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こんな異世界のすみっこで ちっちゃな使役魔獣とすごす、ほのぼの魔法使いライフ  作者: いちい千冬
彼女の過去。

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42/89

こんな大きな木の下で・6

本編に戻っておりますー。

今回ちょっと長めです。




「だーめーだー‼」


 ラディアル・ガイルが唸るように言った。

 漆黒のマントから伸びるがっしりとした腕が大きくバツを作る。「だめだ」の三音に合わせてびしびしびし、と両腕をぶつける強調ぶりだ。

 その頑なさに、目の前にバツ印を突き出された木乃香は眉をひそめた。

 彼女の使役魔獣たちも、思い思いに彼女にくっついてお師匠様のバツ印を眺めている。

 王都から帰ってきてしばらく。研究所でお留守番していた一郎が召喚主から離れようとしないからか、彼女の懐から滅多に出て来ない新入りの五郎に影響されたのか。他の使役魔獣たちまでが木乃香にべったりと張り付くことが多かった。


「どうしてですか?」

「どうもこうも、ダメに決まってるだろ! 王都だぞ!?」

「だから、王都の何がダメなんですか?」

「何もかもがダメだ!」


 ひたすらダメダメと怒るお師匠様。

 それにむっと口をとがらせる弟子としては、ダメと言われたことよりもダメしか言わない師匠が気に食わない。

 会話になっているようで、ぜんぜん会話になっていないのだ。

 彼女の使役魔獣たちも、それぞれ不思議そうに、あるいは他の兄弟たちに合わせたように首をひねっていた。




 きっかけは、木乃香が王都で働くと言い出したことだった。

 働きたい、ではなく働く、である。

 なんと王都滞在の短期間で、いや“魔法使い”の認定を受けたその日のうちに、彼女は王城勤めの就職内定をもらってしまったのだ。


 それは“魔法使い”の証であるマントをもらい、異世界産の桜を見に行ったあと。

 ついうっかり、木乃香が「王都で就職しようと思ったらどうしたらいいんですか」などと口にしてしまってからが早かった。


 ものすごくいい笑顔のジェイル・ルーカに、城内の仕事場のような一室へ引っ張り込まれ。

 認定試験より格段に少ない書類に自分の名前やら魔法使いの階級やらを書き込み。

 そしてその書類を持ってまた別の部屋に行けば、そこに見知らぬ灰色魔法使いがいて。

 書類と白マント姿の彼女と書類をちらっと見てから、ジェイル・ルーカと少し会話をしてぽんと書類にハンコを押された。

 ……そして、気が付けば王城勤めの内定が出ていたというわけである。


 一緒にいたはずのジント・オージャイトが待ったをかけてくれそうなものだが、残念ながら彼は何の役にも立たなかった。

 “虚空の魔法使い”ヨーダの作った桜の木を前に、自分の思考世界に入り込んでその場から動かなくなっていたので。


 国家資格“魔法使い”を取得すれば就職に有利だと聞かされたことはある。

 が。ちょっと簡単過ぎるというか、適当過ぎるのではないだろうか。

 じっさい、今日マゼンタ王立魔法研究所に正式な内定通知書が届くまで、木乃香も冗談だと思って忘れていた。



「でも、せっかく内定をもらったんですよ?」

「そんなもの辞退だ辞退!」

「国家公務員なのに……」

「コッコなんちゃらが何か知らんが、あそこはダメだ!」


 ラディアル・ガイルは忌々し気に舌打ちする。

 寝耳に水どころか、寝ている間に荒野の底なし沼にでも放り込まれた気分である。

 いったいどうして今まで研究所の敷地の外にすらあまり出ようとしなかった弟子が、急に「王都に行って働く」と言い出したのか。


 せっかくあの国王の言う通りに正々堂々と面会を申し込み、「手を出すな」と釘をさして来たところだというのに。

 「ガイルも人の親になったのかー」などとちょっとからかわれながらも了承を得、無事に“下級”魔法使いの認定も受けて、王都からの干渉も目に見えて減って来ていたというのに。

 なんでまた本人が自らノコノコと国王のお膝元に行くと言い出したのか。

 保護者として、断固反対である。当たり前だ。


 きっと何も知らない彼女に、ジェイル・ルーカが良からぬことを吹き込んだのだ。

 そうだそうに違いない。

 怒鳴り込みたくても、相手は遠い王都のお空の下である。

 窓の外をにらみつけるラディアルの視界に、ぱたたっと黄色い小鳥(さぶろう)が羽ばたくのが見えた。

まるで王都まで飛んで行く殺気を見送るかのようであった。


「メイ! お前からも何か言ってやれ」

「………別にいいんじゃないですか?」


 それまで師弟のやりとりを黙って聞いていたシェーナ・メイズが言った。


「メイ!?」

「メイお姉さま!」


 ラディアル・ガイルが目をむき、木乃香がぱっと顔を輝かせる。

 そういえば所長室に入って来てから、シェーナの立ち位置はずっと木乃香の隣だ。

 思わぬ裏切りに、ぐぬぬとラディアルは呻く。


「にああ」


 そうだよねー。

 と同意するように、白い子猫(しろう)がするんとシェーナの足元に身体を擦りつけた。

 ラディアル・ガイルを見るや彼の膝やら肩やらにすぐに飛び乗ってくるこの使役魔獣も、今ばかりはぜんぜん彼のところに近寄って来ない。

 別に寂しくはない。寂しくはないのだが、彼の眉間のしわは深くなる一方である。

 二対一。加えてもちろん木乃香の使役魔獣たちは木乃香の味方なので、数だけなら七対一である。ラディアル・ガイルの孤立感は半端なかった。


「……メイ、お前だって王都行きに反対してただろうが」

「オーカに外を見せるいい機会だってわたしに言ったのは所長ですよ?」

「あれは期限付きだったからだ!」

「二度と帰って来ないわけじゃないんだし」

「しかし王都なんて遠すぎるだろう!」

「遠いっちゃ遠いですけども……」


 シェーナが呆れたように言えば、木乃香もため息をつく。

 位が低いとはいえ魔法大国フローライドの“魔法使い”資格を取得したというのに、なんだか過保護度が上がっている気がするのはなぜだろう。

 木乃香のチュニックの裾を握りしめている赤髪の子鬼(いちろう)も、しゅんと眉尻を下げた困り顔だ。


 シェーナ・メイズも、今回王都まで同行していろいろ考えさせられた。

 もちろん、心配は心配だし危険なことは保護者のひとりとして絶対阻止である。

 そして自分に何の相談もなく彼女を引き抜いた弟は、今度会ったら絶対に殴ることも決定事項だが。

 彼女の結論はこうだ。


「オーカとその使役魔獣たちなら、なんだかんだで大丈夫そうな気がするのよね」


「おまえ、そんな適当な……!」


 反論しかけたラディアル・ガイルだったが、彼女たちの周囲をちまちまと動く使役魔獣たちを見て、なんとなく口を閉じてしまった。

 木乃香の使役魔獣たちの能力は、だいたい把握している。彼らをうまく使えば、確かに彼女の身に危険が及ぶことは皆無と言っていいだろう。

 見た目が見た目なので、安心感を持つより先に気が抜けてしまうが。

 彼らを見ていると、小難しいことを考えるのが馬鹿馬鹿しくなってくるというか、なんというか。

 なんとなく泳いだ視線の先では、黒い子犬(じろう)がふるふると尻尾を振っていた。

 実に微笑ましく、そしてちょっぴり誇らしげな尻尾であった。


「むしろ何の伝手もない見知らぬ土地に行かれるくらいなら、王都フロルのほうがいいと思うのよね。うちのルカもいるし、何かあればあれにフォローさせればいいのよ」

「むう」

「何より。オーカが自分から行きたいって言ってるのに、引き留めるなんてできないわ」

「お、お姉さま……っ」

「むうう」


 往生際が悪いなあとシェーナは思う。

 ラディアルだって自分で研究所を出ていくなら反対しない、とか言ってたくせに。

 せっかく彼女が研究所の外の世界に関心を持ち始めたのだ。応援してあげればいいのに。


 圧倒的不利なラディアル・ガイルは、まだ不満顔である。

 ぼそぼそと低く呟く。


「仕事がしたいなら、研究所で働けばいいだろうが」

「わたしは専門職よりも総合職が合ってるんです」

「ソーゴ……?」

「以前話した事務のお仕事ですよ」

「なんだ。それなら今だってやってるだろう」


 木乃香は現在、ラディアル・ガイルの助手のような事をやっていた。

 魔法研究所所長としての書類仕事の手伝いをするほかにも、掃除をしたり部屋を散らかさないように見張ったり、時間をみて適度に食事や睡眠をとるよう勧めたりする。

 とくに後者は助手というより小さな子供の母親か教育係のようだが、所長室の大掃除を成し遂げたあたりからなんだか周囲にも一目置かれるようになった。

 一部で「所長室の平和は彼女なくては保てない」とまで言われている。

 のだが。


「でも、別に頼まれたわけじゃなかったし」

「………」

「自分でやるから手を出さなくていいって、いつも言われるし」

「………そ、それは」


 そう。別に頼まれたわけではない。

 やると言いつつ放っておいても絶対やらないのがラディアル・ガイルなので、暇な木乃香が勝手にやっていただけだ。

 仕事ぶりを認めてくれたのか単に諦めたのか、最近はようやく文句も言わずに書類にサインしてくれるようになったところだった。

 いまでは所長室に期限切れの書類は見当たらないし、所長室だけでなく続き部屋の研究室、ついでに居住棟の私室まで足の踏み場以上の空きを確保できている。

 結果が目に見える仕事というものは、達成感があっていい。

 しかしだ。


「お師匠さま、わたしが居ると迷惑そうだったでしょう」

「そんなわけあるか!」


 ラディアルが慌てて否定する。

 が、彼はもともとあまり自分の部屋、とくに研究室には他人を入れたがらない事を木乃香は知っている。

 大きな図体と豪快な召喚武器の割に、彼の扱う召喚陣は緻密で繊細。しかも強大な力を秘めたものなので、手元が狂えば大惨事にもなりかねないからだ。

 だから木乃香は彼の邪魔をしないように気を付けていたつもりだ。研究中はもちろん、用事がなければ研究室へもなるべく近づかない。


 ただしそれ以外では、いろいろ口うるさく言った覚えがある。

 それこそシェーナ・メイズら研究所の人々に「どっちが親だか」と呆れられていたほどだ。

 彼らが呆れていたのは木乃香にではなく、面倒くさそうな顔をしながらもちゃっかり弟子に甘えているラディアルのほうなのだが。


 子供のように口を尖らせるラディアル・ガイルをなだめるように、木乃香が言った。


「拾ってもらって、お師匠さまにはすごく感謝してるんですよ? だからこれでも、いちおう気にしていたんです。わたしはこちらの世界でもとっくに成人してる年齢だし、いつまでも研究所でご厄介になるわけにはいきません」

「そんな心配は……っ」

「わたしが、嫌なんです」

「………」


 基本的に、木乃香は受け身である。流され体質ともいう。

 彼女から何かを欲しい、やりたいという意欲を見せることもなければ、何かを拒絶することもほとんどなかった。

 その彼女が「嫌だ」とラディアルの目を見て、きっぱりと言い放ったのだ。

 それだけ驚いてしまい、というか「嫌」と言われたのがショックで彼は何も言えなくなる。


「もとの世界に帰る手段がないのなら、ここでちゃんと自立しないと。いつまでもお師匠さまに養ってもらうわけにはいきませんよ」

「……だからムスメになればいいって言ってるだろうが」

「そういう問題じゃなくてですね。というかそれは断ったはず!」


「…………はあ?」


 シェーナ・メイズが間の抜けた声を出した。

 思いのほか大きく馬鹿馬鹿しく響いたその声に、木乃香の懐からひょっこりとハムスター(ごろう)が顔を出す。

 薄ピンクの極小使役魔獣はきょときょとと周囲を見回して、安心したのかまたすぐに引っ込んでしまった。


「所長? もしかしてまだ、だったんですか? オーカとの養子縁組」

「してませんから!」


 こめかみを押さえながら答えたのは木乃香である。

 ラディアル・ガイルは苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「ええ? だって養子の話、みんな知ってたわよ?」

「決まってもないのに言いふらさないで下さいよ……」


 ふたりの雰囲気がすでに師弟というよりは過保護な親と目が離せない娘、もしくはしょうもない親とそれをフォローする娘である。

 誰もが「そうなんだろうな」と思い込んでいた。

 本人も、お父さんとか娘とか言っても、否定しなかったのに。

 いや。黙認していたのはラディアル・ガイルだけで、そういえば木乃香はいつも否定していた気がする。


「ええ? なんで?」

「だっておかしいでしょう。結婚もしていないお師匠さまにこんな大きな娘とか」

「うん。まあ、それはそうかもしれないけど……」


 言いにくそうに、シェーナ・メイズが口を開いた。


「オーカあのね。王都に行くんだったら、所長の養子になっておいたほうがいいかも」

「ええ?」

「いざという時、後ろ盾は強力なほうがいいから」


 フローライド王国は、魔法実力主義である。血筋や家柄よりも魔法の実力がものを言う。

 魔法の実力、というより“魔法使い”の階級が重要視されているのが現状で、そのために認定試験ではひとつ階級を上げるか下げるかで大騒ぎになるのだ。

 魔法使いになれたとはいえ“下級”の木乃香は、理不尽な思いをすることもあるだろう。

 ラディアル・ガイルの後ろ盾は、必要以上に理不尽な扱いをされないための切り札のようなものだ。


「それって、お師匠さまと弟子ってだけじゃだめなんですか?」

「うーん。人それぞれだけど、師弟関係ってけっこう軽いから」


 養子縁組と違い、とくに書類も契約も必要ないのが弟子入りである。つまり証拠がない。

 たとえば、あちこちの魔法使いを訪ねては師事する者もいるし、高名な魔法使いのもとに一日二日通っただけで「あの方の弟子だ」と胸を張る者もいる。

 下級魔法使いの木乃香が最上級魔法使いラディアル・ガイルの弟子だと名乗ったところで、「才能無くて破門されたんだろう」と笑われるのがオチだという。


「所長自らオーカはオレの弟子だからって言いふらすならまた別でしょうけど」

「嫌だろう、それは」

「……そうですね」


 いまそれをやれば、自分が話題の“流れ者”ですと宣伝しているようなものである。

 国王の嫁騒ぎがおさまったとはいえ、さすがにちょっと勘弁して欲しい。騒がれたいから王都に行くわけではないのだ。

 言いふらさなければ周囲が気付かないのは養子縁組も一緒で、しかしこれにはちゃんと正式な記録が残る。だから切り札なのだ。


「それに、“王族”が“王族”以外の魔法使いを養子にするって、珍しくないのよ」

「そうそう。そうだぞ」


 このフローライドで次期国王に選ばれるのは、現国王の子供や親族ではない。

 そのときに最も優秀な“魔法使い”。

 それを“王族”と呼ばれるいくつかの家柄の中から選ぶのだ。

 そこに血筋や身分は問われない。


 “王族”から選ばれるのに血筋を問わない。

 一見矛盾しているようだが、もともと“王族”の家に生まれた者でなくても、養子縁組なり婚姻なりでその家に入れば“王族”とみなされる。そして王位に就ける資格も得られるのだ。

 それが他国から来た者でも、異世界から来た者でも例外はない。

家族関係を結ぶというよりは、派閥や団体に所属する感覚に近いだろうか。

 実際“王族”の養子に入り国王、あるいはその側近を務めた者は、過去に何人もいた。

 権力争いは、“王族”の中にもそれなりにある。だから各家とも力のある魔法使いを取り込もうと、けっこう積極的に養子縁組は行われていた。

 だからラディアルもシェーナも簡単に「養子になれば」と勧めるのだ。


 木乃香は「うーん」と首をひねる。

 “魔法使い”の試験の推薦人を決める際に、お師匠様が“王族”だという話は聞かされていたのだが。


「でも自分も“王族”になるっていう響きがどうも……」


 国内の魔法使いたちの大半が憧れる“王族”という肩書だが、野心どころか“魔法使い”の自覚すらまだまだ乏しい彼女には、その魅力がまったく分からない。

 イメージの問題だろうが、どうにもしっくりこないのだ。


「難しく考えなくてもいいのよ? “王族”の皆が皆王様目指しているわけじゃないし。義務もないし」


 言いながら、シェーナはラディアル・ガイルを指さす。

 確かに、お師匠様は辺境の荒野にいてこそ生き生きしている。王都にいるよりはるかに楽しそうで嬉しそうだ。


「“王族”だからって目印つけて歩くわけじゃないし。言わなきゃ誰もわからないから」

「そうそう。そうだぞ」


 国王が元気でしばらく退位しそうにもないいま、新しく“王族”になろうという者はそこまで注目されないし、さらっと書類は通るだろう。

 あとは書類を受け取った役人たちが言いふらさないようちょっと口止めしておけばいいのだ。


「しかも最上級魔法使いのコレをわざわざ敵に回そうとするヤツなんていないし」

「おれをコレ扱いするお前もどうかと思うが……そうそう、そうだぞ」

「養子縁組の書類にサインするだけで王都に行けるんだから、いいんじゃない?」

「そうそう、そ………は!?」


 うんうんと頷きかけたラディアル・ガイルは、はっと顔を上げた。


「ちょっとまて……!」

「あ。そうだ。署名はオーカの国の文字で書いたらよくない? そしたら“流れ者”と“ミアゼ・オーカ”がつながりにくいかもしれないし」

「なるほどー」


 木乃香のもといた世界の文字を知っているのは、同郷の“流れ者”とその道の研究者くらいだ。仮に読めたとしてもちゃんと発音できる者は、さらに少ない。

 そしてラディアル・ガイルが保護した“流れ者”の名前を知っている者は、ごく一部。

 まあ中央でも知っている者は知っているが、書面で見るのと聞くのではまた違うだろう。


「書類はどこ?」

「えーと、たぶんそこの引き出しの三番目の……」


 何がどこにあるか、部屋の主よりもよほど詳しい木乃香が言い終わらないうちに、一緒になって執務室を片づけた使役魔獣たちがわらわらと動き出した。

 てててっと棚に近づいた一郎がつま先立ちで「よいしょ」と引き出しを開ければ。

 そこにひょいと飛び乗った四郎が引き出しの書類に白い頭を突っ込み。

 お目当ての養子縁組の書類を三郎がくちばしで引っ張り出せば。

 下に待機していた二郎がかぷっとくわえ、尻尾をぴこぴこ振りながら主のもとへと持ってきた。

 ぽてっと机に飛び降りた五郎が、「どうぞー」と言わんばかりに羽ペンの前で鼻をひくつかせている。


「だからちょっと待て。おれは王都行きなんて許可した覚えが―――」

「養子縁組に同意してくれそうなんだからいいじゃないですか」

「それはいいが! それとこれとは別だ!」

「……あのねえ所長」


 ラディアル・ガイルの広い肩を、シェーナ・メイズが宥めるようにぽんぽんと叩く。


「メイ、お前はどっちの味方なんだ!」

「わたしはオーカの味方ですよ、もちろん」


 当たり前に宣言してから、シェーナがこそっと呟いた。

 視線の先には自分の使役魔獣たちから書類を受け取った木乃香がいる。それらをぱらぱらと眺めながら、まだ迷っている風である。


「オーカに諦める気がないの、分かるでしょう。あんまり反対ばっかりしてると、愛想尽かして家出されちゃいますよ」

「い……っ家出!?」

「そうなってもオーカは困らないでしょう」

「………」


 彼女の言う通りであった。

 木乃香はもう王都までの道のりも行き方も知っているし、王都では小賢しくも彼女を勧誘したジェイル・ルーカが何かと力になってくれるのだろう。

 そしてもう就職まで決まってしまっている。今後の収入まで確保できているのだ。


「……それでも、不安なんだ」

「さっきも言いましたけど、別の国とか都市とかに行かれたほうが不安ですよ」


 腐っても国の中心である。いちばん人が多くて、いちばん整備されていて、そして外から来た者もそれなりに馴染みやすいのが王都フロルだ。

 王都なら、多少離れてはいても連絡が取れる。情報だって入る。

 むしろラディアル・ガイルであればこれくらいの距離、文字通りすぐに飛んで会いに行けるだろう。


「オーカが親離れしようって言うんだから、所長だって子離れしてくださいよ」

「ぐぬう」


 養子縁組がまだなのに親離れ子離れも変な話だが、とくにラディアルに関してはそうとしか言いようがないのだから仕方ない。

 シェーナ・メイズは木乃香にも言った。


「オーカも。そろそろ妥協してあげれば?」

「ええー、妥協って……」

「ラディアル・ガイルが一度懐に入れた者を簡単に放り出したりしないのは知っているでしょう。何か安心できる要素が無いと、納得しないわよ。もちろん、わたしだって心配だもの」

「………う」


 お師匠様に頭ごなしに駄目だと言われると反発したくなるが、シェーナにしんみりとした口調で言われると、元気に言い返せない。

 彼女はふう、とため息をついた。


「都会に出ちゃったら、こんな辺境の研究所なんて忘れちゃうかもしれないけど」

「そんなわけないですよ!」

「オーカが行っちゃったら寂しくなるな……」

「わたしも、メイお姉さまに会えないのが寂しいです!」

「ときどき手紙くれる? 月イチくらいでいいから」

「当たり前じゃないですか!」


 何だかんだ、定期連絡まで約束させられている木乃香である。

 机の上のハムスターが「きぅ」と小さく鳴いて、前足で羽ペンをつついた。

 (あるじ)が書類にサインする気になったと判断したらしい。


「……メイお前、なんかすごくいい所持って行ってないか」

「所長のひどい説明不足を補ってあげたんでしょうが。オーカが世間の一般常識も怪しいのなんて、今さらなのに」

「そうだな。そうだった」


 ラディアル・ガイルが、力なく呟いた。








彼女の過去。編はこれで終わりです。

予想以上に文字数が多くなり、投稿期間も長くなり、お付き合い下さった方もありがとうございました! お疲れ様でした!

まだ「隅っこ」は続く予定です。

これまで通り(苦笑)気長に待っていて下さると嬉しいです。

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