こんな大きな木の下で・3
フローライド王国で仕官するために必要な条件。
それは、国で認定された“魔法使い”であること。
たったこれだけである。
下級とはいえ“魔法使い”の認定をもらったこの時点で、木乃香もその条件を満たしたことになる。採用試験こそ別に受けなければならないが。
納得はできるが、ちょっと理解できない。
木乃香は首を傾げた。
「あの、どうしてわたしが」
「いや、あのラディアル・ガイル・フローライドの手綱を握れるだけで、おれたちにとって君は尊敬の対象なんだけど」
なんか名前の後に国の名前がくっついていたような気がするが、これはやっぱり師匠にして保護者様筆頭のラディアル・ガイルに間違いないのだろう。
ジェイル・ルーカの言い方だととんでもない暴れん坊のようだが、お師匠様は基本いい人だ。少々面倒見が良すぎて、ときどき暑苦しいと感じるくらいか。
もちろん、手綱など木乃香には握った覚えがない。その必要もない気がする。
自由気ままにやっていると本人も言っているし、なにしろ戦闘能力が高いので実際暴れると大変そうだが、むやみやたらに魔法を使って迷惑をかけることもないし、無茶な我儘で周囲を困らせることもない。
「マゼンタの王立魔法研究所からの書類が、ちゃんと読める字で、汚れても破けてもいない状態で、なにより期日前に送られてきた時点で、あの人に何があったんだって騒然となったんだよね」
「……はい?」
「しかも実際行ってみたら。あの万年汚部屋が! 人が入れるくらい片付いてるし。あれは感動した。うっかり涙出そうになった。ほんと、どうやったらあの人に片付けさせるなんて神業ができたの」
「………」
そういえば。
最初にラディアル・ガイルの執務室に入って来たとき、彼は大げさなほどに驚いていた。
そして件の書類についても、木乃香には心当たりがある。
たぶん執務室の机にあった本や紙束の山から発掘したどれかだ。提出期限が迫っていて、「書いても書かなくても一緒だ」と渋るラディアルを急かして自分も手伝って、何とか仕上げた覚えがある。
だって研究所の研究費や運営費の予算見積もりだったのだ。出さないと予算が下りない、と心配していたというのに、提出してもしなくても、最上級魔法使いの地位と名前、そして毎年の惰性でちゃんとお金はもらえるのだという。国のお金がこんないい加減に振り分けられているのが、木乃香には信じられない。
ちなみに。ラディアルによれば、会社勤めの経験を生かして分かりやすく表にまとめ裏付け資料まできっちり揃えて出した予算書のお陰で、いつもより多めの予算を獲得することが出来たらしい。
どうせ来ないだろうと高を括っていた書類が、異様なほど分かりやすく整った体裁で送られてきたのだ。いつもなら適当に目を通すだけの担当者もびっくりして、「何かあるのでは」と変に気味悪がって警戒した結果の予算増であった。
そもそも、木乃香が勤めていた会社では、見積書などの提出書類はだいたいの形式が決まっていた。パソコンに入っているプログラムに従ってマスを埋めていけば書類が出来上がる。作る方も見る方も楽な方法である。
こちらの国のように、「さあ書け」という内容の手紙と書類用らしい白紙の紙束が送られてきたところで、ラディアル・ガイルでなくとも面倒くさいと思うに違いなかった。
「“流れ者”が関わってるって聞いたときは、君が変な特殊能力でも持っているんじゃないかって疑ったんだ」
「……それも賭けの対象ですか?」
「えっ? いや、げふげふ。昔、魅了とかいう特殊能力で国の要人たちを虜にしてやりたい放題、けっきょく国を滅ぼしたっていう悪女もいたんだよね」
多種多様な魔法が存在するこの世界だが、魅了や洗脳、記憶操作など、他人の脳や精神に干渉する魔法だけはない。
そんな能力を持ち得るのは、異世界から来た“流れ者”だけなのだという。
つまり、国内屈指の魔法使いであるラディアル・ガイルに言うこと聞かせる為には、そんな未知の“力”でも持ち出さない限り無理だと思われているのだ。
まあ、それならそれで利用したいと思ってたんだけど、と腹黒い事をジェイルは呟く。
「でも実際のオーカちゃんは、特殊かどうかは分からないけどなんか無害だし。あの人たちが過保護になるのも……ここへきてちょっと、理解できた気がするし」
木乃香の懐からじーっとつぶらな瞳でこちらを見上げる、薄ピンクの小さな小さな使役魔獣をちらりと見て、彼は呟いた。
五郎だけではない。他の使役魔獣たちも、警戒しているというよりはただ成り行きを見守っているような眼差しで、ジェイル・ルーカを見つめている。
ジェイルはやりにくそうに、もそもそと身じろぎした。
「そ、それから。君を見ていて思うのは、たぶんおれと一緒じゃないかなってこと」
「一緒?」
「研究者って感じがしない。あそこの魔法使いたちみたいに、寝食を忘れるくらいに研究に没頭できる知識欲と根性がある? おれは無理だった」
「………」
うん。たぶんあれは木乃香も無理だ。
師や他の魔法使いたちの手伝いを買って出てはいるものの、自分で研究したい何かがあるわけではない。もともと学者気質でもない。
むしろ研究所には、“流れ者”である彼女を研究材料にしたい者がたくさんいる。そういう意味では、彼女にも魔法研究所に留まる意義はあるのかもしれない。
しかし彼らに提供できる異世界の知識などたかが知れている。たとえば市販のカレールーが無ければカレーライスひとつ作れない彼女は、先の“流れ者”たち以上の何かを彼らに教えられるとは到底思えないのだ。
それに、大分ましになったとは思うが、彼らの研究対象になるのは精神的にかなりきつい。
普通に食事をしているだけなのに凝視され、頷かれ、ときに首を傾げられ、紙に何かを書きなぐられる。食堂のゼルマおばさんらが彼らを追い出してくれなかったら、きっと木乃香は魔法力不足より先に食欲不振で倒れていただろう。
嫌なことを思い出して複雑な顔つきになった彼女の様子に何を思ったのか。ジェイルは慌てて続けた。
「今がダメってわけじゃないんだ! 君に知っておいて欲しいのは、マゼンタ王立魔法研究所の居候以外にも選択肢があるんだよってこと。まあ、研究所の正式な職員にもなれるけど、王城で働くことだってできる」
君は文官向きだと思うんだよねえ、と彼は言う。
「あの……」
「うん?」
「でも、わたしが国王様の近くで働くって、まずいんじゃ……」
「………ああ!」
ジェイル・ルーカは今思い出したとばかりにポンと手を叩いた。
細目がなくなる勢いで、にっこりと会心の笑みを浮かべる。
「そうか。君、意識が無かったんだった」
「あの……」
「そこは心配ない。王都にいたって、王様に会えるのなんてほんの一握りの高官だけだし。それにお墨付きももらってるし、ぜんぜん大丈夫みたいだから!」
お墨付きって、誰の?
首をかしげる木乃香は、知らない。
魔法力不足で倒れた彼女と、それを見て嘲笑い、次に「手間のかかる」と眉をひそめる認定官。
そんな魔法演習室に、ジェイルが駆けつける前に入室した人物がいたことに。
それが、偶然通りかかった国王陛下その人だということに。
詳しく聞こうと口を開きかけたそのとき。
「ミアゼ・オーカに余計な事を吹き込むなジェイル・ルーカ」
部屋の仕切り布をかき分けて入って来たのは、ジント・オージャイトだった。
抑揚がないのにひやりとした声音で、無表情なのになんとなく憮然とした様子である。実はなかなか器用なのかもしれない。
「遅いと思って様子を見に来てみればまったく」
「いやいや、オーカちゃんは目が覚めたばっかりだからね?」
ジント・オージャイトは木乃香の様子をざっと確認して、その周囲を固める使役魔獣たちをじっと見て、そしてジェイル・ルーカを一瞥した。
ジェイルはにやりと笑みを返す。
「どこから聞いていたのか知らないけど。おれもオーカちゃんの意見に賛成。みんな彼女に対して過保護だよ。心配し過ぎ。ちょっと迷惑なくらいにね」
「いや、迷惑とかじゃ……」
「紳士としては、妙齢の女性に対して子供扱いってじゅうぶん失礼だと思うよ。ジンちゃんもちょっとはそう思ってるんでしょう」
「誰が紳士だ。それからジンちゃん言うな」
すかさず言い返すジントは、しかし過保護も失礼も否定しないあたり、正直者である。
わざとらしいほどに木乃香から顔を背けたところを見れば、子供どころか珍獣扱いで追いかけ回していた己の所業を思い出したらしかった。
「聞けば、オーカちゃんは以前ちゃんと働いて生活していたっていうし。ええと、ジウショックだっけ」
「事務職ですか?」
「そうそれ。大きな商会の雑務、縁の下の力持ちみたいな」
「……そう言いましたね」
道中の何気ない会話だったが、しっかりと覚えられていたらしい。
そう言えば。
ジェイル・ルーカは、異世界の社会の仕組みや彼女の仕事内容についてとくに興味を持っていた様子ではあった。
異世界のことなら何でも根掘り葉掘りしつこく聞きたがる研究者たちと違って、向こうも軽い口調で王都の様子などを面白おかしく話してくれるものだから、ついついこちらも聞かれるままに話していた気がする。
単なる暇つぶしの雑談だったが、その実いろいろと探りを入れられていたのかもしれない。
「そのジー……ええと、それ。こっちでも生かさない手はないと思うんだよね」
「はあ」
「現に、ラディアル様の補佐を立派にやってるわけだし」
「いや、しかし……」
ジント・オージャイトが顔をしかめる。
しかし、すかさずジェイルは彼を指さした。
「そんなに心配なら、ジンちゃんも中央に戻ってきたらいいのに」
「な……っ」
「オーカちゃんが気になるんだろう。彼女を観察……ええと、見守りつつ? 仕事したらいいよ。ジンちゃん真面目だし、今なら多少人付き合いが苦手でも何とかなるって」
最初に思わず“観察”と口走る程度には、彼はジント・オージャイトの性格をよく知っているのだろう。案の定、ジントはひどく揺さぶられたような顔をしていた。
木乃香を、いや正確には木乃香の傍らにちんまりと座る、先ほどから気になってしょうがないピンクの新入り使役魔獣を見る。
その熱い視線に危険を察知したのか、あるいは単なる人見知りか。五郎はぴくぴくと白いひげを震わせて、木乃香の白いマントの中に隠れてしまった。
「まあ、無理強いはしないから。とりあえず、この話だけできればよかったから」
いくらか満足したような顔で、ジェイル・ルーカが言った。
とりあえず、本当に話だけでよかったらしい。
「焦らず、考えてみてね。あ。そうそうジンちゃん」
「なんだ」
「帰りに、オーカちゃんに中央庭園を見せてあげてよ」
「なぜだ」
「ピンクの石畳の理由がわかるから。たぶん、オーカちゃんも楽しいと思うよ」
それだけでジント・オージャイトは彼が言いたいことを察したらしい。
「まったく、紛らわしいな」
不思議そうに首をかしげる木乃香の傍らで、彼はふっとため息をついた。




