どんな仕事とお国事情・3
今回は短いです。
主人公不在でお送りします。
「そんなに魔法が使いたいなら、最前線に行けばいいんじゃないですかね?」
そんな呟きを聞いたとき、思わずぽんと手を打った人がいた。
ああ、その手があったか、と。
かなり離れているので、たぶん向こうには気付かれていないだろう。
そもそも、聞こうと思って聞いていたわけでは無いのだ。
城下を散策するとき、自らの魔法を使って広範囲に注意を払うのはいつもの習慣。たまたま広場が騒がしかったので、少しそちらに意識を向けたら聞こえて来ただけで。
欲を言えばこの意見――言った本人は単なる独り言のつもりだろうが――は、戦が膠着状態になる前に聞きたかった。
サヴィアが攻めて来る前か最中なら、陛下を丸め込………説得して、まとめて問答無用で飛ばしてやったものを。
今でもサヴィア王国軍とにらめっこを続けている国境付近は、魔法使いがいくら居ても足りないのに行きたがる魔法使いは少ないのが現状だ。
こちらは腐っても魔法大国。実際使いものになるかどうかは別として、国境に魔法使いを少しでも多く配置できていれば、向こうも警戒してもっと慎重になったかもしれない。
でもって、怖い体験のひとつふたつを経た魔法使いの、甘ったれで身の程知らずで考え無しの性格がたたき直されればなお良しである。
「……まあ、そんな上手くは行かないだろうけど」
相手はいい年した大人。
簡単に矯正できるものなら、今頃とっくに矯正できていただろう。
なにより、一緒に戦わねばならない自国の兵たちがかわいそうである。
「情けない」
ため息がこぼれるのは、もはや日常茶飯事だ。
ほんとうに、情けなくて泣けてくる。
同じ“魔法使い”である彼らの所業に。
そして彼らの所業を止めることすらできなかった、自分自身に。
☆ ☆ ☆
「まあまあニアナ奥様、おひさしぶりですねえ!」
カナッツの屋台の女主人ジレナが、嬉し気な声を上げた。
消炭色の衣の上に落ち着いた葡萄色の大きめのガウンをゆったりと羽織る、優し気な雰囲気の女性。その女性が、彼女の呼びかけににこりと微笑む。
彼女は、大手物流商会の奥方だ。カナッツ屋台と本業の粉物屋の両方のお得意様でもある。
「ええ、ちょっと忙しくしていたものだから。……ジレナ、とうとう屋台をやめてしまうのね?」
「残念ながら、そうなんですよ。でも」
親し気に名前を呼ばれた屋台の主は、それでもにかっと笑う。
残念と口にしながらも、その笑顔は彼女らしい、たいそう勝気なものだった。
「この通り屋台は無事ですからね。落ち着いたら、また再開しますよ」
「え、“無事”とは……?」
「そうなんですニアナさん!」
不思議そうに首をかしげた女性の前に、屋台の看板娘リンカが身を乗り出した。
「ちょっと嫌なヤツに逆恨みというか付きまとわれて、屋台もダメになるところだったんです。でも、オーカさんとお供のジロちゃんたちが助けてくれたんですよ!」
「オーカさん、お供……?」
もしかしてさっきの……、と下級魔法使いの女性が去っていった方向を指させば、彼女らは「そう!」と大きく頷いた。
「奥様は知りませんか? 最近、よく買いに来てくれてた王城勤めの魔法使いなんですけどね。この辺りじゃちょっと有名なんです」
魔法使いといっても、実力の低い――つまり迷惑をかけられる心配の少ない“下級”だとか、助けてもらったとか。
いろいろと理由はあるのだろうが、魔法大国フローライドの王都といえども、市井の間でここまで気安く名前を呼ばれる魔法使いも多くはない。
しかも。
「王城勤め……」
ニアナと呼ばれた女性は、細い顎に二本の指をとんと添えて思案する。
オーカさん、という魔法使いは、おそらく階級は十か十一。
白に近い灰色のマントを身に着けた階級の魔法使いたちの王城勤めは、まだまだ少ないが、最近増えてきたところだ。
増えた理由は簡単。人手不足である。
完全魔法実力社会のフローライド王国だが、現在、中央は魔法使いの階級にこだわっていられないくらいに人材が不足している。
あまり快適とは言えない労働環境の上、国王の選り好みが激しすぎるのだ。
そんなわけで、国王の目が届かない――というか興味がない――地方に始まり、中央でも目立たない末端のほうから少しずつ、下位の魔法使いの採用が進んでいる。
魔法使いとしての能力は低くても、官吏としての能力が高い者はいる。
逆に、魔法使いとしての能力が高いからといって誰もが優秀な官吏になれるわけでもない。
考えてみれば当たり前のことが、ようやく国の上層部にも浸透し始めてきたところだ。
と、まあそんなわけで。
王城勤めの下級魔法使いは、多くはないが珍しいわけでもない。
城の外であれば、下級魔法使いを目にする機会はもっとあるだろう。
にもかかわらず、彼女が“有名”だという理由は。
「オーカさんの使役魔獣、めちゃくちゃ可愛いんです!」
これであった。
むしろミアゼ・オーカという魔法使いの顔が分からなくても、彼女の使役魔獣は知っている。
そんな者が居るくらいに彼女の使役魔獣は有名だ。
全部で五体いるらしいソレは、どれもがやたら小さくてやたら可愛い。
しかも人懐こくてお行儀もよく、無差別に威嚇も攻撃もして来なければ、近寄っても、その上さらに体を触ってしまっても、大人しくしている。
むしろ撫でられると嬉しそうな素振りさえ見せるのだ。
見た目も中身も人畜無害。製造工程が一緒とはいえ、他の魔法使いたちの“使役魔獣”とは真逆の存在を同じくくりでいいのかどうか、首を傾げるところではある。
単なる動くヌイグルミというわけでもなさそうだが、魔法にそこまで詳しくない人々にはよく分からない。
辺境マゼンタにある王立魔法研究所の研究員たちでさえ頭を抱える彼女の使役魔獣である。その辺の人々に謎が解明できるわけがなかった。
カナッツ屋台に付けられた魔法陣騒ぎを屋台の母娘から聞かされた奥方は、「ほう」とため息をついた。
それは、無事だった屋台はそれとして件の使役魔獣がとにかく可愛くて可愛くて、と語る人々の熱気にあてられたわけではなく。自身も話の中の使役魔獣たちの可愛さにやられたわけでもなく。
「……そう。ルーパード・ヘイリオが」
以前から市井の皆様にご迷惑をかけていたという魔法使いの名前を、彼女は呟いた。
その声がいつもより少しばかり低く、剣呑なものだったことに周囲が気付く前に、いつものおっとりとした口調で続ける。
「わたしは何の力にもなれなくて……申し訳ないわ」
「えっ、いえいえそんな! 奥様が謝ることじゃないですよ! こんなのはこの辺りじゃ日常茶飯事で、慣れっこですから」
「なれっこ………」
「屋台もわたしらも無事! だからもういいんですよ!」
「………」
女主人は慌てて手を振るが、女性はしゅんと眉尻を下げたままだ。
この奥様、普段は落ち着いていて優雅で、いかにも大店の女主人という感じなのだが、ときどき少女のようなあどけない、無防備な表情をする。
そのギャップに、おそらく彼女の旦那はやられたに違いない。
ここの夫婦、こちらが胸やけするほど仲が良いのだ。
「奥様のその気持ちだけでじゅうぶんですよ! ほら、ウチの自慢のカナッツ、食べていってくださいな!」
「ええ………」
「持ち帰り用に包みましょうか?」
「……香草入りのと白砂糖のものを、お願い」
ちらりと笑顔が戻った奥方に、ジレナもほっとした笑顔を浮かべる。
はいはい喜んでー、と元気よく返事をして屋台に戻っていく女主人を眺めて、奥方はぽつりとつぶやいた。
「………やっぱり、前線送りよね?」
葡萄色の上品な外套の下に重ねた、消し炭色の衣。
黒に近い灰色のそれは、上級魔法使いの外套の色だった。




