あんな彼女とそこの彼女・8
シルベル領領都ジラノスの形は、骨付きソーセージに似ている。
隣国へとつながる街道が南北に走り、その大きな道に沿うようにして細長く街が広がっているのだ。
街中には、さらに街道に並行する大きな通りが数本、それらを繋ぐように東西に伸びる道が数本あり、いずれも商店や宿屋が立ち並び国内外の商人や観光客が行き交う賑やかな場所であった。サヴィア王国侵攻前は、の話だが。
そしてここまでは、きちんと整備され名前も付けられた、分かりやすい石畳の道路である。
大通り以外は非常に入り組んでいて分かりにくいのも、この街の特徴であった。
様々な様式や大きさの建物が入り混じっている交易都市のためか、大通り以外は急に太くなったり細くなったりする路地、曲がりくねった小道なども多く、慣れない者がうっかり入り込んでしまうとほぼ確実に迷う。
迷うだけならまだましで、気が付いたら治安の悪い場所に居ました、いかにも悪そうな人々に囲まれていました、では洒落にならない。
というわけで、現在。
木乃香はジラノスの街中を、ロレンという道案内兼護衛の宿の従業員と一緒に歩いていた。
目指しているのは、国境側へ抜ける出入り口である関所がある北区の、そのはずれ。
ジラノスで今いちばん、というかほぼ唯一賑わっている、北市場と呼ばれる場所だ。
お空の偵察で三郎が見つけて来たのが、この北市場であった。
木乃香がこれについて宿の従業員に聞いたときのこと。
「たまにはお出かけされてはどうですか? ご案内しますよ」
フロント係にそう勧められた。
ジラノスの街中でこれまでに木乃香が出歩いた場所といえば、宿の周辺と役所、それも大通り沿いだけだった。
別に外出を制限されていたわけではない。が、中央と確認が取れ次第リュベクに行かなければならないと思っていたし、その待機日数がここまでかかるのは予想外で、なんとなく外出の機会を逃していたのだ。
外に出ても人通りが少なく、閉まっている店や施設も多いので、積極的に出かけたいとも思わなかった、というのもある。
北区は、もちろん木乃香が足を踏み入れたことがない場所だ。
以前に比べてジラノス全体が物騒になってきているうえ、行こうとしている北区はもともとあまり治安のよろしくない区域。加えて北市場は大通りから少し外れた場所にあるので、初めて行く者には少々分かりにくいのだという。
外出はいいとして、案内や護衛まではいいです、と木乃香は最初遠慮していた。
が、先ほどの理由からフロント係に終始押し付けではなく至極丁寧に説明され、やんわり説得され、うちのお客様に万が一何かあればとやたら心配され少し脅され、気が付けば護衛兼案内係のロレンが同行することで話がまとまっていた。
恐るべき高級宿の接客術である。
宿としても、いつでも誰にでもこんなに気を配っているわけではない。
まして下級とはいえ正規の“魔法使い”である相手に魔法が使えない護衛を付けるなど、相手によっては馬鹿にしているのかと罵倒されてもおかしくはない。
しかしこのお客様は絶対怒らないだろう、という確信がフロント係はじめ従業員たちにはあった。
いや多少怒られても誰かついて行った方がいい、というのがほぼ全員の意見であった。
単純に暇だったというのもある。
のほほんとした使役魔獣たちの主は、やはり本人ものほほんとしている。
一緒にいるとこちらまで気が抜けて来るほど、のほほんとしている。
どう頑張っても護衛としては役に立たなさそうな使役魔獣がいる以外、とっさの魔法も使えないという彼女を心配するなというのは無理だ。
市場に足を踏み入れたとたん、速攻でスリに遭ったり詐欺に引っかかったり変なものを買わされたりしそうだし、途中で道に迷ってへたり込んだりしてそうである。
あくまでそういうイメージがあるという話だが、今だって、きょろきょろ辺りを見回している姿はいかにも慣れてませんという感じだし、護衛がいるとはいえ注意力散漫にも程がある。
魔法使いの証であるマントが無ければ、誰も彼女を魔法使いだと思わないだろう。
やはり無理にでも付いてきてよかった、と護衛兼案内係を勝ち取ったロレンは内心でほっと息をついていた。
「もともと高い場所代を払えない商人とか払いたくない商人とか……あまり大声で宣伝できない商品とかを扱っている商人とかが店を構えたり露店を広げたりしていたのが北市場なんです」
手配してもらった馬車で北区まで走り、北市場の近くだという場所で降りる。
すると、いままでは静かで閑散としていたのに、急ににぎやかになってきた。歩くごとに目に見えて人出が増えてくる。
「いまは中心地の市場が開かれていないから、普通になんでも売ってるんですけどね」
ロレンの言う通り、市場に入って目立つ露店は街の商店や近隣の農家と思われる人々のそれだ。お客もごく一般の庶民、つまり付近の住民と思われる人々が大半である。
以前はもっと多かったのだろう、外から来たと思われる商人や旅装の人々も、一応ぱらぱらと混じっていた。
さらには、見回りと思われる制服姿の警備兵も見かけた。
「といっても、ここまで賑わいだしたのは本当にごく最近ですよ」
「……そうなんですか?」
護衛兼案内係のロレンは、本業は護衛らしく腰に剣を佩いた姿も板についているが、案内も丁寧でなかなか分かりやすい。
雇い先は違ってもなんらかの繋がりがあるのだろうか、あるいは知り合いだったのだろうか。地方軍の制服を着た男性に軽く手を上げて挨拶しながら、彼は続けた。
「この辺、領の警備兵の巡回は、いままでは一日に二回くらいだったんですよ。これだけ頻繁に見るようになったのはごく最近で……一週間くらい前かな? 何かの取り締まりじゃなくて見回りの強化だって分かって、それで領主公認なんだなと皆納得して、遠慮なくここを利用しだしたって感じですかね」
木乃香は瞬いた。
一週間。それはまた、本当にごく最近だ。
「わたしが来たのと同じくらいなんですね」
「……ああ、そう言えばそうですね。もともと、中央にあった市場が開かれなくなってから、少しずつこちらに流れては来ていたんですが」
露店に並べられた品物は、当たり障りのない日用品はもちろん、明らかに国外からの輸入品である食料品も堂々と並べられている。
場所が少々後ろ暗い品物も扱う北市場ということもあり、領主の許可があると思える要素があるなら、住民は安心して品物を買っていくだろう。
それにしても領の対応が遅いな、というのが木乃香の正直な感想である。
シルベル領を通る交易路が使えなくなったのは、おそらくフローライドにサヴィア王国が侵攻したとき。レイヴァンの砦を攻め落とされたときからだ。けっこうな時間が経過している。
とはいえ、木乃香はシルベル領内の状況を詳しく知っているわけではない。今だ、という何か別の理由があるのかもしれないが。
現在シルベル領の領主を務めている人物には、直接会ったことがない。
が、木乃香の上司である統括局長官タボタ・サレクアンドレと仲が良かったはずなので、それだけであまりいい印象はない。
「ええと、確かセロハンテープみたいな名前……」
「はい?」
木乃香の呟きに、護衛が首をかしげたときである。
彼女たちが向かおうとしていた先で、がしゃーんという何かが倒れたような壊れたような音がした。
賑やかすぎるその音と一緒に、複数の悲鳴まで聞こえてくると、護衛が剣の柄にさりげなく手を置く。
「……何か、揉め事かな?」
迷惑だなあと眉をひそめるロレン。
気になるのか、外套のフードの中にいた黄色い小鳥がぱたたっと上空へと羽ばたいた。
外套の内ポケットの薄ピンクのハムスターも「きゅきゅ」と警戒するような声を出す。
本日の木乃香のお供の使役魔獣は、この二体だ。極力目立たずかさばらず、隠れられるほど小さいの、というのがその選考理由である。
―――あるいは。
別の使役魔獣を連れていれば、またその後の状況は変わっていたかもしれない。
それから程なく。
今度は重たい荷物を高い所から落としてしまったような、どーん、という音と同時に地面が少し揺れた。先ほどより近い。
たぶんこれは、何らかの魔法だ。
魔法使いの数が王都より少ないのに、魔法絡みの問題はやっぱりあるんだな、と、木乃香は少し複雑な気分になった。
ただの揉め事ならさっき見かけた領の警備兵たちが治めてくれるだろうが、魔法が絡んでくるとなると、彼らはどうなんだろう。
「ぴぴぃーっ」
上空から三郎が鳴き声を上げる。
その鋭さに、思わず木乃香が足を止めてしまったとき。
彼女が立っていたすぐ横の狭い路地から、誰かが飛び出してきて。
「きゃあっ」
「わわっ」
衝突してしまった。
人ひとり分の幅しかない裏道をまったく気に留めていなかった木乃香と、後ろを気にしてほとんど前を見ずにその路地から勢いよく飛び出したその人物は、ものの見事にぶつかって、派手にひっくり返った。
ぶつかったのは、小柄な女性。おそらく成人前の少女だ。
「ご、ごめんなさい!」
木乃香を押し倒すような格好になった少女が、慌てて身体を起こそうとする。
そのとき彼女の周囲で、ぱちっと何かが弾けるような音が鳴った。
ひどい静電気が起こったようなその音に、内ポケットから出て来ていたらしい五郎が、木乃香の腕にしがみつきながら「きう、きぅ」と何かを訴えている。
上空を旋回していた三郎も、「ぴぴぃー」としきりに鳴いていた。
そんな使役魔獣たちの声を聞いて。
遠ざかろうとする少女の腕に、木乃香は逆にしがみついた。
「え……っ」
「だめ! 抑えて!」
逃がすまいと相手の細い腕をがっしり抱き込んで、木乃香は少女の耳元で言う。
ほぼ同時に、ぱりぱりっとふたりの周囲で音が鳴り、青白い火花のようなものまでが弾けた。
その拍子に、びくりと少女が震える。
「は、離して―――」
「だめだよ」
「あぶない、から………」
「分かってる。だから、あなたが抑えて!」
かたかたと震えながら、少女は「むり」とか細い声でうわ言のように呟いた。
この音も、火花も、おそらくは先ほどの音と振動も。少女が魔法で作り出したもののようだった。
彼女の様子から推測すると、少なくともいま現在起こっている現象は、彼女の意に反したものなのだろう。
つまり彼女、魔法が制御できていないのだ。
師ラディアル・ガイルに教わった事がある。
魔法を使っていると、その魔法力を自分で扱いきれずに暴走させてしまう場合があると。
持っている魔法力の大きさや属性にもよるが、場合によっては周囲を巻き込んで大惨事になることもある。
ラディアルも魔法を習い始めたばかりの幼少期、館ひとつを半壊させた事があると笑いながら話していた。
笑い事ではないと思うのだが。
師は、魔法力が多いらしい木乃香にもその心配があると思ったのだろう。
幸い彼女は召喚魔法しか使えず、むしろ魔法力の無駄遣いで倒れては周囲に迷惑をかけてはいたが、暴走はなかった。
この少女の場合、いま漏れている魔法力だけでかなりの多さだ。これは、放って置いたらダメなやつに間違いない。
周囲への被害を押さえている五郎からの情報、加えて目の前の放電のような現象と、身体が服越しでも異様に熱く感じられることから、少なくとも少女の属性には雷と炎がある。
こんな人が集まる場所で暴走させていい種類のものではない。
かといって、少女はすでに簡単に場所を移せる状態でもない。
とりあえず―――。
「だ、大丈夫ですか!?」
衝突を免れた護衛兼案内係のロレンが、傍らでおろおろとしている。
その彼に向って、木乃香は言った。
「警備隊を呼んできて下さい! 早く!」
びくっと震えた少女をより強く捕まえて、彼女は続ける。
警備隊に捕まえてもらうのは、もちろん少女ではない。
彼女をこんな状況に陥らせた元凶たちである。
頭上の黄色い小鳥が、再び高く鋭く鳴いた。
それを聞いて薄ピンクのハムスターも警戒の鳴き声を上げる。
少女が飛び出してきた路地からほどなく走り出て来たのは、三人の男たち。
それぞれ灰色の外套を纏った、“魔法使い”だった。
一体どれくらい走ってきたのか、さほどでもないのか。いかにも日頃運動しなさそうな彼らは、ぜえぜえと息を切らし、足元も覚束ない様子である。
今にも倒れそうな彼らは、しかし木乃香が捕まえている少女を見て「あっ」と元気に声を上げた。指をさし、走り寄ろうとする。
「ぴっぴぃーっ」
そこへ、急降下してきた三郎がぼっと火を吹いて彼らの足を止めた。小さいが、これ以上は近づくなと言わんばかりの威勢のいい鳴き声付きで。
思わず短い悲鳴を上げた彼らは、その場にぺたんと尻餅をつく。炎に驚いたというより、体力の限界が来たというようなへたり方だった。
木乃香は、微妙に濃淡のある灰色マントをそれぞれ羽織る魔法使いたちをきっと睨みつける。
そして彼女も火を吹くような勢いで怒鳴った。
「あんな細い路地にか弱い女の子を追い込んで、どうする気だったのよこの変質者!」
領主の名前は、セロハンテープではありません(笑)
明日も更新予定です。
皆様よいお年を^^




