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こんな異世界のすみっこで ちっちゃな使役魔獣とすごす、ほのぼの魔法使いライフ  作者: いちい千冬
彼女の過去。

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あんな荒野のど真ん中・6



 言葉の違う世界に迷い込んだ。

 それでも言葉に不自由しなかったのは幸運だったのだろう。

 いったいどういう原理か、あるいは思惑か。自動翻訳機能付きで始まった異世界生活は、過去の“流れ者”が書き残したように「イージーモード」と言っても良かった。

 もちろん、彼女を保護し面倒を見てくれている研究所の人々あってこその穏やかな生活ではあるのだが。


 だがふと、考える。考えてしまう。


 当たり前のように異世界の言葉を聞いて、話して、読んで、書いて。

 いつのまにかもとの世界の言葉すら忘れて。

 そうして馴染んでしまった“流れ者”に、果たして“流れ者”の必要はあるのかと。

 そこにいったいどんな意味があるのか―――と。






「オーカ?」


 ぼんやりしていたらしい。

 探るように名前を呼ばれて、木乃香はあらためて前を見た。

 そこには苦し気に顔をしかめるジント・オージャイトと、彼の胸倉をつかみ上げているシェーナ・メイズがいる。

 珍しいな、と思った。追い払うならともかく、シェーナが木乃香の前にジントを引っ立ててくるなど、初めてではないだろうか。


「どうしたんですか?」


 聞けば、シェーナが微妙な顔をする。八つ当たりのようにジントのマントをつかんだままがくがくと揺さぶった。


「ぐっ……こ、こらシェーナ・メイズ」

「あんたが、またオーカに何かしたんでしょうが!」

「ち、ちが……っ」

「だって“かれい”の日からよ! はっ、まさかあの“かれい”の中に何か入れたんじゃ」

「入れていない! いや、いろいろと入れる必要のある料理ではあるが」

「ちょっとおこの変態!」

「なぜそうなる! あれはシェーナも食べただろうが!」


 そうなのだ。

 木乃香が久々のカレーライスを味わった後。ジント・オージャイト(とゼルマおばさん)の作った怪しげな茶色い物体を食べたと聞きつけ、毒を盛られたと言われたかのような深刻な形相でシェーナ・メイズは食堂に乗り込んで来た。

 そこで彼女も木乃香と同じものを食べたのだった。「……意外と美味しいじゃない」という不本意そうな感想付きで。


「カレーがどうかしたんですか?」

「“かれい”じゃなくて、だからオーカが……っ」

「わたしが?」


 きょとんと瞬きする木乃香に、シェーナはぐっと何かを無理やり飲み込んだかのように口をつぐんだ。

 彼女の方こそ何かおかしなものでも食べたんじゃなかろうかという有様である。


 さいきん木乃香に元気がない。


 それは比較的彼女に近しい者たち共通の認識だった。

 特別体調が悪いわけではない。面と向かって問えば、にこりと笑って「いえいえ元気ですよ」と彼女も答えるだろう。

 彼女の行動が大きく変わったわけでもない。シェーナやラディアルらにこの世界や魔法について教えてもらったり、読書をしたり敷地内を散歩したり、ときどき厨房でゼルマにこちらの料理や調理器具について教わったりもしている。

 以前は逃げ回っていたジントのような研究者にも、話しかけられれば丁寧に応じていた。

 人が良いにも程がある、とシェーナが訝しむほどに。


 変わり映えしないはずのそんな生活で、彼女が無理をしているのではないか、と感じることがある。

まず、確実にぼんやりとしていることが増えた。

 そして口数が減った。聞けばちゃんと答えるが、何かに耐えるようにふと口をつぐんでしまうことがある。

 そんな状態で「大丈夫」と言われても、言われた側は余計心配になろうというものだ。


 そもそもミアゼ・オーカは実に手のかからない“流れ者”だった。

 すでに成人しているせいもあるのだろう。彼女は周囲に当たり散らすわけでもなく、閉じこもり周囲を拒絶するわけでもない。突然見知らぬ土地にまで流れてきて、恐慌状態に陥る者だって少なくないというのに。

 逆に積極的に外へ出ようという意欲もないようだった。

 まあ、一時期は外を歩けば十中八九ストーカーもどきに当たる生活だったせいもあるだろうし、そもそも最寄りの集落でさえ徒歩で半日かかるような荒れ地に接する辺境では、若い女性が外に出たところで面白いものなど何もないだろうが。


 手がかからないことに変わりはないが、彼女の様子がなんだかおかしいと思い始めたのは、あのカレーの日からだ。

 となれば、どう考えても怪しいのはカレーとカレーを提供したジント・オージャイトである。そして彼女に貸したという王都から取り寄せた希少本。



「ぜったいまたこのキチガイに付きまとわれて困っているんでしょう!?」

「なっ、だれが気違いだ! わたしはミアゼ・オーカに“流れ者”関連の本を渡しただけなんだぞ」


 ジント・オージャイトの言うことは本当だ。

 彼は禁書だというその本をあっさりと木乃香に渡した後、通りすがりの挨拶がてら「本を読み進めているか」「何か質問はないか」など、当たり障りなく聞いてくるだけだった。

 ちゃんと冒頭に、ぎこちないながら「おはよう」「ご機嫌いかが」などの挨拶が入る。前触れもなく突撃してこない、その事だけで木乃香はほんのり感動していた。やればできるじゃないか。


 確認するようにこちらをうかがってくる彼女に、肯定の意味で頷いてみせる。

 それに、渋々ながらも引き下がろうとしたシェーナ・メイズだったのだが。


「サラナス・メイガリスによる“ヨーダ”の手記とその解説本だ」


 やましい事は何も存在しないと胸を張るジント・オージャイト。

 しかしそんな彼の言葉を聞くなり、シェーナの切れ長の瞳がきりりと吊り上がった。

 胸倉をつかむだけでは物足りず、べしべしと頭をはたく。


「あんた馬鹿! 真正の馬鹿!」

「いたっ! シェーナ、本気で痛いぞ……っ」

「サラナス・メイガリスなら禁書扱いでしょうそれ!」

「もちろん所長にも了解を得ている」

「んなことは分かってるのよ!」


 治まると思われた騒動の思わぬ悪化に、木乃香は瞬いた。

 禁書というのは、広く読まれると世間に、あるいは時の権力者たちに悪影響を及ぼす危険のある思想や方法などが載っているから厳重に保管されときに処分され閲覧を制限されている本、のはずだ。

 つまり、誰もが簡単に見ていい代物ではない。それくらいは彼女にだって分かる。

 いちおうあれが禁書だというのは知っている。貸してくれたジントがさらりと暴露したからだ。

 だが、シェーナに言われるまであの書物が禁書だということをすっかり忘れていた。

言い訳のようだが、あれのどこに禁止する理由があるのか、ひと通り読んだ今でもわからないのだ。


 書物に出てくる日本人と思われる“流れ者”ヨーダこと高道(たかみち)(よう)()氏は、こちらに来たとき中学生だったらしい。

 もともと文章を書くのが得意ではないのか、紙質が悪くて書きにくかっただけか。おそらく両方だろうが、一度に書き込む量はほとんどが一言か二言。SNSに書き込むかのような短い文章ばかりが並んでいた。

 それでも未知の体験をとりあえず文字に残さなければと思ったのだろう。いろいろと拙い文章ながら、彼は他愛のないことでもこまめに書き留めていた。


 かなりの魔法力を持っていたらしい彼が魔法を習得、研究、そして開発する様だとか、どこそこで和食に似た料理を見つけたとか牛丼やラーメンが食べたいだとか、さらには異世界風カレーライスの作り方など、比較的ほのぼのとした記述が目立つ。

 ちなみに彼は最初から魔法力を“なんとなく”感じ取ることが出来、“なんとなく”魔法を使うことができたらしい。しかも、強力なやつを。

 もともとの素質か、あるいは十代の頭の柔らかさ故か。いずれにしろ羨ましいことである。


 参考になったかと聞かれれば、大変参考になったとも、ある意味そうでもなかったとも言える内容だが、やはりそこに危険な要素はないように思える。

 強いて気になる点を挙げるなら、「オレは勇者や救世主として召喚されたんじゃないのか」「魔王(ラスボス)はいないらしい」という少々痛いような微笑ましいような記述くらいだ。

その手のゲームや物語が好きでも、彼のもともとの性格は野心的でも好戦的でもないらしい。本人曰くの“規格外(チート)”な魔法力で誰かと争ったとか戦ったといった記述は、少なくとも本文にはなかった。

 ついでに体力もあまりなかったらしく、自分の名前が“ヨーダ”と発音されたことに大ウケし悪ノリした挙句に光の剣を召喚して、振るってみたけど重いわ長いわで扱えずに断念した……という非常に残念な、かつ非常に平和的な記述もあった。


 残した文字を見る限り、どうしても残念感が漂う高道陽多氏だが、魔法に関してはほとんどの種類を使いこなしていた。

 解説だけを読めば、著者のサラナスという人がいかに彼を尊敬し崇めていたのかが分かる。彼の文章だけを読めば、“ヨーダ”は勤勉で高潔、そして革新的な大魔法使いに早変わりするのだ。

 まさしく無用の長物だった光の剣召喚でさえ、さながら天の裁きが形を取ったようだとべた褒めである。使えないのに。

 あの本の中で、いちばん引っ掛かりを覚えたのはサラナス・メイガリスの熱すぎる程の熱狂ぶりかもしれない。


 そんな大魔法使い様の前例があるのだ。サラナス程ではないにしろ、ジント・オージャイトらも“ヨーダ”と同郷であるらしい木乃香に過度な関心を寄せていたのだろう。

 ご期待に沿えず、大変申し訳ないことである。




 ふと気が付けば、いがみ合っていたはずの二人がじーっとこちらを見つめていた。


「………あれ。どうかしたんですか?」


 騒がれるのは困るが、騒いでいたものが急に治まっても気になってしまう。

 シェーナ・メイズが眉をひそめた。


「オーカ……あの、ほんとうに、大丈夫?」

「具合でも悪いのか? ミアゼ・オーカ。まだ身体がこちらに慣れていないのではないか?」


 ジント・オージャイトにまで気遣われてしまう。

 内容は的外れもいいところだが、これはなかなかショックだった。


「ごめんなさい。ちょっとぼんやりしてました。ええと、それでサラナス・メイガリスさんがどうしたんでしたっけ?」

「………」


 おかしい。明らかに、おかしい。

 こちらがやきもきする程に事なかれ主義のミアゼ・オーカが、目の前のケンカを止めるどころか困った顔すらせずにぼんやりと眺めているなんて。

 人の話には、たとえそれが研究バカの意味不明な戯言であろうとちゃんと耳を傾ける彼女が、話をまったく聞いていないなんて。


 シェーナ・メイズは彼女のにこやかに取り繕った表情を見つめたまま、同じように呆けていたジント・オージャイトの薄い肩を、とりあえずもう一度ばしんとはたいた。





 あの、カレーライスが目の前に置かれた日。

 日本人であるらしい“ヨーダ”こと高道陽多氏の手記を読んで、生まれた頃から慣れ親しんだ言語がとっさに口から出て来なかったことに驚いた木乃香だったが、ひとりになり落ち着いてしゃべってみれば、ちゃんと話せた。

 もとの世界で辞書片手に外国語を勉強していたときとは違い、なにしろ勝手に翻訳して下さる便利機能である。原理も謎だ。何か制約でもあるのか、彼女が使いこなせていないだけなのか、そのへんも分からない。

 ただ再び日本語を話すことができ、ほっと安堵したときに、木乃香は思ったのだ。

 あえて考えないようにしていた事柄を改めて突き付けられた、ともいう。

 この世界にやってきた自分はいったい“何”なのか、と。


 よりによってどうして自分だったのか。

 好きで迷い込んだわけではない。誰かに呼ばれたわけでもない。

 誰も望んでなどいなかったのに、なぜ来てしまったのか。


 いっそ問答無用で「魔王を倒せ」だの「世界を救え」だのと言ってくれたほうが、気は楽だったのかもしれない。それは自分がここにいることの意義となり、ある程度の諦めがつく。

 迷惑なことに変わりはないが、少なくとも、呼んだ相手を問い詰めるなり文句を言うなりすることはできるだろう。

 だがこの世界の人々を拒絶し高く分厚い壁を作れるほど、彼女は自分勝手でも、悲劇に酔えたわけでもなかった。

 冷ややかに接してくれたなら恨むことだってできただろうに、“流れ者”に慣れたこの世界の人々は、木乃香に対してあまりにおおらかで優しいのだ。彼女が、何もできないのが申し訳ないと思ってしまうほどに。

 目的があるわけではない。怒りの矛先も見つからない。

先が、まるでわからない。自分の立つ場所はあまりに不安定で、いつさらさらと崩れ落ちてしまうかと気が気ではない。

 それで、途方に暮れる以外に何ができるというのか。



 物語のような世界に迷い込み、特殊な能力を得て、高道陽多氏は最初浮かれていた。

 異世界の珍しい物事を楽しみ、自らに与えられた能力を試すことに熱心だった。

 しかし本の後半になると、彼は異世界の中に故郷との類似点を探すようになる。

 他の“流れ者”の記録を探したり、噂を聞けば直接会いに行ったり。どこそこの景色や食べ物が日本に似ていると記したり、あちこちから材料を集めカレーライスを作り上げたりしたのもこの頃だ。


「ここは、異世界だ」


 そんな、今さらとも当たり前とも思える記述が目立つようになるのも。





「ああ、“ヨーダ”な。“虚空の魔法使い”の」


 珍しく無精ひげをきれいに片づけたラディアル・ガイルの口から飛び出した異名に、木乃香は苦笑をなんとかこらえた。

 これまた本人が机を叩いて喜びそうな二つ名である。

 だがその謂われを聞けば、とても笑えるものではなかった。


「コレの晩年は空間魔法の研究に没頭していたらしくてな。島をひとつ、消したんだ」

「島、って……」

「絶海の孤島というやつだな。手品のようにぱっと、一瞬で消えたらしいぞ」


 事も無げに話すラディアル。

 ぽかんと口を開けた木乃香に、慌てて「ま、まあ良くある事なんだが」とさらに物騒な言葉を付け加える。


 別に“流れ者”に限った事ではなく、魔法使いによるこんな暴走は、歴史の中では特別珍しい事でもないらしい。

 たとえばすぐ近くに広がるからっからに乾いた広大な荒野も、そこに点在する水量が不自然に豊富で多彩な泉も、生息する凶悪な魔獣の固有種でさえ元は過去の魔法使いたちが作り出したものなのだという。

 島とはいっても無人島で、周囲に対する深刻な被害もない。他人様に迷惑をかけていない“ヨーダ”はまだマシなのだそうだ。


「晩年の“虚空の魔法使い”は、もとの世界に帰る方法を探すことに没頭していた。この魔法によって、彼はもとの世界に帰ったとも、島ともども消滅してしまったのだとも言われているが、真相は誰にも分からん。本人が消えて二度と姿を現さなかったんでな」


 “流れ者”がもとの世界に帰った、という記録はない。

 それは、最初にラディアル・ガイルが木乃香に言った言葉だ。

 

 確証がない。

 それでも、彼は帰りたかったのだろう。

 自分の生まれた、自分の本来生きるべきだった世界へ。

 無条件で存在することが許されていた、確かな場所へ。


 もしも術があるのなら、島ひとつを吹き飛ばしてでも帰りたいかもしれない。

 そう、木乃香も思うのだ。










次はようやく生まれると思います。

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