
魔法力が暴走しかけた後だというのに、ナナリィゼ王女の力はびっくりするほど落ち着いていた。
精神状態も落ち着いていたのは確かである。表情は穏やかだったし、あの女性ににっこり笑って手まで振っていた。
彼女の様子から、あの“魔法使い”と一緒にいた、女子供に受けそうな小さい使役魔獣たちがそれに貢献したのだろうというのも分かる。
が。
「程度がおかしいとは思う」
「そう! そうなんです!」
小さくて可愛いだけの物を王女にくっつけて魔法力の暴走が無くなるのなら、最初から苦労なんてしてねーんだよという話なのだ。
暴走しかけたナナリィゼの側にいて終始けろりとしていられるのは、よほど魔法力に鈍感な者かよほど対処できる自信がある者かのどちらかである。
果たして、あの“魔法使い”はどちらだろうか。
彼女の羽織っていた外套は、フローライドの認定魔法使いのもの。白に近い色だったので、階級は下から数えたほうが早い。
しかし、フローライド王国の魔法使いの階級はとっくに形骸化していて、実力を測るのに全くあてにならない、という情報もある。
そもそもフローライド独自の階級制度である。下級とか上級とか言われても、サヴィア王国から来た彼らにはピンと来ない。
それに。
「あの女性は、嘘をついている。いや、隠し事をしている、のほうが正しいか」
あの女性は、警戒すべき者か否か。
それを見極めようと会話をしながらもじっと観察していたが、ほとんど目を合わせようとせずそわそわと居心地悪そうな、落ち着きのない様子は、後ろ暗いところのある者のそれだ。
こちらへの敵意や害意といったものはまったく感じなかったが。
「と。我々は思っているんだが。何か意見はあるか?」
隣に座る自分の妹に、ユーグアルトは問いかけた。
「……」
ナナリィゼ・シャルは、あれから様子がおかしい。
魔法力が暴走しかけた後ではあるが、体調に問題はないようだった。
平時に何をするでもなくぼんやりしているのにも似ているが、それにしては何かを悩んでいるような、迷っているような顔つきをしている。
話を聞いているのかいないのか、兄の言葉には返事どころか何も反応が無かった。
カルゼも小さく肩をすくめている。
百聞は一見に如かず。人の話を聞くだけでなく自分の目で見てみろ、とナナリィゼをシルベル領の領都まで連れてきたのはユーグアルトだ。
フローライドの民を悪政から解放するのだと拳を握り意気揚々と彼らに付いてきた彼女は、最初は威勢が良かった。
情報収集のための潜入だと言っているのに、さっさと領主の館に乗り込もうと言い出すくらいには。
「ユーグ兄さまと一緒なら一網打尽です!」
「……行かないと言っているだろう」
そんな会話だってしていた直後。
北市場で、事件が起きた。そしてその後から、彼女は急に大人しくなった。
街中で魔法力が暴走しかけたこと、それで周囲に迷惑をかけたことに落ち込み反省しているのかとも思ったが―――確かに原因のひとつではあるのだろうが、それだけではないようだ。
「ナナリィゼ」
兄の声に、彼女はぴくりと肩を震わせた。
見つめていた手のひらを、反射的にきゅっと握りしめる。彼女がぼんやりとしている時は、自分の手のひらを眺めていることが多かった。
そこに何か手がかりがあるのだとでもいうように。
ユーグアルトはそんな妹の様子を見、労わるように背中をぽんと叩いた。
何も言わず、優しく叩くだけにしておいた。
☆ ☆ ☆
魔法力が暴走する一歩手前だった。
無事で良かった、と兄たちはほっとしていた。
周囲にも大した被害が出なくて良かった、とも言っていた。
確かに、被害はとても少なかった。
逃げている途中で多少は物を壊したり燃やしたりしたものの、怪我人は出さなかった。壊れた物に関しては追いかけてきた男たちに弁償させることになったらしいので、まあそれも良かった。
攻め込もうとしている国だが、そこに住む一般の人々までも簡単に巻き込んで良いとは思っていないのだ。
しかし兄たちの話は、ここだけは違うとナナリィゼは思う。
彼女の力は、彼らが来た時にはとっくに暴走し終わっていたのだ。
ナナリィゼには自覚があった。
あのとき。けっきょく魔法力を制御することなんて出来なかった。
内にある自分の力が自分のものでなくなるような、階段を上る途中で思い切り足を踏み外してしまったかのような、あの焦燥と喪失感。
何度体験しても慣れない、怖くてたまらない感覚は間違えようがない。
周囲に被害がなかったので、後から来た兄たちは「暴走しそうだったけどしなかった」という結論を出したのだろうが、違う。
暴走した魔法力は、いつも通りに身体の内で暴れて外へと抜けてしまった。
……そして。外に出た魔法力は周囲への暴力に変わる前に、どういうわけか無くなったのだ。
いや、理由は分かっている。
ずっと傍に居てくれたあの女性―――フローライドの魔法使いだという、あの人だ。
「遠慮なく、どうぞ」
あの人は、確かにそう言った。
そしてあの小さくて温かくてふわふわとした使役魔獣が寄り添ってくれていた。
魔法力を暴走させてしまったときは、誰もがとにかく距離を取る。それが双方にとっていちばん安全だからだ。
だというのに、とっさに逃げようとするナナリィゼを捕まえてしまった。そして押しても引っ張っても絶対に放してくれなかった。
彼女の魔法力の嵐が過ぎ去るまで。
それだけではない。
……あの人の“力”は、それだけではないのだ。
ナナリィゼは、自分の手のひらを見つめる。
自分たちが滞在しているこの建物に戻ってきたとき、彼女の手の平は汚れていた。
石畳の床に手をついてしまったことで付いた土汚れや埃と、そして血液である。
洗い流せば彼女の手の平は擦り傷ひとつないきれいなものだったが、石畳に手をついたときに感じた痛みと熱は、たぶん嘘ではない。
彼女の魔法力の暴走を抑え。怪我の治癒まで行う。
あの女の人のような能力を持った者は、少なくともサヴィア王国では見たことがない。
これらのことは、本来であれば兄やカルゼ・ヘイズルらに言うべきなのだろう。
しかし、彼女はなぜか、言わない方がいいような気がしていた。
だってあの人はフローライドの魔法使い。
敵と定めていた国の、魔法使いなのだ。




