どんな仕事とお国事情・2
「あっ、ああああー!?」
素っ頓狂な叫び声に、木乃香はひっそりと眉をひそめた。
視線の先には、白と黒を半分ずつ混ぜ合わせたような灰色マントの魔法使い。中央官であることを示す銀色の留め具が、その胸にきらきらと輝いていた。
マントに隠れて体型がはっきりしないものの、その身長や声で成人した男性なんだろうなということは分かる。
が。その口調は、小さな子供がお気に入りのおもちゃを壊されたような、そんなものだった。
二郎が「わん」と吠えるまでもなく、屋台の母娘や周囲の人々の警戒具合でコイツが犯人だとすぐにわかる。
「なっなんで………っ」
「おや。いらっしゃいませ旦那。今日は何か買って行かれますか?」
にぃっこり。
営業用の笑顔まで浮かべて、女主人はそう彼を出迎えた。
さすがの迫力である。魔法力がないにも関わらず、魔法使い相手に可愛い娘を守ってきただけのことはある。
「まさかと思って来てみれば……なんで魔法陣が消えているんだ!」
灰色魔法使いは、まるっと無視して声を荒げた。
そういえば、魔法陣が発動するか壊されるかして消えたら製作者に伝わるようにしてあったなあ、と木乃香は件の陣を思い出す。タイミング良くやって来たはずである。
「ええ。おかげさまで」
燃えてないでしょう? と笑う女主人。
とんとんと作業台の隅を叩いて言う。
「皆でここの角を持って、ちょーっと動かしただけなんですけどねえ。ええと、凍結なんちゃらで」
「………っ」
屋台のおばさんの笑顔は、「にっこり」から「にんまり」に変わっていた。
馬鹿な、と呻いた魔法使いの男の目は、屋台の影に座る、揚げ菓子の紙袋を抱えた魔法使いの姿をすぐにとらえる。
いや、マントの色を見れば明らかに自分より格下と分かる魔法使いよりも、問題はむしろその足元にちょこんと座る黒い子犬である。
あの、不自然なほどに小さくふざけた形をしたモノは、もしかして。
「お……っおい、おまえ」
「はい? わたしですか?」
上下関係が厳しい“魔法使い”社会である。
敬意を払うべき相手かどうかはとりあえず置いておいて、木乃香は大人しく顔を上げた。
「そ、そこにいる物体は……」
「物体?」
彼女が首を傾げれば、小さな使役魔獣たちも首をかしげる。
そんなお揃いの仕草に、周囲ではいっしゅん場違いにほんわかした空気が流れた。
かしげられた相手はよりいっそう顔を引きつらせていたが。
「使役魔獣のことですか? “二郎”と“四郎”です。じろちゃんのほうは、初対面ではないと思いますが―――」
「……やはり」
灰色マントの魔法使いは、苦虫を噛み潰したような顔をする。
そして噛んだ苦虫をさらに水なしで無理やり飲み込んだような、くぐもった声を出した。
「い、以前に会った女と違うようだな。おまえは何者だ」
「はい。統括局所属のミアゼ・オーカといいます」
「統括局か」
ちっ、と舌打ちされる。
それに木乃香はにっこりと笑顔を返した。
こちらは完全な社交辞令用。笑っているのにぜんぜん笑っていない顔だった。
「あなたは学術局所属のルーパード・ヘイリオさんですね。魔法使いの階級は……ええと、七?」
「六だ! 失礼な!」
よく見ろ! とばかりに魔法使いは自身の身に着けたマントをばさっと大げさな動作で翻してみせた。
階級の数字がどこかに書かれているわけではないが、階級によって色の濃淡は違う。
たとえば階級六のルーパードと、階級十一の木乃香では、そのマントの色は一目瞭然だ。
が、ひとつ階級が違うくらいなら、並べて見てやっと「違う」と分かる程度の差である。少なくとも木乃香は見分けられない。
「六も七も大して変わらないだろ」とおばさんが呆れていたが、まったくその通りだと思う。
王都に生息している魔法使いは、とにかくこの魔法使いの階級を気にする。
“中級”と呼ばれる階級四から八あたりの魔法使いはとくにそうで、相手の階級がひとつ上か下かというだけで非常に神経質になるようだ。
なので、余計な刺激を与えないように木乃香は素直に頭を下げた。
「そうでしたか。失礼しましたルーパード・ヘイリオさん」
「………わかればいい」
新しい苦虫を追加で噛み潰したような顔で、ルーパードは頷く。
丁寧に、謝罪はされた。
“格下”で、しかもほとんど面識のない相手が自分の名前を省略せずに呼ぶのも、礼儀として当たり前のことだ。
彼女がその都度、面倒くさがらずにフルネームで呼ぶ殊勝な態度に、追いつめられているような気分になるのはどうしてだろう。
名前を呼ばれただけなのに、だ。
「それでですね。ルーパード・ヘイリオさん」
「な、なんだ」
ちょっと確認したいんですが、と彼女は前置いて、困ったように眉尻を下げてみせた。
「ルーパード・ヘイリオさん、いまの情勢をご存じです?」
「………は?」
「サヴィア王国が、ここ、フローライドに、攻めてきたでしょう」
「聞かれるまでもない。それがどうしたというんだ」
子供に言い聞かせるようなゆっくりとした話し方に、中央官である男はむっと顔をしかめる。
誰もが知っている話だ。さすがに中央官であるルーパード・ヘイリオが知らないはずはないだろう。
サヴィア王国がこちらの関所を超え砦まで落としたのは、電光石火の早業だったという。
物理的にも雷や炎がどかんどかんと降り注いでいたらしいので、あちら側にも優れた魔法使いがいるようだ。
魔法に関して大きな自信を持っていたフローライドが、魔法でサヴィアに敵わなかった。
襲撃は不意打ちに近い形で、当時国境付近に上級魔法使いが居なかったとはいえ、これはフローライドにとっては大きな衝撃だった。
「とはいえ、あちらの国王が急死してから、いまは小康状態だ。それぐらい常識だろう」
「うーん、まあ、そうなんですけど」
そう。彼の言う通り。
サヴィア側の猛攻に、王都に迫るのも時間の問題では、と人々が恐れおののいていたとき。
戦を指示していたサヴィア国王が、亡くなった。
同時期にフローライドへの侵攻もぴたりと止まったのは事実だ。
それほどの混乱もなく新国王が即位してからも、進軍してくる様子がない。
………が。しかし撤退する気配もない。
これを機に占領された土地を取り返そうとするも、まったく歯が立たない。
交渉する気もないようで、何らかの使者も書状も寄越してこない。
このないない尽くしが不気味で、現在フローライド側は戦々恐々としているのだ。
そんな状況下で。
「ルーパード・ヘイリオさん。あなたの作った魔法陣、いろいろと危ないんです」
「ふん。自分の魔法陣の威力など、自分がいちばん知っている」
素晴らしいだろうわたしの魔法陣は、とでも言いたげに胸を張る中級魔法使い。
遠い国境付近の出来事と結びつかないのか、ぴんと来ないのだろう。
木乃香は内心でがっくり肩を落としつつ、懇切丁寧に説明することにした。
「威力とか問題じゃないんです。ああ、いえ。それはそれで問題あるんですけど。ええと、自分が何をしたのかお分かりですか?」
「何だ。下位の……下級魔法使い風情がわたしのやる事に口を出すというのか」
「………はあ。いえ」
ついついため息が先に出る。
もう放っておこうかな、と思わないでもないのだが、それで自分はともかくカナッツ屋台に八つ当たりでもされたら困るので、彼女は根気よく続けた。
「サヴィア王国が何か仕掛けてくるんじゃないかとぴりぴりしている状態で、王都フロルの広場から火の手が上がった、となれば、サヴィア王国の仕業かって疑うと思いませんか?」
「―――――は?」
「国王陛下のお膝元ですよ。目と鼻の先ですよ。そこで魔法を使った大規模火災ですよ。それってもう宣戦布告ですよね」
「はっ? えっ?」
魔法陣を敷いた張本人は、最初は不愉快げに眉をひそめただけだった。
しかし話の内容が理解できたのだろうか。徐々に顔から血の気が引いて行く。
「本当に火を出すつもりがあったのかどうかは知りませんが。でも脅し目的か何かで、何度か魔法力を注いで発火寸前まで魔法陣を動かしたでしょう」
これは屋台の母娘に確認済みだ。
平面ではない場所に設置できる立体魔法陣を本人は得意に思っていたようだが、凹凸のある場所に張り付けるだけでも不安定なのに、何度も中途半端に魔法力を注げば。
「魔法陣が、緩んでいました。近いうちに暴発して勝手に発火してましたよ。大惨事になります」
「い、いや。だ、大事にはならない……」
「魔法陣の威力自体は、たぶん屋台ひとつ丸焼けにするくらいですが―――」
じゅうぶん一大事である。とくに、屋台の持ち主にとっては。
屋台のおばさんと娘さんが、しどろもどろになっているルーパード・ヘイリオをぎろりと睨みつけた。
「ここはカナッツを揚げて提供してくれる屋台で、油がたくさん置いてあります。火の勢いが増すのは確実なので、実際に燃えたら屋台ひとつで済むかどうか。そのときの風の具合によっては、広場は火の海ですよ? ここに並んでいる屋台は、ほとんどが木製なんですから」
まあ、火の海というのはちょっと大げさかもしれないが。
しかしその可能性がないわけではないのだし、それでここに居る人々が怪我をした可能性はじゅうぶんあるのだ。
他の屋台の店主たちや買い物客もこれには驚き、そして好奇心や野次馬気分が目立っていた視線は、非常に冷ややかなものになっていく。
「人の集まる場所でそんな事件が起これば目立つし、みんな動揺して混乱しますよね。サヴィアにとっては好都合です」
「わっ、わたしは、フローライドの中央官だぞ!」
「官吏の中にあちら側と密かに連絡を取っている者がいるんじゃないかって、噂になっているのを知りませんでしたか?」
「ふえぇっ……?」
知らないんだろうな、と相手の変な声を聞きながら思う。
どうせろくに仕事にも行っていないのだろう。そうでなければ、職場からかなり離れたこの広場に、今日だってこんなに早く顔を出せるはずがない。
木乃香だって数少ない休みを利用してたまに来れるくらいだというのに。
職場に居ないから、裏切者が身内にいるんじゃないかというピリピリした雰囲気や、これを機会に気に入らない奴らを蹴落とそうとギラギラしている上層部の目つきなど。
―――たぶん、知らないのだろう。
「ま、魔法陣のひとつやふたつで、なぜ疑われなければならないんだ! 誰でもやっていることだろうが!」
開き直ってしまった。
言われた相手が下級魔法使い、というのも素直に受け止められない理由なのかもしれない。
まあ、人の話をちゃんと聞く姿勢とか、周囲の冷ややかな視線に怖じ気づく繊細さだとかがあれば、そもそも他人様に迷惑をかけるような行動を平気でおこしたりしないだろう。
彼が反論するのは想定の範囲内なので、木乃香は静かな口調で言った。
「……じゃあこれも知らないんでしょうけど。あなたと同じようなことをやっていた人たちは、今頃ほとんどがあなたみたいに自宅で謹慎中か牢の中だと思いますよ」
「ぅへっ?」
「“誰でもやっていること”をやっていただけ、なんですけどねえ」
「…………」
別に木乃香も、おそらく周囲の人々も、彼がサヴィア王国の手先だと本気で疑っているわけでは無い。
本当に王都を混乱させたいのであれば、それこそ広場を火の海にするほど魔法陣の威力を上げるか、数を増やすかするだろう。
主張する通り、彼はいつものイタズラを仕掛けたに過ぎない。
仮に内通者がほんとうにいるのだとしても、彼はない。
いくらサヴィアだって、こんな悪目立ちしたがる頭の軽そうな男を選んだりしないと思うのだ。
それでも信じられない、という顔つきをしていたルーパード・ヘイリオは、しかし王都の治安維持にあたっている警備兵が真っ直ぐこちらにやって来るのを見て、とうとう真っ青になった。
どうやら、野次馬の誰かが連絡してくれたらしい。
あちこちで傍若無人に振る舞う困った魔法使いたちは、ほとんどがその背後に権力者の親戚だの後見人だのがついている場合が多い。
なので、これまではルーパードのような常習犯でもなかなか捕まえられない、捕まえてもすぐに釈放されてしまう、むしろ警備兵のほうが怒られる、というのが通常だった。
なので、内心はどうであれ見て見ぬふり、という姿勢の兵がほとんどだ。
しかし、いつサヴィア王国が攻めて来るか分からない現在。状況が変わった。
地方と中央の王国軍を取りまとめる軍務局が、「王都の治安を脅かす行為は、背後にサヴィア王国の関与の疑いあり」として取り締まりを強めたのだ。
サヴィア王国の名前は、影響力が抜群だった。
問題行動を起こす者たちに対して、自分が疑われては堪らないので親戚や後見人たちもあからさまに庇おうとしなくなったし、やる気のなかった警備兵たちも職務に励むようになった。
そういえば、以前のルーパード・ヘイリオには取り巻き、もしくは後始末係のような側近が数名付いてきていたらしいが、いまは彼ひとりだ。
置いて来るくらい慌てて広場に駆けつけたのか……あるいは見限られたのか。
「ち……っ違う! わたしは違う!」
「はいはい。お話は軍務局で伺いますから」
背後にどんな大物がいたのかは知らないが、ルーパード・ヘイリオ自身は学術局のヒラ官吏に過ぎない。 そして木乃香の前で威張ってはいてもしょせん“中級魔法使い”。しかも階級は真ん中より下である。
加えて前科持ち。多数の証言アリ。自分がやったと公言もしている。
警備兵たちに、彼への遠慮はなかった。
「やれやれ。今頃になって、やっと仕事し始めたねえ」
「ほんとになあ」
「やっとかよ」
余計な手間をかけさせやがって、という態度があからさまな警備兵たちを見送りながら、屋台のおばさんがため息を吐く。
彼女のぼやきに、他の人々も同意の声を上げた。
サヴィアの侵攻に加えて、これまで放っておいた一部の横暴な魔法使いたちへの対応を同時に迫られた形の軍務局は、現在てんてこ舞いである。
ルーパードを連行する兵士たちの顔にも疲れが見えた。
とはいえ、ここまで放っておいたのは彼ら自身。
見て見ぬふりどころか、一緒になって一般人に迷惑をかける兵士までいたのだから同情の余地はない。
さすがにそんな警備兵を警備兵のままにさせておくわけにはいかないので、真っ先に解雇の上、悪質な者は軍務局管轄の牢獄行きになっているのだが。
警備兵という職種に王都の人々が厳しい目を向けるのも、仕方のないことだろう。
木乃香が王都に引っ越してきた頃。
以前から困った魔法使いはいたようだが、それほど治安が悪いわけでもなかった。
フローライド王国がこの先どうなるかわからない、という不安や苛立ちはあるのだろうが。
「そんなに魔法が使いたいなら、最前線に行けばいいんじゃないですかね?」
無抵抗の一般人相手に魔法を使って優越感にひたっているより、よほど国の為になるだろうし、活躍すれば出世だってできるだろう。
魔法の物理的な威力ばかりを評価し、実際それを見せつけることで偉そうにしている魔法使いは多い。
しかしいざサヴィア王国が攻めてきた時、すすんで戦地である国境付近へ赴いた魔法使いは、驚くほど少なかった。
戦そのものが良いかどうかは、木乃香には分からない。
しかし、情けないなあ、とため息をついてしまうのは、どうしようもないのだった。




