こんな大きな木の下で・2
ふわふわ、さわさわと頬をくすぐる何かがある。
次にもう少しだけ弾力があって小さな何かがつい、つい、とこめかみを押す。
「きぃ、きーう」
さらにそんなか細い鳴き声を耳で拾って、木乃香はぼんやりと目を開けた。
「……ごろちゃん?」
「きう」
先ほど召喚したばかりの薄ピンクのハムスターが、小さな鼻面を押し付けている。
主の身体は大丈夫かな、とコレなりに探っているようだ。
もそもそ動く鼻と、それによって震えるひげが非常にくすぐったい。
ぼんやりとそう思っていると、今度はつくんと頭をつつかれた。
つくんつくんとその辺の頭皮をつついたり髪の毛を引っ張ったりした挙句、ソレは反対の耳元で強めに鳴く。
「ぴぴぃっ」
「……みっちゃん。地味に痛いんだけど」
「ぴぴっ」
心配したんだよ、と言いたげに囀る黄色い小鳥の姿は、彼女の髪の毛に隠れてあまり見えない。寝ている間にずっと髪を弄ばれていたなら、けっこうひどいことになっているだろう。
「にあー」
そしてぼんやりとお腹が温かいなあと思ったら、そこには白い子猫が丸くなっていた。体が小さいせいか、あまり重みは感じない。
冷たい特殊能力の持ち主ではあるが、その体温はなんだかまた眠くなりそうな温さだ。
そんな木乃香の気持ちを察したのか「ちゃんと起きて」とばかりに四郎はさっさと彼女の腹の上から退いてしまう。
仕方なく、木乃香はゆるゆると身体を起こしてみた。
まるで身体が鉛に変わってしまったかのように重く、少し動いただけで関節からぎしぎしと音が出そうだ。上体を起こせば、軽いめまいと頭の奥に鈍い痛みも感じた。
「あー……やってしまった」
思わず大きなため息が漏れる。
この熱がないのに、むしろ冷えているのに熱を出した時のような症状は、非常に身に覚えがある。そして心当たりもある。
疑いようもなく、魔法力の使い過ぎであった。
これだけは、三郎の治癒能力もまったく通用しない。
なにしろ木乃香の使役魔獣たちの力の源は、木乃香の魔法力である。使えば使うだけ彼女の魔法力を削ってしまう逆効果なのだ。
いつも甘噛みならぬ甘つつき程度で遊んでいる三郎が強めにつくつく突いてくるのは、おそらく自分の特殊能力では治せないので苛立ってもいるのだろう。
「きぃー……」
魔法力不足に陥った原因ともいえる五番目の使役魔獣が、申し訳なさそうに小さな体を寄せてくる。
その淡いピンク色のもふもふを労わるように撫でていると、ベッドから降りた四郎が軽快な動作で窓枠に飛び上がった。
にゃあ、と鳴いたその先には、赤っぽい茶髪を持った細身の誰かが座っていた。
「お姉さま?」
「……いやむしろ“お兄さま”?」
苦笑とともに窓際から声が返ってくる。
それは明らかにシェーナ・メイズのものではなく。
「……ジェイルさん?」
「なんでそんな意外そうな顔してるかな」
白猫を肩に乗せた、いや乗っかかられたジェイル・ルーカが苦笑した。
そう、ここは彼の職場でもあるフローライドの王城で、辺境の研究所ではない。そう都合よくシェーナ・メイズやラディアル・ガイルが付き添ってくれているわけがないのだ。
……そもそも、目が覚めたら彼らがいると思っている自分ってどうなのだろう。
しかも、不可抗力とはいえ赤の他人に寝顔を見られていたというのに、いい大人がそれ程の恥ずかしさも覚えないとか。
「ジェイルさん、ずっとここに居て下さったんですか?」
「え? あー、ときどき様子を見に? それ以外は個室の外に居たよ。さすがに女の子が寝てるところにずっといるわけにいかないでしょ」
「ですよねえ」
慣れって恐ろしい。
はあ、とため息をつく木乃香には、同じくため息をついて「じゃないと姉ちゃんに殺されるからおれ」と呟いた彼の言葉は耳に届かなかった。
「……まあ、いま起きてくれてよかったよ。そろそろ起こそうか、それで無理なら“お父さん”に引き取ってもらおうかと思っていたから」
う。と木乃香が呻く。
「その“お父さん”はやめて下さい……」
「“お父さん”以外の何者でもないでしょうあの人。あ。ここはお城の中の医務室ね。魔法力不足で泊っていく魔法使いも多いけど、オーカちゃんあんまり長居しないほうがいいでしょ」
患者用の個室だろうか。簡素なベッドと簡素な寝具、それからジェイルが腰かけている小さな丸椅子しか置かれていない狭い部屋である。入口にドアはなく、長い暖簾のような布がかけられていた。
「どう、動ける?」
「うーん、たぶん何とか」
掛けられていた毛布を退けのろのろと床に足を付けると、定位置とばかりに三郎が頭の上に飛び乗ってくる。四郎は彼女の足元に寄って来ると、尻尾をゆらんと立てて青い瞳で労わるように見上げてきた。
そして新入りの五郎はというと。わたわたと寝台についた手のあたりをうろついていた。自分はどうしたらいいんだろう、と困っているようだ。
思わず笑った彼女がピンクのもふもふをすくい上げたところで、ジェイル・ルーカと目が合った。
「あのさあ」
「はい」
「ソレ、使役魔獣なんだよね?」
「はい。そうですね」
なんだソレはと言わないあたり、彼も木乃香の使役魔獣に慣れてきたのかもしれない。
しかし、慣れと理解できるかどうかは別問題である。
ちょっとばかり手を回して仕向けた認定官と同様、ジェイル・ルーカも召喚魔法にはあまり詳しくなかった。自分が使えないので詳しく知りたいとも思わない。
が、あまりに突飛な姿形に、聞かずにはいられない。
「コレ、何か役に立つの?」
「さあ。どうなんでしょうね」
「…………」
役に立つ立たないではなく、「どうなんでしょう」って何だ。
首をひねるジェイル・ルーカに、木乃香は苦笑を返した。
「この子は、お守りなんですよ」
「はあ、お守り」
木乃香は、王都に行くと決まってからも皆からさんざん心配だの危ないだの言われた。
この世界へ迷い込んでから初めての旅行だし、そもそも保護してもらった研究所の敷地と隣接して広がる荒野以外の場所に行ったのだって数える程度だ。彼女自身だって不安がないわけではない。
が、周りがあんまり「心配心配」と騒ぐものだから、そんな彼らのほうがむしろ彼女は心配になった。
そんなに自分は頼りなく見えるのだろうか、と。
「なんか皆さん、わたしがとっくに成人してる大人だって忘れてるんじゃないかっていうくらいの過保護っぷりで」
「ああー……」
ジェイルが深く頷く。
彼の反応に、木乃香も「やっぱりあれは過保護だったんだな」と再認識する。それこそ、出会ってさほど経っていない彼にまでしみじみ同意されるくらいに。
「ここはひとつ、放っておいても大丈夫だってことを見せないとダメかなと」
「………それがこの、コレだと?」
「“五郎”です。ごろちゃん、あいさつしてね」
「きぃ」
「…………」
召喚主の手のひらで、薄ピンクのハムスターがジェイル・ルーカに向かってひょこっと体を起こす。そしてひくひくとブルーベリーのような鼻と白いひげを震わせた。
本当に「よろしくー」とあいさつしていそうな仕草である。
「……あー、ええと、それでお守りって?」
「例えば誰かに襲われた場合、この子は盾になってくれます」
「きぅ」
タテ? 縦? ……もしかして“盾”?
ジェイルはあらためて、まじまじと“五郎”を見た。
この極小で柔くて毛むくじゃらの、見るからに弱そうなコレが?
「いやいや。盾って、どの辺が?」
彼の、内心の混乱ぶりに気付いているのかどうか。
木乃香はもう少し説明することにした。
「例えば、わたしに対して誰か攻撃したとします。魔法でも、物理的にでもいいんですけど。そうすると五郎がとっさに見えない壁を作って、防いでくれるんですよ」
要は魔法防御だ。あるいは魔法障壁ともいう。
常にこの王城の外側に張り巡らされているものであり、魔法使いの犯罪者用の牢にも強力な結界が施されている。まあ、魔法自体は珍しくない。
ただし果たしてソレが使役魔獣の特殊能力として付与できるものなのかどうか。使役魔獣に詳しくないジェイルにはちょっとわからない。
でかい図体を利用して実際に立ちはだかり、文字通り壁になったり盾になったりして召喚主を守る使役魔獣は見たことがあるのだが。
それよりはたぶんずっと高度な召喚陣と多大な魔法力が必要なのだろうとは想像できる。
しかもだ。
「なんでこんなに小さいの?」
「小さかったら、どこでも持ち歩けるじゃないですか」
当たり前のように木乃香は答えた。
この国では、使役魔獣を召喚すれば、魔法使いであることを誇示するように見せびらかす者が多い。
見せびらかすから大きい使役魔獣が評価されるのか、あるいは大きい使役魔獣が評価されるから見せたがるのか。それは分からないが、彼女のように「隠せる」ことを喜ぶ者はいないような気がする。そして大きい使役魔獣は、召喚陣で持ち運ぶのが普通だ。
攻撃に特化した使役魔獣ならば、それでいいかもしれない。
しかし防御に力を発揮する使役魔獣ならば、攻撃されてから召喚するのでは間に合わない。常に身近に置いておくというのは正しい使い方なのだろう。
「なるほど。“お守り”かあ」
要は、その辺の店に売っている魔法を付与した護符とかアクセサリーとか、それと同じだ。違うのは、ソレ自体が動くことくらいだろうか。
それなら護符とかアクセサリーとかを身に着けたほうが手っ取り早いと思うのだが。
あのラディアル・ガイルの様子なら、お願いすればすぐにでも品質のいい物を買って……いやむしろ彼自ら魔法で作って持たせてくれそうなのに。
あえての使役魔獣。
その辺の感覚が不思議というか奇抜というか、“流れ者”なのかなあと変に感心するジェイル・ルーカである。
ところがこの使役魔獣、実は狭い範囲で一時的にという条件であれば、王城の魔法結界にも匹敵する防御力を誇るのだ。
“お守り”というちょっと曖昧で控えめな表現、それに使役魔獣の小さく無害そうで無力そうな見た目にそこまで思い至らず、彼はまんまと騙されたのだった。
ちなみに、召喚した張本人である木乃香もよく分かっていなかった。
そばに魔法探知犬がいない状況では王城のセキュリティ設備の程度を調べることなど出来ない。 彼女は自分の召喚した使役魔獣がどれほどの実力を持つのかなんとなく把握してはいても、果たしてそれがどれくらいの位置づけになるのかがサッパリなのだ。
まあ能力が高いに越したことはないだろう。そんな適当な感じでぎりぎりまで、それこそ自分が倒れるまで能力を上げてみた結果が、コレであった。
この辺の世間知らずと鈍感な具合、大抵が消極的にもかかわらずときどき妙に大胆で大雑把になるあたりが、保護者様方がこぞって「目が離せない」とため息をつく要因なのだが、残念ながらあまり彼女は理解していない。
「まあ、とりあえず」
ばさり。
と、寝台に腰かけたままの木乃香の肩に、白っぽい布がかけられる。
彼の灰色マントの内側から急に現れたそれは、単に抱えていた腕がマントに隠れていただけの話で、もったいぶっていたわけではないらしい。
膝まで簡単に隠れる大きさ。それなりの厚みがあるのに絹糸のショールのように軽く柔らかく、魔法力不足で冷えた身体にほんのりと温かく感じられた。
付いていたフードを黒髪にぱさりと被せられれば、驚いて飛び上がっていた三郎が定位置とばかりに白い頭に戻ってくる。
「“魔法使い”認定、おめでとうオーカちゃん」
見上げれば、ジェイルが細い目をいっそう細めて笑っていた。
木乃香はあらためて自分にかけられた布――マントを見下ろす。
色はだいぶ明るいが、大きさ形といい、布の裾部分に入れられた落ち着いた銀色の刺繍といい、目の前にいる魔法使いが纏うものととてもよく似ていた。
白っぽいので、なんだかてるてる坊主みたいだが。
「狙った通りの“下級”だよ。まあ、階級が十一ってちょっと低すぎる気がするけど」
「じゅういち………?」
「あれ。不服だったかな」
「別に、いいんですけど……九位かそれ以下、と認定官の人に言われたので」
十一だって九以下なのだから、間違いではない。が、思ったよりも低かったなとは思う。
位に文句はないが、この灰色というよりは白っぽいマントが師の黒と同じくらい妙に目立ちそうで、この先ずっとこれを身に着けるのかと思うとちょっと嫌だなあと思ってしまった木乃香である。
やっぱり最後に魔法力不足で倒れたのがまずかったのだろうか。最下位は滅多にないということだったから、オマケでぎりぎり認定?
そんなことを考えていると、ジェイルが「ああ」と苦笑した。
「ふっかけたわけね。ふっかける相手が悪かったなあ」
たまにあるのだ。
受験者の本来の実力よりわざと低く評価し、階級を上げるために認定官が金品などの見返りを要求する場合が。
それは中央に配慮すべきコネがなく、事前のあいさつや根回しにも疎い地方出身者に対して行われることが多い。
地方在住である推薦人の中級魔法使いにたかろうと思ったら魔王様、いや国内屈指の最上級魔法使い様が出てきたのだから、認定官はさぞびびったに違いない。
つまりこの下から二番目という位は、師ラディアル・ガイルも納得ずくなのだ。
「まあとりあえず。オーカちゃんは魔法使いになったわけだ」
「はあ、そうですね」
「その上で、おれは君を勧誘したいんですけど」
「は?」
にんまり、と底の見えない笑顔でジェイルは言う。
「会った時、最初に言ったでしょ? 勧誘しに来たって」
「そう、でしたかね」
木乃香が首を傾げれば、ジェイルは苦笑する。
最初といえば、なんだか彼と保護者様方がもめていて、あとは嫁に出す出さないの話しか思い出せない。
「国王のお妃に、とかいう話ですか?」
「いやいや。今度そんな話持ち出したらおれ殺される。確実に殺されるから」
ふるふると首を振ったジェイルは、冗談めかした口調ではあるが、ぜんぜん洒落にならない顔つきをしていた。
「……実のところ、性格によってはそれもアリかなあとは思ってたけど。君はそういう野心とかないでしょう。でなきゃあんな辺境に引きこもってないよねえ。というか引きこもり、長くない?」
そうだろうか。
王立研究所の敷地からあまり出なかったのは事実だ。が、敷地内であればけっこうあちこち出没していた木乃香である。部屋からほとんど出て来ない本物の引きこもり研究者が周囲に当たり前のようにいたので、自分がそうだと言われてもいまいちピンと来ない。
「三か月に賭けてたのになあ」
「…………へえー、そうなんですか」
中央の役人、暇なのか。
独り言のようなぼやきにわざとらしく答えてやれば、ジェイルは慌てたように「げほごほ」と下手な咳払いをする。
「ええとね。マゼンタに“流れ者”が出たっていう噂が流れたとき、どんな人物なのかって、仲間内でちょっと話題になったことがあってね。男なのか女なのか、魔法力持ちなのか特殊能力持ちなのか、この国に留まるのか出ていくのか」
「それが賭けの対象になっていたと」
「え、はははっ。つまり、何が言いたいのかというとね」
冷ややかな対応にもめげず、彼は続ける。
それは、いらっと来るほどの気安い口調だった。
「オーカちゃん、おれたちと一緒にここで働かない?」
「……は?」
「実際会う前から目を付けてたんだよねえ」
そんな事まで付け加えたジェイル・ルーカは、しかし軟派で片づけるには油断のならない顔つきをしていた。
次話は明日投稿予定です。




