あんな彼女とそこの彼女・1
ご無沙汰しております。遅くなって申し訳ありません!
そして、今回はフローライド側のお話になります。
3/10少しだけ加筆いたしました。話の内容に変更はありません。
ぱかぽこ、ぱかぽこ、と規則正しい馬の足音が聞こえる。
ぎしぎしと馬車がきしむのは、乗せている荷物が多いから。
そして、街道が整備された石畳からならし固めただけの土に変わったからだ。
ときどき轍に車輪をとられるのか、とんと座席から跳ねるような振動があるのは仕方ない。が、道に魔法でもかかっているのか、あるいは単に荷物が重いからか、むしろ覚悟したより少ないくらいだ。
大きく重たい馬車は全部で三台。いずれも国境へ向けて運ぶ荷物でいっぱいである。
馬車の周囲には、直接馬に跨って並走する護衛が十数名。
王都フロルを出て間もないのに―――いや、王都を出たからか―――彼らは油断なく周囲を警戒していた。
そんな比較的大きな商隊の、いちばん先頭の馬車の御者台。
商隊の責任者の隣で、木乃香は肩をすくめる。
いかつい護衛の皆さんも、商隊のお世話係のおばちゃんもお姉さんも、よそ者の木乃香に優しい。
彼女の席に敷かれたふかふかのクッションだって、慣れない馬車旅で身体がつらくないように、とわざわざ準備してくれたものだ。
「……なんかすいません。無料で乗せてもらっちゃって」
「大丈夫だよー、気にしなくていいって言ったでしょ」
平均的な中肉中背。一般的な茶色の瞳と髪。
しかも下級魔法使いを示す白っぽい色のマントを羽織っている男が、この商隊の責任者にしてヴィーロニーナ商会の代表ルツヴィーロ・コルーク氏だとは、誰も思うまい。
恐縮する彼女に、彼女の隣で馬車を操る男は「はははっ」と笑った。
「うちの奥さんの頼み事だからねえ。喜んで引き受けるよー」
☆ ☆ ☆
それは、後日の王城内の大書庫の管理室での出来事。
シェブロン・ハウラの次にジント・オージャイトが木乃香に引き合わせた……というか、勝手に突撃してきたらしい人物がきっかけだった。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」
彼女に近寄るなり、ぎゅうっと両手を握ってそう繰り返した小柄な女性の名前は、ティタニアナ・アガッティ。
書庫の管理人であるジント・オージャイトの上司。
つまり、学術局の長官を務めている、その人だった。
フローライド王国では、女性の官吏は珍しくない。
が、さっさと結婚しそれを機に辞めてしまう女性も、珍しくない。
むしろそれが大半だ。
まして結婚し子供も生まれ、そこから職場復帰し高官まで上り詰めた女性は、ほとんど居ない。
ティタニアナ・アガッティは、そんな極めて稀な女性官吏のひとりである。
社会的に女性の地位が低いというわけでもない。
とくに魔法力を持った女性は大切にされ、粗略に扱う男性、あるいは家のほうが周囲から白い目で見られることになる。
木乃香の上司である統括局長官タボタ・サレクアンドレでさえ、噂によれば奥方にはまったく頭が上がらないのだと言う。木乃香への当たりが強いのは、木乃香が“下級魔法使い”というかなりの格下で、部下だから。ティタニアナと敵対しあからさまに毛嫌いしているのは、おそらく単純に人間的に合わないからだろう。
良くも悪くも、非常に分かりやすいお人である。
そんなタボタ・サレクアンドレを始めとする男ばかりの高官たちと対等かそれ以上に渡り合うのが、ティタニアナ・アガッティなのだ。
いったいどんな男勝りな女傑なのかと思っていたら、ずいぶん年上のはずなのに見た目は可愛い、むしろ守ってあげたくなるような雰囲気の人だった。
が。
……どこかで会ったろうか、と木乃香は内心で首をかしげる。
「だって羨ましかったんですもの……」
しゅんと眉尻を下げて、学術局の長官様は言う。
叱られた子供のような風情だが、ぎゅっと握った手は力強く、ぜんぜん離れない。
そして少しばかり低い声で彼女は続けた。
「あんな見た目腹黒腹ボテの中身クソガキ能無し長官が、こんな若くて可愛くて優秀な女の子を部下に持ってるなんて。ずるいわ。口だけ長官のクセに生意気だわ」
「………え。あの」
木乃香は耳を疑った。
「アレは人を使うのが壊滅的にダメでしょう。アレにはもったいないわ宝の持ち腐れよって、だからわたしに譲ってちょうだいって言ったのに。実際ミアゼ・オーカさんを笑っちゃうくらい過小評価していたから、すんなり学術局に移動が決まると思ったのに。……何がどうなってシルベル領に行くことになってるの? 馬鹿なの? そこまで馬鹿なの?」
学術局の長官様は、ぷんすかと怒る。
見た目は優しそうで穏やかそう、そしてちょっとお茶目な年上女性なのに。
いや実際、木乃香に対してはそうなのだが、統括局長官が絡んでくる内容になると、とたんに言葉に容赦がなくなる。
共感できるものなので、ギャップに驚いても大きな衝撃はないのだが。
そこで、木乃香は何となく理解した。
つまりこのシルベル領行きは、木乃香への嫌がらせというよりは学術局長官ティタニアナ・アガッティへの嫌がらせだったようだ。
いくら役立たずで不要だと思っている部下でも、他所から欲しいと言われれば少し惜しくなったのだろう。
しかもその相手が天敵ティタニアナだったものだから、「取れるものなら取ってみろ」とばかりに遠方に放り投げたと。
……理解したからといって、納得できるわけではないのだが。
「忌々しいことに、アレの作った書類はちゃんとしたものだったわ。別部署のわたくしが口を挟むことは出来ない」
「ああそうでしょうね……」
「でも、でもね。わたくしにだって、あなたをちょっとお手伝いするくらいは、出来ると思うの」
ぎゅっと握られたままの手が、痛いくらいだ。
少し引いたくらいでは、もちろん放してくれる気配もない。
「お、お手伝い…ですか?」
ティタニアナは「そうよ!」と力強く頷く。
そしてずいっと身を乗り出した。
「あちらに行くまでの乗り物は? 宿は? 護衛は? 出張費用はどれほど出ているの? 滞在期間も未定なのでしょう? 女性の長旅っていろいろと大変なのよ。それをアレが分かっていると思えないし、分かっていてもあえて考慮しないのがアレでしょう」
「………」
まったくその通りでございますとしか言いようがない。
木乃香にしてみても、「もしかしてそれって自分で準備しなきゃだめなの?」という感じだ。
だってこの世界、電話もインターネットもないのだ。こんな短期間で、個人で事前に準備できることなどたかが知れている。
誰も教えてくれなかったし、あんまり簡単に「行け」と言われたものだから、その辺はちゃんと整えてくれるものだと思っていた。
仮にそういうものだとしても、あのタボタ・サレクアンドレならわざと手配しなかったり、費用をケチったり平気でやりそうだ。
さすがは高官、さすがはタボタの天敵である。出張の何たるかも、天敵の悪癖も、ティタニアナ・アガッティはよく分かっていた。
加えて、彼女の女性視点は非常にありがたいものだ。
そういえば、学術局の女性職員は他部署に比べて多かった気がする。仕事内容にもよるのだろうが、学術局を束ねるこの女性長官の存在も大きいのだろう。
今さらながら、男しかいない職場環境が不安になる。
「……ほんとうに、ティタニアナ・アガッティ様のところで働きたいです、わたし」
「まっ」
ぽつんと呟いた言葉に、学術局の長官様はぽっと頬を赤らめた。
いままでの気迫はなんだったのか。一転、小さなお花がぱあっと咲いたような笑顔で、彼女は言った。
「まあまあ嬉しいわっ。絶対、ぜったい来てちょうだいね! 根回しは任せなさい! あ、それから、どうかわたくしの事はニアナって呼んでっ」
「……ニアナさま?」
口にすれば、彼女はそれはそれは嬉しそうに、微笑む。
「うふふっ。わたくしに任せてね。いいように手配してさしあげますからね!」
すごく心強い言葉だった。
ものすごく有難いのだが。
やはり、木乃香は首を傾げてしまう。
何でこんなに好かれてるんだろう? と。
そのへんの説明をすっぽりと抜かして、ティタニアナ・アガッティは「そうと決まればすぐに連絡よっ」とまたどこかへ走って行ってしまった。
☆ ☆ ☆
「ね。可愛いでしょう、うちの奥さん」
ぱかぽこ。にこにこ。
規則正しく進む馬車に揺られながら、馬車の主であるルツヴィーロ・コルークがのほほんと笑う。
まだ王都フロルを出たばかりなのだが、この夫婦の惚気はだいぶ聞き飽きたので、木乃香は曖昧に笑い返しておいた。商隊の、他の同行者からも「あー。ヴィーロさんのノロケは適当に聞き流していいからね。いつものことだから。とくに独身者には毒なんだわアレ」と助言をもらっている。
可愛いとは思うが、それだけじゃない気迫というか、圧力もあるよなあと木乃香は思う。
まあ、それさえも隣のルツヴィーロは「うちの奥さんの魅力のひとつだよねー」と言ってのけそうだが。
そんなこんなで。
安心安全にシルベル領まで連れて行ってくれるから、と学術局長官ティタニアナ・アガッティから紹介されたのが、ヴィーロニーナ商会の代表であるこのルツヴィーロ氏だった。
彼は彼女の結婚相手。つまり夫だ。
ティタニアナ・アガッティの言った通り。
シルベル領への出張命令書を早々に手配してきた統括局長官タボタ・サレクアンドレは、シルベル領へ行くための手配まではまったくしてくれなかった。
押し付けられる仕事の量は相変わらずで、むしろ誰がやってもいいような雑用がさらに増え、木乃香本人があれこれと調べたり手配したりする余裕もない。たぶん、嫌がらせの一環だったのだろう。
さらに、渡された出張費用は最低限かそれ以下である。
男なら、多少環境の悪い安宿でも野宿でも、なんとかなるだろう――少なくとも図太い統括局の面々なら、なんとかしそうだ――が、女性な上に旅慣れていない木乃香には、普通に考えて無事にたどり着けるかどうかも怪しい額だった。
ちょうどシルベル領に行く仕事があったヴィーロニーナ商会の商隊に同行させてもらえなかったら、かなり困った状況だったに違いない。
ここのところ、国内の治安はあまりよろしくない。
戦の噂に加えて物流が滞り急速に景気も悪くなっており、なんとなく荒んだ空気が漂っている。
とくに王都から北、国境のシルベル領までは顕著で、商隊の主であるルツヴィーロ氏自ら馬車に乗っているのも、それが理由のひとつだ。
彼が身に着けているのは、白に近い灰色の外套。木乃香と同じ、“下級魔法使い”であることを示すマントである。
ここの夫婦、商人と官吏の組み合わせというだけでも珍しいのに、ここまで“魔法使い”の階級差が大きく、しかも男性の方が低いというのは他に聞かない。
……もし理由をたずねたら、恥ずかし気もなく「愛ゆえだよ、愛!」と壮大な愛のお話付きで返ってきそうなので、あえて聞かないが。
「わたしは商人だから、普段はあんまり着ないんだけどね。これを見ただけで馬車を襲うのを思いとどまってくれる輩も居るから、仕方ないよねえ」
だから、“魔法使い”の君がそこにいるだけで、こちらは助かってるんだよ。
そう彼に言われたときは、びっくりした。
“魔法使い”の資格を持つ者の中では、“下級”は軽んじられ嘲りの対象にもなる。
しかし、“下級”であっても正規の“魔法使い”と、その資格を持たない、あるいは持てない者たちとの差は、さらに大きいのだ。
地方に行けば行くだけ、“魔法使い”の数が少なくなればなるだけ、“魔法使い”は、その階級がなんであれ、脅威となる。
とはいえ、馬車に乗せてもらえたどころか、乗車賃はもちろん宿代、食事代も無料というのは、高待遇すぎて恐縮してしまう。
だって、彼女の座る場所を作るために、いくつか積み荷を減らしてさえいるのだ。
「むしろ護衛としてこっちがオーカさんに給金あげなきゃいけないくらいだと思うよ」
「いえいえさすがにそこまでは!」
「謙虚だねー。まあ、仮にも中央の官吏サマをお金払って雇うっていうのは無理があるかな。袖の下はよく要求されるんだけどね」
「………」
まったく悪気のない調子で言われても、木乃香には返す言葉がない。
うちの上司あたりなら、当然のようにやりそうだなと思ってしまったのだ。
彼女自身はそんな事をした覚えはないし、内向きの仕事が多いのでそもそもそんな機会すらないのだが。
「ともかく、ちゃんとシルベル領まで送り届けてあげるから、君は安心して座ってなさい。なにしろ、うちの奥さんの久々のお願いだからねえ。張り切っちゃいますよ」
……ほんとうに、ニアナさまに出会えて良かった。
木乃香が、こっそりと息を吐きだしたときである。
「わんわん!」
木乃香の足元にお座りしていた黒犬が、急に吠えた。
街道の前方に土属性の罠魔法あり。その向こうに罠の製作者が隠れているよ。と、魔法探知犬は教えてくれる。
「ええ? 王都を出たばっかりだよ!?」
「ああうん。そういう事もあるよねえ」
自分の使役魔獣の様子に慌てる木乃香だが、商隊の主は平然としたものだ。
「場所は?」
「あ、はい。罠は、大きな木が街道まで枝を伸ばしている、あの下です。製作者は、その木の向こう。岩がごつごつ出ているあたり」
「へえ。まだけっこう離れてるけど、分かっちゃうんだね」
のんびりと応じたルツヴィーロは、しかしいつの間にかその手のひらに、頭の大きさほどの水の玉を作り出している。
そして軽い仕草で、前方の木陰めがけてぶんと放った。
意外な飛距離と異常な速さ、加えて的確なコントロールでもって大木の向こう側に落ちて行った水球。
そのすぐ後、ぱしゃんという軽い音と、複数の悲鳴が風に乗って聞こえてきた。
「ときどきいるんだよねえ。うちが仕事を取ったのを逆恨みして邪魔しようとする同業者が」
ルツヴィーロが手で合図すれば、並走していた護衛たちが現場へと馬を走らせる。
そしてずぶ濡れの襲撃者たちをてきぱきと引きずり出し拘束していく。屈強だが魔法が使えないらしい護衛たちは、しかし素晴らしい手際だった。
それにしても賊が妙に大人しいなと思ったら、あの水の玉にはしびれ薬が仕込んであったらしい。
「逃した仕事を未練がましく追っかけてるヒマがあったら、さっさと次に行けばいいのに」
だからうちに負けるんだよ。
水溶性の毒のような言葉ををさらりと吐いてから、彼はくるりと木乃香を振り返った。
「とまあ、こんなこともあるけど大丈夫だから。慣れてるし」
「はあ……お世話になります」
「うん。こちらこそ、よろしく。うちの奥さんに聞いてたけど、本当にすごいねえ君の使役魔獣。あんな雑魚……いや、ささやかな罠魔法もわかっちゃうんだね」
褒められて、二郎がぴこぴこと誇らしげに尻尾を振った。
膝の上に乗せて背中を撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。
捕まったのは、魔法力はあっても“魔法使い”にはなれなかった者。
その土属性の罠は、近くを通ったときに魔法を発動すれば地面が盛り上がり、馬の足や車輪などに絡みついて身動きが取れなくなるという、地味だがちょっと厄介なものだ。
馬車を全速力で走らせればそのまま通り過ぎることもできる、威力の弱い魔法である。しかし弱いからこそ、なかなか感知できずに捕まってしまう場合もあるのだという。
街道沿いに出没する賊もよく使う手だねーと、ルツヴィーロはのほほんと笑った。
魔法使い未満の者たちは、富裕層に護衛として雇われる場合がある。
それよりは少ないが、街道で他人の金品を奪い取る賊に身を落としてしまう者も、少なからずいるのだという。
「うちの奥さんの紹介なんだから、いい娘なのは間違いないんだけど。そうだ。お役所仕事が嫌になったら、うちの商会で働かないかい?」
「……あの、ええと、それより」
「うん?」
ぱかぽこ、ぱかぽこと馬車は進む。
待ち伏せの発覚から賊の拘束、罠の無効化まで、荷馬車を引っ張る馬の歩みはまったく乱れていない。
それは、縄でぐるぐる巻きにされた数名の男たちの前を通過しても、変わらなかった。
「……あの人たち、どうするんですか?」
「アレ? ああ、放っておくよ。面倒くさい」
にこにこ、平和そうな笑顔を浮かべるルツヴィーロ氏。
言葉の通り、護衛たちも何事もなかったかのようにもとの配置に戻っている。
「突き出してもいいんだけど、軍務局はいま忙しくてそれどころじゃないだろうし、これのせいで王都に引き返すのも嫌だし、こんなことで護衛は割きたくないしね。彼らも、まあ死にはしないでしょ。……繰り返し襲ってくるようなら、こんなもんじゃ済まさないけどね、もちろん」
彼の言葉に、しびれて動けないはずのならず者たちがふるりと震えたような気がした。
最初こそ気になって仕方がなかった木乃香だが、さすがに何回も同じことが起これば慣れて来る。
なるほど、これは確かに面倒くさい。
いちいちきっちり対処していたら、いつまでたってもシルベル領にたどり着けないかもしれない。
今日もぱかぽこと馬車は進む。
木乃香を乗せて。この上もなく順調に。




