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目が覚めた。もぞもぞと手を動かして、スマホを探し時間を見る。
映し出された時刻は5時32分。家を出るのが7時半だとして、まだ2時間近くある。
だけれどここで二度寝しても、長く寝ていられるわけじゃない。仕方がないから起きるか、と思い掛け布団を蹴飛ばした。
だけれど、思ったほど手ごたえ(足ごたえ?)がなく、布団は体の半分を覆ったままになった。
なるほど。これはまだ寝ておけということか。
母さんが起きるのだ大体6時だから、そこまで寝ていればいいだろう。
伸ばした手で掛け布団を掴み、首元までもっていく。
そのまま眠りに入ったのだけれど、その時はなぜか自分の体の変化に気が付かなかった。
そして次に起きたのが6時過ぎ。
眠たい目をこすりながら体を起こしたところで、異変に気がつく。
「パジャマ大きくなった?」
ぽつりとつぶやいた言葉に違和感を覚える。
知っているいつも聞いていた自分の声より高い。
喉が変だということはない。いたって自然に高音が出ている。
まさかと思って、胸を触ってみると何だか膨らんでいるような気がする。
先輩の程大きくはないけれど、確かに自己主張をしている。
ここまでくると、触らずとも分かる。
何もない違和感。あるべきものがない。
試しに触ってみる。やっぱりない。
と言うか、髪が長い。首元が覆われている感じがする。何だったら足も毛が無くてつるつるらしく、パジャマが直に当たっている。
ふと昨日のことを思い出した。
謎のテントに悪魔を名乗る女性。
「まさかアレは本当だった?」
確認するように声に出せば、当然のように高音が出る。
鏡がこの部屋にあれば、自分がどうなっているのか分かるけれど、男子高校生の部屋にそんな気の利いたものはない。
洗面台にある鏡で事足りる。
女の子になったとして、男に戻る条件はきっと、昨日悪魔が言っていたことだろう。
想い人とキスをすること。
つまり僕は女の子になって、先輩とキスできる=付き合える可能性を手にしたと同時に、キスした瞬間先輩の守備範囲から大きく逸脱してしまうことになったわけだ。
嬉しいと言っていいのか、悲しいと言っていいのかわからない。
こうやって心がかき乱されているときに、あの悪魔が喜んでいると思うと、なおさら微妙な気持ちになる。
そんなことばかり考えていたせいで、僕は目の前の問題をどうするのか全く考えていなかった。
◇
「本当……みたいね」
母さんが大きなため息とともに、目の前の現実を見る。
父さんはすでに仕事に行っていたので、母さんにしか伝えられなかったけれど、とりあえず母さんが受け入れてくれたので良しとする。
伝えたと言っても、朝起きたら女の子になっていた、ということだけ。戻り方とか、今後どうなるのかとかは伝えていない。
それにしても、朝から見知らぬ女の子が上の部屋から降りてきたのを目撃した母さんの凄まじかったこと。
僕がこっそり女の子を連れ込んだと思ったらしく、怒りの形相で僕の部屋まで突撃していった後、もぬけの殻になっている部屋を見て女の子への尋問が始まった。
あとは必死にここの家の子だと伝えただけだ。
まあ、小さい頃の恥ずかしい話とか、パソコンのパスワードとか、いろいろと確かめる方法はあった。そう言った1つ1つは決定的ではないまでも、それなりに信用できそうな証拠をたくさん集めて、ようやく母さんが折れてくれた。
実際は割とすぐにそうじゃないかと思っていたらしいけれど、現実としてみたくなったのだとか。
「それで戻り方とかはわからないのよね?」
「朝起きたらこうなっていただけだから。ずっとこのままなのかもわからない」
「そうなるわよね~」
なんだか母さんが開き直ったような声を出す。
確かに息子が娘になったら困惑するとは思うけれど、それとは何だか違うような。
何と言うか、急に宿題増やされた友人みたいな顔をしている。
「えっと、母さん……?」
「とりあえず今日は母さんも一緒に学校に行くから」
「どうして?」
「どうしてって、あんたが女の子になったって、あんただけで信じてもらえると思うの?
それから制服もどうにかできないか聞いてみないといけないわね。
いっそ今日は事情説明だけして、帰ってきた方がいいか……」
母さんがぶつぶつと頭を整理しているモードになったけれど、言われてみるとそうだ。
今の状態で学校に行った所で、僕だと信じてもらえるとは思えない。
鏡を見たけれど、地味ながらも美少女になっていたし、身長も低くなっている。僕の面影なんて、髪の毛の色くらいなものだろう。
事情説明に母さんが着いてきてくれるのは助かるし、制服の問題も確かにある。
もしかしたら役所とかにもいかないといけないかもしれない。
先輩と付き合いたいと軽い気持ちで言っていたけれど、実際になってみるとなるほど確かに面倒だ。
思うところはあるけれど、母さんに迷惑をかけそうなので、今日一日は何があっても言いなりになっておこうと心に決めた。
◇
なんとも大変な一日だった。
結論から言えば、僕は学校ではやや特別扱いされることになるらしい。
例えばトイレは職員用の女子トイレを使うことになったし、体育は基本は見学で必要な分は後日補講のような形をとる。
制服は女子用の制服として、扱いは女子寄りになるらしい。
次に法的にどうなったのかと言えば、これは保留。つまり法律上は男のまま。
細かい話はあったけれど、はっきり言って全然意味が解らなかった。
母さんもうんうん唸りながら、何とか会話していたレベル。役所の人も頭を痛めていた。
そもそも本人確認のためにDNAとかいろいろやってみるらしい。
それまでは保留。こんな見た目で、法的には高校生男子。
付いてないのに、付いている扱い。the事なかれ主義。
ただこれについては、前例があるらしい。
そう言えば悪魔も過去に性別を変えてほしい願いがあったとか言っていた。
ということは、変えられた人がいるのだろう。代わりに何を要求されたのか知らないけれど。
今回はその前例を見つけることができたらしく、それに沿って判断するのだとか。
それがわかってからは、話が速かった。
「母さん。ごめん」
「良いのよ。あんたの母さんだもの。まさか息子が娘になるとは思ってなかったけど、あんたが悪いわけじゃないしね」
疲れ切った母さんに申し訳なくて、思わず謝罪が口から出てくる。
それに対して母さんは、まるで気にした様子もなくそう言ってのけた。
僕が悪い部分もあるわけだけれど、それを言うことはしないで、お礼を言っておいた。
◇
先輩と付き合いたいから。それだけのために、短絡的に女の子になりたいと思っていたけれど、軽々しくなるもんじゃない――なれるはずじゃなかったけど――と思う。
朝起きてそんなことを思いながら、下着をつける。
寝るときはつけないのかと言われそうだけれど、寝ている時までブラジャーをしているのは圧迫感があって、ちゃんと寝れないのだ。
昨日、母さんに連れていかれた店で買わされたのだけれど、それ自体は文句はない。
何せ何もつけないと痛いのだ。大きいとは言い難いくせに走ったりすると、ブルンブルンと揺れて痛いのだ。
あとこすれるのも辛い。
初めてブラをつけた時の感想は、男の自分が女性の象徴みたいなブラをつけることへの忌避感よりも、暴れ馬を押さえてくれる安心感の方が大きかった。
感動した。
制服は自分のが出来上がるまで、学校にある予備の制服を借りることになった。
その時に気が付いたというか、改めて感じたのだけれど、僕の身長は結構低くなっている。
たぶん150㎝ちょっとと言ったところだろうか。1歩が小さい。目線が低い。
先輩の身長が160㎝台だったので、元々あった先輩との身長差分入れ替わった感じだろうか?
大きい先輩って言うのは、なんだかちょっと想像できない。
でもちょっと気になる。
ブラを何度か挑戦してようやくちゃんとつけることができたので、制服に着替える。
スカートって側面にチャックがあるんだなと、昨日初めて知った。
普段着として、母さんが買ったものの中には違うのもあったけど。
そして今日は学校に登校することになっている。
それがなんだかとても、緊張するのだ。
うんうん。そうなのだ、女の子になったということは、先輩と付き合える以前に女の子として生活をしないといけないのだ。
恋は盲目、恋は盲目。
恋は盲目という言葉を作ってくれた人に感謝したい。
この言葉がなければ、自分の間抜けさに引きこもりになっていたかもしれない。
漫画とベッドが部屋を占拠しているこの男子高校生然とした部屋の中に、昨日段階で姿見が置かれた。そんなにいいものではないらしく、実際物置で眠っていたのを引っ張り出してきただけだけれど。
改めて自分の姿を見る。
銀髪ロリ……なんてことはなくて、ちんまい黒髪の女の子。髪の長さは肩よりも下の位置。腰には届かない。
クラスの目立たないけれど、よく見たら結構かわいいんじゃない? みたいな立ち位置の子。
元が僕だったことを考えれば、大出世と言える。
制服に着替えて部屋に降りると、なぜかまだ父さんが家にいた。
「おはよう。父さんまだ家にいたの?」
「おはよう。いや、昨日のことが嘘だったんじゃないかと思えて仕方がなくてね。
お前の顔を見て確認しておこうかと」
「ああ~……父さん、かなり動揺してたからね」
「息子が娘になって動揺しない親は居ないと思うぞ?」
「それもそうか」
「むしろなんでお前はそんなに冷静なんだ?」
自分がすごく動揺したせいか、父さんが不満げに聞いてくる。
昨日のは面白かった。リビングで「お帰り、父さん」と言っただけなのに、直立不動でカバンを落としていたのだから。
母さんから連絡はしていたけれど、何かの冗談だと思っていたらしい。
まあそうか。
僕としても動揺はしていたはずだ。ちょっと他の事に気を取られていただけで。
何と言うか現実のままならなさに、打ちひしがれていただけだ。
「なんていうか……なっちゃったからには、仕方がないかなって。
どうしようもないし」
「意外と冷静なんだな……。まあ、父さんは行ってくるが、何か困ったことがあれば連絡しなさい」
「はーい。行ってらっしゃい」
こうして家を出ていく大黒柱に、おざなりに手を振る。
見送りが終わったところで、母さんから声をかけられた。
「それで着替えは大丈夫?」
「大丈夫……だと思う。なんか変なところある?」
「パッと見た感じはないわ。でも髪は結んでおいたほうが良いわね。
昨日もそうだったけど、かなり気になっているみたいだし」
そう言って、母さんがキッチンにある引き出しから黒い輪ゴムを取り出した。
あれだ、クラスの女子が良く持っている謎の黒いゴム。
一般的な輪ゴムよりも輪が小さくて、髪を止めるための物だということは知ってはいたけれど、うちにもあったのか。
この長い髪だけれど、本当に気になるのだ。
男時代には、髪が首を覆っているということはなく、動くたびに髪が動いて首を刺激するなんてことはなかった。今の長さだとそれがある。くすぐったいわけではないけれど、気になるのだ。
あと暑い。
母さんは日が当たらなくて涼しいじゃない、なんて言っていたけれど、その気持ちは僕にはわからない。
結び終わった後、左右に頭を振ると何となく振り回されるような感覚がある。
低い位置で結んだポニーテール。何か別の呼び方があるかもしれないけれど、僕はそんなことは知らない。
後ろで1つに結べばポニーテールだし、二つに結べばツインテール。おさげとツインテールの違いは分からない。
でも、いわゆるニーソックスが、実際はオーバーニーソックスということは聞いたことがある。
何にしても、結んでいた方が涼しいので、このまま学校に行くことにした。




