あんな彼女とそこの彼女・3
サヴィア王国軍に捕まったフローライドの捕虜たちの反応は、だいたい三つに分けられる。
まず。
「貴様らが笑っていられるのは今のうちだ! 我らがフローライド国王陛下と側近たちが来れば、その絶大な魔法でもってサヴィア軍などすぐに殲滅だろうからな!」
なぜか自分が偉そうにふんぞり返る、虎の威を借る者。
ちなみに本気でそう思っているのか、ハッタリなのかはまた人それぞれのようだ。
次に。
「い、命だけは助けてくれ……っ。頼む!」
ひたすら縮こまり怯える者。
これはレイヴァンの砦にいた魔法使いに多い。不幸にも容赦ない魔法攻撃に遭ってしまった者の中には、ガタガタ震えてろくに話も出来ない者だって少なくない。
そして。
「ああ……あの赤々と輝く炎の乱舞と夜空を切り裂く雷の轟音のすさまじさといったら! なんと壮大なのだ! なんと美しい! かの“万雷の魔法使い”が書物に記した究極魔法“テンノサバキ”さながらの魔法がこの目でじかに見られようとは! 何という破壊力! 何という絶望感! ああ……実に素晴らしい‼ 叶う事ならいま一度……いま一度、あの美しくも残酷な雷をこの目に―――」
キラキラとした目でブツブツと何事かを呟き、期待を込めてこちらを見上げて来る者。
これもレイヴァンの砦やその周辺に居た魔法使いに多い。多いと言っても、前述の二つのタイプよりは格段に数が少ないのだが。
……何というか。はっきり言って、コレは気味が悪い。
普段は抵抗も口答えもなく、捕虜としては扱いやすいくらいだが、災害級の魔法を放ったナナリィゼ王女の姿を目にすると豹変する。
とたんに騒がしくなり、悲鳴によく似た歓喜の雄叫びまで上げたりするのだ。
そのためサヴィア軍は、捕虜たちのいる区画に王女を近づけないようにした。王女本人も、あまり行きたくはないらしい。
それから。
「どうか、あなたの魔法を見せてくれ!」
「噂に聞く雷魔法を、この身に落として下さいませんか!」
「話を聞いて頂きたい!」
王女がその辺を歩いていると、こんな事を言いながら近寄って来る者たちが居た。
ちなみに、フローライドの人間である。なんとなく雰囲気が件の怪しい捕虜に似ている。
これがまた厄介であった。
命を狙ってくる者や敵意を向けて来る者、下心や野心に満ちた者なら、まだ慣れているし遠慮なく迎え撃てる。むしろそっちのほうが気楽である。
しかし白昼堂々突撃してくる彼らは、良くも悪くも素直というか、無邪気というか。純粋に王女の魔法の実力、あるいは魔法そのものに興味津々であった。
その眼差しは、珍しいモノを目にしたときの好奇心いっぱいの子供のそれによく似ている。
が、中身はともかく見た目も身なりもそれなりの、れっきとした大人である。
相手は敵国の王女だというのに、断られると思って無さそうなのがまた不可解だ。
野蛮だの盗人だの礼儀知らずだのと、サヴィア王国軍は他国から罵られたことがある。
攻め取られた国からすればそうだろうし、罵られるだけのことをしてきた自覚だってある。
しかしそんな“礼儀知らず”のサヴィア王国軍の面々でさえ、ぽかんと呆気にとられ、次いで眉をひそめるくらいにはフローライドの魔法使い(ごく一部)は図々しいし遠慮がないし、空気が読めなかった。
まったくもって理解不可能。
薄気味が悪くてしょうがない。
地味に精神的な負担があるものの実際に危害を加えられたわけではないので、何もできず放置していたところ。
姿を現さなくなった王女に焦れたのか、そのうち町中だけでなくサヴィア軍の駐屯地にまで侵入しようとする輩が現れた。
「信じられるか? 個人的な興味でサヴィア軍に潜入しようとしてたんだぞ。フローライドの密偵でも何でもない奴が」
この侵入者、どこをどう調べたのか、王女のいる天幕まで把握済みだった。
さすがに駐屯地への無断侵入は見過ごせず、捕らえて牢屋行きにしたが。
本職の密偵よりいい仕事してるぞ、とジュロ・アロルグは呻き頭を抱える。
……楽天家を自負していた彼だが、なんだか最近頭を抱えてばかりだ。
その辺の軍属が束になってかかっても問題なく返り討ちに出来るだけの“力”を持ったナナリィゼ王女だが、本人はまだ十代半ばの少女に過ぎないのだ。
あんな怪しい連中に追い回されるなど、王女が気の毒すぎる。
そんなわけで。
現在、ナナリィゼ王女は町中どころか自軍の駐屯地でさえもあまり出歩けず、引きこもりの状態にあった。
☆ ☆ ☆
サヴィア王国軍の駐屯地。その真ん中から少しサヴィア側のあたり。
周囲のものより少しだけ豪奢な天幕に、ナナリィゼ・シャル・サヴィアは居た。
サヴィアの天幕は、地位が上であろうと下であろうと絨毯を敷いた地べたに座るのが一般的だ。椅子を使うのは病人か足腰の弱っているような者だけである。
その為か、こんな軍の駐屯地では尚更、負傷していようが調子が悪かろうが、寝台で寝るのはいいが椅子に座るのだけは嫌だという変なこだわりを持つ軍人も多い。
加えて、地位が高いからといって遠征にたくさんの調度品や大勢の側仕えを自分の天幕に入れたりはしないものだ。
ナナリィゼ王女の天幕もまた、椅子もなければ荷物も少なく、それどころか身分の高い女性であれば最低一人二人は連れて来る側仕えの者さえひとりも付いていなかった。
侵入者騒ぎがあってから頻繁に天幕を移る彼女なので、まあ都合が良いといえば良いのかもしれないが。
天幕の中の、ちょうど中央には小さな卓。その上に、とっくに冷めてしまったお茶と手をつけた様子のない茶菓子が乗っている。
卓の前、ふかふかの敷物の上にひとりぽつんと座っているのが王女だ。
何を思案していたのか……あるいは何も考えていないのか。
強いて言うなら少しばかり眠そう、だろうか。
たまに瞬きをするから「あ、生きてる」と分かるくらい、彼女には動きがなかった。
相変わらずだな、とユーグアルトは思う。
レイヴァンの砦攻略の後。さすがに魔法力を使い過ぎてしばらく天幕から出られず、ぼんやりしていたとジュロ・アロルグは言っていたが、この王女は大体いつもこんな感じでぼんやりしている。
しゃきっとするのは、戦で魔法を使っているときくらいだ。
彼は、小さな卓を挟んで異母妹の前に座った。
「久しぶりだな」
「……ユーグ兄さま」
ナナリィゼがゆるりと視線を上げ。
目の前に座る人物を、銀色のまつ毛に縁どられた薄紫の双眸に映す。
それが自分の異母兄だと認識した瞬間、彼女の瞳がきらりと光った、ような気がした。
小さな、けれども存外はっきりとした口調で彼女は言う。
「兄さまが来た、ということは、いよいよ王都フロルへ進軍ですか?」
「は?」
それまでの無気力な雰囲気はどこへ行ったのか。いや、変に目が覚めたのか。
ずいっと身を乗り出して、彼女は続けた。
「もうずいぶんと待ちました。この間にも、国王に苦しめられている者は大勢いるのです」
「……はあ?」
「重税に苦しみ、貧困にあえぎ、心無い魔法に痛めつけられ。フローライドの民はもう限界なのです」
「……………へえ」
「フローライドの民のためにも、悪逆非道のフローライド国王を討ち滅ぼしましょう!」
「ちょっと待て」
ユーグアルトはここではない遠いどこかを見……ようとして、止めた。
なぜならここは天幕の中。上を向いたところで、少々埃っぽく薄汚れた厚布が目に入るだけなのだ。
第二軍軍団長ジュロ・アロルグが頭を抱える要因のひとつにコレがあった。
王族でありいちばんの戦力でもあるこの王女が、退却するどころかさらに攻める気満々なのである。
救いは、第二軍の長が王女ではなくジュロ・アロルグだったこと。それを王女がちゃんと理解して、内心がどうであれとりあえずは彼に従っていることだが。
サヴィア王国軍、とりわけ守るより攻めることが多かった第二軍、第三軍は、血気盛んな者が多い集まりである。
兵士の中にもまだフローライドを攻め落とせという考えの持ち主が少なくない。
それを抑え込むだけでも一苦労なのだ。
フローライドの現国王は、政に関心がない道楽人間である。
が、“悪逆非道”だという話は、とんと聞かない。
魔法で人を喜ばせたり驚かせたりするのが好きで、名君ではないが国民からそれほど嫌われてもいなかったと思う。
長く国境付近でフローライド軍と対峙していたジュロ・アロルグに聞いても同じことを言っていたのだから、ユーグアルトの前情報は間違っていないのだろう。
実際に見ても、そこまで荒んだ雰囲気はなかった。
レイヴァンなどは陸路の交易の拠点にしては思ったほど栄えた感じもしないが、嘆くほど“重税に苦しみ、貧困にあえぎ、心無い魔法に痛めつけられて”いたようにも見えなかった。
多少の不満はあっても、そこそこ、といったところだろうか。
たとえば、北の大国オーソクレーズなどには、何かの見本のような寂れた町や村がたくさんあった。
オーソクレーズ侵攻に参加していないナナリィゼはそれを見ていないし、その惨状は一国の王女、いや若い女性に見せるようなものではなかった、とも思う。
もっとひどい場所があるのだからここはマシ、という考え方もあまりよろしくないが、それはそれとして、つまりは。
「お前には情報が足りない、ナナリィゼ」
ユーグアルトは異母妹へ、ため息混じりに言った。
ナナリィゼは、サヴィア王国の王女であり超強力な戦力でもある。
いろんな立場の人々からいろんな目的で狙われたり、襲われたりするのは日常茶飯事だ。しかもフローライドでは、調べても得体の知れない、目的もいまいち分からない人々に付きまとわれたりしている。
そのため不用意に動くことができず、今だって天幕の中に引きこもりの状態である。
ただでさえ情報が入りにくい環境なのに、加えて本人に情報を集める意欲がない。
彼女は、良くも悪くも大人しく従順。与えられた部屋で、何か言われるまでじっとしている事が多い。
そんな人間の耳に入ってくるのは、耳に入れたいと思って寄って来る者の声だけだ。
ナナリィゼは、話を聞いていないわけではない。ただ反応が薄く、積極性がないのだ。
そんな彼女が「誰それが困っている」「苦しんでいる」という話題にだけはそれなりの反応を返すものだから、王女の目に止まりたい下心がある者たちは、どうしてもその辺りを大げさに話す傾向がある。
ひとの話を一から十までちゃんと聞く王女は、それを疑う事もなく信じ込んでしまうのだ。
内容が嘘か本当か、確かめもせず。
今回、彼女に「フローライドの王様はひどい王様だ」と吹き込んだ者たちは、フローライドからの撤退をよく思わないサヴィアの武官。
曲がったことが大嫌いな彼女の性格をよく分かっている、それなりに近しい者たちだったらしい。
加えて、捕虜になったフローライドの魔法使いのごく一部もそう証言したらしく、ここまでナナリィゼが思い込む理由のひとつになったようだ。
人を疑う事を知らない、と言えば世間知らずで箱入りの王女様らしい性質かもしれない。
しかしそれはとても危険なことだ。
彼女ほどの地位と力と影響力があれば、なおさら。
「そのうえで。自分が正しくあろうとするのはいいが、自分の立つ側が常に正しいと思い込むのはやめろ」
ユーグアルトの言葉に、ナナリィゼは少し不思議そうに瞬きをした。
「おまえの完璧主義は悪くはないが。世の中、はっきりと白黒が付く物事のほうが少ないぞ。とくに戦に関しては、絶対に正しい答えなどないとおれは思っている」
少なくともサヴィアは、正義感からではない、ただ自国を豊かにしたいがために戦を始めた。
そのサヴィア軍に属していながら、正義を掲げて戦を仕掛けることほど嘘くさいことはないと彼は思う。
「あの、でも……」
「―――うん?」
ナナリィゼの「でも」は珍しい。
言われたら頷くだけというのが多い彼女に対して、ユーグアルトの反応が遅れた。
が、異母妹の次の言葉には即座に頭を抱えたくなった。
「ユーグ兄さまは、オーソクレーズを解放した英雄だって……」
「………」
「オーソクレーズの人々が、喜んで―――」
「………それも、嘘が多いから簡単に信じるな」
忌々しい。全くもって忌々しい。
いったい誰が吹き込みやがった、とユーグアルトは内心で舌打ちした。
兄がそうだからナナリィゼもフローライドを解放してくれ、とか何とか説得されたのだろうか。
自分が一部で“英雄”と呼び称されていることは、不本意ながら知っている。
同時に一部で、野蛮にも乱暴に押し入って問答無用で切って捨てた“王殺し”だと眉をひそめられていることも。
彼は王命に従って攻めただけで、別に虐げられたオーソクレーズの民を救いたいとか、そんな高潔なことを思っていたわけではない。
国王に関しては、切り殺してもいないのだが……まあ、目の前で死んだのは事実だ。
「おれは英雄でも何でもない。そうしておけば都合のいい連中が、言い出したに過ぎない」
「………」
「戦う以上、敵味方双方に負傷者も死人も出る。どこかしらに被害が出て、それを直すのにも時間がかかる。迷惑を被るのが悪人だけだと思っているわけではないだろう」
「………」
「被害を被った人々の前でおれは英雄だと、胸を張って言えると思うか?」
「……」
ナナリィゼは黙り込む。
うつむいた顔は、少し不服そうだ。
ちなみに。子供向けの物語に出て来るような勧善懲悪の英雄などは現実に存在できるわけがない、とユーグアルトは思っている。
大人になりきらない内から戦場に駆り出されていた王子様は、架空の物語を読む暇があるなら兵法書を読んでいたし、きれいな夢を見る前に現実と向き合わなければ生き残れなかった。
すでに二番目と四番目の王子は戦死していたし、父王はそれを不甲斐ないと憤るだけで、少なくとも表向きは悲しみもしない。加えて王子も五人目となればその存在や周囲の扱いの軽さは、まあそんなものだろう。
「とにかく。何が言いたいかというとだな」
ごほんとユーグアルトは咳払いをした。
まだ若いのに戦場に駆り出されているのは、この異母妹も一緒だ。
強大な魔法力さえ持たなければ、王都ヴァリトールの城の中で、王女として静かに穏やかに暮らせていただろうに。
「誰に何を言われても、ちゃんと自分の頭で考えろ。ただし自分ひとりで考え込むな。おれでもジュロでも、お前についている護衛たちでも、誰でもいい。もう少し他人と話せ。聞くだけじゃだめだぞ。話をするんだ」
む、とナナリィゼは口を尖らせる。
「……難しいです」
「簡単だったら、誰も苦労しないだろう」
「……でも、兄さま」
本日二度目の「でも」である。
ユーグアルトは先を促すように異母妹を見る。
「やっぱり、自分で考えても、フローライドはフローライド国王から解放するべきだと思うのです」
そう王女が言ったのをまるで見計らったかのように、天幕の周囲が騒がしくなってきた。
「だって―――」
「両殿下、失礼いたします!」
ばさり、と乱暴に天幕の入口の布を跳ね除け、伝令係の武官が入って来た。
「どうした」
「申し上げます! シルベル領リュベクが落ちました!」
「…………は?」
思わず聞き返したユーグアルトと、なぜか当然のように頷いているナナリィゼ。
サヴィア王国軍からは、いまは一切侵略行為を行っていない。国王から認められていないのである。ちょっとした小競り合いはあっても、その程度だ。
それなのに、地方の一都市が“落ちた”。
……落とした、ではなく、“落ちた”。
二人の前で、武官はさらに続ける。
「リュベクからの使者である魔法使いが、ナナリィゼ・シャル王女に目通りを願っております」
「……ジュロ・アロルグ団長は?」
「ユーグアルト・ウェガ団長に指示を仰げと」
さっそく押し付けやがったあの筋肉ダルマ。
たたき上げのジュロ・アロルグに久々に会って影響されたのか。どんどん内心の口調が荒くなってくる自分を自覚しながら、ユーグアルトはため息をつく。
「こういうことなんです、兄さま」
澄ました顔でナナリィゼが言った。
いったい何がどういうことなのか。ついて行けない彼に、彼女は小さく、けれどもはっきりと言う。
「黙っていても、フローライドの民がサヴィアに助けを求めてくるのです。不満があるのは明らかです。サヴィアがフローライドに侵攻するのは、フローライドを救うことになるのでは」
第二軍軍団長ジュロ・アロルグが頭を抱える要因のさらにもうひとつが、コレであった。
攻めていない、脅しもかけてない、裏工作だってしていない町や集落が、勝手に反乱を起こし、勝手にサヴィア王国の支配下に入れてくれと頭を下げに来るのだ。




