どんな愉快な仲間たち・2
「―――というわけで、“使役魔獣”の“二郎”ことじろちゃんです」
木乃香が視線を落とした彼女の足元には、ころっとした黒い物体がいる。
ふさふさつやつやの短い黒毛に覆われた、片手で抱え上げられるほど小さな身体。
ぽってりと太く短い四本の脚。
先端だけがほんのりと白い、三角耳。
ぴこぴこと忙しなく揺れる丸い房飾りのような短い尻尾。
主の声に重なるようにして、ソレは元気に吠える。
わん、と。
「……何なのこのちっさい生きモノは」
「だからな。“使役魔獣”なんだよ。オーカの」
いやだから使役魔獣って、と頭を抱えて呻くシェーナ。
隣のラディアル・ガイルも、心の底からため息を吐きだした。
「ほんとうに、何でこんなワケのわからんものを作ったんだかな」
礼儀正しい“一郎”と違い、その後輩使役魔獣はふたりに挨拶どころかその顔を向けることもしなかった。
ただただ主である木乃香を見上げ、何かを訴えるようにわんわんと全身で鳴きまくっている。小さな体のどこにそんな体力があるのか、鳴き止む気配もない。
傍らで、先輩である“一郎”が小さな手でよしよしどうどう、と背を撫でてやっていた。
小さいので、一心不乱に鳴いて吠えてもそんなに迫力はない。
が、続けば耳障りには違いない。
召喚した木乃香ですら、困ったように“二郎”を見下ろしていた。
☆ ☆ ☆ ☆
ところは食堂。
大人用の椅子に腰かければ顔がかろうじてテーブルから飛び出るサイズの小さな使役魔獣“一郎”は、それでもお行儀よくちょんとそこに座り、ぱくんぱくんとオムレツをほおばっていた。
「イチローちゃん、おいしいかい?」
「ん」
むぐむぐと口を動かしていた一郎は、口の中の物をごっくんと飲み込んでから、こっくりと頷いた。
この使役魔獣、使役魔獣のくせに反応が少しばかり鈍い。
形を与えられて間もなく慣れていないせいなのか、のんびりやさんなだけなのか。単に遅いというよりは、ひとつひとつの動作を丁寧にこなしているという印象だ。
なので使役魔獣のくせにひとつも怖いところがなく、礼儀正しく、しかもなんでも美味しそうに食べる一郎に、すでに厨房のゼルマおばさんはデレデレだった。
「イチローちゃんは、何がいちばん好き?」
「このかのつくった、ちーずおむれつ!」
オムレツのようなふわとろ笑顔である。
ゼルマおばさんも、まったりと見守っていた給仕のお姉さんやシェーナら女性研究者たち、もちろん召喚主の木乃香までがつられるようにしてとろんとした笑顔になった。
本来使役魔獣は、ヒトのように口から食物を食べたり水分を摂ったりする必要はない。
召喚主の魔法力さえあれば生きていられる。だからたとえ口に入れたとしても、それによって使役魔獣が強くなったり、大きく成長したりすることはないのだ。
つまり“一郎”がわざわざ食堂に来て食事をする必要はないのだが。
この笑顔が見たいがために木乃香はついオムレツでもなんでも作ってあげたくなるし、ゼルマおばさんはどこからか貴重な甘いお菓子や瑞々しい果物を出してきてしまうのだった。
研究所産の風変わりな使役魔獣ということで、どんな恐ろしくもはた迷惑な能力がと怯えられていたのは、実物を見るまでの非常に短い期間だった。
シェーナ・メイズが怖くないと説明して回ってくれたこともあり、無害そうな、そして実際無害な使役魔獣に、可愛いモノ好きやら母性本能やら庇護欲やらをくすぐられまくった女性陣があっという間に陥落した。
実はこれ、シェーナの作戦でもある。
彼女たち一郎を愛でる会が常に取り巻くことで、無粋で無遠慮な研究者たちが簡単に木乃香たちに近づけないようにしたのだ。
辺境の地のさらに端っこに位置する、女性の少ない施設である。その連帯感といざというときの団結力は侮れない。
もともと“流れ者”である木乃香の置かれた状況に同情的だったこともあり、彼女たちはすすんで、むしろ嬉々として防波堤となってくれていた。
違う意味で騒がしいといえば騒がしいが、おかげで前回のように部屋から一歩も出られないような事態は免れている。
師であるラディアル・ガイルが「何の断りもなくウチの弟子に勝手に手出すんじゃねえぞ」とけん制していることもあり、むしろ拍子抜けするほど平和だった。
――――表向きは。
ふと、一郎が食事の手を止めた。
そしてゆっくりと、自分の座る椅子の足元へと視線を落とす。
まるで添え物のゆで野菜を落としちゃった、とでもいうように。何も、落ちてはいないのに。
「だめだよ」
感情が追い付いてこないような平坦な口調でそう呟いたのと、シェーナ・メイズがまさにその床部分をげしっと足蹴にしたのは、ほとんど同時だった。
「どうかしましたか?」
使役魔獣の様子よりも足音にびっくりしたらしい木乃香が瞬きする。
そして、彼女の使役魔獣も不思議そうにシェーナを見上げていた。
「いま、そこ……“結界”が出来かけてたわ」
「えっ」
「たぶん“転送結界”ね。誰かの使役魔獣でも送り込もうとしたんじゃないの?」
真正面から木乃香に突撃してくる研究者は以前よりも減った。
しかし使役魔獣の一郎を召喚してからというもの、こんな風に魔法や使役魔獣をぶつけられることが増えた。彼らにしてみれば力試しのつもりらしい。
「勝負しろ!」と申し込んでくる者はまだいいほうで、今のように不意打ちで、気付かれないよう巧妙に仕掛けてくる場合もある。むしろ、そっちのほうが多い。
もちろん研究所の長であるラディアル・ガイルは認めていない。しかし新しい魔法や使役魔獣が出来上がったときのこの手の勝負事は実はあまり珍しくもないそうで、本人たちも悪いと思っていないから余計に厄介だ。
ばれたら所長に大目玉だが、ばれなきゃいいやと思っているふしもある。上が上なら下も下ということだろう。
「食堂で仕掛けてくるなんて。随分焦れてきてるのかしらね」
「向こう見ずなだけじゃない?」
「ここでの迷惑行為はご法度なのにね」
食堂においてむやみに魔法を使ってはいけない理由は簡単。食事を提供してくれる場を壊せばみんなが困るからだ。
そして研究棟をのぞけば、この施設でいちばん魔法が使われている場所が食堂と厨房である。火薬の置き場所が火気厳禁であるのと一緒で、下手な魔法や仕掛けを持ち込んで何か起きる可能性も否定はできない。
シェーナ・メイズと研究仲間のお姉さま方がほくそ笑む。
「お仕置きでしょうこれは」
「お仕置きよね」
「こんなことする考え無しは、だいたい見当がつくんだけど……残念ね。尻尾をつかむ前に逃げられたわ」
「メイ、分からないの?」
「特定する前に跡形もなく消されちゃったのよ。こういうのだけは上手いのよね」
研究職じゃなくて諜報部か殺し屋の方が向いてるんじゃないの。
忌々し気にシェーナ・メイズが呟く傍らで、木乃香が自分の使役魔獣をのぞき込んだ。
「いっちゃん、誰か来てたの?」
「うん」
え、と痛いほどの視線がふたりに集中する。
「誰だったの?」
「くさ」
「………く、“くさ”?」
「うん」
こっくり頷く使役魔獣。
それは何だと首をかしげれば、とある魔法使いの使役魔獣の名前なのだという。
「シェブロンのところの“草”ねえ。まったく予想通りで呆れるんだけど」
食堂を荒らそうとする馬鹿は出禁だ、と目を吊り上げて怒るゼルマおばさんと給仕の娘さんに同意を示しながらも、シェーナの顔つきは微妙だ。
「……イチロー、あなたまさか、結界がわかるの?」
「ううん」
一郎はふるふる、と首を横に振る。
「おなじ、しえきまじゅう、だからわかるの」
「いっちゃん、他の使役魔獣とも仲良しになったって言ってたね」
「うん。きたよ、ってくさがいってた」
主の言葉に、にぱっと笑って頷く使役魔獣。
ちょっと待て、と主に研究職の面々が内心で突っ込みを入れた。
「な、なかよしって……」
「このかとぼくをつかまえる、っていったから、だめ、っていった」
この時ばかりはむう、と口をへの字に曲げて見せる子鬼の姿をした使役魔獣。
機嫌を損ねていることは分かるものの、全然怖くない。
むしろ、これはこれで愛嬌がある。実際、木乃香と魔法使いではないゼルマおばさんをはじめとする面々は、「ああー怖かったねえ。頑張ったねえ」とにこにこでれでれしながら彼の頭を撫でたりしている。
まさか、とシェーナ・メイズが呟く。
転送結界を察知し、彼女が壊すつもりで足蹴にした頃には結界はとっくに消えた後だった。てっきり結界を作った魔法使いが勘付いて取り消したのだと思ったから、逃げ足の速い奴め、と忌々しく思ったのだが。
「い、イチロー? もしかして、あなたがダメって言ったから“草”は逃げてった……の?」
「うん」
そんな馬鹿な。
それが使役魔獣を知る魔法使いたち共通の意見だった。
使役魔獣は、忠実で凶暴な操り人形のようなものだ。
召喚した主の命令しか聞かないし、そもそも主以外と意思疎通もできない。
そのはずの使役魔獣が、他人の使役魔獣と仲良くなり、しかも戦いもせず追い払ったなど有り得ない。
どう考えてもおかしいはずなのに、その召喚主は「いっちゃんすごいねー」とにこにこ赤い頭を撫でているし、使役魔獣は褒められて「えへへー」とこちらも照れたようにはにかんでいる。まったくもって平常運転であった。
が、ふと木乃香の顔が曇る。
「うーん、皆さんに、迷惑かかってますね」
「え、わたしたち、そんな迷惑だなんて思ってないわよ? 悪いのは見境のない研究バカと戦闘バカだし」
「でも、いつまでも守ってもらうわけにはいかないでしょう」
「それは、そうかもしれないけど……」
シェーナ・メイズらだってここの研究所に籍を置く研究者なのだ。仕事が一段落しているからこそこうして近くで目を光らせてくれてはいるが、甘えてばかりもいられない。
「使役魔獣だけなら、いっちゃんが何とかできるんですけどねえ……」
「…………」
よそ様の使役魔獣をどうにかできるだけでもじゅうぶんすごい、という自覚が、イマイチこの世間知らずの“流れ者”には足りない。
というか本当の本当に、他人の使役魔獣を抑えることが出来るのだろうか。
嘘をついているようには見えないが、かといって前代未聞の珍事である。いまだに半信半疑のシェーナが言葉を濁している間に、無自覚の召喚主はよし、と手を打った。
「お師匠さまに相談してみます。それで、なんか作ってみますね」
相談するという選択肢を選んだだけ、ひとり内で考え込むよりはまだいい。
しかし彼女の言う「作る」とは、もちろんオムレツでもカレーでもない。使役魔獣である。
どうやら前回の召喚で少しコツをつかんだらしかった。ひとつの魔法も出来なかった以前に比べれば、その目にはいちおうの自信が見える。
ちなみにその後もいろいろと試してはみたのだが、やはり彼女が使えたのは召喚術だけだった。
師ラディアル・ガイルは「落ちついたら、あー、その、もうちょっと普通の使役魔獣を召喚してみろ」と彼女に勧めていた。
しかしそれを言ったラディアルも、彼に状況を吐かせたシェーナ・メイズも、こんなに早く木乃香自らそれを言い出すとは思っていなかった。
周囲の反応がどうであれ、最初の使役魔獣に彼女が満足しているのは知っていたし、なによりその召喚に費やした彼女の魔法力は膨大だったのだ。一郎を消さずに四六時中傍らに置いているだけでもそれなりの魔法力は使うので、とても次の使役魔獣をすぐに召喚するのは無理だと思われていたのだが。
周囲の心配をよそに、さっそく師匠を訪ねた木乃香は、彼の助けをもらってさっそく第二の使役魔獣を召喚した。
それが使役魔獣第二号。“二郎”であった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「で、コレはなんなんだ?」
呆れ三割興味が六割、あとの一割が「もうどうにでもなれ」という悟りの心境でラディアル・ガイルが“流れ者”の弟子に問いかける。
「番犬をイメージしてみたんですけど」
「イヌ? 小さすぎないか」
「子犬ですから」
「コイヌ、でも小さいだろ」
「え、そうですか?」
「毛なんか生えてるし」
「はい?」
「……?」
この世界にも“犬”はいる。番犬と呼ばれるようなヒトに飼われた“犬”も。
しかしそれは、木乃香のもといた世界でいうところの大型犬よりふた回りは大きな、トカゲを足長にしたようなコロコロもふもふにははるかに遠い生き物であった。
認識の違いに師弟が気付くのは、後になってからのことである。
そして、そんなかみ合わない会話の最中も“二郎”は必死に吠え続けていた。
「………それで、なんでコイツは騒いでるんだ?」
吠えるからといって、何かが起きるわけではない。本当に、この“イヌ”は吠えているだけだ。
「魔法探知犬、なんですけど」
「……はああ?」
「なんでこうなったんでしょう?」
魔法の発動、もしくはその気配を察知して吠えて警告してくれる使役魔獣。
いまも、そこ此処にこんな仕掛けが、魔法が、と彼は一生懸命に教えてくれているのだ。ただしその量が多すぎて、教えられている木乃香もめまいを覚えるほどだ。
そんな特殊能力を説明された師ラディアル・ガイルは、がっくりと肩を落とした。
「あのなあ。ここは魔法研究所だぞ。魔法なんてあちこちに転がっている。コイツが騒ぎ続けるのは当たり前だ」
「あ。そうか……」
まず、魔法の暴発から建物を守るために、研究棟には生活棟よりも強固な防御魔法が張り巡らされている。
それぞれの研究室では日夜魔法の研究がなされており、もちろん魔法の試し打ちなどは日常茶飯事だ。いま居るラディアル・ガイルの研究部屋だって作りかけの召喚陣があり、壁には召喚した武器が並んでいる。
魔法が込められた書物や道具も、その辺のガラクタの山に腐るほど――実際もう腐っているかもしれないが――潜んでいるのだ。
そもそも、向けられた魔法に対抗する使役魔獣を作るという話だったのに、どうして魔法探知になったのか。探知したところで、防げなければ何にもならないだろうに。
「うう。めちゃくちゃ可愛いのにもったいない……」
シェーナ・メイズが呻く。
「オーカ。これは失敗だ。残念だが……」
やり直した方がいい。そうラディアルが言いかけたときだ。
「じろちゃん」
すっとしゃがみこんだ木乃香は、それでも視線が合わないほどに小さい使役魔獣に話しかけた。
黒い頭の上にぽすっと手を乗せる。
一郎も、彼女の真似をするようにぽんと背中に手を置いた。
すると二郎は「わふ」と少し不満げに小さく鳴いてから、後ろ足を曲げてちょんとそこにお座りした。いままでの落ち着きなさが嘘のように大人しくなる。
まだ待てだよ、と頭を押さえたまま、木乃香は口を開いた。
「じろちゃん、ごめんね。大変だったでしょう」
小さな子供に言って聞かせるように、彼女は言う。
少なくとも、この時はただ言っているだけのように、見えた。
「ありがとうね。でも、全ての魔法を教えてくれなくてもいいよ。えーと……じろちゃんたちとかわたしとか、あとはお姉さま方とか、わたしの味方の人達が危ないな、とか迷惑だな、と思った魔法だけ教えてくれる?」
できる? と首をかしげる召喚主。
そのとき、すでに消えたはずの“二郎”の召喚陣が彼の足元に再び現れた。
「……は?」
瞠目する魔法使いたちの目の前で、召喚陣の一部が書き換えられる。
ぼんやりと光る文様が再び跡形もなく消えた頃、黒い子犬はぴこぴこ、と左右に毛糸玉のような尻尾を振った。
できる、と言うようにふさふさの小さな胸まで張って。
「わん」
それはたったひと声だった。
しかしあれだけ騒がしいと思っていたイヌの鳴き声に、なぜかラディアルはほっとする。
すでに召喚が成された後の使役魔獣の能力を、後から付け足すなどできないはずなのだ。
だから二郎は吠えたのだし、床に見えた召喚陣らしきモノもきっと見間違いだ、そうに違いない。
あまりの規格外続きに、さすがの彼も現実逃避しようとした。
が、それは当の規格外な弟子と使役魔獣が許さない。
木乃香は二郎に向かって「ええっ」と声を上げた。
「盗聴? そんな魔法まであるの!?」
「わん」
ふんふんと鼻をひくつかせ、こっちだよと言いたげにゴミの山のひとつに向かって二郎は吠える。
魔法の種類、その正確な位置。
さらには魔法を仕掛けた時期――木乃香がラディアルの弟子になってからだった――とその犯人――正確には、盗聴した声を聞いていると思われる部屋――まで暴いてみせたのだ。
「――――ほーう。所長サマの研究室に盗聴魔法を仕掛けるとは、実にいい度胸だなおい」
地を這うような声で呟いたラディアル・ガイルは、ニヤリと真っ黒な笑みを口元に浮かべた。
そして「このおれを出し抜くとはなかなか見事だ、いやあスゴイ見どころがあるぞー」と褒め言葉という名の圧力をかけ。
さらに「世の中、やっていい事と悪い事があるだろう。な?」と説教と言う名の脅しまでかけて。
のちに、“流れ者”に対するあくなき探求心と好奇心に負けた、ある意味非常に研究員らしい哀れな魔法使い研究員は、「その隠密能力をフルに使って来い」と王城の諜報部に異動と言う名の研究所追放を言い渡されたのだった。




