あんな荒野のど真ん中・1
ここから、しばらく過去編になります。
今回は短めです。
冒頭部分が、第2話とほぼ同じになっていますが、間違いではないですよ。
事故なのか、天変地異か。はたまた病気か何かで一回死んでしまったのか。
何がきっかけなのかはわからない。
原因なんて、もっとわからない。
ただ、気が付けば宮瀬木乃香はだだっ広い荒れ地のど真ん中に立っていた。
鞄ひとつ持たず。
適当な私服を身に着けただけの、頼りない姿で。
―――ああ、これは夢かな。夢だな。
そう思った木乃香を、誰が責められるだろうか。
そもそも日本にこれでもかと地平線が見渡せる、申し訳程度に草と灌木の生えた土埃舞う乾いた荒野などあっただろうか。
少なくとも木乃香の生活圏に、こんな場所は絶対にない。
もちろん、自分から来た覚えもない。
そこで、彼女は首をひねる。
覚えは、ない、と思う。
ここへ来る前に自分が何をしていたのか、それすらも彼女の記憶は曖昧だった。
仕事をしていたのか、家で寛いでいたのか、旅行か何かで出かけていたのか。ぜんぜん思い出せない。頭の中が霞がかってぼんやりとして、まるで考える事そのものを誰かに邪魔されているかのようだ。
だから、たとえからっからに乾いた風にばたばたと服がなびこうが。
青い空にさんさんと輝く太陽がじりじりと痛いほどに肌を焼こうが。
その太陽が、ありえない位にやたら大きく見えようとも。
自分はきっと寝て夢を見ているんだろな、と思う。
やけにリアルな夢ではあるが。
それにしても、と彼女はため息をつく。
自分以外誰もいない荒野の夢とか、ファンタジーにしても寂しすぎる。
乾いた大地以外何もないし何も持っていないこの状況で、何をどうしろというのか。
どれくらいそうして立ち尽くしていただろうか。
炎天下で立ちっぱなしだった、ということにようやく気がついた。
暑い、と思ったのだ。ちょっと暑すぎると。
頭の中に浮かんだことをそのまま呟きかけて、口の中もからからで唇が張り付いていることにも気付く。しかも土埃のせいか、なんだかじゃりじゃりする。
先ほどからぼーっとするのは、もしかしなくても脱水症状なのではないだろうか。
とりあえず近くの灌木の影にでも行こう、と木乃香は西部劇のような、けれども何かが違う世界に足を踏み出した。
目につくのは申し訳程度にしか葉が付いていないひょろりとくねった細い木ばかりだが、根元に座っていればまだましなはずだ。
そろそろ“自分”が目を覚ませば、この乾燥地獄から簡単に出られるのだが。
ひどく重く感じられる自分の足をどうにか一歩、動かしたときだった。
ずん、と地面が揺れた。
いっしゅんめまいを起こしたかとも思ったが、確かに地面のほうが揺れた。
その証拠に、木乃香が反射的に飛びのいたそこにはぱっくりと亀裂が走っている。そのまま足を置いていれば確実に膝下まではまり込んだであろう幅と深さの、立派な裂け目であある。
「え」
呆然とする彼女をそっちのけで突然大地に走った亀裂は、ばりばりと悲鳴のような音を響かせてさらに広がり伸びていった。
鍬やスコップでもなかなか掘り起こせそうにない硬く乾いたそこが、まるで紙をちぎるようにべりべりと簡単に割れる。
木乃香の背後から、彼女が目指していた灌木へ向かって。
「ええ!?」
そして、亀裂が灌木に届いたとき。
突然視界が黒くなった。
直後にぱあん、と大きな風船が破裂するよりも少し重みのある音が響く。
びしびしと乾いた地面に何かが降って来る。落ちたものを横目で確かめると、おそらくは灌木の破片や葉っぱと思われるものだった。
だが盛大に飛び散ったらしいそれは、木乃香のもとへは届かなかった。
目の前の黒いモノ、いやおそらくは黒い恰好をしたヒトが、彼女を守る壁になってくれたのだ。
この暑い中、薄汚れた黒く分厚いポンチョのようなもので頭から足首までをすっぽり覆った姿は、人型のように見えるがやたら大きい。長い、というべきか。
木乃香よりもはるかに高い位置にある頭部と思われる個所は、やはり黒く薄汚れ乱れた髪の毛がフードからこぼれ落ちていた。
ヒト、だよね?
恐る恐る見上げていると、木乃香の思いが通じたのかどうか。
「はあ、間に合ったか。すまんなー娘さん。怖かったな」
渋みのある低い声ながら、意外にも軽い口調で黒い男は言った。
しゃべった。いやヒトならしゃべりもするだろうが。
ご近所をうろついていたら確実に「不審者がいます」と通報されそうな怪しい黒づくめなのに、そのことに驚いて警戒することも忘れていた。
「いやまさかこんな場所に魔獣以外の誰かがいるなんて思わなかったもんでな。獣くらいならまあ晩飯ができたってことでいいかーと思って気配も探らずにやっちまった」
「………あ、あの」
分かる言葉を話しているはずなのに、内容がぜんぜん理解できないのはなぜだろう。
マジュウって何。ケモノが晩飯って何。何をやっちまったと。
そもそもここは一体どこなのだ。
口を開きかけた木乃香は、しかしすぐにまたそれを閉じる羽目になった。
陽光に、ぎらりと輝く黒い刃。
なんの飾りもない、ただ長く分厚く、そして凶悪な刃。おそらくは、剣が黒い装束の隙間から見えていたのだ。
しかもどういう原理なのか、刃の周囲には荒野に吹くのとは別種の風が渦を巻いている。風で長い装束がなびき、おもちゃで片づけるにはあまりに物騒な得物が木乃香にも見えたのだった。
乾いた土埃を巻き上げて小さな竜巻のようなものを作り出しているそれを、彼女の視線でようやく持ち主が気付いたらしい。
「おお重ね重ねスマン。うーむこいつは失敗だな。キレが悪い」
彼が言えば、唐突に黒い刃が消えた。風も消えた。
装束に隠れたのではない。手品のように、ふっとかき消えたのだ。
はじめから、何もなかったかのように。指をさし騒ぐのもためらってしまうほど、自然に。
「さて。ところで娘さん」
男もまた、まったく変わらない気安い口調で続けた。
「あのな、なんでこんな所にいるのか聞いてもいいか?」
「………それは、わたしも知りたいです」
そもそもここは一体どこですか。
言いかけた木乃香は、くらりとめまいに襲われた。
ああまずい。
そう思ったときには、ぐらりと身体が傾ぐ。それを止める術を彼女は持たない。
「ええ、おい、ちょっと!?」
男の慌てたような声が遠くなる。
今度は男のせいでなく目の前が真っ暗になり、木乃香の意識はここでふつりと途切れた。
ここは、これまで彼女が生活していた場所とはまるで別の“世界”であり。
頭がぼーっとしたり倒れたりした原因は、異なる世界に身体が拒否反応を示していたのだという。
彼女がそんな信じがたい説明を受けたのは、三日間の高熱に苦しみ十日間意識が朦朧としてベッドで過ごした後。
ようやく身体がこの世界に慣れて来たらしい、その頃だった。




