どんな彼女の後ろ側
「オーカ!」
「あーはいはいチョット離れろ」
フローライド王国の元・高官たちが連行されていく中、駆け寄ってきたナナリィゼ王女を適当にいなして、ラディアル・ガイルは眠りこけている弟子を持ち上げた。
どっこいしょという掛け声つきだが、その表情といい動作といい、あまりに平然としていて、人ひとり持ち上げても堪えているようにはぜんぜん見えない。
その様子に、襲撃者たちの捕縛を手伝っていたバドル・ジェッドがちらりと視線を向ける。やはり今度手合わせを願い出てみようか、駄目だろうか。そんなことを思いながら。
歴戦の剣豪のような風格の魔法使いは、危うげなく立ち上がってから、ふと思い出したように下を見た。
そこには襲撃者たちを威嚇した黒い剣が、大理石の床にぶっすりと刺さったままになっている。
木乃香を抱えたまま、彼は爪の先でぴんと剣の柄をはじく。
するとそれは、まるで幻であったかのようにふっと跡形もなくかき消えた。
「オーカは寝てるだけだ。あれだけ使っといて寝るで済んでるんだから、大したもんだな」
むしろここのところ、さらに魔法力が増してきた気がする。頻繁に使役魔獣を使っているからだろう。
その半分くらいの原因であるナナリィゼ王女は、しゅんとうなだれた。
「ご、ごめんなさい……」
「おれに謝ってどうすんだ王女。あとでオーカにしとけ」
「……」
くしゃり、と泣きそうに顔をゆがめたナナリィゼ王女はまるで母親とはぐれた幼子のように心もとない風情で、とても陰で破壊神と恐れられている最強魔法使いには見えない。
こっちはこっちで不憫だよな、と内心で思いつつラディアルはよっこいしょと木乃香を抱えなおした。
弟子の身体を重く感じたわけではない。彼女の使役魔獣がわらわらと寄ってきたためだ。
「こらこら。お前らもちょっと遠慮しろ。お前らときたら、いるだけでオーカの魔法力を吸っちまうからな」
「このか……」
ちょうどナナリィゼ王女の隣で、一郎がしゅんと音が出そうなほどに萎れた。
人型の使役魔獣が見た目にわかりやすいだけで、ほかの使役魔獣たちも同様に落ち込んでいるらしい。木乃香の襟元にいたはずの五郎がぼたりと床に落ち、飛べるはずの三郎まで床にうずくまって動かない。魔法力不足で動けないのではなく、単に動きたくない気分なだけのようだった。
空気が重い。重すぎる。
「………お前らもう帰れ。“はうす”だ」
寝ているだけだというのに、なんだこの葬式のような暗さは。
ため息をついてラディアルが「はうす」と唱える。すると五体の使役魔獣たちはそれぞれにこく、と頷いて素直にふっと消えた。
木乃香が倒れたのは、彼らの責任ではない。
そんな仕様にした主である木乃香のせい。そして彼女の使役魔獣をついあてにしてしまう自分たちのせいだ。
いままで「何に使うんだこんなの」と突っ込んでいた使役魔獣たちである。愛玩動物としてはともかく、使役魔獣としてこんなに酷使することはなかったし、まさかここまで重宝するとも思わなかった。
「あーちょっと、宰相どの?」
「“暫定”宰相だ。むしろ名前で呼べ。なんだサフィアス・イオル・ユーリアどの?」
仕返しのように呼ばれた名前に、サフィアスは涼し気と称される明るい水色の双眸をわずかに見開く。
そしてゆっくりと、冷ややかに細めた。
「その言い方はやめてくれ。アンタ本当に身内以外に容赦ないよな。……それで。ザンテイ宰相ラディアル・ガイルどの。質問があるんだが」
「オーカを休ませなきゃならんのだ。後でいいか?」
「そうやっていっっっつも逃げるよなアンタ」
「………ひとつだけならいいぞ」
重大な隠し事があるというよりはただ話すのが面倒くさいだけといった風で、ラディアルは応じる。
ここで食ってかかればまた逃げられるのだろう。大人げない反応にイラっときたサフィアスだったが、どうにかこらえる。
「じゃあ、とりあえずひとつ。そこのミアゼ・オーカの魔法使いとしての位は、ほんとうはどれくらいなんだ?」
「それはわたしもぜひお聞きしたい」
サフィアスに、同じ“花守り”のバドル・ジェッドが同調した。いつも黙々と控えている彼にしては珍しい事だ。
「魔法の資質に恵まれなかったわたしから見ても、彼女の“力”は極めて異質です」
本人に聞いても、「えーわたしはしがない下級魔法使いですよ」と証である白っぽい灰色マントをひらひらさせるだけだ。
とぼけているわけではなく、どうやら彼女は真実そう思っているらしい。
風変わりな使役魔獣といい、どうも彼女はその辺の常識がすこんと抜けている気がする。世間知らずというより、意図的に知らされていない部分があるような。
となると、怪しいのは師であるラディアル・ガイルだ。
「こいつは、立派な下級魔法使いだぞ」
見せびらかすように木乃香のマントの裾をひらひらと弄んで、彼は答えた。
にやりと、それはそれは人の悪い笑みを浮かべて。
フローライドの魔法使いは国に認定されると証であるマントが贈られ、外では常にそれを身に着けるように言われる。その特殊な織りと独特のつた模様の刺繍は、簡単に偽造できるものではない。
色は灰色から黒のモノトーン。階級が低ければ低いほど色は白に近く、逆に高ければ色は濃くなる。
つまり、白に近い灰色マントの木乃香は最下級。漆黒を身に着けるラディアル・ガイルは最上級の魔法使いということになる。ちなみに先ほどの襲撃者たちも、それぞれ真っ黒とはいかないまでも近い色のマントを羽織っていた。
そもそも魔法実力主義のフローライドで、下級魔法使い用のマントを好んで偽造し着用する物好きはいない。
「そんなあくどい顔で言われても、信じられるわけないでしょ!」
ナナリィゼ王女が声を上げる。もっともである。
「下級程度の魔法使いが、あんな小さな使役魔獣を持てるわけがないじゃない!」
一般に、使役魔獣は大きければ大きいほど評価が高い。
持っている“力”の量が多ければ多いほど、それを入れる器、つまり使役魔獣の体も大きいものが必要だからだ。
時折、強く見せようと思うあまり外見だけを大きくしてしまう魔法使いがいるが、器も魔法使いの魔法力が使われていることを考えると、無駄遣いもいいところだ。その分使役魔獣の能力自体が下がってしまうのだから。
木乃香の場合、その逆だ。自分の使役魔獣たちを、わざと小さくしている。
通常であれば入らない量の“力”を、わざわざぎゅっと圧縮して小さな器に入れているのだ。それには大きな器を作る以上の魔法力と技術の高さ、器用さが求められる。
本来ならば、上級魔法使いたちの放った魔法のことごとくを無効化してしまうほどの使役魔獣の大きさは、謁見の間の低くはない天井に頭をぶつけてもおかしくはない程だ。
五郎のように手のひらサイズでしかもマントの中に潜り込めるなど、有り得ない。
こんな使役魔獣を作っておいて“下級”、それも最下級だというのなら、世の中のほとんどの魔法使いが魔法使いと名乗ることすらできないだろう。
だというのに。
「嘘は言ってないぞ。ちゃんと正規の手続きをして、認定を受けている」
それを知らないはずはない彼女の師にして世界屈指の魔法使いは、すました顔でこんなことを言う。
「まだ言うかアンタは」
「ちゃんと認定官から下級って言われてたしな」
「いや、しかしラディアルどの」
「認定証書も持ってるぞ」
「でも!」
「ほら、魔法って言ってもこいつは召喚術しかできないし」
「しか、って、あれでも十分だろうが!」
サヴィア側からの追及に、ラディアルはにやにやと楽しそうに笑っている。
「だから、アレ見れば、一目瞭然だろう? 見るだけならな」
「………」
そう。外見だけなら、小さく庇護欲を誘う使役魔獣は高い評価をもらえるわけがない。
使役魔獣は大きければ大きいほど良いとされている世の中で、わざわざ余計な力を使って余計に小さくしようとする魔法使いなどいないのだ。
彼女にはいちおう念のため、力がないように見せておけとは言ったが。
「よく見れば気付いたかもしれないがな。まあ、あの認定官じゃ無理だろう」
フローライドの魔法使い認定には、一定階級以上の魔法使いの推薦と実技試験を受ける必要がある。
推薦を受けた時点で魔法使いになったも同然なのだが、その後の試験は魔法使いの実力を測り、階級を決定するためのものだ。
たとえ結果が低くても、その後努力次第で階級を上げていくことは可能である。が、その都度試験を受け直ししなければならないし、いろいろと手続きが面倒くさい。
しかもフローライド社会では、たとえ同じ魔法使いでも下級か上級かで周囲、主に上役たちの反応やら待遇やらがまるで違う。
そんなわけだから、受験者が最初から少しでも上の階級の認定を受けようと躍起になるのも、ある程度は仕方がないことだ。
そして手っ取り早い方法として、認定官を金品や昇進をちらつかせて取り込もうとする者も出てくる。ある程度の財産を持ち世間体を気にする貴族ならば、なおさらである。
やがて味をしめた認定官から、自らそれを求める者も出てしまう。
こうして立派な腐敗不正体質の出来上がり、というわけだ。
そもそも、上層部からして賄賂上等大歓迎なのだ。下が締まるわけがない。
魔法実力主義と誇らしげにうたってはいても、内情はこんなものである。
木乃香を担当した認定官は、その典型的な例だった。
しかも階級をわざと低く教え、焦りどうにかして階級を上げようとする受験者に嬉々として袖の下を求めるくらい、悪質な。
本人以上に、自身の体面を重んじるあまり弟子の階級まで気にする師や保護者もいる。そのため、あえて低く見積もった階級にもかかわらず、師ラディアルが「それでいいぞ」とあっさり納得したときの認定官の顔は見ものだった。
むしろ袖の下を掴ませて、何ならちょっと脅しつけてでも低い階級でお願いしようと思っていたので好都合である。
弟子は弟子で、城で働きたいなどと言い出した割に出世欲は皆無で、採用資格である魔法使いの肩書と、愉快な使役魔獣たちがあればそれで満足らしかった。
よくわかっていないというのも理由のひとつ、というか大半だっただろうが。
「こいつは下級魔法使いでいい。そのほうが幸せだ」
話は終わりとばかりにラディアル・ガイルは踵を返す。
ちょうど広間の入口を、木乃香の上司であった男が連行されていくところだった。
静かだと思っていたら、あれだけ騒がしかった男がぱっくり口を開けたまま呆然と、驚愕の表情で元・部下を凝視している。
まあ、あれだけの事を彼女、というか彼女の使役魔獣が目の前でやってのければ、いろいろと気付くだろう。
「あいつら、生かしておいていいのか?」
サフィアスが言った。
サヴィアの一時統治下に入ったフローライドでは、元・国王だの重臣だのといった者たちは厄介でしかない。
相手は腐っても上級かそれ以上の魔法使いたちである。しかも、彼らは今回ミアゼ・オーカとその使役魔獣たちの価値を知ってしまった。
「おれとしては、別に生きてても死んでても構わないんだが」
不穏分子を排除して、暴政によって不平不満を溜め込んだ国民の負の感情を少しでも和らげる。そのためには公開処刑あたりがいちばん手っ取り早いとは思う。
だから国王を捕らえたとき、最初はそのつもりだったのだ。
石や腐った食べ物などを投げる者もいるだろう。罵声や怨嗟の声だって飛ぶはずだ。それも、かなり。
しかし。
「こいつがな」
よいしょ、とラディアルが再び弟子を抱えなおした。
ただ寝ているだけとはいえ、彼女の顔色はあまり良くない。この様子だと一昼夜は目を覚まさないかもしれない。
「そんな国民を見たくないって言ったんだ」
人が処刑される様子や、むごい死体を見たくないと訴えるなら分かる。それなら見なければいいだけの話だ。目を閉じ、耳を塞いでいればやがて終わる。
じっさい親は小さな子供に見せたくないだろうし、国中の民すべてが処刑場に来たいと思うわけでもないだろう。
「死んで何かが良くなるわけでなし。いつもはにこにこと穏やかに笑う人々とか、親切にしてくれた人々が、顔を怒りにゆがめて誰かを罵倒するのを見たくない、と」
自分に向けられているわけではない。
それでも、嫌なのだと。そんな狂気を見なくて済むのなら見たくないと、彼女は言った。
民は、おそらく溜まりに溜まった不平不満をぶつけ発散する対象が欲しかったと思う。言葉は悪いが、元・国王と側近たちはその生贄として最適だった。
それを、自分が見たくないからやめてほしいと言うのだ。
自分勝手にも程がある。
しかし彼女の理由は、中途半端な正義感や罪悪感、嘘くさい慈愛からくる言葉より、よほど納得のいくものでもあった。話を聞いた者たちが、うっかり家族や恋人や仲間たちを思い浮かべてしまう程には。
「それで、ああそれもそうだよな、と納得しちまったんだ」
腐っても魔法王国フローライドである。幸い、殺さなくても魔法使いを閉じ込めておける場所や術はいくらでもあった。
それらを万が一破れる者がいるとすれば元・国王くらいだろうが、彼は根っからの道楽人間で、本来は権力欲などまるでない人物である。脱走を試みるような根性も忍耐力もない。
「それにな。こっちは散々迷惑かけられてしなくてもいい苦労背負ってんだ。あっさり死なれたら、借金踏み倒して夜逃げする奴と変わらん。ちょっとでも返せるものは返してもらわないとな」
ほくそ笑んだラディアル・ガイルは、魔法使いの漆黒マントがなければ悪徳高利貸しにしか見えなかった。
その辺の兵士や魔法使いであれば放っておくか魔法で浮遊させて適当に運ぶのだろうに、ムスメだとまで言い切る弟子を抱える腕は目を疑う程に優しい。
そんな親馬鹿様の黒い背中を見送りつつ、残された人々はため息をついた。
ぞんざいな口調と態度で淡白と思われがちだが、ラディアル・ガイルは一度懐に入れた人間を簡単に放り出せる人物ではない。
面倒見の良さで彼を「アニキ」と慕う者は多いし、辺境の研究施設に引っ込んでいてさえ、王城や都での人気も高い。
魔法使いとしての実力もさることながら、そんなラディアル・ガイルだからこそサヴィアは彼を取り込むことにしたのだ。
だからきっと、今日捕まった彼らは、あっさり死ねたほうが幸せだったに違いない。
彼らは、踏まなくてもいい地雷を踏んでしまっていたのだ。
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