そんな彼女は魔法使い・6
「ミアゼ・オーカです。本日はよろしくお願いいたします」
元の世界での面接試験を思い出し、よそ行きの笑顔を張り付ける。
丁寧に頭を下げた木乃香に、本日の“魔法使い”認定官はふんと鼻で笑って返事をした。
天窓から漏れる自然光だけの、ほんのりと薄暗い場所。
ぽっかりと空いた何もない部屋に、木乃香は案内された。
魔法の演習場だというそこは、広さはマゼンタ王立魔法研究所所長の研究室くらいだろうか。王城にある演習場としてはいちばん狭いのだという。
大規模で派手な魔法を好まれるフローライドにおいて、認定試験で小さな演習場に通されるということは、つまりそれだけ期待されていないということでもあった。
物珍しそうにきょと、と周囲を見渡しただけの木乃香に、認定官はご丁寧にそんな説明までくれた。
大抵の受験者は、この演習場に通された時点でがっくりと肩を落とすか、怒り出す。
が。説明の後でさえ、木乃香は瞬きして「そうなんですか」と返事をしただけだ。
彼女にとって、この場所はちっとも狭いと感じない。
同じくらいの広さとはいえ、こことは段違いに物が多い――多すぎるラディアル・ガイルの研究室で問題なく召喚術を行っていたのだし、普段からこの三分の一にも満たない自室で使役魔獣たちと暮らしている彼女だ。不便さも感じない。
反応の薄さに、「ちっ、田舎者め」と認定官は舌打ちする。
田舎から出てきたのも本当なので、とくに腹も立たない。
というか、木乃香にしてみれば王都もマゼンタもどっこいどっこいである。もといた世界の大都市に比べれば、王都フロルだってその規模はせいぜい地方都市なのだ。
辺境マゼンタには、王立の魔法研究所はあっても魔法用の演習場などというしゃれた施設はない。必要がないのだ。
わざわざ作らなくても、魔法を思いっきり打ちたければ国境付近に広がる荒野に行けばいいのだから。
場所によっては魔獣や危険生物もうろついているので、実戦だってできるお得な練習場所である。
初心者にはお勧めできないが。
認定官は、手に持っていた数枚の書面に視線を落とした。
おそらくは受験者の申請書類だろう。顔を上げて再びふふんと笑う。
そして横柄な仕草でひらひらと手を振った。
「じゃあ、さっさと見せてくれるか。おれは忙しんだ」
「はい」
ほんとうに忙しいのか、あるいは嫌がらせの一環か。
大人しく返事を返しながら、木乃香はなんだかなあ、と思う。
こんな対応をされると、良くも悪くも気が抜ける。
尊大なのは言葉や態度だけ。威圧感というか、偉そうオーラがまるでない。魔法使いマントの薄い色を見る限りでも、あまり高い地位に就いているわけではないのだろう。
上司だから。年上だから。男だから。そんな理由でやたら偉そうに振る舞いたがる人は、そういえばもとの世界の会社にもいた。
もう、名前どころか顔も思い出せないのだが。
こんな嫌われ上司みたいな人物とは、できるだけ関わらないに限る。
さっさと済ませたいのは、彼女だって一緒だった。
木乃香が小さく「みっちゃん」と呟く。
すると、彼女の外套のフードから黄色い小鳥が「ぴぴぃ」と元気よく飛び出した。
天井が高いせいだろうか。嬉しそうにぱたたっと羽ばたいて、頭上を旋廻する。
次にしろちゃん、と彼女が呼べば、今度は足元から白い子猫が「にああ」と綿毛のような尻尾を揺らめかせて現れた。
彼女が連れてきたのは、この二体だけである。
認定官は、意表を突かれて「うおっ」と声を上げた。
召喚魔法を使うこと――それしか使えないことは、申請書類に記載されている。だからこそ当然召喚陣を描くものだと思って、彼は床ばかりに注目していたのだ。
しかも距離が近い。よその使役魔獣には近づかない、という教訓が染みついている男は、慌ててずざざっと後ずさる。
「なっ、あぶ―――」
危ないだろ!
……と怒鳴ろうとした彼が改めて見たのは。
思ったよりはるかに、はるかに小さいサイズの“使役魔獣”。
しかも襲ってくる素振りは微塵もなく、なんだか緊張感もない。
こちらを見つめてくる赤と青二対のつぶらな瞳には、なんだか愛嬌まで感じられる。
「………?」
「……ごほごほっ」
認定官はわざとらしく咳払いをした。
薄暗い演習場でも分かるほど、耳が赤い。使役魔獣の可愛さにやられたというよりは、こんな使役魔獣相手に驚き飛び退いたことが恥ずかしくなってきたらしい。
「そ、それで? コレはなんだ?」
言われ慣れた質問に、木乃香は澄まして答える。
「わたしの使役魔獣です」
「ぴぴっ」
「にゃあ」
「…………」
本気かこの娘。
とっさに言葉も出ない認定官の、とにかく訝し気な視線の先で。
木乃香の肩に下りてきた黄色い小鳥はぽん、と拳大ほどの炎を口から吐きだし、白い子猫は足元にぴきぴきと霜を作り出す。
こころなしか、二体ともちょっと得意そうだ。
「……それだけか」
「はい。以上です」
「………」
試験では、少しでも階級を上げたい受験者たちは言われずとも全力を披露しアピールする。だから認定官も、自分に見せられたモノが相手の全力だと、そう思い込んだ。
なんだ。たったこれだけか。
認定官の男はふふふんと鼻で笑った。
「少しばかり魔法力が高いからと期待してみれば。なんだこの小さな召喚物は。やる気があるのか」
「小さいほうが都合よかったんです」
小さいのも個性です。
悪びれずに言えば、認定官はふふふふんとさらに鼻で笑う。
そして、いきなり彼女、正確には彼女の肩に留まる使役魔獣に向かって、手のひらを掲げた。
放たれたのは、風の槍。
鳥の形をした使役魔獣を吹き飛ばそうとでも考えたのだろうか。まともに食らえば木乃香も巻き込まれ飛ばされそうな強風、いや暴風であった。
あれ。認定官が何か魔法を使ってくるとか聞いてないけど。
そう思いながらも、木乃香は冷静だった。
このくらいの不意打ち、研究所の魔法使いたちに見張られ追いかけ回されていつの間にか鍛えられた彼女にとっては屁でもない。……彼らには傷つける意図などなく、実質的な被害よりもむしろ精神的苦痛のほうが酷かったわけだが。
そしてそんな彼女が反応する前、とっくに彼女の使役魔獣は動いていた。
「ぴぃーっ」
この使役魔獣にしては鋭く鳴いたかと思えば、三郎の小さなくちばしから先ほどの火の玉よりふた回りは大きな炎が飛び出す。
そして木乃香と認定官の間で、ぼんといきなり破裂した。
「わわわ」
「にあー」
ばさばさとはためく外套を押さえる木乃香と、ちゃっかり彼女の足に隠れて熱風をやり過ごす四郎。この程度なら冷やす必要もないと判断したらしい。
そう。ただの風ではなく、熱風である。
とっさに三郎が作り出した爆発とそれで生まれた爆風によって、認定官が放った風魔法は跡形もなく吹き飛ばされていた。
きらきらと細かい火花らしきものが、場違いに華やかに演習場に降ってくる。
余談だが。
この爆発、もとの世界でいうところの“花火”に近い。
同じ火属性を持つクセナ・リアンとその使役魔獣ルビィ、そして三郎が編み出した単なる余興である。ちなみに参考は“流れ者”ヨーダの文献、監修は本の持ち主ジント・オージャイトだ。
荒野の星空に大きな花火を打ち上げ、クセナ少年が住む近隣集落のお祭りに彩りを添えるのが最終目標である。
驚いたのは、魔法を防がれるなど思ってもいなかった認定官だ。
手加減していたとはいえ、あっさりと自分の魔法がかき消される感覚と爆音、そしてやたらと派手な火花に呆然としたのは一瞬。
見習いにしてやられるなど、彼のプライドが許さない。
まして、相手は見た目だけなら吹けば簡単に飛ぶような極小使役魔獣なのだ。意地になった彼は、得意とする風魔法をさらに手の平に展開させた。
―――つもり、だったのだが。
「………はっ?」
認定官は、何も出て来ない自分の手を凝視した。
そこに「んにゃあ」と絶妙なタイミングで鳴く白猫。
「え、“凍結”したの?」
「にあー」
ビロードのように艶やかな毛並みを擦りつけながら甘えた声で鳴く使役魔獣は、「そうだよー」と言いたげである。
褒めてほめてー、とアーモンド形の青い瞳が木乃香を見上げた。
認定官を務める彼の風魔法は、上級魔法使いに比べれば威力こそかなり劣るものの、速さとお手軽さには定評がある。
陣を描く必要も呪文を唱える必要もなく、ただ手のひらをかざせば出てくるのだ。
この手の魔法は、四郎の特殊能力では“凍結”できない。凍らせることが出来る箇所がない、と言うべきか。
だから、この使役魔獣四号が“凍結”した、というのは認定官の魔法ではない。
この演習場そのもの、であった。
ここ魔法演習場は、少々凝った仕掛けがされている。
造りがただ頑丈なだけではない。魔法を抑える効果を持つ結界の上に、魔法の効果を高めるようにする結界が重ねて施されていた。
つまり、あえて魔法を使えないようにした部屋の中に、正反対の効果を持つ魔法結界をわざわざ敷いて魔法が使えるようになっているのが魔法演習場なのだ。
一見無意味でややこしい構造に思える。
しかし、これは魔法の暴走や事故の際、周囲を守るのに役に立つ。
結界の魔法は新たに展開するより取り消すほうが簡単なので、とっさの時に魔法を抑え込むにはあらかじめ魔法を抑制する仕掛けをしておいたほうが効率的なのだ。
力を持った魔法使いたちと国の主要機関が集まる王城ならでは、と言えるかもしれない。
木乃香の使役魔獣が“凍結”したのは、後から重ねがけした部分。魔法を使いやすくする結界だった。
そのため、魔法が使えない結界の効果で、認定官は一時的に魔法が使えなくなったというわけだ。
ちなみにすぐに“解凍”されたので、彼が変だと思った時にはすでに演習場は元通りである。
認定官は、思わず首をひねった。
「……どうかしましたか?」
「い、いや」
見習いの前で、正規の魔法使いが「魔法が打てない」と取り乱すわけにもいかない。
掲げた自分の右手を凝視し、木乃香を見、そしてまた自分の手を見つめ。
彼は苦虫を噛み潰した。
「……その鳥、思ったよりやるな」
「はあ。ありがとうございます」
「ぴっぴぃ」
三郎はこころなしか黄色い胸を張り、嬉しそうに囀った。
四郎が不服そうに「にゃん」と鳴く。が、木乃香に背中を撫でられるとどうでも良くなったらしい。気持ち良さそうに目を細め、大人しく足元にお座りした。
ゆらん、と白い尻尾が揺れる。
認定官は眉根を寄せる。
なんだ、このほのぼのまったりとした雰囲気は。
調子が狂う。彼らが演習室に入って来てから、どうにも狂いっぱなしだ。
ここは魔法演習場、そして魔法使いの試験会場である。いったい緊張感はどこに行ったのか。
それもこれも、あの冗談のように小さく奇妙なモノたちのせいに違いない。
「おまえの使役魔獣は小さい。小さすぎるだろう」
「はい。よく言われます」
「数があってもその程度の大きさではな。能力にも特筆すべきものはない」
「………ええ、まあ」
「お前はこれで魔法使いを名乗るつもりか。ろくな階級にはならんぞ」
「はい。よく言われます」
彼女は、苦笑を浮かべて頷いた。
こちらの言い様に慌てることも怒り出すことも、がっかりした素振りもない。そこに階級を少しでも上げようという意欲は、ぜんぜん感じられない。
認定官にとっては、ちっとも面白くない受験者である。
……後から思えば、多少困ったような顔をすれば良かったのか、どうか。
たまに、こんな感じの受験者はいる。
階級は二の次で、とりあえず“魔法使い”の肩書きさえもらえればいいという者が。
これは、商売人に多い。彼らの目的は出世ではなく、“魔法使い”になることによって受けられる優遇措置なのだ。とくに魔法に使う道具や魔法効果を宿した道具を売る店などは“魔法使い”がいるというだけで信用度が上がる。
だが。商売人特有の抜け目のない雰囲気も、目の前の受験者にはない。
腐っても数々の受験者を見てきた認定官は、それに引っ掛かりを覚えた。
といっても受験者の能力や正体を怪しんだわけではない。
皆と違うから、なんか気に食わない。なんか苛立つ。そんな感じである。
この受験者が魔法大国フローライドの栄えある“魔法使い”を名乗れるかどうかは、認定官の判断ひとつ。
実力があろうと無かろうと、認定官の前では等しく受験者であり、等しく緊張し、こちらの一挙手一投足に惑うべきなのに。目の前の受験者の飄々とした態度はなんなのだ。と。
「お前は“九位”かそれ以下だ。それ以上は上がらないと思え」
「はい」
まあ、狙った通りである。
木乃香は従順に頷いた。
魔法使いの階級は十二に分けられている。階級が“九”、つまり上から数えて九番目ということは、間違いなく下級と呼ばれる魔法使いであった。
下級魔法使いだと暗に言われても何とも思っていない様子の受験者に、認定官は眉をひそめた。
そして厳かに告げる。
「よろしい。では、最後の試練だ」
「はい。………はい?」
内心でほっと胸を撫で下ろし、肩の力を抜こうとしていた木乃香は思わず聞き返した。
最後の試練? そんなものがあるの?
次話は明日投稿です~




