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こんな異世界のすみっこで ちっちゃな使役魔獣とすごす、ほのぼの魔法使いライフ  作者: いちい千冬
彼女の過去。

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閑話・ところでその頃・1(二郎)

お留守番使役魔獣のお話です。

前・後編でお送りいたします。後編は16時更新予定ですー。




「わんわん、わんわん!」


 使役魔獣がけたたましく吠える。

 前足をきゅっと突っ張って、抱っこした腕から飛び出さんばかりの勢いである。

 といっても小さなふわころの体を捕まえておくのは簡単だし、思ったほどの注目も集めていない。


 こんな形の小動物を「変わっているな」と思っても、誰も使役魔獣だとは思わないだろう。そのふわころ具合と忙しない声が気になった誰かが、ときどき視線を向けてくる程度だ。

 ここは、世界一魔法使いが生息しているといわれる魔法大国フローライドの、王都フロル。

 多少変わったモノがその辺にあっても、いちいち注目などしていられない。

 要は、自分たちに害がなければそれでいいのだ。

 そして、万が一にもこの黒く小さなもふもふに害があるとは、誰も思わなかった。


 宿の外へ、ほとんど無理やり連れ出したのはシェーナ・メイズ。

 宿に置いて行かれた二郎がたいそう寂しそうにしていたので、気分転換になるかなと思ってのことだ。

 いつも通り、元気になってほしい。そう思ったのは確か。


「わんわん!」


 しかし連れ出したことが果たして良かったのか、どうか。

 異常を感知し、それはもう元気に吠えまくる魔法探知犬を見て、シェーナはちょっとだけ遠い目をした。





   ☆   ☆   ☆





 滞在中の宿の客室の中。

 黒い子犬……の形をした使役魔獣“二郎”は、主が出かけて行った扉をただひたすらに眺めて動かなかった。

ぺたんとお尻を床に付けたお座り状態のまま。丸っこい三角耳の先っぽも動くことなく。

 小さな小さな後ろ姿を見ながら、シェーナ・メイズは今さらながらに思う。


 ああこの子、オーカの使役魔獣だったわ、と。


 ぴこぴこと房飾りのような黒い尻尾を忙しなく揺らしながら、「寂しいからあそんでー」とばかりに寄ってくる姿を想像していただけに、ちょっと空しい。

 シェーナを忘れたわけではないと思う。ただ、主である木乃香のほうがはるかに大事で心配で恋しいだけなのだろう。

 いつも元気な尻尾は、いまは床にくっついたままぴくりとも動かなかった。

 一瞬、木乃香から供給されているはずの魔法力が尽きたのかと心配したくらいだ。


 しばらくして。

 角の取れた三角耳が、何かに気付いたようにぴくぴくと動いた。

 次いで、何かを探るようにすんと鼻を鳴らす。

 もしかしたら、認定試験が始まったか終わったのか、感じ取ったのかもしれない。

 そしてさらに。


「くーん………」


 初めて聞いたような鳴き声を、二郎が上げた。

 いつもより高くか細い、明らかに寂しげで心細げな、それ。

 本を読んで時間を潰していたシェーナは思わず顔を上げた。

 二使役魔獣がずっと向いている方向。そういえばそこは客室の出入り口だけでなく、その先に主が向かった王城があるはずである。


「だーいじょうぶよジロ。下級の魔法使いの試験なんて、そんな手間かけないから。ぱぱっと試験を終わらせて、お昼前くらいには帰ってくるわよ」

「くーん……」


 聞こえているのか聞いていないのか、シェーナの言葉にも二郎は知らんふりである。

 彼女ははあー、とため息をついた。


「くーん、て……そんな鳴き声も出せるのねえ」


 魔法探知犬である使役魔獣第二号“二郎”は、魔法を感知したときに吠えて知らせてくれる。逆に言えば、それ以外のときは吠えない。

 主である木乃香が何か言わない限り、通常二郎が教えてくれるのは自分たちにとって害のある魔法だけである。

 コレは、吠えるというよりは鳴く、あるいは“泣く”だろうか。危険を察知したわけではなさそうだ。

 が、どうにも精神的によろしくない鳴き声である。

 なんだかこちらまで一緒になって寂しくなってくる、そんな声だ。これなら危険だろうが何だろうが「わんわん」と元気に吠えてくれた方がましかもしれない。

 まっすぐお城の方角を向いたまま、二郎が不安そうに声を出す。


「くーん……」

「……はあ。ジロ、勘弁してよぉ」


 シェーナはがっくりと肩を落とした。

 本当は、彼女だって不安なのだ。

 二郎の声を聞いていると、それがこれでもかと煽られてしまう。

 本当に主が危険な状態であれば二郎が寂しげに鳴くだけで済むはずがない、と分かっていてもだ。


 この世界にも旅にも不慣れなのに、けっこうな長旅なのに、オーカの同行者が気遣いとか配慮とか無縁な男共だけってそんな馬鹿な、とほとんど無理やりついてきたシェーナである。

 だが、さすがに王城までは同行できない。

 保護者を自負してはいるが、ラディアル・ガイルのような師匠という肩書も、ジント・オージャイトのような推薦人という肩書も彼女にはないのだ。同行したところで、何もできないことだって分かっている。

 彼らがいて、自分よりは周囲が見通せていろいろ考えている王城勤務の弟ジェイル・ルーカが「大丈夫」というからには大丈夫だと思いたいが。

 ……あの弟、ときどき抜けているのだ。絶対ではない。


 しかしいま、彼らの様子を知る術はない。

 シェーナがいくら心配したところで、何かが変わるわけでもない。

 それも、わかっている。

 このまま部屋に閉じこもっていたら不安だけがぐるぐると渦巻いて、木乃香たちが帰ってくる頃にはへとへとになりそうだった。


 そういうのは、彼女の性に合わない。

 辺境の研究所で満足しているだけあって、引きこもりとは言わないまでもそう活動的なほうでもないのだが。

 それでも今は。


「うん。ちょっと出かけよう」


 呟くと同時に、シェーナは座り込む使役魔獣を後ろからひょいと抱え上げた。

 驚いたらしい二郎のぽてっとした四本足が、わたわたと宙をかく。


「気分転換。ジロも付き合いなさい」


 もふりとした黒い体を小脇に抱え、もう片方の手で少し乱暴に頭を撫でてやる。

 二郎はふすー、と抗議するように鼻を鳴らした。


「オーカが“魔法使い”になるんだから、お祝いしなきゃでしょう。疲れて帰ってくるだろうし、何か甘いものでも買って来よう」


 木乃香の使役魔獣たちが、主の言葉だけでなくその他の人々のそれもちゃんと理解していることを、シェーナは知っている。

 主のため、という言葉に彼らが弱いことも。

 ちろりと二郎の尻尾が迷うように動いたのを、彼女は見逃さなかった。


「ねえジロ。待っててね、とは言われたけど。部屋で大人しくしててね、とは言われていないでしょう?」


 よその役魔獣相手に鼻と鼻を突き合わせて、そんな屁理屈を真面目に主張する。

 ささやかな抵抗を見せていた二郎が、ぴたっと動きを止めた。

 あ、そうだと納得してしまったのか、シェーナの気迫に押されただけか。それは分からない。

 ちろ、と控えめに尻尾が揺れる。


「よし、行こう」


 シェーナは尻尾で了解が得られたと解釈することにした。

 もちろん、希望的観測が入った適当な判断である。

 彼女の解釈が合っていたのか、あるいは観念したのか。二郎は「くう」と頼りなく鳴いてから、大人しく彼女の腕に抱えられていったのだった。






     ☆   ☆   ☆






 ()()()()()吠えまくる使役魔獣を両腕で抱えたまま。

 その視線の先にある足元の石畳を、シェーナ・メイズは問答無用でげしっと踏みつけた。

 げしげしと何度か蹴りを入れてから、さらにぐりぐり靴先を押し付ける。


「だから王都は嫌なのよ」


 忌々し気な表情で呟く。と同時に、彼女の足元からはしゅうという音とか細い煙が立ち上った。

 まるで、焚火の残り火でも踏み消した後のようだ。

 実際、彼女は踏み消したのである。魔法探知犬(じろう)が吠えるような、あまり性質のよろしくない魔法の発生場所を。

 魔法陣や結界の類の構築を得意とするシェーナは、それの感知能力だけなら最上級魔法使いラディアル・ガイルよりも優れている。

 そして他人のそれを壊すのも、得意であった。 


「な…な……っ」


 彼女の目の前には、ひとりの魔法使いが驚愕の表情で立っていた。

 シェーナより年下だろう。金髪に碧眼、それなりに整った顔立ちをしているが、まだどことなくあどけない……というか、甘ったれた顔つきをしている。剣を腰に下げたお供らしき男たちが周りにいるので、どこかいい家のお坊ちゃんなのかもしれない。

 シェーナが身に着けているものよりも幾分濃い色をした“魔法使い”のマントに、凝った意匠の銀色の留め具(フィブラ)がこれみよがしに飾られていた。

 とくに銀の留め具を呆れたように眺め、彼女はため息をつく。


「……こんな早い時間に、お城の中央官サマがどうしたんですか?」


 お役人、ヒマなの?

 内心の付け足しを察したのか、単にぎくりとしたのか。男はぐっと顔をしかめた。


「し、仕事だ!」

「へー。こんな場所にこんな陣を敷くなんて、穏やかじゃないですねえ」


 聞いてはみたが、別にシェーナはこの役人が仕事だろうがサボリだろうが、どっちでも構わない。

 つい声が冷ややかになるのは、彼が描いていたと思われる魔法陣の種類と、その先にある屋台に問題があるからだ。


 そこは、“カナッツ”を売る店。

 カナッツというのは、小麦や卵、牛乳などを混ぜて油で揚げた軽食で、市場など人の集まる場所では必ずひとつふたつ見かける屋台だ。

 昨日木乃香が「ドーナツ!」と言って目を輝かせていたから、その“どーなつ”にも似ているのだろう。名前も似ているから、もとは過去の“流れ者”の誰かが伝えたものかもしれない。

 夕食を終えて帰る途中に見つけたそこはすでにほとんど売り切れ状態で、だからこそ今日買って帰れば彼女は喜んでくれるだろう、と思ったのに。


 すでに無効化した魔法陣跡を、シェーナはもう一度ざりっと踏みにじった。

 なかなか大きな魔法陣は、屋台の端にまで引っかかっている。いや、あえて含めて描いてあるのだ。


「大量の油を使っているお店のそばに炎を生む魔法陣って、危ないわよ? ……あんた、何考えてんの」


 しかも周囲にはたくさんの人々が行き交っている。万が一引火しようものなら、広場は大惨事になるだろう。

 彼女だけではない。話を聞きつけた周囲の人々の彼を見る目もまた、厳しいものになった。

 視線による急激な温度低下を感じ取ったらしい男は、うっと呻く。


「そ、それをわたしがやったという証拠でも」

「あんたでしょうが。ねージロ」

「わん」


 ちろりと尻尾を振りながら、黒い子犬が肯定した。

 二郎をよく知らない人々でも、ああ肯定してるんだな、と何となく察することができる、そんな「わん」であった。


「それに、認めたじゃない。ココに炎の魔法陣があったって」

「あっ」


 シェーナの言葉に、男がしまったという顔つきになる。

 こっそりと設置されていた魔法陣。発動する前に分かるのは、感知能力に優れたものか、同じ系統の魔法を使う魔法使い、そして設置した本人だけである。

 仮に彼が犯人でないとしても、知りながら放置していたことに変わりはない。

 羞恥なのか怒りなのか、彼はかっと顔を赤らめた。


「かっ“下位”の者が! わたしを誰だと思っている!」


 知らないわよあんたなんか。

 とっさに言い返そうとした言葉を飲み込んで、シェーナは相手を見据えた。


 下位。

 言うに事欠いて彼が言い放ったそれは、“魔法使い”の階級が上の者が下の者に対して蔑んだり優越感に浸ったりするときによく使われる言葉である。

 これを口にする魔法使いにロクな奴はいないというのが、彼女の持論だ。


「もちろん、あんたがどこの誰だか、()()()()()()()()()()()? それをここで言ってもいいのかしら? 一応配慮してたんですけども?」


 はったりで反撃してみる。

 すると、相手は今度はざっと顔を青くした。

 実に素直な顔色である。


「大声で言っていい? 栄えある中央官で階級いくつの“魔法使い”誰それ様が、“下位”の魔法使いに魔法陣を見破られ一蹴されましたって」

「ま……っ」


 本当はひと蹴りではなく何度か蹴りを入れ靴先でぐりぐりすり潰してようやく無効化できたのだが、その辺は伏せておく。

 双方にとって大きな問題はそこではない。

 王都の広場で騒ぎを起こし、なおかつ階級が下の魔法使いにやり込められた。そっちの方が、少なくとも男にとっては大問題だ。これがしかるべき所に知れれば、男の階級が下がる可能性だってある。

 フローライドの魔法使いの階級は、上がりにくいが下がりやすいのだ。

 そして下がるというのは、たいへん不名誉なことであった。

 彼女はわざとゆっくり、見せつけるようにして、にやーりと意地悪く微笑んだ。


「では皆さまお聞きください。彼は―――」

「まっ待て! 必要ない!」


 今日のところはこれで失礼するっ。

 慌てて踵を返した青年魔法使いの後ろ姿を、苛立ち半分、呆れ半分で見送る。

 彼はこの場での名誉挽回より、現在の地位を守ることを優先したらしい。予想していたが、何だかものすごくあっけない。

 これで逃げて行かないようなら先ほどの魔法陣の無駄と直した方がいい箇所、下手くそな魔法力の込め方をこれでもかと指摘してやろうかと思ったのだが……ちょっと残念だ。

 途中でちらりと振り返って睨んできたが、それ以上の殺気を込めて睨み返してやれば、怯んだように逃げて行った。


「覚えてろ、とでも叫んでくれれば、立派な脇役小悪党になれるのにねえ」


 呟くシェーナの言葉に、周囲の人々からも苦笑が漏れる。



 ここフロルにおいて。

 魔法使いたちが働く多少の身勝手は、いつものこと。

 そして害がなければそれでいいと人々が諦めているのもまた、いつものことであった。









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