あんな彼女とそこの彼女・5
ご無沙汰しております。
長く間が空いてしまい、申し訳ありません(-_-;)
フローライドは“王国”である。
いちばん上にある地位は“国王”だが、それは他国によくみられるような世襲制ではない。
“王族”と呼ばれる、上位の魔法使い集団の中からその実力を認められ選ばれる。それがフローライドの“国王”だ。
そして地方領主もまた、世襲ではなかった。
小さな町や村の単位であれば代々長を務めている家や一族もあるが、大抵の領主は中央から派遣されてくる。ある程度の任期が決まっていて、やがて交代となる。
選び方は自薦、他薦、いろいろである。
中でもシルベル領は赴任先として非常に人気があり、かなり競争率が高い領主職だった。
国境にあるシルベル領は王都から少々離れてはいるが、広く整備された街道を通して、農業が盛んな隣国からはもちろん、それ以外の地域からも交易品も多く入って来る。
他国と陸続きで、なおかつ大きな交易路が走っているのはシルベル領だけなので、ヒトも物も集まるにぎやかで栄えた土地。
……あるいは、出世のための賄賂資金を中央の目が届きにくいところで蓄えられる都合の良い田舎。
中央の、とくに後者は官吏たちから見たシルベル領は、そんな土地だった。
そして今でもそんな土地だったはずなのだ。
サヴィア王国の、侵攻さえなければ。
―――とんだ貧乏クジを引かされた。
現シルベル領領主セルディアン・コルドーは、そう思っていた。
務めた者は後の出世が約束される。
そう言われるほどの重要職が、シルベル領領主という地位である。
この地位をもぎ取るために、彼はものすごく努力してきた。
国王やその周囲に侍る高官たちのご機嫌を取りまくり、貢いで媚を売りまくって十数年。
そんな“努力”が実ってシルベル領に赴任したのが約二年前のことである。
当時から、サヴィア王国は不穏な動きをみせていた。
彼はもちろん、フローライド王国もそれは把握していた。
が、危機感はあまりなかった。
フローライドは大陸南の端。サヴィアは北東の端。間には大小いくつかの国もある。
ちょっと北方が騒がしくなったところで大した影響はないだろう、と高をくくっていたのだ。
少なくとも、彼とその周辺は。
……わずか一年足らずで隣国アスネが攻め込まれ。
そこから半年。あっという間に隣国を支配下に置いたサヴィアが、まさかフローライドにまで侵攻してくるなど、しかし誰が予想できたというのか。
魔法大国フローライドは、建国当初から魔法大国と呼ばれていた。
実力を持った魔法使いを募り集めて優遇し、彼らによって長年研究されコツコツと整えられてきた魔法技術や設備は、他国とは比べ物にならないほど優れている。
屈強な武人をどれだけ揃えたところで、魔法の結界で遮ってしまえば彼らが国境を越えることすら難しい。
じっさい、過去にこの国を侵略しようとした者たちは国境を侵すどころか一歩も国内に入ることが出来なかったという。
そして現在、この国をどうにかしようなどという野心を持つ者など、この大陸にはいないはずだった。まして国内に攻め入り国を脅かすことが出来る者など。
そのはず、だったというのに。
―――なぜ、よりにもよってサヴィアが攻めて来たのが今なのか。
なんてはた迷惑な。せめてもうちょっと後にしてくれ。
現シルベル領領主セルディアン・コルドーは、そう憤っていた。実際、口にも出していた。
傍に控えていた地方官たちの顔がこれ以上ないほどに引きつっていたが、どうせ期間限定の部下たちである。上司たる彼は気にしなかった。
それよりも、攻めて来たサヴィア王国軍である。
国境の守りは何をしているのか。レイヴァンの防御結界なら、中級魔法使いでも簡単に完璧に敷けるほどの設備が整っていたはずなのに。
あそこの砦の責任者は誰だったか。いったい何をやっていたのか。
当然降格だ、と報告書を叩き付けたが、その責任者が行方不明で生死不明であると書かれた箇所まで、彼が読むことはなかった。
ぎりぎりとセルディアン・コルドーは歯ぎしりする。
せめて半年、いや一か月でも攻めてくるのが遅ければ。
面倒事は後任の者に丸投げし、自分はこの土地で蓄えた財を持って意気揚々と王都フロルへ戻っていたというのに。
……と。
現シルベル領領主セルディアン・コルドーは、大真面目だった。
大真面目に、自分は何の責任も関係もないと考えていた。
思い込みたかった、というべきか。
領を治めるという仕事は、本来とても大変なものだ。
中でもシルベル領は、他国と国境を接する物流の重要拠点である。領内だけではない。国内、そして他国へも目を光らせ、ときに中央の判断を仰ぐ前に決断し動かなければならない。
それが出来ると期待された者がシルベル領の領主に任命されていたし、見事に勤め上げた者がその実績を考慮され能力を認められて、後々に出世していくのである。
シルベル領領主になったから出世できるわけではない。出世できるだけの実力を持っているからシルベル領領主が務まるのだ。
少なくとも、最初はそうだった。
セルディアン・コルドーの任期はまだ半月残っている。
しかし、もう半月経てば王都フロルに帰れる。このことしか、彼の頭にはない。
残念ながら現在のシルベル領領主は、平和と腐敗に慣れ過ぎていた。
いつか誰かがどうにかしてくれる。
そんな呆れるほど無責任で恐ろしく危機感が足りないことを、当たり前のように思いながら。
サヴィア王国軍に国境を侵され、国境周辺の集落をいくつか落とされてもなお、彼は自分が無事に帰ることしか考えていなかった。
それどころか、自身の責任を免れるため、中央に対して被害を過小に申告したり、隠蔽したりしているふしさえあった。
誰もどうにもできないところまで、とっくに来てしまっていたというのに。
☆ ☆ ☆
「また値上がりだってよー」
買い出しから戻るなりぼやいた宿の従業員に、ほかの従業員もまたため息で返した。
それぞれの顔に浮かぶのは、憤りよりも呆れ、不満よりも諦めである。
シルベル領は、これまで他国との交易で潤ってきた土地だ。
隣国は農業が盛んで、安くて豊富に作物が手に入ることもあり、自領ではあまり田畑の開墾に力を入れてこなかった。他の産業も同じだ。
“隣国”がアスネからサヴィアに変わり、そのサヴィア王国に攻め込まれている現状、食材をはじめとするもろもろが入って来なくなり、結果として品薄で値段が高騰するのは仕方のない事だった。
「今度は何が値上がりしたんだよ」
「全部だよ、全部」
どさっと苛立ち紛れに乱暴に置かれた荷物は、想定よりもだいぶ少ない。
おい丁寧に扱え、と誰かが文句を言った。
「……ってことは、また小麦の値段も上がったのか」
「ええー、まさか果物も? マゼンタ産ならまだ安かったじゃない」
「関所の通行料も上がったからだろ」
ただでさえ、戦のせいでこの辺に来る商人が減っている。
少し前に市場の場所代も上がってしまっているので、尚更である。
値上げは治安維持強化のためという理由だったが、街の警備も担っていた地方軍の人手は国境付近に取られたまま、一向に増える気配も、増やす気配もないし、治安と市場の雰囲気はむしろより悪くなっている気がする。
買い出しだって、宿で雇った護衛を連れて行かないと男でも危険を感じるくらいなのだ。
その護衛の男も、買い出し係の後ろでがっしりとした肩を小さくすくめている。
「まったく、上は何を考えてるんだか」
「少ない食材でやりくりするのも、もう限界だぞ……」
アレもないコレもないと呻きながら買い出し荷物を確認していた厨房担当が、がっくりと肩を落とした。
本当に少ない。小麦など、昨年収穫の古いものなのに値段は倍以上である。
「ジャガイモと小麦粉だけで何作れっていうんだ!」
「肉も魚も保存食だけだしなあ」
「果物もでしょ。あと、香辛料だってもう残り少ない……」
ここは領都ジラノス随一を自負する、老舗宿。
客室設備やサービスはもちろん、提供している食事も当然のように一流を求められる。
同じ食材しかないからといって、毎度同じ献立を出すわけにはいかないのだ。
老舗宿の厨房を預かる料理人には、料理人の意地というものだってある。
とはいえ。
これだけ食材が限られてくれば、そろそろレパートリー切れである。
食料が全体的に不足している現在、宿泊客が減ったことで仕入れも減った宿に、率先して食材を融通してくれる店や農家は少ない。
いっそ宿の営業もしばらく止めたいくらいだが、ここはシルベル領領主御用達の高級宿。
何だかんだ宿泊客がゼロになることはなく、現在も、領主補佐直々に「くれぐれも、くれぐれも失礼のない様に頼む」とやたら念を押された宿泊客がいる。
領で負担すると言われた宿泊費はかなり色が付けられており、宿屋の主人にはこれを断る理由も勇気もなかった。
お金だけではない。食材などの必要物資だって、少し融通してもらえている。
融通してもらっていても、現状これなのだが。
「まあ、いまのお客様も、前にいた王都からのお客様も、食事に文句は言わないけどね。ありがたいことに」
「だからって質を落とすなんて出来るか! ここは領都指折りの料理宿だぞ!」
「ロンダル産のタコもイカも手に入らないって泣いてたくせに」
「食材は魚介類だけじゃない!」
ちなみに、シルベル領に海はない。
が、料理長の得意とする料理は海鮮料理だった。
舌の肥えた裕福な宿泊客が多いので、高級食材や珍味、それも輸入物ばかりを使用していたことも、今回は裏目に出てしまっている。
「……そういえば前のお客様、ずいぶん慌ただしく出てったわよね」
「けっきょくあの人、何してたのかしら」
「さあ?」
「どこに行ったんだっけ?」
「……さあ?」
やはり王都から来たらしい、最近まで滞在していた客。
魔法使いの証である外套、それも黒に近い灰色のそれを羽織った大柄な男は、随分長い間滞在していた。
こんな時期である。
上級かそれに近い階級の魔法使い様が国境付近のサヴィア軍をどうにかするために中央から派遣されて来たのだと思ったが、彼はほとんど客室から出る事はなかった。
しかも、不愛想でだいたい不機嫌。
神経質で朝から晩までぴりぴりとした空気を纏っており、客室の近くを通っただけで用が無いなら近づくな、と怒鳴られたりもした。
そんなわけで、件の客が客室で何をしていたのか、あるいは何もしていなかったのか、彼らは知らない。
「宿代はちゃんと払って行ったらしいから、まあよかったけど」
「そうね。慣れてしまえば楽だったし」
従業員たちは、あまりの不景気ぶりに従業員たちの給金がちゃんと出せるかどうか、と宿の主が頭を抱えていたのを知っている。
このままの状況が続けば、減給どころか宿そのものが無くなってしまう可能性だってあることも。
なので、基本的にどんなお客が来ても、そしてお金の出どころがどこでも完璧なおもてなしをするつもりではある。もともと格式高い宿の従業員として厳しく鍛えられ、接客のプロとしての自負も誇りもある彼らだ。いつもの接客をするだけではあるのだが。
「いまのお客様もあんまり外出されないけどね」
「若い女性なんて、あんまり出歩かない方がいいよ」
「そうね。“魔法使い”といっても階級は下のほうみたいだし、お勧めできないわ」
「言われれば護衛ぐらいは喜んでするが」
「金払い、いいしな」
「払ってるのは領主だろ。いや、領主補佐殿か?」
……従業員だって人である。
常にむっつりと不機嫌そうなお客よりは、にこにこと挨拶を返してくれるお客の方が親しみやすい。
しかもいけ好かない上司からいきなり出張を言い渡された、なんて聞いたら、同情してより親身にもなろうというものだ。
こんな時期にこんな若い娘さんをこんな場所の出張に出すなど、人でなしにちがいない。
地方官といい中央官といい、上にはほんとうにロクなのが居ない。
「でも、ただ閉じこもっているのも辛いと思うんだけどね」
「そうよねえ。外に出るかどうかはともかく、もうちょっと用事を言いつけてくれてもいいんだけど。お金はもらってるんだし」
「……ヒマだもんねえ」
「おまえ、実は客室に行きたいだけだろ」
ため息をついた客室係に、フロント係が突っ込みを入れる。
「えー。だって癒されたい……」
「いや、客室で癒されるっておい。気持ちは分かるけど」
「使役魔獣が可愛いし」
「うん。すごく可愛いし」
うんうん、と誰もが頷いたところで。
きい、と木製の年季の入ったドアがきしむ音がした。
従業員たちが集まる、裏口そばの休憩室。
宿の厨房に繋がる出入り口の戸から、ちらりとのぞくモノがある。
まず見えたのは、ドアを押さえるようにちょんと添えられた、ちんまりふくふくとした褐色の手。
次いでドアの取っ手にも届かない低い位置でひょっこり出てきたのが、赤くふわふわとした髪の毛が揺れる頭。
同じく鮮やかな赤色をした大きな目までがそろりとはみ出てくる頃には、おしゃべりに夢中だった従業員たちもとっくに気が付いていた。
「イチローちゃんっ」
客室係が声を上げる。
声に驚いて慌てて引っ込みそうになった小さな身体は、しかし厨房係のおじさんによってあっさり捕獲された。
がしりと肩を掴まれたかと思うと素早く両脇に手を差し込まれひょいと抱え上げられ、さらに高く、彼の肩、いや頭より上まで持ち上げられる。
つまり大人が小さな子供に「高いたかーい」と構い遊んでやる、そんな構図である。
「わあっ」
「あ、料理長ずるい!」
「うーん、相変わらず軽いなあ」
厨房係の長は、子供を持ち上げたままぐるぐると回してわざと揺らしたりしている。
びっくりして声を上げた子供も、いつもより高い目線にすぐ真っ赤な目を輝かせ始めた。
ちなみにこの料理長、ふたりの子持ちで子煩悩、あるいは親バカと評判のお父さんである。
……ところでこの赤毛の“子供”。
厳密に言うと、子供ではない。
現在宿泊しているお客様の連れ。魔法使いが召喚した“使役魔獣”であった。
領主補佐経由で急に予約が入った宿泊客の人数は、一名だった。
実際一名で合っていたのだが、その一名には普通の荷物以外の付属品、というか付属モノが、ごろごろちまちまと付いていた。
召喚魔法の産物なので姿を消すこともできるが、姿を見せた時に驚かないようにと紹介されたモノ。
それがこのふわふわ赤毛の角付きの子供であり、黒くてふわころの子犬であり、黄色くてまるもふの小鳥であり、白くてつやふわな子猫であった。
「中央から来た“魔法使い”はどうもいけ好かない」という先入観を持っていた従業員たちだが、この使役魔獣たちは総じて人懐こく可愛らしく、その召喚主である宿泊客も穏やかな人当たりの良い人だったので、「中にはいい人もいるんだな」と認識を改めたところだ。
いまではお互いにすっかり慣れ、他に宿泊客がいないこともあって、使役魔獣たちがたまにこんな感じでその辺に出没しては周囲、というか従業員たちを和ませている。
「どうした? ご主人様のお遣いか?」
休憩中とはいえつい愚痴ってしまっていたわけだが、お客に聞かれてしまったという気まずさや後ろめたさは、彼らに無い。
だって客とはいえ彼らは使役魔獣。ヒトではないからだ。
やがて、従業員のひとりが一郎の持っている物に気が付いた。
急に持ち上げられても振り回されても大事に握りしめられていたそれは、単なる紙片の束―――端を糸で留めただけの、簡単なメモ帳である。紐で鉛筆まで結んである。
いちばん若い客室係の女性が、メモ帳をのぞき込みながら言う。
「あー、イチローちゃん、もしかして探偵ごっこ?」
「それは文字? 書けるんだー」
メモ帳には、ちょっといびつな線と曲線が並んでいた。
文字のような違うような、絵のような違うような、はっきり言って何が書いてあるのか分からない。
しかし。
「……ん」
こくんと頷いた一郎は、料理長の肩から下ろしてもらうと片方の手できゅっとメモ帳を握りしめ、もう片方の手で鉛筆を構えた。
そして周囲の大人たちを赤くて大きな目で見上げる。
何か教えて、とでも言いたげに。
そんなひたむきな子供(仮)に「字が読めないぞ」と突っ込みを入れる冷静な大人は、少なくともこの場には誰もいなかった。
「た、探偵さんは何を調べているのかなー?」
「今日のおやつは、蜂蜜たっぷりふわふわパンケーキだぞー」
「あ、こら、内緒だったのに!」
料理長がばしっと部下の頭をはたくが、もう遅い。
料理見習いがうっかりばらした厨房の機密情報を聞いて、一郎はかりかりかりと判読不可能な何かをメモ帳に書いていく。
やがて書いたものを満足げに眺めると、一郎はにぱっと笑った。
「ありがとー」
「……っお、おう」
「はうっ」
野原に名もなき小さなお花がぱあっと咲いたような、長閑で明るい笑顔である。
普通に癒されほっこりしたり、何かの刺激が強すぎたのか胸を押さえてうずくまったり、「も、もう何でも喋りますぅ……」と拷問ごっこを始める者もいた、そんなある意味大変な従業員の休憩室に。
「にあー」
今度は、真っ白な子猫がやってきた。
次話は明日投稿予定です。




