そんな彼女は魔法使い・7
簡単な経歴や扱う魔法の種類などを記載した申請書類を提出し、指定された日時に登城。試験会場にて認定官の前で適当に魔法を披露して、試験は終わる。
そう聞いていた木乃香は、最後も何も、そもそも“試練”があること自体が初耳であった。
しかし、有り得ないとは言い切れない。
教えてくれたラディアル・ガイルら研究所の魔法使いはほとんどが魔法学校の出身で、認定試験の知識はあっても経験はない。先ほど認定官が魔法を打ってきたことといい、実際と異なっている可能性は大いにあった。
はじめて戸惑うような表情を見せた受験者に、認定官は勝ち誇ったようにふふんと笑う。
そして、こんなことを言い出した。
「ミアゼ・オーカ。お前がここで魔法を使って見せろ」
木乃香が使える魔法。それは、召喚魔法しかない。
それは認定官も知っているはずなのだが。
「………ここで、ですか?」
「ここでだ」
認定官の言い分はこうだ。
木乃香は使役魔獣を連れて入室してきたので、召喚する場面を見たわけではない。
ほんとうに召喚魔法が使えるのかどうか、確認するのだという。
言われてみればそうかなあと思わないでもない。
が、そもそも使役魔獣は召喚主以外に懐かないというのが常識なので、使役魔獣を連れていればその者が召喚したとみなして間違いないはずなのだ。
……と、そう反論できれば良かったのだが。
残念ながら、木乃香の使役魔獣たちこそ召喚主以外にも簡単に懐く例外中の例外であった。
例えば。ラディアル・ガイルの膝の上に飛び乗ってそこでくつろぐ四郎や、シェーナ・メイズにきゅっと抱っこされて喜びはしゃぐ一郎を見たとする。
知らない者は、これらはラディアルやシェーナの使役魔獣なのだと勘違いするだろう。……一般的な使役魔獣らしく見えるかどうかはとりあえず置いておくとして。
認定官はその事実を知らないはずだが、困ったように黙り込んだ受験者を見てふふふんと鼻で笑った。
「なんだ。できないのか」
「いえ。できる、とは思いますけど……」
「ほう」
「時間かかりますよ?」
忙しいんじゃなかったんですか。
言外に問えば、認定官はふんと鼻を鳴らした。
「召喚陣のひとつやふたつ、持ち歩いているものだろう」
「わたしの使役魔獣は出し入れできない仕様なんです」
「ぴぴ」
「にああ」
木乃香を擁護するように使役魔獣たちが鳴いた。
が、認定官はうるさそうに顔をしかめただけだった。
「先ほど出来ると言ったのは偽りか」
「……いえ」
出来る、とは思うのだ。が。
ちょっと予想がつかないので不安だ。
まず、どんなモノを使役魔獣として召喚するか。
これが決まらなければ、召喚陣だって描けない。
突発的に与えられた“試練”だが、しかし幸か不幸か木乃香にはその当てがあった。
王都フロルへ行くことが決まったあたりから、五体目の使役魔獣を召喚しようかな、と考えていたところだったのだ。
そのために描く陣は、だいたい考えてある。
ただ、召喚場所がマゼンタの王立魔法研究所ではなく、王城の魔法演習場になっただけのことだ。
心配なのは、これまで彼女が師ラディアル・ガイルの研究室でしか召喚を行ったことがないということ。
彼女は、そこで師が随時敷いている召喚陣の基礎を使ってしか召喚したことがない。
つまりまったくのゼロから自力で陣を作り上げたことがないのだ。
ちゃんと師に教わっているので、できるとは思う。
しかしさすがにいつも以上の時間と魔法力は消費するはずだ。確実に。
それがいったいどれ程になるのか。経験不足に加え魔法力の消費に鈍感な木乃香にはいまいち分からない。
「やるのかやらないのか、どっちだ!」
この認定官、いとも簡単に「召喚しろ」と言ってくる。
……まあ、魔法使いの先輩である認定官がこんな態度なのだ。
きっと大丈夫なのだろう。たぶん。
「やります」
出来ないと諦めて“魔法使い”になれなかったら、それはそれで困る。
これまで協力してくれた研究所の面々にも合わせる顔がないではないか。
覚悟を決めた木乃香は、強い視線を石造りの床へと向けた。
☆ ☆ ☆
大抵の召喚魔法を使う魔法使いは、いつでもどこでも召喚が行えるよう、完成している召喚陣を持ち歩いていることが多い。木乃香のように使役魔獣そのものを連れて歩く者は、少数派である。
その方法は、紙に書いたり宝石や輝石に刻んだり刺青のように皮膚に移したりと様々だ。
使役魔獣を傍らに出したままだと邪魔だし、必要以上に相手に警戒されるし、出ているだけで召喚主の魔法力を必要とするので効率が悪いのである。
もっとも、木乃香の使役魔獣たちはそれほど邪魔に思われていないし、警戒どころかむしろ可愛がられているし、小さいせいか出ているだけなら大して魔法力を使わない省エネ仕様なのだが。
認定官は、召喚魔法の使い手なら陣のひとつやふたつ持っているだろうと思い込んでいた。
だから簡単に「召喚しろ」と言ったのだが。
なんだこれは。
無意識にじりじりと後退りしながら、認定官はどうしてこうなったと自問する。
申請書類が通りこの場に呼ばれた時点で、受験者が“魔法使い”になることはほぼ決まっている。
だから目の前で召喚して見せろと言ったのは、彼の単なる嫌がらせだ。
あんなに小さい使役魔獣で満足している小者だ。召喚出来たとして、どうせろくなモノを召喚できないだろう。その時は思いっきり貶してやる……と内心でほくそ笑んでいたというのに。
渋々といった様子ながら了承した受験者の魔法使い見習いは、現在両手の平をぴたりと床につけ、一心不乱に召喚魔法を紡いでいる。
イラっとする程のほほんとした雰囲気から一変、暗い色の床を――床に描かれた召喚陣を睨みつける姿は、たった一歩近づくのも躊躇うほどにぴりぴりと張りつめた空気をまとっていた。
真剣なのは、結構なことである。
問題は、彼女が描く召喚陣の、その規模だ。
この認定官、召喚魔法の細かい良し悪しは分からない。
これで召喚魔法の使い手を判定しようというのだから、国家資格が聞いてあきれる。
木乃香はそんないい加減な対応こそを期待して試験を受けに来たのだが、まあそれはともかく。
召喚魔法に限らず、陣というものは大きく、複雑であればあるほど高度とされている。
目の前で着々と紡がれる召喚陣が標準よりもとても大規模で、緻密なものであることくらいは認定官にだって分かる。
この娘、いったいどれほど強大なモノを出すつもりなのかと怯えるほどには。
むしろ、分かっていないのは木乃香のほうだ。
彼女が未知の魔法というものに対してもっと貪欲で、もっと自発的に学んで研究していたなら違ったかもしれない。
しかしいきなりフローライド屈指の最上級魔法使いに師事し、彼の魔法や召喚陣を見慣れてしまった彼女は、これで普通だと思い込んでいるのだった。
ゆらり、と上体を起こした彼女が、陣に向かって右手を掲げた。
空中で文字を描くように人差し指を振れば、また新しい文様がぼんやりと浮き上がる。
暗い色の床上、ぼんやりと、しかし確かに浮かび上がる複雑な光の筋。
呆然とそれらを見つめながら、「まだ増えるのかよ」と認定官は泣きたくなった。
くらり、と一瞬めまいを起こす。
それをゆっくりと一回、目を閉じることでやり過ごし、木乃香は再び召喚陣に向き合った。
基礎に持って行かれる魔法力が、予想以上に大きい。
自身の魔法力にてんで無頓着な木乃香が「持って行かれる」と感じるほど、その消費は激しかった。
が、ここで止めるわけにはいかない。
背後で認定官の叫び声のような悲鳴のようなものが聞こえたような気がしたが、今後ろを振り返っている余裕はなかった。
召喚陣を作るのは、本来であればかなり時間がかかる作業だ。主に、魔法力を使うという点で。
と、実は木乃香はちゃんと聞いていた。
しかしそれは召喚術を研究していて日々複雑怪奇で解読困難な召喚陣を描いているお師匠様だからこその話、と思っていた。
一気にやるのは極めて無謀。
彼女がそれを思い知るのは、毎度のことながら召喚が終わった後、なのだった。
白から青、緑、黄色、橙、赤。そして、最後に淡いピンク色へと発色した召喚陣が、いっそう輝く。
と。唐突にその光が収縮して、魔法演習室に薄暗さが戻って来た。
木乃香がほう、と息をついて肩を落とす。
彼女を労わるように、小さな小さな鳴き声が聞こえたのはこのときだ。
「きぃ」
光の消えた召喚陣の真ん中。
小さな―――あまりに小さな“何か”が、そこにうずくまっていた。
いや。うずくまっていると思ったソレは、もともとそんな丸っこくふっくらとした形をしているようだった。申し訳程度に付いた四本の小さな足と、角の取れたやはり小さな二つの耳が、もふりとした薄ピンクの毛皮に飾りのようにくっついている。
それは、ハムスターの姿かたちによく似ていた。
ぺた。ぺたん。
そんな擬音が当てはまるような、お世辞にも俊敏とは言えない動きでソレが木乃香に寄って来る。
そして座り込む彼女の膝に前足をてんと乗せた。
「きぅ」
ひくひくと鼻と髭を震わせ、ブルーベリーにも似た暗紫色の丸い瞳でひたむきに見上げてくる様子に、木乃香は思わず口元を緩める。
「は、は………」
気の抜けたような、乾いた声が背後から聞こえた。
振り返れば、魂が抜けていま帰ってきたかのような、とっても精神的に疲れた表情の認定官が薄いピンク色のソレを指さしている。
「何だソレは!」
「何だと言われましても……召喚した使役魔獣ですが。ええと、“五郎”です」
返事をするように「きい」と鳴くハムスター。
しかし次の瞬間、狂ったように笑いだした認定官の声に驚いたのか、“五郎”は慌てて木乃香の膝に駆けのぼり、腕と太ももの間の隙間に入り込んだ。
合間から見えている小さな尻尾がぴるぴると震えている。
使役魔獣に関して「何だそれは」と問われるのはよくあることだ。
いちおう説明しようとした木乃香だが、腹を抱え息も絶え絶えになってまで笑う認定官を見て、口を閉じる。この調子では、言ったところでちゃんと聞いてくれるかどうか微妙である。
「これだけの大がかりな陣を敷いておいて、召喚したのがたったそれだけか! 驚いて損したではないか。見かけ倒しにもならない」
暗にびびってましたと告白しているようなものだが、当の本人は気付かない様子で饒舌にしゃべり出す。
「そんな小さなモノを当たり前のように出してくる者の気が知れない。饅頭に手足が生えたような形で、ソレに何ができると言うんだ。懐に入り込んで爪なり牙なりで相手を仕留めるとでも? 動きだって愚鈍だし踏み潰されて終わりだろう」
「………」
だから。いったい誰に襲いかかれというのか。
木乃香は思わずため息をついた。
見たところ平和そうに見えるのに、ここの魔法使いは誰かと戦ったり争ったりすることを想定して魔法の能力を判定する。直接の戦力にならないものは総じて評価が低い。
魔法の種類がいろいろあるのだから、癒し系魔法だって混ざっていてもいいようなものなのに、だ。
どこかで戦争が起きるとか、はたまた恐怖の大魔王でも出現するとか、そんな話でもあるのだろうか。
「しかもお前、たったこれだけの召喚で魔法力切れではないか!」
木乃香はまたため息をついた。
……さすがにこれは反論できない。
召喚陣をゼロから作り上げたせいか、使役魔獣に付けた特殊能力ゆえか。
確かに木乃香はもう立ち上がれない程にフラフラだった。目の前にいるのが喚く認定官ではなく、苦虫を噛み潰したような顔の――思い浮かべたら、なぜかそんな顔だった――お師匠様であれば、さっさと意識を手放していただろうと確信できるほどに。
……とはいえ、そろそろ限界である。
使役魔獣たちが、それぞれに心配そうな鳴き声を上げる。
その頼りなさに認定官はまた笑ったようだったが、木乃香の耳にはもうそれすら遠い。
ぎい、と入口の扉が開く音を聞きながら、彼女は不本意ながら目を閉じた。
……もしかして、召喚したらマズかったのだろうか。
今さらに、そんなことを思いつつ。
「はい。認定試験終わりだね」
穏やかでのんびりとした声が演習場に響いたのは、その直後。




