どんな仕事とお国事情・5
前話で、少し修正をしております。話の内容は変わりません。
シルベル領ジンク ⇒ シルベル領リュベク
出向命令書 ⇒ 出張命令書
すみませんが、ご了承ください。
ジント・オージャイト。
マゼンタ王立魔法研究所の研究員であった彼は、現在フローライド王城に勤務する中央官である。
研究所で木乃香の就職内定が知られて間もなく。
相変わらず何を考えているのか分からない無表情―――いや、少しだけ得意そうな顔で、彼は似たような内定の書類を皆の前で広げてみせたのだった。
「中央に戻ってきたら」と軽い感じで誘いをかけていたジェイル・ルーカも、この早業にはびっくりしたらしい。
別に、木乃香に対して何かしらの責任を感じているとか、目下の研究対象に逃げられたら困るとか、単にそういうことでもないらしい。要因のひとつではあるのだろうが。
なにしろ、彼の転職先は学術局所属、王城内の大書庫の管理人。
書物の管理や修復が主という“地味”な仕事で、中央の官吏たちの間では“閑職”と呼ばれ嫌がられている。
ほとんど人が来ず、あえて人に接する必要もなく。
しかし禁書だろうと何だろうと貴重な資料は読み放題。
まさしく、ジント・オージャイトにはぴったりのお仕事であった。
そしてこの書庫。
木乃香たちヒラ官吏が面倒くさい仕事や上司から逃げる避難場所としても、たいへん都合の良い場所だった。
ひと気はないが、そのぶんどこぞの長官さまのように無駄にうるさい人も来ない。
むしろ、出世コースから外れた人や権力争いに負けた人が行く場所というイメージがあるために、どこぞの長官さまは近寄りもしない。
もちろん、仕事で必要な書物を取りに来ることもあるし、管理人に手伝ってもらって資料を探すこともある。
そのついでにちょっと息抜きしても、罰は当たらないはずだ。
在籍している書庫の管理人は、それなりに居る。
が、真面目に出勤しているのはジント・オージャイトを含めたほんの数名だ。
机も椅子も余っているし、他部署からの避難者のひとりやふたり、居たところで仕事の邪魔でさえなければ誰も文句は言わない。
むしろ滞在費を兼ねた甘いお菓子や軽食の差し入れは、とてもありがたいのだ。
泊まり込むほどに仕事熱心(?)で、仕事場からちょっとも出たくない筋金入りの引きこもりであるジントにとっては、特に。
なので、彼もまた木乃香たちを迷惑に思ったことはなかったのだが。
「―――というわけで。シルベル領に出張することになりました」
勝手知ったる給湯室でお茶を淹れ。持参したお茶菓子をつまんで。
まるで他人事のようにのほほんと話す彼女には、さすがのジント・オージャイトも「いやお茶飲んでる場合じゃないだろう」と文句を言いたくなった。
「何だそれは。統括局長官は本気で言っているのか。いや、そもそも正気か」
眉間にしわを寄せて、彼は呟く。
こちらに話しかけているのか独り言か、相変わらずよく分からない平坦な口調である。
「どうしてこうなった。ジェイル・ルーカは何をやってるんだ」
「うーん。うちの長官さまからはいろいろ言われましたけど、正直さっぱり分かりません。ルカ先輩は真っ青になって新たな脅威が、とか魔王降臨がどうとかぶつぶつ言ってたみたいですけど」
「……なるほどな」
質問されているようだったので、ありのままの様子を答えてみたのだが。
………いったい、どの辺が「なるほど」なのだろうか。
なんだろう“魔王降臨”って。やっぱりこの異世界には恐怖の大魔王のような存在がいるのだろうか。
上司も先輩も、そして目の前の書庫の管理人の反応も、木乃香にしてみればまったく意味不明だった。
「それで。マゼンタに帰ることにしたのか?」
「へっ? いえ帰りませんけど?」
彼女は本気で首をかしげる。
そんな彼女の様子を見て、ジント・オージャイトも本気で首を傾げた。
「何故だ。そこは帰るだろう」
「ええー………」
実はジェイル・ルーカにもほかの同僚たちにも、同じことを言われた。
むしろ勧められたのだが。
「任された仕事が嫌だから帰りますーって、できるわけないじゃないですか。どれだけ仕事なめてるんですかそれ」
「………いや」
もしかして、そんな人間だと周囲から思われているのだろうか。
自分なりに仕事を頑張ってやってきたつもりなのだが。
ちょっとショックを受けたような木乃香に、ジントは内心でため息をつく。
実は、彼女いわくの“仕事をなめている”役人は、残念なことに珍しくない。
自分の子供や被保護者の人事に口出ししてくる“親馬鹿”だっている。
大抵は生まれつきの“王族”かその親族で、現在とくに横暴なのが現国王の親戚筋だった。国王陛下本人は、身内びいきなどしていないのだが。
というか、あのお方も贔屓はするのだが、贔屓の基準はいまいち謎だ。
ジントも、そしてジェイル・ルーカも、そんな状況がおかしいと思っていないわけではない。
しかし、今回に関してだけは別だ。
「気持ちは分からないでもないが。それでミアゼ・オーカに何かあった場合、黙っていない連中がいるだろう」
彼らが危惧しているのは、そこだ。
とくに恐ろしいのが、彼女の保護者ラディアル・ガイル。
彼を見て、「あれが“親馬鹿”というモノなのだな」とジント・オージャイトは納得したものだった。
なるほど言葉や行動が常と違って馬鹿っぽいな、と。
本人には絶対に言わないが。
よく分からない理由で――納得できる理由があっても、かもしれないが――義娘が戦にでも巻き込まれようものなら。
そしてそれを、あの過保護者が知ってしまったら。
……たぶん絶対に暴れる。
腐っても親馬鹿でも、相手はフローライド屈指の最上級魔法使い。
しかも、世にも恐ろしい武器を召喚して自ら振るう攻撃特化の肉体派である。
辺境マゼンタの研究所周辺に広がる荒野で魔獣相手に八つ当たりするくらいならともかく、万が一王都フロルか、サヴィア王国との最前線で怒りに任せて暴れた場合、ちょっと被害の予想がつかない。
いや、考えたくもない。
ラディアル・ガイルだってもちろん分かっているはずだ。
が、何しろ“親馬鹿”である。何をしでかすかわからない。
―――ところで。
ここにもジェイル・ルーカから「あんただって立派な保護者面してるんですけど」と呆れられている男がいるのだが。
「もちろん、危ないことなんてしませんよ。したくないし」
男の前で、木乃香は笑いながら「文官ですからー」とひらひら手を振る。
能天気にもほどがある、とジント・オージャイトは眉をひそめた。
文官と言えど魔法使い。いざ戦になったら、敵が見逃してくれるわけがないのに。
「最前線だぞ。行く場所がすでに危ないだろう」
「大丈夫ですよ。さっと行って、調べること調べたらさっと帰ってきますよ」
「調べる……まさか、サヴィア軍をか?」
「いえいえまさかー」
さすがにそれは無理だろう。木乃香が苦笑する。
幸い、命令書にはシルベル領リュベクに行けと書いてあるだけだ。密偵の真似事をやれとまでは書いていない。
言ってみれば、上司が勝手に喚いているだけに過ぎないのだ。
まあ、個人的にあちらにちょっと気になることはあるのだが。
「……何を企んでいるんだ」
「なんでそうなるんですか。企んでませんから」
じとっと睨んでくるジントに、木乃香はわざとらしく肩をすくめてみせた。
そもそも、魔法大国と呼ばれるフローライドの砦を、魔法を使って圧倒したサヴィアである。どこぞの長官様じゃあるまいし、小さいだけの使役魔獣で内情が探れるとは思っていない。
「だいいち、サヴィア軍の情報って、専門機関だって上手く情報を集められてないんでしょう?」
「うむ? それをどこから」
「ルカ先輩からですけど」
「………」
「わたしみたいな素人が出て行ったところで、何が出来るっていうんですか。ねえ?」
「……………」
仮に、何らかの機密情報を手に入れたとして。
彼女の上司であるあの統括局長官がそれを有効に使えるかというと、これも怪しい。
別にあの上司から褒められたいわけではないが、役に立ったところで妬みの入った嫌味を言われるに決まっている。
うん、ろくなことがない。
やっぱり冗談でも密偵ごっこは止めておこうと改めて決意した木乃香は、話し相手が随分と黙り込んでいることに気が付いた。
「ジントさん?」
「……………そういえば」
その間に何を思ったのか、彼の無表情からは読みとることができない。
が、自分の考えに没頭するとぶつぶつ独り言を呟いたり黙り込んだり、けっこう唐突に始めるのがジント・オージャイトなので、木乃香はあまり気にしなかった。
「シェブロン・ハウラが帰ってきているらしい。シルベル領に行くなら、現地の話を聞いていったらどうだ」
「シェブロンさん……?」
木乃香はあっと声をあげた。
シェブロン・ハウラ。
彼も、もとマゼンタ王立魔法研究所の研究員だった男である。
木乃香より年下だが兄貴分の魔法使い見習い、クセナ・リアンの師でもあった。
シェブロンが研究していたのは召喚術。自身も召喚魔法の使い手である。
彼の持つ植物の蔓のような、触手のような使役魔獣“草”は、地中にこっそりと潜むことができ、どこでもうねうねと侵入できる特性を持つ。
その辺を評価されて、彼は中央へ移動になったのだ。
自分の召喚した使役魔獣に活躍の場があるのは嬉しい。が、研究所を出てしまえば、今までのように周囲を気にすることなくなりふり構わず、研究に没頭することはできなくなる。
この異動、普通に考えれば栄転なのだが、本人にしてみれば微妙なところだ。
「そうか。シェブロンさん、諜報部に行ったんでしたっけ」
「しばらく国境付近の様子を探っていたらしい」
「……よく知ってますね。部署が違うのに」
クセナもときどき手紙をやり取りしていたようだが、職務上の問題と自分の魔法や使役魔獣の話以外になると途端に筆不精になる性格から、あまり返事は来ないと言っていた。
地方回りが多いので、クセナの手紙が本人のもとに届いているかも怪しい。
しかし、たまに変なお土産品は弟子あてに届くようで、少し困ったように、少し嬉しそうにしているクセナと、「きゅおうー」と楽しそうに鳴いていた使役魔獣のルビィが微笑ましかったのを、木乃香は覚えている。
「召喚魔法ひとつとっても、ここフローライドの主流と他国とはまた違う。シェブロン・ハウラとは変わった召喚魔法や召喚陣を見つけた場合、お互いに連絡を取り合うようにしているんだ」
当然だろう、と胸を張るジント・オージャイト。
魔法の種類や召喚陣の状態などはもちろん。いつ、どこでその魔法を見つけたか、それはもう事細かに報告があるので、なんとなく近況も分かるのだという。
諜報部って、これでいいのだろうか。
もっとこう、行動を秘密にしているものじゃないんだろうか。
「何を隠そう、二日後に意見を交換する予定だ」
「……そうですか」
そう、ここにも居るのだ。
普段はそうでもないのに、魔法や使役魔獣の話になると途端に饒舌に、積極的になる魔法使いが。
「というわけで、ミアゼ・オーカも来るといい。ああ、もちろん使役魔獣も連れて来るんだぞ」
「えー……」
言われなくても、たぶん木乃香の使役魔獣たちはついて来るだろう。
あの使役魔獣たちは、見た目はぽやぽやでも紛れもなく使役魔獣である。常日頃から、彼らは必ず二体は護衛役としてくっついていた。
それも、その日に誰が付くかはちゃんと五体みんなで話し合って決めているようだ。
まあ、王城内に大した危険があるわけでなし、多少離れていてもすぐに呼び出せるので、常に張り付いている必要はないのだが。
そこはストレス社会で癒しを求める木乃香と、隙あらば主に構って欲しい使役魔獣たちとの希望が一致した結果であった。
ジント・オージャイトだって、たぶん彼なりに心配してくれているのだろう。
が、しかし。
………面倒臭そうだなあ。
安定の無表情ながらなんだがわくわくしているっぽいジント・オージャイト。
彼を見ながらついそう思ってしまった木乃香は、たぶん悪くない。
☆ ☆ ☆
『――――ところで。
いろいろありまして、仕事で出張することになりました。
シルベル領のリュベクというところです―――』
「………はぁ」
手紙を眺めながら、シェーナ・メイズはため息をついた。
彼女の可愛い妹分であるミアゼ・オーカは、異世界から迷い出た“流れ者”だ。
しかし文献に残る他の“流れ者”たちと同様、最初から、こちらの言葉で会話ができれば文字だって書けた。
ただし、ぼーっとしていると、もといた世界の文字が混じってしまうこともあるようで、気が抜けないとも話していたが。
こちらの筆記具も、彼女にとっては使いづらいようだ。
時間がかかったのだろうなと思わせる丁寧な文字。ところどころインクが滲んでいるのはご愛嬌だ。
それでも一生懸命手紙を書いて送ってくれるのを、シェーナはとても嬉しく思っていた。
しかし。
今回の手紙に関しては、どうしたものかと頭を抱えてしまう。
お元気ですかわたしは元気です、という定型句で始まった手紙。
それは、いつものように王都のお天気や街の話、当たり障りのない仕事の話、研究所の皆がちゃんと寝ているのかご飯を食べているのかという、出稼ぎの息子を案じる母親のような、けれども的確な心配をして。
最後に、いきなり出張の話が来た。
こっちが心配しないようにと配慮はしたのだろう。
そしてどう書こうか迷ったのかもしれない。
だからといって、「いろいろありまして」だけで済ませるのはどうなのだ。
これでは素っ気なさ過ぎて逆効果である。
何があったんだと勘繰って、余計心配になってしまう。
さすがにマズイと思ったのか、滅多に手紙を寄越さない弟ジェイル・ルーカも、転移の魔法陣を使った高額特急便で手紙を寄越してきた。
しかしこちらも内容は薄く似たり寄ったりで、「絶対オレのせいじゃないから」「どうしようもなかった」という言い訳が増えているくらいだ。
もちろん、弟への返事は無しだ。ラディアル・ガイルにそのまま手紙を見せないだけ優しいと思って欲しい。
シェーナあてに送られてくる手紙を、彼女以上にやきもきしながら待っているのが、オーカの師である魔法研究所所長ラディアル・ガイルである。
彼女は、自分の師匠あてには手紙を送って来ないのだ。
言ってみれば、これもオーカなりの配慮である。
書類の山から数か月前の重要書類や手紙など――しかも未開封――が当たり前のように見つかり、そして当たり前のようにけろっとしている執務室の主を間近で見て来た彼女である。
手紙を送っても読んでくれないだろうな、迷惑だろうな、と思うのは当然のこと。
そして、読まない確率の高い手紙をわざわざ書いて寄越すほど、彼女も暇ではない。
悪いのはラディアル・ガイルの日ごろの行いである。
恨めし気にシェーナと手紙を見比べている暇があるなら、変に意地を張ってないで自分から手紙を出してみればいいのだ。
……その辺に埋もれ放っておかれている書類と自分の手紙の価値を同等に考えている時点で、オーカも大概だと思うのだが。
シェーナに出来るのは、手紙に書かれた内容を伝えてやるくらいがせいぜいだ。
いつも「お師匠さまによろしく」という文章を添えるオーカだから、彼女はそれも見越しているのだろう。
でもしかし、である。
「コレを、所長にどう“よろしく”伝えろっていうのよ……」
頭を抱えても、特大のため息をついても、文面は変わらない。
途方に暮れて机の上に突っ伏しかけたときだ。
「ぴっぴっぴいーっ!」
小さな、けれども甲高い鳴き声が響いた。
開け放した窓辺に、黄色い小鳥がちょこんと止まっている。くりっとした赤い目が、じっと彼女を見つめていた。
「……ああ、ごめんねサブロー。返事待っててってお願いしたんだったわね」
「ぴっぴい」
はやくはやく、と急かすように、ぱたぱた羽を動かす三郎。
問題の手紙を王都フロルから運んできたのは、この使役魔獣第三号であった。
この小さな体と小さな翼のどこにそんな力があるのか。
さすがに転移魔法陣を使って王都から送られてくる“速達”には敵わないが、この小鳥は民間の配達業者より格段に早く手紙を届けてくれる。しかも当たり前だが無料だ。
小さいので手紙くらいしか運べないが、逆に言えば手紙のやりとりくらいならこれでじゅうぶんである。
召喚主から離れてのお役目は、さぞかし大変だろうと思いきや。
もともと空のお散歩が大好きなこの使役魔獣は、この“遠出”も結構楽しんでいるようだった。
「返事……うーん、返事、ねえ……」
「ぴぃー」
ついいつもの調子で「すぐに書くから待っててー」と気楽に引き留めてしまった。
三郎にしても、研究所には顔見知りも多いし、いろんな人にたくさんちやほやしてもらえるので、普段は快く待っていてくれるのだが。
「ルカの手紙からして、オーカはもう出発してるのかしら」
「ぴぃ」
「そっか。サブローは早く合流したいのよね」
「ぴっぴーっ」
ひときわ元気に囀る小鳥。
何を言っているのかは皆目わからないが、その声や態度が非常に分かりやすいのが三郎だった。
……この使役魔獣たちがついている限り、オーカは大丈夫だ。
本人だってフローライドの中央官を務める、立派な社会人。
多少の理不尽や困難は、ものともしないはず。
だがしかし、そうは思っても心配なものは心配なのだ。
だって隣国サヴィアとの最前線である。
「……ねえ、サブロー。ちょっと、お願いしてもいいかしら」
黄色い小鳥は、ぱたたっと羽ばたいて彼女の肩に止まる。
そして、なあに? とでも言いたげに、ちろりと首を傾げてみせた。
次はサヴィア側のお話になる予定です^^ ⇒ フローライド側のお話になりました(^^;)




