あんな彼女とそこの彼女・4
毎度更新が遅くて申し訳ありません。
改めまして、読んで下さる皆様に感謝を。
あと、誤字報告もありがとうございます。助かっております!
「え? リュベクに行けないんですか?」
「い、いいえ、決してそういうことではなく……」
シルベル領、領都ジラノス。
ここを通り過ぎてさらに北にあるリュベクへ向かおうとしていた木乃香は、なぜか入口の関所で留められ、隣接する建物の応接室らしき場所に連れて来られてしまった。
「あなたのお持ちになった通行証も、命令書も本物と確認が取れております。ただ、あなたをリュベクに向かわせるという……えー、伝達が、中央からこちらに届いていないのです。……申し訳ありませんが、問い合わせをいたします間、ここジラノスで待機して頂けませんでしょうか。も、もちろん不自由のないよう取り計らいますので!」
最初に思ったのが、ここの関所はけっこうしっかり見てるんだな、ということだ。
いくつか都市や関所を通ってきたが、通行証と木乃香たちの身なり―――つまり、国に認定された“魔法使い”の証であるマントをちらっと見ただけで、あっさりと通ることが出来た。
こんな時期にあんたたちも大変だなー、頑張れよー、というねぎらいの言葉とともに。
通行証と出張命令書が本物かどうかしっかり確認されたのは、ここジラノスが初めてだ。まあ、本物なのだが。
「……厳重なんですね」
まあ、急な出張だったし、伝達が間に合わなかったのも仕方ないのかもしれない。
そもそも、あの上司が出張先に連絡していたかどうかも怪しい。
サヴィア王国軍が近くにいるという話だし、警戒するのも仕方ないのだろう。
そんな風に木乃香が勝手に納得していると、相手はなぜかよりいっそう慌てた。というか、怯えたような顔つきになった。
「ももも、申し訳ありません! お怒りはごもっともです! お詫びにジラノスでいちばん良い宿を手配させて頂きますので!」
「え、いや。お構いなく……?」
どこをどう見て、怒ったことになったのだろうか。
首を傾げる木乃香をながめつつ、ルツヴィーロはふ、と口の端を持ち上げた。
関所で木乃香の通行証を確認した警備兵が、仲間内でなんだかひそひそと相談した後に引っ張ってきたのが彼らの上司っぽいこの男である。
魔法使いのマントを留めた緑色の留め具は、シルベル領の地方官の証だ。
中央官と地方官に、認識や意識の違いがあるのか。あるいは権力だけは無駄にありそうな統括局長官の影響か。はたまた、単にこの人の腰が低いだけなのか。
魔法の使えない一般の人々ならともかく、同じ官吏で同じ魔法使い、しかも自分より階級が上っぽいマントを身に着けた年上の男にここまで恐縮されると、逆に怖い。
先ほどからぺこぺこ頭を下げるばかりで目を合わせようとせず、顔から吹き出る汗をしきりにハンカチで拭っていた。
羽織っているだけで暑ければ涼しく、寒ければ暖かく調節してくれるはずの魔法使い用マントを身に着けているはずなのに、なぜだろう。マントに編み込まれた魔法陣が壊れているのだろうか。
「わん」
「ひえっ」
「……あ、問題ないの?」
素朴な疑問に「こわれてないよー」とすかさず答えたのは、使役魔獣である魔法探知犬だ。
そして、小さな鳴き声に木乃香より反応し、先に短い悲鳴を上げたのは地方官である。
とりあえず。
二郎が大丈夫だというなら彼のマントは大丈夫なのだろう。マントは。
「……わたしの使役魔獣です。無差別に襲いかかったりしないので、大丈夫ですよ」
「し、使役魔獣……そうですか」
紹介された二郎は、誇らしげに胸を張ってぴこぴこと房飾りのような尻尾を振りたくっている。
「あ、あの。そういったモノはあまり見たことがございませんで」
「そうでしょうね」
見たことないだろうなと木乃香も思う。
彼女だって、自分以外にこんな使役魔獣を連れている魔法使いに出会ったことがない。
王都フロルでも、国立機関であるマゼンタの魔法研究所でも珍しいモノ扱いされていたのだから、あまりお目にかからないタイプの使役魔獣であることは間違いない。
居るだけで召喚主の魔法力を消費する使役魔獣は、必要があるときだけ出すのが普通である。そんな使役魔獣を、ずっと侍らせているのがまず珍しい。
ときどきその黒くてもふっとした毛並みを撫でて癒されたり一緒に遊んで癒されたりはしているので、これはこれで役に立っているのだが……ちょっと、一般的な使役魔獣の用法用量と違う。
その珍しい使役魔獣は、先ほどから彼女の足元でお行儀よくお座りしていた。
「わん」と小さく吠えたあとも動かず、当たり前だが室内で物を壊したり、地方官に襲いかかったりもしていない。
何より、三百六十度どこからどう見ても人畜無害そうな、この見た目である。
魔法をほとんど知らない人々ならともかく、同じ魔法使いからここまであからさまに怯えられたのもまた、珍しい。
世間一般の使役魔獣と違うから、見慣れないから警戒されている可能性はある。
が。普通に考えて、下級魔法使いの連れている小さい使役魔獣など、別に怖がる必要はないと思うのだが。
そもそもこういう公的施設は、王城ほど厳重でないにしろ、魔法に対する防御や制限がしっかりとかけられているはずだ。
「わん」
「やっぱりそうだよねえ、じろちゃん」
「…………」
設備も問題ないよー、と教えてくれる使役魔獣に、うんうんと頷く召喚主。
黒いふわころをひょいと抱え、その小さな頭をわしわしと撫でてやると、使役魔獣は気持ちよさそうに目を細めた。
そんなひとりと一体を、地方官は悲鳴をあげないまでも不安げに見つめている。
「…………ぷっ」
くくく、と忍び笑いが漏れたのは、部屋の隅であった。
それまで目立たず出しゃばらず立っていただけのヴィーロニーナ商会の代表ルツヴィーロ・コルーク氏だ。
「いや、失礼……ちょっと、詰まりまして」
どうみても詰まったというよりは吹き出したという感じなのだが。
「疑心暗鬼も、ここまでくると笑えるよねえ」
いったい彼女と彼女の使役魔獣のドコを見て怯えているのやら。
「え?」
「いえ別に」
自らの手のひらで遮った口から漏れた言葉は、木乃香にも、そして地方官の男にもはっきりと聞き取れるものではなかった。
「あー、ごほん。つまりオーカさんは、しばらくここに足止めということで」
「……そうみたいですね」
ルツヴィーロがようやく見せた口元には、石膏で固めたような笑み。
意識的に口の端を持ち上げた、隙のない営業スマイルだった。
「少し早いですが、我々とはここでお別れしましょうか」
「えっ!?」
なぜか驚いたような声を上げたのは地方官の男である。
いっぽうの木乃香は、まあそうなるだろうな、と予測していた。
「縁あってここまで一緒に来ましたけど、この方はこの方で仕事があって来たんですよ」
「えっ……」
そう言えば後から引っ張って来られたこの男は、ルツヴィーロ氏の通行証も、商隊そのものも見ていない。木乃香の雇った護衛か、あるいは保護者とでも思っていたのかもしれない。
実際、別室へ呼ばれた彼女の後を当たり前のように付いてきて、そして学校の授業参観にやって来た父兄さながらに応接室の隅でにこにこと成り行きを見守っていたのだから。
「わがヴィーロニーナ商会は、前線にいる王国軍への物資の補給を承っております」
「ええっ!?」
もはや「え」しか言わない地方官。
ちなみにルツヴィーロ商会の場合。その通行証も、物資輸送のためのもろもろの書類も、関所で問題なしと判断されていた。
それなら、ある意味部外者であるその商隊の主が、どうして当たり前のような顔をしてここまでくっついてきたのか。
そんな単純な疑問も、おろおろと落ち着きがない地方官には思い浮かばなかったらしい。
「え、いや、でもこの先―――」
「われわれはフローライド王国中央機関、軍務局の依頼を受けてここにおります」
「……え」
「シルベル領まで来ていながら国軍に物資が届かないとなれば、何かあったのかと疑われかねない。信用問題になりますから」
「えええそ、そうですね。………ええ」
地方官は、なぜかがっくりと肩を落とす。
それを見たルツヴィーロは、満足げに頷いた。
ただ会話をしていただけなのに、激しい口論をしていたわけでもないのに、ルツヴィーロ氏が勝者、地方官の男が敗者の雰囲気を漂わせているのはなぜだろう。
―――両者、年齢はさほど差がないように思われる。
が、有無を言わせぬ圧力というか貫禄は、中堅地方官よりも大商会の主のほうが上だった。
腹回りだけは、地方官のほうが上のようだったが。
地方官、あるいはシルベル領側は、ヴィーロニーナ商会も一緒に領都ジラノスに留めたかったようだ。
しかしもろもろの書類が本物で、しっかりと確認も取れている以上、国から仕事を請け負っているヴィーロニーナ商会の商隊をシルベル領が留めるわけにはいかない。
しかも積み荷の届け先は、前線でフローライドを守っている国軍である。
積み荷の中身は保存食や医薬品などの、生活必需品。これが届かなかったり遅れたりした場合、止めていたのがシルベル領だったとなれば、後々かなり問題になるだろう。
……ところで。
実のところ、納品期限はかなり余裕があると木乃香は聞いていた。
道中、急いでいるような素振りもまったく無かった。
ときどきならず者たちや商売敵から邪魔されることはあっても、大幅に遅れるような事態にはならなかった。それも含めて、商隊の面々に言わせればいつもより順調な旅だったという。
と、いうようなことを今この場で言わない方がいいことくらいは、木乃香にだって察しがつく。
旅慣れない彼女にしてみても、彼らの気遣いもあって予想外に楽しく快適なものだった。
これだけの日数で、安全安心にシルベル領までたどり着けただけでも、万々歳である。
純粋に木乃香を心配してくれたのか、愛しの奥方に頼まれたからか、あるいは主に商隊の女性陣に大人気だった使役魔獣たちによるもふもふセラピーのお礼か。
保護者よろしく応接室まで付き添ってくれたのだが、これ以上付き合わせるわけにはいかないだろう。
「ルツヴィーロさん、ここまでありがとうございました。すごく助かりました」
「いえいえこちらこそ」
丁寧に頭を下げると、彼はよくできましたとでも言いたげににっこりと微笑んだ。
「正直なところ、心細いんですが」
「うちも、皆が寂しがりますよ。すっかり商隊の一員でしたから。本当にねえ、早く中央の確認が取れるといいんですがねえ」
「………っ」
「仕方ないですね」
「ええ、本当に、仕方ないですねえ」
「………」
これからも道中気を付けて下さいね、ええオーカさんもね。と、ほのぼのと会話を締めくくる。
その端で、地方官の顔色がぐんぐん悪くなっていることには、木乃香は気づかなかった。
「と、いうわけで」
ルツヴィーロは、地方官のほうへ視線を向けた。
笑顔は張り付けたまま、凄味を利かせるという実に器用な真似をして。
「ここまでご一緒してきましたが……彼女は、中央統機関の統括局に所属する、優秀な官吏です。長官タボタ・サレクアンドレの意向でここへ来ている。加えて、わたしは学術局の長官ティタニアナ・アガッティ殿からも彼女についてくれぐれもよろしくと頼まれておりました。地方官どのも、どうかそのおつもりでお願いいたします」
「………は、はっ」
ははーっと商会の主に対して頭を下げる地方官。
木乃香はなんとなく居心地が悪くてもろもそと身じろぎした。
彼女が優秀な官吏かどうかはともかく―――とりあえず直属の上司である長官タボタ・サレクアンドレは断固認めないだろう―――それ以外はまあ嘘ではない。
嘘ではないのだが……自分が、複数の高官たちから目をかけられている、ものすごく有能な、あるいはものすごく厄介なコネを持った取扱い要注意の人物のように聞こえるのはナゼだろう。
ルツヴィーロ氏がいつも甘ったるい声で「うちの奥さん」と呼ぶところをお硬い声で「学術局の長官」としっかり言い替えていることから、たぶん彼も狙って言っているのだろうとは思うが。
これまでの道中、身内に国の高官がいるとか、大のつく商会の主だからと言って、それを鼻にかけるような素振りも、これだけ威圧的に振る舞う様子もなかったのに。
恐れ入りましたー、という感じで深々と頭を下げた地方官を観察するように見下ろしていたルツヴィーロは、気が済んだのかにっこりと木乃香に笑いかけた。
「……と、いうことなので。オーカさんは安心して待ってて下さいね? 何かあれば、遠慮なく中央に問い合わせればいいでしょう、あなたなら。ねえ?」
「ひいっ………」
「………はあ」
口から出まかせもいい所である。
しかしそこは国の仕事まで請け負う大商会の主。証拠も実績もないのに、地方官を脅してみせた。
何かあったら言いつけるからねー、と遠回しに伝えただけでびびる方もどうかと思うが。
なんだか申し訳ないなあと思いながらも、あえては訂正しない木乃香だった。
何しろ、しばらくは滞在しないといけないらしいジラノスである。彼女だって無難に、出来ることなら快適に過ごしたいのだ。
☆ ☆ ☆
「まったく、なんでわたしがこんな事をしなければならんのか……」
普段は領都ジラノスの領主のもとで側近を務めている彼がこの関所に居たのは、単なる偶然である。
たまたま領主に使いを頼まれ、たまたますぐに動ける者が彼だけだった。
そこへたまたまやって来ていたのがあんな対応に困る連中だったなど、運が悪いにも程がある。
お前らの仕事だろう自分たちで片づけろ、と言いたいところだが、王都からやってきた彼らをどう扱っていいのか分からない、と困惑する気持ちもよく分かる。自分だって一緒だ。
かたや、シルベル領リュベクに出張を命じられたという統括局所属の中央官。
かたや、これまた中央の軍務局から最前線へ、物資補給の依頼を受けたという商人。
ヴィーロニーナ商会は仕方ない。
あとから自分でも確認してみたが、無理だ。あれは止められない。
シルベル領に常駐する地方軍はともかく、中央から派遣されて来た中央軍の必要物資までシルベル領では賄いきれないから送ってくれと頼み込んだのはシルベル領である。
商会の主も匂わせていた通り、商隊を留める権利は、シルベル領側にはないのだ。
なにより、物資を届けなければ困るのは軍、そして巡り巡ってシルベル領、さらには王国そのものである。
いっぽう、文官のほうはまだ引き留める口実があった。
……あの付き添いの商人には鼻で笑われてしまうような、お粗末な口実ではあったが。それをあの文官が気付いていたかどうかは分からない。
が。扱いが厄介なのは、むしろこちらの方だった。
まったく。中央は何を考えているのかと思う。
こんな時期に中央官、それもあんなに若い娘さんがリュベクへ出張など。
リュベクがサヴィア王国に落とされてしまった事実を知らないにしても、今さらサヴィア王国軍との最前線に文官の下級魔法使いひとり送り込んだところで、何になるというのか。
相手はたかが下級魔法使い。
されど中央官である。
しかも、複数の高官から目をかけてもらえるほどの。
―――もしかして。いま派遣された思惑が、何か別にあるのか。
実際のところ単なる上司の嫌がらせなのだが、もちろん地方の一官吏などにそんなことは分からない。
楽天的になど、とても考えられない。悪い想像ばかりが膨らんでだらだらと嫌な汗が流れる。
「これは、領主に報告して……いや、アレは無理か。しかし。とりあえず、相談は―――」
ぶつぶつ、ぶつぶつ。
追いつめられた彼は、つい声に出してどんよりと呟いてしまう。
応接室の片隅でどんよりと重苦しい雰囲気を背負う彼には、しばらく誰も近寄ろうとしなかった。
「いやあ、あなたも大変ですね」
とんとん。と。
場違いに陽気な声とともに、背中を叩かれるまでは。




