どんな仕事とお国事情・4
「貴様など前線送りにしてやったわ! そんなに優秀なら、きりきり働いてフローライドの役に立ってみるのだな! ふはははははっ」
高笑いのおまけ付きで上司の口から放たれた騒音に、木乃香は無言で首を傾げた。
この人は、これまた突然何を言っているのかと。
統括局長官タボタ・サレクアンドレが持っているのは、出張命令書である。
場所は、シルベル領リュベク。出張するのはミアゼ・オーカ。つまり、木乃香ひとりだ。
そこへ行って働いてこい、ということらしい。
にやにやと笑いながら突き出された命令書に、ぽかんとしている本人よりも周囲の同僚たちが驚いていた。
木乃香の背後に居たジェイル・ルーカが、うわ言のように呟く。
「リュベク……よりによってなんでリュベク」
シルベル領というのは、辺境と呼ばれるマゼンタ領の東隣。
旧アスネ、つまり現サヴィア王国と接している国境の領地だった。
リュベクはその中でも国境近くの小さな町だ。
本来であれば国境までに大小いくつかの集落と砦の町レイヴァンがあったが、すでにサヴィアに落とされてしまっている。
リュベクの先は、もうサヴィア王国の支配下なのだ。
現在はなんとなくの休戦状態とはいえ、なるほど最前線である。
「………はあ」
当然ながら、木乃香はそこへ行ったことがない。
いまいちピンと来ないので、少しばかり首をかしげつついつも通りの曖昧な返事をした。
反応が薄いことがお気に召さなかったのか、他に嫌なことでもあったのか。長官はいっそう眉間にしわを寄せる。
「きさま、余程わたしの下にいるのが嫌だったようだな」
「……はあ。あ、いえ」
「よりによって学術局の長に媚を売っていたようではないか!」
「………はい?」
「今朝、学術局の長官に出くわしたのだ!」
ああなるほど、と木乃香は少し納得した。
朝っぱらから天敵に遭遇するとは、なるほど機嫌が悪いわけである。
しかしその天敵・学術局長官に木乃香が媚を売っていたとは、どういうことだろう。
かの長官はとても仕事熱心で、用があるとき以外は学術局の長官執務室に籠ってほとんど姿を見せないと言われている。同じ長官職でも、執務室に居ることのほうが珍しいどこかの長官さまとは大違いだ。
加えて、新人のヒラ官吏である彼女には高官たちが集まるような場所への出入りは許されていないし、近寄りたいとも思わない。そんな暇もない。
噂だけなら、主に目の前の上司からよく聞いている。
といっても内容はほとんどが根も葉もない、ただの悪口か妬みか僻みだ。
口と素行は悪いが魔法力と権力はピカ一というタボタ・サレクアンドレにここまで敵認定され、しかも張り合っているくらいだ。きっとたぶんすごい人なのだろう。
―――木乃香の学術局長官の認識といえば、この程度だ。
あとは、面倒くさい人に睨まれて気の毒だなあ、とこっそり同情しているくらいで。
同じ長官職なら、学術局長官の好感度は間違いなくタボタ・サレクアンドレより上だが。
要するに、木乃香はその実物に会った事がない。顔すらも知らなかった。
これでどうやって媚を売ったというのだろう。
ジェイルたち同僚にちらりと視線を送るが、みんな首をすくめるか傾げるかするだけだ。
そんな部下たちの困惑をよそに、その上司はいっそう大きな声で怒鳴った。
「あの者、わたしに何と言ったと思う!?」
怒りのあまり真っ赤にした顔でふらりと右足を持ち上げたかと思えば、どすんと音を立てて踏み下ろす。
血圧の上がり過ぎでふらついたのかな、と少し心配になったその直後。
床と靴との接点から、白く光る魔法陣がぶわりと広がった。
「わたしの、この、最高傑作を木偶の坊と抜かしたのだ!」
多角形の中に緻密な文様が描かれた召喚魔法のための陣。
そこからぬるりと湧いて出たのは、長官ご自慢の使役魔獣だった。
人型の使役魔獣、全身鎧のその名も“ヨロイ”は、大仰に勇まし気に、やたらと大きな剣を胸の前で掲げて見せる。
がっしょんという、少し間の抜けたような、ちょっと寂しげな音とともに。
「体がでかいだけの、その辺のハリボテと一緒にされてたまるか! この“ヨロイ”は御前に召喚するのも許された使役魔獣だぞ!」
長官が自慢するのも、分からないわけではない。
大きくて強いのが、優れた使役魔獣と世間では言われている。
が、王城に持ち込むとなると、それだけでは足りない。
頻繁にお城を壊されてはたまらない。危険な魔法が規制されているのと同様に、むやみやたらに暴れたり周囲に迷惑をかけたりしない――木乃香の言葉で言うなら、ちゃんと“しつけ”がされた――使役魔獣でなければ許可が下りないのだ。
体の大きさと力の強さ、見た目の怖さ。そして王城への出入りを許される程に制御された“ヨロイ”は、世間的にとくべつ優秀な使役魔獣と言えるだろう。
主に似ず良い使役魔獣だと、木乃香も思う。
召喚主の命令をちゃんと聞く従順さと、その主からの命令が無ければ周囲に迷惑をかけない賢さ、ついでに木乃香の使役魔獣たちと(こっそり)仲良くしてくれる機転と思いやりまでヨロイさんは持っているのだ
ちなみに、木乃香の使役魔獣たちだって、許可を得てこの城内に居るわけだが。
全員が全員、彼女が説明するまでもなくひと目見られただけで許可が出た。
理由は、どう頑張っても周囲に害を与えられそうにない見た目であったこと。
許可を出す役人に「こんなモノを持ち込んでどうするんだ」と聞かれたとき、「仕事中の癒しなんです!」と彼女が断言したことに理解と同情が得られたこと。
それから、役人側が「こんなちまっとしてぽやっとした使役魔獣たちにびびって許可を出さなかったと周囲に思われたらイヤだ」と体裁を気にした、というのもあったようだった。
………まあ、それはともかく。
ばしばしと自分の使役魔獣の小手を叩きながら、タボタ・サレクアンドレはさらに続ける。
「多少の魔法攻撃などびくともしない頑強な体に、その一振りで岩をも砕く大剣とそれを振るうに適した剛腕、しかしながらもこの重量に見合わぬ俊敏さ! 何より泣く子も黙る威風堂々たる姿! これほどの使役魔獣は、魔法大国フローライド中を探してもなかなか見つかるまいというのに!」
これが優れた使役魔獣です、という見本のような使役魔獣が“ヨロイ”だ。
フローライドで良い使役魔獣と評価されるその全てを、ヨロイは持っている。
同じ召喚魔法を使う魔法使い相手であれば、なるほど自慢したくもなるだろう。
しかし。
「わたしの使役魔獣の良さも分からんとは! どれだけ節穴なんだあの女!」
ここ、中央の統括局という文官しかいない部署において。
長官が力を見せつけるためだけに召喚される彼は、羽ペン一本、書類一枚持ったことがない。
その強い力も、ごつくて頑丈な鎧も、重く大きな剣も、そして威圧的な見た目も、まったく役に立つことはなかった。
そう。まことに残念ながら、役に立たないのだ。
大人しく、しかし勇ましく背後に控えていながらも、実はヨロイさんが自らの存在理由について密かに悩んでいるのを、木乃香は自分の使役魔獣経由で知っていた。
使役魔獣の心、召喚主知らず。
タボタ・サレクアンドレは吐き捨てるように言った。
「きさまの使役魔獣なんぞが! いいとあれは言うのだ!」
「………」
木乃香は、何か言いたいけど言いたくない、といった微妙な顔つきをした。
そりゃそうだろうな、と他の誰かがひっそり呟く。
呟きが聞こえたのか微妙な空気を読み取ったのか、騎士姿の使役魔獣の肩がしゅんと下がったかのように見えた。
「羨ましいとさえ口にしたのだぞ。あれが、私に対して! こんな使役魔獣を持つ部下を持っているわたしが羨ましいと! おのれわたしをこうまで愚弄するとは……っ」
「……はあ」
「あげく、きさまのような下級魔法使いを学術局に譲ってほしいとまで言い出す始末だ! 下級魔法使いなんぞを部下に持たねばならんわたしへの当てつけか! 信じられん! そうまでしてわたしを貶めるかっ」
「……………」
いやどうしてそうなる、とまた誰かがこっそり突っ込んだ。
もともとあまり人の話を聞かない長官さまには、これも聞こえなかったようだ。
……統括局長官タボタ・サレクアンドレには、困ったクセがある。
自分の気に入らない、あるいは敵視しているような者だった場合、その相手の言葉はとことん悪い方へひねくれた解釈をする。そして一方的に悪感情を増大させてしまうのだ。
敵に塩を送られても、それを毒でも入っているんじゃないかと疑い決めつけ、「なんと卑劣な!」と声高に叫んで当たり前のように突っ返す。
逆にどんなに見え透いた、下心満載のお世辞でも、それが味方だと判断した者の言葉であれば素直に受け止めて、上機嫌になったりもする。
一部では非常に扱いにくいが、一部では非常に扱いやすいのがタボタ・サレクアンドレであった。
どういう理由かはわからないが、もしかしたら学術局の長官はほんとうに木乃香を褒めてくれたのかもしれない。
が、聞かされたのは天敵の学術局長官から。
褒めた対象が“下級”魔法使い。
自分が取るに足らない、むしろ役立たずと決めつけていた部下だったものだから、タボタ・サレクアンドレはいたく自尊心を傷つけられ、全部が全部嫌味だと受け取ったようだった。
もし彼の言う通り、これらが彼を嫌な気分にさせたいが為だけの言葉だったとしたら、あちらの長官もこちらの長官に負けず劣らず相当ねちっこい、いや徹底した性格の持ち主ということになる。
……なんて迷惑な。
仲良くしろとは言わないが、他人を巻き込んでまでケンカしないで頂きたい。
「そこでだ!」
木乃香と周囲の同僚たちがちょっと遠い目になったところで、長官さまはいっそう大きな声を上げた。
「ミアゼ・オーカ! きさまが優秀だというのなら、まずはそれを上司であるわたしに示すべきだと思うだろう!」
ええー、とまた誰かがうんざりしたように呟く。
出張命令書を突きつけられた木乃香は、とりあえず突きつけられた命令書を渋々ながらも受け取って、読んでみた。
しっかりと統括局長官印と直筆サインがされたそれは、文句の付けようがない正式なものだ。
作成したのが学術局の長官に遭遇した今朝なのか、あるいはその前からなのか。前者だったとすれば、驚きの仕事の早さである。
「これまで大人しかったサヴィア王国軍に動きがあるとの情報が来た。ミアゼ・オーカ! きさまはシルベル領へ行き、サヴィア側の様子を探ってくるのだ!」
「………あの、長官」
横から命令書をのぞいていたジェイル・ルーカが、さすがに口を開いた。
後輩に教えた通り、彼が上司の前で「はい」と「いいえ」と「おっしゃる通りです」以外を口にするのは、非常に珍しいことだった。
しかも、なんだかとても深刻な顔つきをしている。
「あちらの様子を探るのは、軍務局の諜報部の仕事では?」
「軍務の脳筋馬鹿共に任せておけぬから、ミアゼ・オーカが行くんだろうが!」
「いや、えっと……」
ところで、タボタ・サレクアンドレは軍務局の武官たちとも仲が悪い。
でかい騎士姿の使役魔獣を召喚し国王のそばにナメクジのように張り付いては警護の邪魔をして、そのくせ近衛を嘲り「当てにならない」と言い放つ文官を、本職の武官たちが快く思うわけがないのだ。
それはそれとしても。
新人のいち文官が前線に行くこと自体がすでにおかしいと、彼は気付かないのだろうか。
何か考えがあるのか、何も考えていないのか。
タボタ・サレクアンドレは堂々と分厚い胸と分厚い腹を張って、言い放った。
「きさまの使役魔獣なら、小さすぎて見つかることもあるまい。うははははっ」
「………」
もう、突っ込みの言葉も出て来ない。
さすがにこの上司の能天気な高笑いには、「はい」も「いいえ」も「おっしゃる通りです」も、誰も言う気にはなれなかった。
11/16変更いたしました。すみません。話の内容は変わりません。
シルベル領ジンク ⇒ シルベル領リュベク
出向命令書 ⇒ 出張命令書




