そんな彼女は魔法使い・2
8/28サブタイトルと変更しました。内容に変更はありません。
余談ではあるが。この世界には名字、あるいは家名というものがない。
例えば“流れ者”の木乃香の場合。
本名“宮瀬・木乃香”は、名字・名前の組み合わせである。彼女の家族も同じ名字、つまり“宮瀬”を名乗っている。
しかしこちらの世界、少なくともここフローライド王国では、似たように前後に区切って発音されてはいてもどちらも名前。家族や親戚だからといって、名字にあたるような共通する部分があるわけではない。
どうやら、もとの世界よりは家や血筋といったものへのこだわりが希薄であるらしい。国王の地位すら世襲制ではなく、いくつかある“王族”の家からそのときいちばんの優秀な魔法使いが選ばれるというのだから驚きである。
ちなみに呼び方は、フルネームで呼ぶのが最も他人行儀で、先の名前、後の名前、愛称・略称の順で親密度、あるいは馴れ馴れしさが増していくようだ。
まあ、それも結局は本人の好みによるところが大きいのだが。
☆ ☆ ☆
テーブルにことりとお茶を置けば、「うっわー」と大げさに驚かれた。
ずずっとお茶を飲み、茶菓子にまで手を伸ばしてジェイル・ルーカがしみじみと呟く。
「まさかこの部屋でお茶を頂ける日が来るとはねえ」
彼の反応は大げさな気もするが、けっこう本気で感心しているらしかった。
そう。ここは王立魔法研究所所長の執務室、兼応接室。
文字通り足の踏み場もなかった、不可侵の汚部屋である。
なかなか大変な作業だったが、テーブルとソファ、そしてお茶セットを発掘できて良かったなあと思う木乃香だった。さっそく役に立っている。
甘い焼き菓子を口に入れながら、苦い顔つきでシェーナが言った。
「……だからコレにお茶なんていらないのよ」
「いや、素直に感動してるんだけど」
「あんたの言い方はいちいちカンに触るの」
部屋の主が大きな体を丸めてやっと横になれるくらいしか隙間がなかったそこは、実は主ラディアル・ガイルとシェーナ、そして木乃香と一郎までが並んで座れるほどの長椅子だった。
さらに完全に埋もれていたテーブルを挟んだ向こう側の、これまた埋もれていたひとり掛けソファにジェイルが腰かけ。戸口にはジェイルを引っ張ってきたジント・オージャイトが見張りのように突っ立っている。
ついでに言えば、二郎は長ソファの横にお行儀よくお座りし、三郎は木乃香の頭の上。四郎はもうひとつのひとり掛けに寝そべって、くあーとあくびをしていた。
先ほどまで掃除の手伝いに来ていたクセナ少年とその使役魔獣ルビィもいたが、話し合いするんなら、と窓から飛んで出て行ってしまったので現在はいない。
これだけの人数が部屋に入れ、なおかつ訪問客にお茶と茶菓子が出たのは、ラディアル・ガイルが所長に就任して以来、初めての快挙であった。
ちなみに、隣の研究室はまだまだ断捨離の真っ最中だ。とても人様に見せられるものではない。
「それで。何しに来たのバカルカ」
「相変わらず口悪いなーねーちゃん。久々に可愛い弟に会ってそれかよ」
フローライド王国辺境のマゼンタ王立魔法研究所、そんな所長執務室。
ここで、とある姉弟が久々に顔を合わせていた。
姉であるところのシェーナがわざとらしく顔をしかめる。
「どこが可愛いのよ」
「可愛いでしょー唯一の肉親。久しぶりー元気だったー? くらい言えばいいじゃん」
「元気じゃない。聞かなくても、見るからに」
「まあ、そうなんだけど」
「……元気そうでよかったわよ」
あんた連絡寄越さないから、とため息混じりに小さく呟いたシェーナ・メイズと、にへっと笑ってお互い様でしょーと言い返すジェイル・ルーカ。
例によって、名前に共通点はない。
が、髪や瞳の色が近く、言われれば「ああー」と納得できるほどには顔もなんだか似ていた。
ほっそりとした体格も似ていると言えば似ているが、片やスレンダーなモデル体型、片やひょろいもやしにしか見えないのは男女の差か、あるいは雰囲気の違いか。
灰色マントのにこやかなもやしは、木乃香に向かって自己紹介した。
「フローライド中央官のジェイル・ルーカと言います。ここにいた元研究員で、シェーナ・メイズの弟です」
はじめましてー。
切れ長というよりはただの細目が、目尻を下げることでいっそう細くなる。
にこやかな風だが目は笑っておらず、気安い口調だが抑揚は少ない。
「はじめまして。宮瀬……“ミアゼ・オーカ”です。メイお姉さまにはお世話になってます」
「オーカちゃんね。よろしくー」
「………」
―――なんだか胡散臭いなあ。
姉のシェーナには申し訳ないが、これが木乃香の第一印象であった。
まず、いきなりの“オーカちゃん”呼び。人懐こいというより馴れ馴れしい。
そして頭のてっぺんから足のつま先まで、じっくりと観察するような視線。これは、こちらへ来たばかりの頃に研究者たちからよく受けたものだ。これは不快より先にうっかり懐かしさを感じてしまった。
珍種“流れ者”ではなく、ちゃんとヒトとして見られているようだから、顔をしかめるほどの嫌悪感がないのかもしれない。まあ、単に慣れただけかもしれないが。
とにもかくにも、こちらは得体の知れない“流れ者”。そんなのが自分の姉や知り合いの近くに居るのだから、まあ警戒くらいするだろう。
「それで。何しに来たのフローライド中央官のジェイル・ルーカさん」
冷ややかにシェーナが言う。
久々に弟に会ったらしいのに、彼女の声は実に刺々しい。しつこい“流れ者”研究の魔法使いたちを追っ払っていた、あの口調である。
「何しにって言われても」
拒絶はしていないが、あからさまに煙たがられている。もちろん、歓迎なんてされていない。そんな空気が分からないはずはないと思うのだが、ジェイルはへらっと気の抜けた笑みを浮かべた。
「えーと、つまり勧誘しに?」
答えれば、即座に方々から反応が返る。
「却下」
「無理だ」
「ダメよ」
長椅子にどかりと座りむっつり黙り込んでいたラディアルが、入口付近に突っ立ってこれまた黙って成り行きを注視していたジントが、そしてきっと眉を吊り上げたシェーナが、ほとんど同時に否定の言葉を口にした。
ひく、とジェイルの笑顔が引きつる。
「あの、みんな、もうちょっと詳細を――」
「却下だ」
「無理だ」
「ぜったいダメ」
「………」
取り付く島もない。
ジェイルは「はははー」とうつろに笑った。
「愛されてるねー、オーカちゃん」
「………わたしの話だったんですね」
他人事だと思って――思いたくてぼんやりと成り行きを見守っていた木乃香は、ため息をついた。
ジェイル・ルーカが部屋にやって来る直前。
それまで部屋の掃除を手伝ってくれていたクセナ少年とその使役魔獣ルビィが「お客さんが来たんなら」とさっさと出て行った。それならわたしも、と部屋を出かけた木乃香を引き留めたのはラディアル・ガイルである。
そして彼女の隣に陣取ったシェーナがすがる様に腕を絡めてきたあたりで、単なる弟さんの紹介ではないんだろうなと察してはいた。
が、さっさと話を遮って下さる過保護者様方のお陰で、話がまったく見えない。
彼が「勧誘しに」来たと言っただけで揃いも揃ってこの拒否反応である。たぶん、あまりいい話ではないのだろうが。
「オーカはやらんぞ」
苦虫を噛み潰したような顔で、娘を嫁に出すのを渋る頑固親父のようなことをラディアルが言う。
「おまえのところの上司に言ってやれ。オーカが欲しいなら、体重と年齢をもう二十は落としてきやがれってな」
「お相手はうちの上司じゃないですよ」
「どっちも大して変わらないだろうが」
「まあそうですけども。体重はともかく、若返るのは無理じゃないですかね」
「じゃあこれで話は終わりだ」
「ええっ、ちょっと待った!」
さっさと話を切り上げようとした魔法研究所の所長を、中央官が慌てて止めた。
「あのですねえ。そんな話が出ていることは事実ですけども」
「やらんと言っているだろう」
「だからちゃんと話を聞いて下さいよ! おれは別に国王陛下のお妃を迎えに来たわけじゃないんですって!」
「………」
木乃香は内心で首をひねった。
おかしい。この話だと、まるでほんとうに嫁に行かされそうだったみたいではないか。自分が。
………自分が?
つまり、こういう事だった。
現在のフローライド国王は、新しいもの珍しいものが大好きな道楽人間。
世にも珍しい“流れ者”が現れたと知って、ぜひとも見たいと言い出した。
それを、保護者となったラディアル・ガイルが、まだ混乱しているようだから、こちらの世界に慣れていないから、魔法を使いこなせていないから、無害か有害か判断できないから……などと理由をつけてことごとく躱していたのである。
この前、ひどく疲れた様子で王都から帰って来たのは、どうやらコレにも原因があったらしい。
彼の物言いに、国王も渋々ながらも諦め、頷いていたのだという。今までは。
だが、大人しく引き下がろうとした国王を焚きつけようとする輩がいる。
それが国王の側近たちだ。
「陛下だけが駄々をこねてるんなら、適当に流して無視してればいい話なんだけどねえ」
ジェイル・ルーカがぼやいた。
王様に仕えているはずの人が、なんだか無礼な言葉を吐いた気がする。
しかし、なんとそれが現在の王様とうまく付き合っていく秘訣なのだという。
国王様は、どうやらとても飽きっぽい性格でもあるらしかった。いちいち聞いていればきりがないし、何か別の楽しいことでも見つければ今の我儘もとっとと忘れてしまう。それは辺境の“流れ者”相手に限った事ではない。
「王様って、子供なんですか?」
「いいや。いい歳のオジサン」
「……王様ですよね?」
「いちおう、王様だね」
いちおう。なぜ“一応”。
その言葉に首をかしげていると、木乃香以外の人々が揃ってため息をついた。
フローライド王国は、そのとき最も優秀な魔法使いが王様になるという話だが、どうやら本当に魔法の才能だけで決めてしまうらしい。国を治めるのなら、政治力とか統率力とか、そんな才能のほうが重要だと思うのだが。
……いい歳した王様がそれでいいのか。
言葉が出ない木乃香に、ジェイルが「ありえないよねえ」と他人事のように頷く。
そして「で、さらにありえないのが」と続けた。
「“流れ者”の話に、陛下の側近たちも食いついちゃったんだよねえ」
王の興味を引く、若い女性である。
しかも“流れ者”なので、面倒なしがらみも、気を遣うべき血縁者もない。
王のご機嫌を取りたい者たちにとって、これほど魅力的な駒はないのだ。
幸か不幸か、ラディアル・ガイルが彼女の後見におさまっているので下手に手出しはできないが、隙あらば国王に差し出そうと狙っている。もちろん自分たちを後ろ盾として、である。
「だからって、どうしていきなり“妃”に飛躍するんですか」
「そう言えば釣れると思ってるんだよ。それで妃とか妾に上げた女性が実際に何人もいるから」
そうして集まったお妃たちは、希少な魔法や王様の気を引いた魔法の使い手ばかりなのだという。それしか興味がないのだから仕方ない。
王様も王様で、“妃”は気に入った者を近くに置いておける便利な名目としか思っていない。ちなみに、気に入ったというのは、色恋ではなく、どちらかと言えば珍しい植物や動物を愛で生態を観察する種類のものだ。
……なぜだろう。国王様なのに、研究所に生息する研究員たちと重なる。
ラディアルが速攻で「やらん」発言をしたのは、この辺の事情を知ってのことである。
「あと、妻にすれば確実に近くに呼べるでしょう。さわり放題、観察し放だ……」
ジェイルが言った。が、保護者様方のただならぬ冷気に途中で固まる。
慌てて「おれの話じゃないから! 一般論だから!」と取り繕うが、そんな一般論、国王とその周辺限定だとしても甚だ迷惑である。
「だから、そのつもりで来たんじゃないって言ってるでしょうが!」
ジェイル・ルーカの悲痛な叫び声が所長室に響く。
そして必死なあまり、あえて今言わなくてもいいようなことまで口走った。
「確かに、来たのは上司からの命令ですけど!」
「……現在、おまえの上司は誰だったかな」
二度とそんなことを考えないように釘を刺さないとな。ふっとくて痛―い釘をな。
地を這うような声。
あふれんばかりの殺気は、上司がいる王都まで届いたのではないだろうか。
横を見なくても分かる。部屋の主にして保護者筆頭のご機嫌は、地を這うどころかおそらく地面にめり込む勢いで急降下を続けている。
再び木乃香はため息をついた。
きっと、ジェイル・ルーカは言葉で損するタイプなのだろう、と。




