こんな大きな木の下で・4
認定試験、その直後のお話です。
主人公が空気です(笑)
よりにもよって、その日その時間。
なぜか国王陛下が、「ちょっと散歩に行ってくる」と言い出した。
いつもは側近たちに呼ばれない限り自分の居住区からもほとんど出て来ないのに、である。
のんびりと、しかし妙に足取り軽く歩いて行ったのは、王都が見渡せる屋上テラスでも、趣がそれぞれに違う数多の庭園でもなく。
なんと魔法演習場の方角。
ミアゼ・オーカの認定試験が今まさに行われている、そこであった。
これを聞いたジェイル・ルーカは大いに慌てた。
ほんの気まぐれでたまに突飛な行動を起こすお人ではあるが、これは果たして偶然なのか、故意なのか。
どちらにしろ、よろしくない事態であることは間違いない。
彼はとにもかくにも、と急いで。けれども怪しまれないよう、何とかさりげなさを装って追いかけた。
それで。その先に見たものは。
冷たい石床の上にぱったりとうつ伏せに倒れているミアゼ・オーカと、彼女を守るようにその背中と脇、足元にひしっと張り付く小さな使役魔獣たち。そして。
「怖くない。怖くないよー」
そんな使役魔獣たちにそろそろと手を差し伸べている、困り顔の中年男性だった。
――フローライド国王陛下、その人である。
上品に後ろへと撫でつけられた、ゆるりと癖のついたセピア色の髪。丸みのある優し気な薄緑の瞳。柔和な顔だち。
しかも最上級魔法使いの証である漆黒のマントを羽織った“王族”とくれば、昔は、いや今でもさぞ若い淑女の皆様方の熱い視線を受けていたに違いない。
……もう少し、痩せていれば。
まあ、太いのが悪いとは言わないし、太めがお好きな娘さんだっているだろう。
よく言えば、人の良いおじさんである。
フローライド国王は、王城の地下貯蔵庫にごろごろしている酒樽に非常によく似た体型と存在感を持っていた。
悪いものには見えないが、むしろ親しみやすそうだが、異性としての魅力とか色気だってかけらも滲んでいない。ついでに一国の王様らしい偉そうな雰囲気もない。そんな感じだ。
「むう。どうしたら危害を加えないって分かってもらえるかな。そもそも言葉が通じているかな。通じてるよね?」
「ふーっ」
「ぴぴぴぃーっ」
「きゅきゅう」
足元に陣取る白い子猫は、尻尾を膨らませてじっとりとにらみ上げ。
背中に乗っかる小鳥は、黄色い翼をぱたぱたと忙しなく羽ばたかせ。
脇からひょっこりと顔を出す薄ピンクのハムスターは、ぴんと耳を立て様子を窺っている。
―――なんだか一体、見慣れないモノが増えている気がするのは目の錯覚だろうか。
ジェイル・ルーカはごしごしと目を擦った。
たぶん警戒しているのだろう。猫と鳥については威嚇しているようだ。
しかし見た目が見た目だけに、残念ながらぜんぜん威嚇になっていない。
ただ、彼らが必死なのは痛いほど伝わってくる。
小さく見るからに非力そうな彼らのそんな健気な様子を見ていると、まだ何もしていないのに悪いことをしたような気分にさせられてしまう。
敵意を向けられている王様もそんな心境なのだろう。
薄い眉をハの字にしゅんと下げて、中途半端に差し出した手もそれ以上伸ばすことができない様子だった。
得体の知れない他人の使役魔獣相手に安易にちょっかい出されても、それはそれで国王として危機感は大丈夫かと思わないでもないのだが。
張りつめたような微笑ましいような、奇怪な両者のご対面に、ジェイル・ルーカはなんだか気が抜けた。
次いで思ったのは、「この王様、あの腹でよくしゃがみこめたなあ」である。おそらく無意識の現実逃避だ。
なんとなくほ、と息をついた、そのとき。
「ああ、そこのきみ」
くるり、と件の王様がジェイルを振り返る。
ジェイルは吐きだした息をひゅっと飲み込んだ。
「そこに倒れている彼女を医務室に連れて行ってくれないかな?」
「……っへ」
「魔法力の使い過ぎだねえ。大丈夫だと思うけど、こんなところで寝てたら風邪を引いてしまうだろう?」
「は、はあ」
国王は渋々差し出していた手を引っ込めた。
いまだ厳戒態勢を解かない使役魔獣たちを寂しげに見つめ「そんなに怖い顔してたかなあ」と呟いている。
「へ、へへへいか」
「うん? なんだい」
盛大にどもりながら国の首長を呼ばわったのは、ジェイル・ルーカではない。
驚愕の表情で固まる認定試験の認定官であった。
姿が見えないと思ったら、どうやら大して広くもない魔法演習室の片隅で、縮こまっていたらしい。
なんだい、と国王が認定官をくるりと振り返る。
すると彼は「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。
背後の壁に背中を押し付け、張り付くような体勢になっている。狭い魔法演習室の中で彼が取れる、彼らとの最長距離であった。
振り返ればのっぺらぼうでした、というぐらいの怯えようである。
いるはずのないお人が突然現れて恐慌状態なのは分かるが、さすがにその態度はちょっと失礼じゃなかろうか。ジェイルでさえそう思っていると、ようやく認定官が震える口を開いた。
「へ、陛下は、どど、どどうしてこちらに」
「え。なんとなく」
国王は顔をしかめることなく、むしろ認定官の態度にはまるで興味がなさそうに、へらっと適当に笑う。そして適当な口調で言った。
「たまたま散歩してたら、面白そうな魔法の気配がしたから寄ってみたんだけどね。うん、なかなか面白いよねえ」
にこにこ。にこにこ。
その顔は、新しいおもちゃを見つけた子供のように無邪気できらきらとしている。
凍り付いた周囲の反応などまるで気付かない様子で、彼は「ふむ」と石造りの床を眺めていた。
おそらくは使役魔獣を召喚した、その召喚陣があったと思われる場所を。
「残念。もう痕跡のかけらもなくなったか。魔法演習室の構造が恨めしいな。それで、新入りはそっちの“さくら色”の子かな?」
薄ピンクのハムスターが髭をひくひくと震わせた。
小さな使役魔獣の小さな反応に、王様が「ふふふ。そうかー」と笑う。
どうやら満足のご様子である。
「へ、へへ、ど、どどど」
「うん?」
意味不明な言葉を発したことで再び顔を向けられた認定官は、いったんごくりと唾を飲み込んでから慎重に言う。
「その、この者は、認定試験の受験者、でして」
「うん。だろうね」
「それで、あの、陛下は、どう思われますか?」
恐る恐る、彼はたずねた。
自分で“下級魔法使い”だと断言し先ほどまで嘲笑っていたのが嘘のようだ。
彼がびくびくしているのには、理由がある。
国王の様子から、どうやら彼が“魔法使い”になる予定の見習い、というか彼女の使役魔獣たちに興味を持ったらしいと判断したからだ。
のちに彼女が国王のお気に入りにでもなれば、方々から低い階級のことをあれこれねちねち言われるのは明らかである。
しかし国王がたまたま見に来たという理由だけで階級を上げてその後何もなければ、やはり方々からあれこれ言われるのだ。
言われるのは、いちばん立場が弱い認定官である。
「うーん、そうだねえ」
王は使役魔獣たちを見、意識を失ったままの彼らの主であるミアゼ・オーカを見る。
それからふと、入口で固まるジェイル・ルーカを眺め。
ちらりと笑った後、答えた。
「これはちょっと小さすぎるよねえ」
物足りないと言いたげに、どことなく寂しげに、彼は笑う。
「は……」
「面白いけどね。残念だねえ」
性懲りもなく手を伸ばしかけては三体の拒絶を受ける。
ちょっと触りたいだけなのになあ、としゅんと肩を落とす国王陛下は、未練たらたらであった。
……まさかの可愛いモノ好きだったのだろうか。
なんだか恐ろしい予想に、認定官とジェイルは偶然にも同時にふるふると首を振った。
「ああ。そういえば、試験の結果はどうだったのかな?」
「……っひ。あ、あの」
認定官は、「こ、細かい階級についてはまだ決めかねておりますが」と上手く明確な答えを避けつつ、ちらちらと反応を窺いながら「下級で」と蚊の鳴くような声で言う。
「ふうん。下級魔法使いか。…………うん。彼女は、それでいいんじゃないかな」
国王ののんびりとした言葉に、認定官とジェイル・ルーカ、そして心なしか小さな使役魔獣たちまでが、ほっと肩から力を抜いた。
「うん」までの微妙な間が、気になるといえば気になるのだが。
よっこいしょ、と国王が立ち上がる。
「さてと。じゃあ、わたしは戻るかな。邪魔して悪かったね。彼女の手続きをしてやって」
「は、はひっ」
ぴんと背筋を伸ばした認定官は、国王陛下の意に沿うべく――というよりは、一刻も早くこの場から逃げたかっただけのような気がするが――勢いよく演習室を飛び出して行った。
だから、認定官が次の呟きを聞くことはなかった。
「ガイルも、これでちょっと安心するだろう」
「………あっ」
思わず声を上げ目を見開いたジェイルに、王は薄い笑みを浮かべる。
「きみは、彼女を頼むよ。きみなら彼女に触れることができるだろう?」
「は……」
ちらりと見下ろした先には相変わらず倒れたミアゼ・オーカがいて、その周囲に警戒心むき出しの使役魔獣たちがいた。
彼らが警戒しているのは、しかし国王陛下だけ。
彼が動くたびに、彼から見られるたびにぴく、ぴくと小さな使役魔獣たちが反応している。
頼りになるのかならないのか。微妙な見た目の彼らだが、とりあえずその様はいじらしくて、ちょっと微笑ましくて、そしてあからさまだった。
彼らにちょっかいをかけようとしているのが王様だけだから、と言い訳することはできるだろう。
だが。
なんというか。
国王様の白々しいほど穏やかな笑顔を前に、ジェイル・ルーカは悟った。
―――もう、いろいろと、全部ばれている気がする。
なんで。いつ。どこから。
ぐるぐる考えてどんどん青くなっていくジェイルの顔を眺めつつ、国王は言った。
「彼に伝えてくれるかな。下手に小細工しなくても、この娘は渡さないぞってさっさと宣言しに来ればいいだろうって」
「へ……」
「まったく見くびられたものだね。可愛い弟分が嫌がることをあえてやる趣味は、わたしにはないよ」
言いながらも、国王陛下のご機嫌はそう悪いものではないように思える。
ちなみに“彼”を「可愛い」などと表現できる人物は、昔馴染みでなおかつ比肩する魔法の実力を誇るこの人くらいだ。
ふっくらとした人の良い顔に浮かぶのは、苦笑。
腕白な子供の悪戯を「しょうがないなあ」と笑って許しているような、そんな顔である。
そういえば、何かと自由奔放な王様だが、彼が怒ったという話だけは聞いたことがない。
思い切ってジェイルは声を上げた。
「あ、あの! ……ひとつ、お聞きしたいことが」
とくに驚いた風でも、眉をひそめるでもなく、国王は「なんだい」と応じる。
薄緑の双眸が細められる。勘違いでなければ、どことなく面白そうに見える。
彼はごくりと唾を飲み込んだ。
「フロルの石畳を……ピンク色にした、理由をお教えいただけますか?」
「あー」
相手にしてみれば、ずいぶんと突飛な質問だったと思う。
しかし王は、「あれはねえ」とぽんと返してきた。
適当な理由で認定官を追い出し、聞かれるのを待っていたのではないか。と、そう勘繰ってしまうほど、なんだか嬉しそうに。
「あれ、ピンク色じゃないよ」
「は?」
「“さくら色”って言うんだ」
「さ、さくら色、……ですか」
「そう。“さくら”の花の色」
それは単に言い方が違うだけでは。
よほどそう突っ込みたかったが、ジェイル・ルーカはなんとか耐えた。
だってどんと得意そうに大きな胸だか腹だかを張った男は、仮にもこの国の王様なのだ。
「“流れ者”を歓迎するには、すごくいいと思わないかい? しかも、この子はかの“虚空の魔法使い”と同郷だって言うじゃないか」
「………はあ」
そういえば、あった。この城の庭園内に。
“虚空の魔法使い”ヨーダが作った、“さくら”という名前の花の木が。
「喜んでくれたんじゃないかなあ」
ほくほくと語る王様の視線の先には、小さな小さな使役魔獣。たぶん、使役魔獣。
やたら小さく弱々しく、丸っこくふわりとしたその塊は、さくら色……というには少々薄い、柔らかいピンク色をしていた。
「……とても驚いては、いましたよ」
彼女だけではない。ジェイルだって、そりゃあもう震えるほど驚いたのだ。
彼はがっくりと肩を落とす。
石畳がピンクではなく“さくら色”だったなど。新しい妃ではなく単純に“流れ者”を歓迎する意味だったなど。教えてくれなければ、誰もわからないだろう。
少なくともミアゼ・オーカの口からは“さくら”のさの字も聞いていない……と思う。
「朝早くから呼び出されて、きっと庭を見る余裕もなかっただろう」
そう。実物を見てもいないのに、ますます“さくら色”などわかるものか。
呆れるジェイルにもにこにこと人懐こい笑みを浮かべて、王様は言った。
「きみ、彼女に見せてあげて。ほんとうはわたしが案内してあげたいんだけど」
「そ、それは!」
「……うん。ちょっと、いろいろと面倒そうだからね。頼むよ」
少しだけ残念そうに、笑う国王陛下へ向けて、すでにいっぱいいっぱいの彼は速攻で、必死に頷いた。
国王が優しく目を細めた先には、小さな使役魔獣たち。
そして彼らに守られた、召喚主である“流れ者”。
「ようこそ、フローライド王国へ」
ひっそりと呟いてから、彼は「しぃー」と人差し指を自分の唇にあてた。
それを見ていたのは、小さな使役魔獣たちだけだ。




