あんな彼女とそこの彼女・2
お久しぶりです。
今回は、サヴィア王国サイドです。
シルベル領、レイヴァン。
そこは、フローライド王国の国境付近にある町だった。
国外から入って来る貿易品は、陸路であればほとんどこのレイヴァンの関所を通る。そのため、フローライド国内外の人々と品物で賑わう、それなりに栄えた場所であった。
そんな要所のため、過去には賊や他国からたびたび狙われている。
そのため、隣国と接する側には町の規模に見合わない、大きく厳めしい砦と、増築に増築を重ねた長く高い石壁が築かれていた。
………すべて、過去形。
ほんの半年ほど前までの話。たったひと晩にして変わってしまった話である。
現在、砦の町レイヴァンは、サヴィア王国軍の支配下にある。
町の代名詞ともいえる堅固な造りの砦と石壁があった場所は、無残、という言葉がぴたりとくるほど、石と木片の山があるばかりだった。
そんな瓦礫の山の向こう側。
国境の見晴らしを良くするためにと人工的に広がっていた原っぱを埋め尽くしているのは、大小さまざまで色とりどりの天幕だ。
レイヴァンの町以上の規模がある、サヴィア王国軍の駐屯地であった。
王国軍第四軍軍団長ユーグアルト・ウェガは、第二軍軍団長ジュロ・アロルグの熱烈な歓迎に遭った。
どれくらい熱烈かというと、姿を見るなりものすごい速さで走り寄られ、「よく来てくれたなあぁぁっ」と叫ばれ肩をばしんばしん叩かれるくらいだ。
お互いに鎧や武器を身に着けていなければ、たぶん抱き着かれ締め上げられていたに違いない。そんな勢いだった。
身の丈も肩幅も腕回りも、何もかもが大きな大男からの容赦ない“歓迎”である。
ユーグアルトはふらつかないよう踏ん張るだけで精いっぱいだった。自分だってちょっとどころでなく鍛えているのに。
殺気が無かったとはいえ、ユーグアルトもその周囲も反射的に迎撃態勢に入らなかっただけ胆力があるというか、ジュロ・アロルグという人物が分かっていた。
……怖いことは怖いのだが。
「………ジュロ団長」
じろりと見上げれば、「おっ」と声を上げて、その丸太のように硬くてごつい腕だけは退けてくれた。
「いやスマンスマン。つい嬉しくてな! ってかお前、これくらいじゃ潰れんだろ!」
「その怪力は敵相手にとっておいて下さいよ」
「わはははっ」
にかっと音がつきそうな笑顔は、まったく悪いと思っていない顔だ。
それはもう嫌味なほどに悪意のかけらも見当たらない。
「元気そうだなユーグ!」
「……団長もお変わりないようで」
ふっと息をついて、ユーグアルトも少し身体の力を抜いた。
このジュロ・アロルグ。
現国王ウォラスト・エディリンが王太子だったころ一緒に戦場に立ったことがある縁で、国王とは自他ともに認める“戦友”である。
そして当時兄の補佐を務めていたユーグアルトも弟のように可愛がってもらった。
あれから軍団長にまで出世したというのにこの男、ぜんぜんお変わりがない。
相変わらずの、でかい身体とでかい態度である。
「陛下からの話だと―――」
「おーい待った。お前、相変わらずくっそ真面目だなあ」
ばっさり。
実に豪快に、第二軍軍団長は話をぶった切る。
そして呆れたような顔で続けた。
「自分の兄貴を“陛下”って。そんな他人行儀な呼び方、あいつ寂しがってないか? おれの呼び方だって、昔みたいにアルでいいぞ。おれが“団長”ならユーグだって“団長”なんだし」
「……時と場合を選んでいるんだ」
いついかなる時でも誰が相手でも、変わらない態度が嬉しいような腹立たしいような。
微妙なため息をついて、ユーグアルトも返した。
彼らは旧知の仲だが、それはそれ、これはこれ。
いちおう、国軍の団長同士の挨拶である。周囲の目もあることだし、最初くらいはお互いに敬意を示さねばと余所行きの顔と言葉遣いにしてみたのに。
現に、彼の大雑把な態度には、慣れているらしい第二軍の兵士たちは平然としているが慣れていない第四軍の兵士たちは唖然としている。
「あー、そういう器用なの、おれには無理だわ!」
だっはっはー、と豪快に笑う第二軍の軍団長様。
まあジュロ・アロルグだしなとユーグアルトも早々に取り繕うのをやめた。
急速に大きくなったサヴィア王国では、武官も文官も急激に増えた。
とくに武官は、ジュロのような平民や他国の出身者でも数多く出世しているが、彼らへの細かい礼儀作法の指導は後回しにせざるを得なかった。
戦時下、とりあえず生き残らなければ、礼儀もへったくれもない。軍では戦力になるかどうかが最重要なのだ。
もともと質実剛健、質素倹約。細かい事を気にしないのがサヴィアである。
その点、ジュロ・アロルグはサヴィアらしい軍人ともいえる。
多少の困難や問題があろうとも「任せろ!」と頼もしく胸を叩き、あるいは「なんとかなるだろ」と笑い飛ばし、その上で実際になんとかしてきた。実績があるからこその将軍職ではあるのだが。
が。
そのジュロ・アロルグが、帰りたいのに帰れないと泣きついてきたのは初めてだ、と国王ウォラスト・エディリンも驚いていた。
今回の王国軍第四軍の遠征は、第二軍が要請したものである。
現国王が撤退命令を出したにも関わらず、フローライドから撤退できない状況が続いているのだという。
そして、その原因は。
「―――このたびは、うちの妹が迷惑かけたようで申し訳ない」
ユーグアルトがそう言ったとたん、ジュロの笑い顔が不自然に固まった。
「……別に姫が悪いんじゃねえよ。むしろ姫のおかげで、途中までは上手くいってたんだ」
実際、フローライド侵攻は上手くいっていた。
物事万事楽観的なジュロ・アロルグでさえちょっと気味が悪いと思うほど、順調だったのだ。
すでにフローライドの都市をいくつか落としていた第二軍と軍団長のジュロ・アロルグだったが、新しく即位した国王からの撤退命令に反発する気はまったく無かった。
もともと魔法大国フローライドへの侵攻に反対していたウォラストを知っていたし、自分も乗り気ではなかったからだ。
加えて、将軍としての戦経験か……野生のカンでも働いたのだろうか。
これ幸いにさっさと撤退しようと、思ってはいたのだ。
しかし。
「………正直、フローライドを舐めてたよ」
撤退を決めたとたん、この言葉をつぶやく羽目になろうとは。
大きく頑強な肩をがっくりと落として、ジュロは呟く。
その姿に、味方でも引くほどだった覇気はまったく感じられない。
そもそも、ジュロ・アロルグは頭で考えるより先に身体が動くタイプだ。「考えるのは他のヤツの仕事だ」と日ごろから豪語している。
そんな脳筋が、「もう少しフローライドという国を知っていれば」とここまで分かりやすく落ち込んでいるのは珍しい。
ほんとうに、珍しい。
「アルのせいではない。さすがにこれは、ちょっと予想つかないだろう」
慰めでも何でもなく、ユーグアルトは事実を口にした。
もし彼がオーソクレーズではなくこちらの攻略を命令されていたら。おそらくジュロ・アロルグと、そして第二軍と同じ行動をとっていただろう。
そして、今のジュロ・アロルグのように頭を抱えていたに違いない。
「だよなあ」
ひと回り小さくなったようなジュロ・アロルグが、ため息を吐いた。
どうしようもなかった。
だから、彼は助けを求めたのだ。
過去は過去。覆ることはないのだから。
☆ ☆ ☆
ユーグアルトらはレイヴァンの石砦の前に来ていた。
正確には、砦であったものの残骸の前だが。
「見事に跡形がないな」
「派手にやれっていうのが命令だったからな。いやもうすごかったぞ」
ジュロ・アロルグが苦笑した。
放って置いたら危ない箇所や、レイヴァンの町に出入りするための道の分だけ少し片づけられているが、基本は壊れたそのままである。
人手はあるので、片付けようと思えばできないことはない。
が、フローライドの捕虜の証言とサヴィア側の魔導部隊の探索から、瓦礫の山よりもその中に潜んでいる数々の魔法の残骸が厄介なこと、フローライド側に壊れたものを壊れたまま見せつけておくのが効果的と判断されたこと、などが放置されている理由だ。
魔法の残骸に関しては、暴発の危険もあるので魔導部隊が中心になって少しずつ解除し撤去しているところである。
そしてこの瓦礫の山は、たったひと晩で作られた。
「……これだけを」
「おう。ほとんどひとりで、姫が壊した」
やったのは、サヴィア王国第三王女ナナリィゼ・シャル・サヴィア。
魔法力だけならサヴィア王国随一、世界でも指折りなのではと噂される、ユーグアルトの異母妹である。
この王女は、第二軍に所属しているわけではない。
それどころか、四つある軍のどこにも属していない。
大きすぎる力を、彼女は未だ上手く使いこなせていないからだ。
細かい加減調節はできず、効果にムラもある。当然ながら他の魔法使いたちとの連携も取れず、また彼女を抑えることができる実力を持った魔法使いもいないので、特定の軍に属すことはできない。
現在は、こういった思い切り派手にぶちかませばそれで良しという場面でのみ駆り出されることが多かった。
ここぞというときの切り札だが、扱い方を間違えれば味方にも被害を出しかねない、なかなか危険な札でもあった。
しかし使わないという選択肢が出ない程に、彼女の魔法の威力は“別格”だ。
「この世の終わりってこんな感じかなと思ったぜオレは」
ジュロ・アロルグは魔法の才能に恵まれなかった。
しかし第二軍の長として魔導部隊に指示を出すことはあるし、もちろん魔法を見たのも初めてではない。敵から魔法攻撃を受けたことだってある。
しかし。
あれは無い。あれは、規格外だ。
その時を思い出して、彼は軽く頭を振った。
夜の暗闇の中。降り注ぐ雷と立ち上る炎の柱。
そんな光景を作り出した本人より、結界を張るなりして町への被害を食い止めていた魔導軍の魔法使いたちのほうが先にぶっ倒れるって、どういうことだ。
この時ジュロは頭を抱えた。
そして、勝ったというのに冷や汗が止まらなかった。
サヴィア王国では、フローライドのように魔法の実力で決められる階級がない。軍や研究施設などでの地位はあっても、それだけである。
しかし以前フローライドから招いた魔法使いが、ナナリィゼ・シャル王女について言ったそうだ。
彼女は、“上級”の魔法使い相当の実力があると。
あれが、上位の魔法使い程度のレベルだというのなら。
フローライドは、王女と同じかそれ以上の実力を持った魔法使いが複数いるということになる。そしてサヴィアは王女ひとりだ。
そんな魔法大国に喧嘩を吹っかけて、勝算などあるのか。
あんな魔法が降りかかっても、こちらが防げるとは到底思えない。
命がいくつあっても足りない。石造りの砦が瓦礫に変わったように、サヴィア軍も完膚なきまでに壊滅するだろう。
国境のレイヴァンを侵したことで、自分たちは眠れる獅子の尻尾を踏みつけたのではないか。
とんでもなく愚かな戦を仕掛けたのではないか―――。
「―――と。ガラにもなくびびってた時期もあったんだがなあ」
目の前の瓦礫ではなく、どこか遠くを眺めてジュロ・アロルグはぼやいた。
それならそれで、さっさと逃げ帰れたんだよな、と。
まさか、そっちのほうが楽で良かったと思える日が来ようとは。




