あんな彼女とそこの彼女・7
シルベル領、領都ジラノスの中央南寄り。
ジラノスは、交易都市だからだろうか。その街並みは、ひと言で言えば雑多である。
いろんな地域の様式が混ざったような外観や大きさ、屋根の色形も様々な建物が並ぶ。統一感がないのに何となく一体感はあるような、味があるような、不思議な街だ。
そんな多種多様な建物がひしめくジラノスでも、ひときわ目立つ大きな建物がある。
余計な装飾が一切見当たらない、豆腐のような白一色ののっぺりとした四角い形。
隣がまたひと際豪華でひと際ど派手な領主の館なので、建物の白さと素っ気なさが一層引き立っている。
領主の館に隣接していて、変に目立つその施設は行政機関。シルベル領の役所であった。
本日、泊っている宿にも程近いこの役所に木乃香は来ていた。
「はあ。またいらしたんですか」
半分迷惑そうに、半分は気の毒そうにため息をついたのは、転送陣の窓口係の職員だ。
たびたびここへ顔を出しているので、すっかり顔見知りである。
ここは、転送陣の使用と管理を行っている部署。
その窓口業務は、もとの世界でいうところの郵便局の仕事のようなものだ。
このシルベル領に設置された転送陣は、迅速に中央と連絡を取り合うことが出来るだけでなく、小包程度の大きさまでなら送ることもできる。
申し込めば一般の人々も利用することができるので、民間の業者に比べて多少割高だが早く確実に手紙や荷物を送りたい時などは便利だ。
「申し訳ありませんが、今日も王都からは何もありませんよ」
「ああ、それは今日いいんです。……いえ、良くないですけど」
木乃香が頻繁にここを訪れているのは、王都からの連絡を待っているからだ。
彼女の身元とリュベク出張の問い合わせへの返答である。
個人というより中央と地方の公的なやり取りになるので、わざわざ窓口に来なくても返事が到着次第、滞在先に連絡を入れることになっているのだが、あまりに遅いので、そしてあまりにヒマなので、こうしてときどき確認に来る。
彼女が自ら自分の所属部署に手紙を送ることもあった。
「今日は、統括局じゃないんです。私用の手紙で、学術局に所属している知り合い宛てに」
彼女の言葉に、窓口係は「おや」という顔をする。
そして見せた封筒をじっと見つめた。それなりの枚数の便箋が入っているようだ。
「……内容を、簡単にお伺いしても?」
新しい事例に、先ほどより少しだけ硬い声で質問された。
彼女は普通に頷いて、「いいですよ」と普通に返事をした。
「あ、何なら見てみます?」
え、見ていいの? と窓口だけでなくなぜか周囲が息を飲む中で、彼女は封筒からかさかさと紙の束を取り出して広げて見せた。
……何の変哲もない白い紙に書かれていたものは。
子供が書いたような少し歪な絵と、絵なのか文字なのか記号なのか、判断が付かない線と曲線の羅列だった。
「あの…コレは……?」
「うちの使役魔獣の一郎が、暇つぶしに書いたんです」
「………はあ」
なんでこんなモノを。
そんな疑問と疑惑がありありと浮かぶ窓口係に、木乃香は学術局の“知り合い”について説明した。
「その人は、今は書庫の管理をしてますけど、もともと使役魔獣を研究している研究者なんです。わたしは召喚魔法しか使えないので……いろいろと教わったり教えたりしていたんですが、前々からうちの使役魔獣が何か新しい事をしたら教えろと。そう…ものすごく、念を押されてまして」
すでに召喚された状態の使役魔獣が「何か新しいことをした」というのがすでに常識的に変なのだが、窓口の職員の皆さんも、話をしている木乃香もいまいち分かっていない。
「それで、書き物をする使役魔獣というのが、いままで見たことも聞いたこともないらしく……その必要を感じる召喚主が居なかっただけで、別に作ろうと思えば作れると思いますけどね」
わたしが出来たんだし、と木乃香が白っぽい“下級魔法使い”のマントを掴めば、「はあ、そんなものですか」と窓口係は首を傾げた。
ちなみに。ここの役所では、役職持ちに“魔法使い”はいるが、実務を担う人々は魔法は使えても“魔法使い”ではない人々が多い。地方はだいたいこんなものだ。
「書いたものを見せろと言われていたので、いつ王都に戻るかわからないし、その前に送っておこうかなと。……放って置いたら後々しつこく何か言われそうだし、」
「はあ。なんか面倒くさそうな人ですね」
「いろいろお世話になってるんですけどね」
彼女は肩をすくめてみせた。
「あ。それで、これは昨日食べたパンケーキの絵で、こっちにクリームとか果物とか乗ってて皆で食べて美味しかった、というような事が書いてあるらしいです」
「絵はともかく……」
「読めないですよねー」
いちおう訳を書いておいたんですけど、と嬉しそうに手紙を広げる姿は、子供の成長を喜ぶお母さんのようだ。
その内、子供がいる職員なども寄ってきて「パンケーキの感じが出てる」だの「字? いっぱい書いてるねえ」だの、使役魔獣の製作品についてしばらく和気あいあいと感想を話し合っていた。
とりあえず、絵についてはなかなか高評価のようだった。
「……どうしましょうか、手紙」
「別にいいんじゃないか、あれくらい送っても」
相談された窓口係の責任者は、うーんと腕組みをして言った。
「便りがまったく何も無い、というのも不自然だろう。他所に頼まれても困るし。宛名のジント・オージャイトという人物は確認できた。送っても問題なさそうだ」
上司の言葉に、窓口職員は軽く会釈して件の手紙を転送陣のある部屋に持って行った。
いくらかほっとしたような顔つきで。
ミアゼ・オーカは、リュベクへと派遣されて来た中央官だ。
彼女が間違いなく本物である出張命令書を持ってきたとき、上層部は騒然となった。そんなこと、誰も事前に聞いていない。
それもそのはず。
彼女が行く予定のリュベクは、その頃にはすでにサヴィア王国のものになっていたのだ。
しかしそれを中央に報告するのを、彼らは意図的に遅らせていた。領主命令で。
そんなときに彼女がやって来たものだから、彼らはたいそう驚いて怯えて混乱したというわけだ。
隠しているあれこれを、実は中央はとっくに知っているのではないか。なぜ今、彼女がリュベクに行くことになっているのか。リュベクに行くのが彼女なのはなぜかと。
実は単なる上司の嫌がらせで突発的に決まった出張なのだが、この状況下でそんな単純な理由だとは誰も考えつかなかった。
窓口係であるヒラ職員にまで、そのへんの詳細は知らされていない。
リュベクの陥落にしたって、末端の彼らまでははっきりと知らされていない。噂や上層部の雰囲気でなんとなく察している程度だ。
ただ、彼らは上からの命令に従うことしか出来ない。
ミアゼ・オーカが個人で出しに来た手紙を握りつぶし、その逆も握りつぶし、適当に誤魔化すことしか。
していると彼女には説明してある領から中央への問い合わせだって、もちろんない。
その罪悪感もあり、上に振り回されいつまでもジラノスで足止めされている彼女には現場の人間は同情的だった。
そして。
よりによってあの中央官、中央官のくせに何だかいい人なのだ。
いつも「お疲れ様です」と挨拶してくれるし、下っ端でも上の役人相手でも態度が変わらず丁寧に接してくれる。連れている使役魔獣まで愛想が良くて、たいへん癒されてもいる。
……いっそ偉ぶった憎たらしい性格をしていたら、窓口対応で嘘をついても気まずさを感じなかったかもしれないのに。
今回の手紙の内容は、これまで彼女が書いたものと大きく違っていた。
ほとんどは使役魔獣が書いたという作品で、ミアゼ・オーカ本人が書いた文章も先ほど説明していたような内容ばかりだ。
こっそり検閲されているのに気付いているのか、たまたまか。彼女自身やシルベル領の近況についての話などはまるで触れられていない。
この手紙を送ったとして。
ジント・オージャイト氏からの返事はまた握りつぶすことになるんだろか。
窓口係の職員は、はーあ、と重いため息を吐きだした。
☆ ☆ ☆
シルベル領、領都ジラノスから北西。
中央から派遣されたフローライド王国軍は、リュベクへと続く街道そばの開けた場所に駐留していた。
国境にある砦の街レイヴァンが落されてから、これ以上は通さんとばかりにその街の手前で陣を構えていたのだが、背後にあったリュベクがいつの間にか勝手に陥落。
挟み撃ちを恐れた軍は、ここまで軍を下げたのだ。
「ご苦労」
中央から派遣された軍の駐留地に、頼まれた物資を運び終えたところ。
あまりに簡単かつ素っ気ない言葉に、ヴィーロニーナ商会の長ルツヴィーロ・コルークは、軽く会釈しながらがっくりと肩を落としたくなるのを堪えた。
商隊は、定められた納期よりも早く軍に納品できた。
王都からの道中がかなり順調だったことに加え、予定よりもだいぶ手前で荷物を下ろすことになったからだ。
だというのに、入口の見張りに、荷物を確認した物資管理係に、積み下ろしを手伝ってもらった兵士たちに、さんざん遅いだの少ないだの足りないだのと愚痴られた。
下請けである商会に言っても意味がないと分かってはいるのだろう。だから文句ではなく、愚痴なのだ。
まあ、ルツヴィーロとしても、運びながら「これで足りるのかな」と思ってはいた。
が、商会が請け負ったのはこの品数と量だけなので、どうしようもない。もちろん誤魔化してもいない。領都ジラノスを通るときにも確認されたことだ。
ほかの商隊が追加で運んでくるのか、あるいはこれでしばらく来ないのか。ルツヴィーロは知らない。
薄々は分かっているが、知らないと言い張った。
不確定な情報で彼らを翻弄したくないし、仮にはっきり知っていたとしても依頼主から伝えろと言われていない限りは何も答えられない。あと、さらにあれこれ聞かれるのも面倒くさい。そんな理由でだ。
そして。
ちょっとしつこかった現場の兵士たちに対して、「ご苦労」のひと言で終わったのが彼らの上司。軍の総指揮を任されている軍務局副長官ベニード・グラナイドである。
さすがに軍を束ねるような立場になると、いろいろ知っているだろうし商人ふぜいに思わず愚痴ってしまうほどの愚痴もないようだ。
むしろ部外者はとっとと帰れとでも言いたげである。かといってろくに書類を読まずに署名して突っ返してくるのはどうかと思うが。
「あ。それからこれはわが商会からの陣中見舞いです。どうぞお納めください」
ルツヴィーロだってこんな場所に長居したくないので、返事も待たずに執務机にとんと置いたそれは、酒瓶。
酒類は嗜好品扱いの上に重いので、こういう遠征ではあまり多く支給されない。そのため、差し入れをするとまず間違いなく喜ばれる品物のひとつだ。
「同じ銘のものを樽ふたつ、食糧と一緒にお運びしておきました。少ないですが、皆さんでどうぞ」
中央の高官たちが好んで飲む高級な果実酒や蒸留酒ではなく麦酒だったせいか、ベニード・グラナイドは最初、興味なさそうにそれを眺めていた。
しかしふと何かに気付いた彼は、慌てて瓶を手に取る。
「………これを、どこで?」
「ジラノスの北市場です。そこだけはけっこう賑わっているみたいでしたよ」
繰り返すが、酒は差し入れの人気商品だ。
中でも麦酒は、一般の兵士たちにも振る舞われることが多い。そもそも大衆の間でよく飲まれているものだし、開けてしまえば早く飲まなければならないからだ。
先ほど積み荷を降ろすときも、麦酒樽を見つけた兵士たちが歓声を上げていた。嬉し泣きしている者さえいた。
ここでの問題は。
この酒が比較的新しいこと。
その生産地が、隣国の大穀倉地帯オブギ地方だったこと。
そして、ラベルに旧アスネ王国ではなくサヴィア王国の名前が入っていたことだ。
「………これを、どこで」
「だから、シルベル領の領都ジラノスですってば」
ルツヴィーロ・コルークはにっこり笑って繰り返した。
何度繰り返し問われても、指揮官殿がどんなに渋い顔をしていても、彼の答えは変わらない。だって本当なのだから。
食糧庫の前で歌い踊って喜んでいたあの兵士たちは、いま現在フローライドに攻めてきているサヴィア王国が麦酒の出所だと気付いているだろうか。
「あ。いちおう言っておきますが、変なモノは入ってませんよ」
「わたしは聞いていないぞ!」
だん、と力任せに簡易机を叩く男に、ルツヴィーロは「おや」とのんびり驚いた。
誰から、何を、聞いていないというのだろう。
「北市場のこと、あなた様なら知っていると思ってましたがねえ。指揮官様は、つい先日までジラノスに居たのでは?」
「……知らん」
返す言葉がないのか、単に言いたくないのか。
ベニード・グラナイドはルツヴィーロを睨みつけた。
無駄に人あたりが良いからか、あるいは聞き出すのが上手いのか。
ここへ来て半日も経たないのに軍内のいろんな部署の兵士たちから愚痴やらぼやきやらを聞かされているルツヴィーロ・コルークは、目の前の総指揮官がしばらく不在にしていたという情報だけは知っている。
よりによってリュベクにサヴィア王国の旗が立ってしまった、その時にだ。
この指揮官様が領都で遊んでいたのか、何かほかの事をしていたのか。
そこまで彼は知らないし、探るつもりもない。が。
「リュベクといいジラノスといい、いったい誰が引き入れたんだ! お前の仕業か」
「……そこで、どうしてわたしになるんですか」
言いがかりは止めて下さいよ、とルツヴィーロはため息をついた。
反対方向にある王都フロルからシルベル領まで、寄り道もせず荷物目当ての賊やら足を引っ張ろうとする同業者の手先やらを蹴散らしながらも期日通り、いやそれより早くに荷物を運んできた真面目な商会相手に、ひどい言い草である。
少なくとも、軍の責任者のくせに軍をほったらかして領都の高級宿で寝泊まりしていた目の前の指揮官様に文句を言われる筋合いはない。
仮に、隣国の者を引き入れた者がいたとして。
しかし受け入れたのはその町の人々だ。手並みが鮮やかすぎるので、町の有力者や上層部も関わっているはず。
「食糧がないところに食糧を持って行きますって言われたら、そりゃみんな歓迎して受け入れますよ。今になって怒るんだったら、そっちも手を打っておけば良かったのに」
食べ物は大事だ。食べるものがなければ、人は生きていけない。
まだ餓死者が出るような深刻な状況ではないにしろ、国内外の食材が簡単に、潤沢に手に入る状況だった半年ほど前との落差があまりに激しい。
それで国が、あるいは領が何かをしてくれたかというと、何もしていない。
むしろ、同じく食糧や物資が不足している近場の軍に“お国のため”と有無を言わせず持って行かれてさえいる。
人々の不満や不安は相当なものだろう。
「早く決着がつくのはまずいのだ!」
ベニード・グラナイドは苛立たし気に再び机を叩いた。
ここではないどこか遠くを見据えているらしい彼は、己の足元を知らないし知ろうともしていないのだろう。
高い所に上りたければ、梯子がいる。しっかりと作られた梯子と安定した土台がなければ、そもそも高く上ることもできないのに。
「……リュベクが落ちたこと、いまだに中央は知らないようです」
「ふん、それがどうした」
ルツヴィーロの言葉に、ベニードは驚くどころかしれっと返した。
シルベル領が中央への報告を怠っているのと同様、彼もまた意図的に報告を怠っていた。
そうでなければ、こうも情報が届かないということはあり得ない。
「知ろうとしないのは、あちらの怠慢だろう。仮に知ったとして、あの無能な連中に何ができる。何をしてくれる。それよりも―――」
後半の言葉はぼそぼそと小声な上に早口で、ほとんど聞き取れなかった。
呟きながら少しだけ苛立たし気な、あるいは焦ったようなベニードの様子を、ルツヴィーロは冷ややかに見つめる。
彼だって中央の、そしてシルベル領の怠慢を否定はしない。不満が無いわけがない。
が。この指揮官殿も、傍目にはじゅうぶん仕事をしない無能者に見えることを、本人は分かっているのだろうか。
どのみち。
ルツヴィーロは、ベニード・グラナイドのことも気に食わないのだ。
お互い様のようだが。
「遅い。もう駆けつけて下さってもおかしくない頃合いだというのに。何か問題でもあったというのか。いやあの方さえ来て下されば―――」
途切れ途切れにしか聞こえない小さな呟きを何となく耳にいれながら、ルツヴィーロ・コルークはため息をついた。
どうして、こんなのがこの国の軍をまとめているんだろう、と。




