閑話・ところでその頃・4(一郎)
一郎のお留守番・後編です。
本日2話目の投稿です。
最初に懐いたのは、ルルシャだった。
懐いたというより、自分より小さく非力そうな存在を守るべき対象だと認識したらしい。
誰に言われるでもなく一郎の手を引いて、家に案内したり畑に連れて行ったり手伝いを教えたりと、実に甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
今年五歳。末っ子の彼女は、要するにお姉さんぶりたかったのだ。
で、妹のそんな様子に面白くないのは、すぐ上の二人の兄トレクとルヤンである。
いつも彼らの後ろをちまちまと付いてくる妹が、突然兄が連れてきた珍妙な子供に構いきりで、知らんぷりなのだ。
面白くない。全然面白くない。
日ごろから何かと妹にちょっかいをかけては母親に怒られている彼らだが、実のところ末っ子で唯一の妹が可愛くて仕方ないのだ。
だがそんなトレクとルヤンだって八歳。
彼らは一郎が持っていた甘い焼き菓子の前に、あっけなく陥落した。
年間を通して乾燥した気候の、辺境マゼンタ。
国境には魔獣まで出没する危険な荒野が広がっているこの土地は、あまり物流が良いとは言えない。意外に作物はよく取れ、食糧事情が悪いというわけでもないのだが。
マゼンタで作られていないもの―――例えば砂糖や新鮮なバターなどは手に入りにくく高価だ。それをふんだんに使った加工品である焼き菓子は、一般のご家庭ではとても作るとか買おうとかいう気にならないぜいたく品なのである。
ちなみに、一郎が持たされた菓子はゼルマが作ったものだ。
辺境でも王立の機関である魔法研究所は、新鮮な食品を新鮮なまま保存できる設備が整ってるし、それなりの食材を揃えられる資金も与えられている。
そうやって仕入れたせっかくの糖分は、頭を使う研究員たちではなく小さな使役魔獣の口にばかり入っているのだが。
「うまー」
「あまー」
さくさく、さくさくという軽い音に、ときどきうっとりした声が混じる。
その内に「形がきれい」となかなか口を付けずに眺めていたルルシャの皿を、トレクが横から取ろうとした。
で、さらにその隣に座っていたルヤンがその皿から小さな菓子をつまみかける。
「あー、だめえ!」
「きゅあうー」
「こらお前ら、妹のモノ取ってんじゃねーよ」
ルルシャが悲鳴を上げるより先に、ずいっと赤い頭を突っ込んで皿を彼女に押し戻したのはルビィだ。呆れたような長兄クセナ・リアンの声がそれに続く。
赤いドラゴンの鳴き声は「ひとりみっつだっただろ」と説教口調である。
おそらく召喚主と一緒になって弟妹たちの面倒を見てきたのだろう。口調と言い皿を押し返す絶妙な力加減といい、板についている。
研究所の魔法使いに師事していたにも関わらず、ルビィが召喚主以外の人にも人懐こいのは、たぶんこれが原因だ。
誰彼構わず危害を加えるような使役魔獣は、普通の家に置いておけるわけがない。
「おれの分もやっただろ」
「だってルーが食べたくなさそうだったから」
「ちがうもんー!」
「……ええと」
一郎は自分の前に置かれた皿を見下ろす。
そしてす、と彼らの方に押した。
よく似た色合いの赤茶の瞳が、一斉に彼に向く。
「……食べていいの?」
「うん」
「おまえの分ないじゃん」
「うん、いい」
「………おまえ、いいヤツだなあ」
ためらいもなくこっくり頷く一郎に、やたらと焼き菓子が気に入ったらしい双子が、ちょっと感心したような目を向けてきた。
「イチローちゃんは優しいのね」
ふふふ、と柔らかい笑い声が聞こえたのはそのとき。
お茶を淹れてくれた彼らの母親であるカヤが、にこにこと子供たちのやりとりを眺めていた。
一郎はふるふる、と首を横に振る。
優しい、というのはちょっと違う気がする。
だって、別に一郎は食べ物を食べなくてもいいのだ。食べなくてもいいものを、食べたい人にあげるだけ。
せっかくのゼルマおばさんの美味しい焼き菓子は、食べたい人が美味しく食べればいいと思うだけだ。
……と、思っただけなのだが。
カヤの優しい笑顔に、ぽかんとする子供たち。
その直後、ルルシャが一郎の皿に自分の焼き菓子をころんと落とした。
「じゃ、じゃあ、イチローちゃんにはあたしのをひとつあげる」
「え」
ふたりの兄に取られるのが嫌で半泣きになっていたはずなのに、なぜ。
こてんと首を傾げれば、さらにころんころんと焼き菓子が返ってきた。
「やっぱりいいよ」
「ちっさな子からもらうなんて、かっこわりいからな」
「ええ?」
妹から当たり前のように取ろうとしていたのに。
ものすごく食べたそうだったのに、むしろ口を開けて放り込む直前だったのに、なぜ。
混乱する一郎を置き去りに、今度は焼き菓子の押し付け合いが始まった。
「ええー、だめ! あたしがあげるの!」
「それはもともとルーのだろ」
「食べたかったんだろ? 食べときゃいいじゃん」
「そうだけど、あげたいの!」
「なんだよ、おれらにはくれなかったくせに」
「イチローのは返すんだからいいだろ」
「違うの! そうじゃないのー!」
ぎゃあぎゃあと賑やかな子供たちに、母親と長兄がため息をつく。
クセナの真似をするように、使役魔獣のルビィまでが「ふう」と少し熱めの息を吐きだした。
「ああ、何したってケンカになるんだから……」
「イチロー、いまのうちにそれ食べとけ」
「くるぅ」
「残ってるとまたもめるからな」
ころころと一郎に割り当てられた焼き菓子三個を皿に残し、ルルシャが置いた分は彼女の皿にさっさと戻す。
言われるままにもそもそと焼き菓子を口に入れながら、一郎は傾げた頭をまた反対側に傾げた。
ヒトって、やっぱりよく分からない。
いまのどこに大声で言い争う要素があったというのだろう。そもそも何が気に入らないのだろう。
騒動のタネである菓子が無くなっても気付かないくらいに、夢中になって。
けっきょく、意味不明な言い合いは「お客さんを前にケンカするなんてみっともない」とカヤが一喝することで収束した。
トレクとルヤンはむっつりと黙り込み、ルルシャは大きな目を潤ませて自分の焼き菓子をかじっている。
……よく分からないが、次に来るときはもうちょっとたくさんお菓子がいるのかな。
そんな事を思った一郎だった。
☆ ☆ ☆
それから。
一郎は、ほとんど毎日クセナ・リアンに連れられて彼の家に行くことになる。
当然のように最初は“愛でる会”のお姉さま方やら研究者の男共やらに「行かないで!」「駄目だ!」と引き留められた。
快く送り出してくれたのは、はじめてお菓子をねだられたと舞い上がっているゼルマくらいだ。
が、それで一郎が外出を取りやめたことはない。
一郎は木乃香の使役魔獣である。木乃香がダメだというならともかく、他の誰が止めたところで言うことを聞く義務はないのだ。
普段素直に従っているのは、言うことを聞かない理由もなかっただけの話で。
……とまあ、そんな風な説明を一郎がしたところ、“愛でる会”と研究者たちはそろってがっくり肩を落としたのだった。
「なんで、そんなことゆうの?」
不思議そうに……心の底から不思議そうに、一郎は小首を傾げた。
―――そういえばコレは、他人の“使役魔獣”。
じゅうぶん分かっているつもりで、すっかり頭から抜けていた常識であった。
ゼルマを除いた“愛でる会”のお姉さま方は、いままでにこにこと素直に言うことを聞いてくれた一郎からの(やんわりとした)拒絶でこの世の終わりのような雰囲気になり。
研究者たちは、まさか規格外の“使役魔獣”から常識を諭されるとは思わず。こちらもしばらく立ち直れなかったらしい。
しばらく自分の研究室に篭って出て来なくなったが、まあ行動だけなら“流れ者”が現れる前に戻ったとも言える。
ちなみに。それ以外の住人たちからは、「ちょっと静かになって良かった良く言えたな」と頭を撫でられ、一郎はまたしても首を傾げる羽目になった。
クセナ・リアンがわざわざ一郎を連れに来る理由。
それは、彼がいると非常に仕事がはかどるからだ。
もちろん最初は、なんとなく元気のない様子を心配してのことだった。気分転換ついでに元気の良すぎる弟妹達のオモチャ、いや遊び相手になればいいかなとも、ちらっと思ったわけだが。
一郎は、こちらが心配になるほどとっても従順だ。
基本的に受け身なので、末っ子ルルシャの言われるままに引っ張り回されている。
それにトレクとルヤンの二人がちょっかいをかけにいくのだが、こちらはお目付け役のルビィがいるので、意地悪が過ぎることはなかった。
例えばお手伝いを頼まれると、一郎は決して早くはないもののちゃんとこなす。
文句も言わずに黙々とやるものだから、一郎にいい所を見せたいルルシャも一緒になって熱心に手伝う。
でもってそれに変な対抗意識を燃やしたトレクとルヤンが、いつもは嫌がったり面倒臭がったりですぐに遊びはじめ放り出す仕事を競うように片付けていく。
さらにいつも怒ってばかりの母親カヤがそれを手放しで褒めちぎり、ついでに労働の後には甘いお菓子が待っているのだから、子供たちのやる気はさらに上がる。
ヒマならちょっと手伝ってけ、と気楽に草むしりを頼んだクセナも、これには驚いた。
やればできるじゃないかお前ら、と。
ルルシャは、いつもであればちょっとからかわれただけでも母親カヤや長兄クセナに泣きついて来る甘えん坊だった。
しかしいつでもおっとりと構えている一郎に影響されたのか、自分よりも小さい子供(仮)を守る使命感に燃えているのか。ここのところの彼女は、泣き出すどころか意地悪な兄たちにも立ち向かう強さをみせていた。
トレクとルヤンのほうは、末っ子に兄離れされ反抗されたことでようやく「いじめていたら妹に嫌われるかも」と危機感を抱いたらしい。こちらは逆に慎重な行動をとるようになった。
人間的にもちょっぴり成長したらしい弟妹達を見て、嬉しいような寂しいような、なんだか複雑な長兄クセナである。
そんな、ある日のこと。
「お父さんが、帰ってくるの」
ルルシャが嬉しそうに言った。
彼らの父親は、農園で取れた作物を定期的に街へ運んでいる。契約している店を何か所か回り、余れば市場などで売り、新しい種や苗、こまごまとした日用品などを購入してから戻るのだ。荷物の量にもよるが、数日かかることが多い。
ちょうど入れ違いだったらしく、一郎はまだ彼らの父親に会えてはいなかった。
そういえば、今日は朝からなんとなく家全体がそわそわ落ち着かない雰囲気だった。
「お父さんね、いまファーメリアまで行ってたの」
「うん」
「ファーメリアって、マゼンタでいちばん大きな街なのよ」
「うん」
「きれいなお花の種を買ってきてくれるって、お父さんが――」
「うん」
先ほどから一郎が「うん」しか言っていないが、お父さんのことを話すのに夢中なルルシャは気付かない。
一郎のほうも、今日は朝からこんな感じだ。
もともとのんびりしているが、いつも以上にのんびりしている。動作がぎしぎししているというか、にぶいというか、適当というか。
しかもぼんやりとしていて、よくその辺の壁や人や使役魔獣にぶつかっては尻餅をついていた。
「魔法力切れ、じゃないんだよな?」
「……ん」
心配そうなクセナへも返事をするものの、これもなんだか適当である。
返事ができないというよりは、返事をする暇が惜しい、とでもいうように。
じっとどこか別の方向を見つめたまま、彼を見ようともしない。
そういえば、ぼけっとしている時はいつも同じ方向を見ていたな、とクセナが気付いたのは後のこと。
「きゅああああっ」
空を大きく旋廻していた彼の使役魔獣ルビィが大きく、しかしどこか嬉しそうに鳴いた、その時だった。
一郎の赤い双眸が丸く大きく見開かれる。
それまでのぼんやりが嘘のようにぱっと立ち上がった彼は、その勢いのまま走り出した。
「イチローちゃん?」
「おい、どうしたんだよ」
一直線に集落の入口へと向かう。
驚くルルシャらを振り返りもせず。
早く。ほんの少しでも、早く。
―――彼女のもとへ。
やがて置いて行かれた子供たちも、見え始めた大きな荷車にぱあっと顔を輝かせた。
「お父さんの荷車だ!」
「あれっ。本当にいた」
荷台からひょっこりと顔を出したシェーナ・メイズが、走ってくる赤髪の使役魔獣を見て呟いた。
御者台では、ラディアル・ガイルと荷馬車の持ち主であるカンタカ――クセナたち兄妹の父親だ――が「助かった」「いやいやこちらこそ」と握手を交わしている。
辺境マゼンタの領内でもさらに端っこにある王立魔法研究所まで行ってくれる馬車を探していたラディアルらと、集落へ戻ろうと預けておいた荷馬車を引き取りに来たカンタカがファーメリアでばったり出会ったのは、本当に偶然だった。
研究所方面へ向かう者は極めて少ない。
隣国との国境には厄介な荒野が広がるばかりで街道のひとつも繋がらないし、王立の魔法研究所はあっても、そもそもが閉鎖的な施設なので大した行き来もない。しかも最近は減ったものの、たまに荒野に生息する魔獣がふらりと出没したりするからだ。
できることならそんな所に行きたくない貸し馬車業者が、「ちょうど良いから」と仲介をしたのだった。
大人四人とちょっとで予想以上に重くなった荷馬車だが、そこは最上級魔法使いラディアル・ガイルの魔法による手助けがあったので、問題ない。
むしろいつもよりかなり軽い車輪と速い速度に、馬もカンタカもおっかなびっくりであった。
そして、先に研究所へと送ってくれようとした彼に「先に集落へ、ぜひ!」と強く主張したのは木乃香だ。
理由はもちろん、彼女の使役魔獣第一号がいるから。
シェーナに続いて下りたジント・オージャイトが、抑揚のない声で淡々と語る。
「当たり前だろう。自分の魔法力を分け与えた使役魔獣の居場所くらい、召喚主が分からなくてどうする。もっとも、ミアゼ・オーカが自身の魔法力にさえ疎いことは今回の王都でも嫌と言うほど実証されたわけだが……。いや、するとこの場合は魔法力感知だったのか? 交信の特殊能力でもあるのか?」
「あー。それはどうでもいいわ」
だんだん独り言に近いものになるジントの頭を軽くはたきながら、シェーナは首を傾げる。
「その使役魔獣のイチローが、なんでリアンのところにいるのかしらね?」
「……それは確かに疑問だ」
視線の先では、木乃香とその使役魔獣がお互いにひしっと抱き着いたところだった。
自分の使役魔獣にどーんと体当たりされた木乃香は、中腰の不安定な姿勢だったこともあり、押し負けて後ろに尻餅をついた。
さらにその勢いのままころんとひっくり返ってしまう。
魔法使いの認定を受けた時から着用を義務付けられる専用の外套は、下級と言えどもその性能に変わりはない。地面に寝っ転がったところで土埃ひとつつかないし、厚みがない割にひっくり返ったときの衝撃も少し緩和してくれているようだ。
しかしそんな白っぽい新品マントを突き破るかのような勢いで、一郎はぐりぐりと額を押し付けてくる。
「……いっちゃん?」
「………っ」
ヒトの言葉を話せるはずの使役魔獣が、しゃべらない。
ただひしっと彼女に張り付いて、ぐりぐりと頭を擦りつけるばかりだ。
小さな子供がいやいやとむずがるように。あるいはそのまま彼女の体内に潜り込もうとでもするかのように。
「いっちゃん」
「………」
ぐりぐり。ぐりぐり。
「いっちゃん、置いて行ってごめんね」
ぐりぐり。ぐりぐり。
「心配かけてごめん」
「………」
なだめるように、赤い頭を撫でてみる。
すると一郎は、小さな腕をのばしてきた。
もみじのような手はぺたりと木乃香の頬にあてられる。
ぺたぺたと手のひらを当て、さわさわと撫でる。まるで、何度も存在を確かめるように。労わるように。
これではどちらが召喚主だかわからない。
やがて一郎だけでなく他の使役魔獣たちまでわらわらと上に乗っかってきたものだから、「うぐぅ」と木乃香から呻き声がもれた。
個々は小さくても、さすがに全部はけっこう重い。
魔法使いマント、衝撃は吸収できてもさすがに重さの軽減まではしてくれないらしかった。
「ちょ、ちょっとみんな」
二号以下の使役魔獣たちは一緒になって甘えたかったのかその場のノリか、はたまた遊んでいるだけか。それは分からない。
分からないが、複数の使役魔獣にのしかかられているという言葉だけなら穏やかではない状況にもかかわらず、心配する者は誰もいなかった。もちろん止めに入る者もいない。
使役魔獣といえど、その見た目は心配するのも馬鹿馬鹿しいほどの小さなふわもこばかりである。なにより、雰囲気が人畜無害以外の何モノでもない。
木乃香と彼女の使役魔獣たちを知らなくても、そこに警戒心を抱かせる隙などなかった。
むしろ何だかほっこりした空気が漂い、荷馬車のそばでは使役魔獣たちに負けじと末っ子ルルシャにルヤンとトレクまでが父親に抱き着き、彼をよろめかせている。
一郎が、きゅうっと木乃香の首筋に縋りついた。
ヒトの子供のような姿形をしていても、使役魔獣である彼は子供のように泣く能力は持ちあわせていない。
しかしぎゅうぎゅう抱き着いて「うう」と小さく呻く様子は、必死に泣き喚くのを我慢しているようにしか見えなかった。
木乃香は、そんな小さな体を受け止めて頭を撫で続けることしかできない。
そして、ああ帰って来たんだなと実感するのだった。
次回から本編に戻りますー。




