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第三章 4



「マリーちゃん⁉ いったいどこに行く気なんだ」

「私も皆さんを手伝います。なにか出来ることがあるかもしれないし――」

「ま、待った待った! さっきあいつらが言ってただろ? あの火は魔術によるものだから、マリーちゃんが行って何かしたところで、そう簡単には消えないよ」

「でも……!」

「ルカやユリウスが向かっているし、青騎士団にも多くの術師がいる。それにこの騒ぎなら、魔術師団にも連絡が行っているはずだ。夜明けまでにはきっと鎮火するはず――」

「そんな……」


 空にはいまだ星がいくつも輝いており、太陽が昇るまでにはまだ相当時間がかかりそうだ。

 その間、街の人たちはどうなるのだろうか?

 このまま街が壊れていくのを、ただ見ていることしか――。


(女神様でも、神様でもいい。誰か――)


 するとその瞬間、はるか頭上からバサッという大きな羽音が降ってきた。顔を上げると、驚くほど巨大な影がマリーの周囲を一瞬で覆い尽くす。直後、不思議な高低の声が耳に届いた。


『久しぶりですね、女神の愛し子よ』

「……?」

『悲しんでいる声が聞こえました。今こそ、あの時のご恩をお返しいたしましょう』

「あなたは……」


 そこには、全身を真っ黒い鱗で覆われた巨大なドラゴンが浮かんでいた。隣には、以前マリーが助けた幼体のドラゴンが編隊飛行しており、二体のドラゴンは悠然と王都を目指して飛んでいく。それを見たヴェルナーが「うおっ⁉」と目を剥いた。


「どうしてドラゴンがこんな街中に?」

「…………」


 やがて大聖堂の真上に到着した親ドラゴンが、ゆっくりと首を後ろに引いた。夜闇の中、ずらりと並んだ牙の隙間から、美しい青色の焔がちろちろと滲み出る。


「まさか……」


 マリーの予想通り、ドラゴンはそのまま王都に向かって勢いよく青い炎を吐き出した。かつての出来事を思い出したマリーは驚愕し、震える手で口元を押さえる。


(そんなことしたら街が――)


 だが混乱するマリーをよそに、ヴェルナーが感心したように「おおーっ」と眺めた。


「ドラゴンが……消火してる?」

「えっ?」

「あ、いや。前にユリウスが言ってたと思うんだけど、ドラゴンが吐く青い炎って魔術を無効化する力があるんだよね。だから今王都に燃え広がっている魔術の火を、打ち消すことが出来るはず――」

「火で火を打ち消す……」


 大規模な山火事が起きた際、速やかな消火を行うため、進行方向に意図的に火をつけることがある。もちろん、今回のそれとは違うやり方だが――火をもって火を制すという意味では近いのかもしれない。

 ヴェルナーの言葉通り、先ほどまで悪夢のように立ち上っていた黒い煙が、あっという間に白いものに変わっていく。ドラゴンは黒く燃え盛っていた一帯に自らの青い炎を浴びせかけたあと、立派な両翼を羽ばたかせてマリーの頭上へと戻ってきた。


『これであの悪しき炎はすべて消えたでしょう。約束は守りましたよ、女神の愛し子』

「――っ、ありがとう!」


 子どものドラゴンが下を向き、赤い目を細めてギャオン、と鳴く。それを見たマリーは腕を大きく伸ばし、彼らが見えなくなるまで何度も手を振り続けた。

 それを見ていたヴェルナーが、ぱちぱちと目をしばたたかせる。


「もしかして、マリーちゃんがあれ呼んだの?」

「え?」

「いや、あきらかに意思疎通してる感じだったから」

「あ、ええと、その」


 そういえばドラゴンの声はマリー以外の人には聞こえていなかった。曖昧に微笑むマリーをよそに、ヴェルナーはあらためて寮の方を振り返る。


「さて、いい加減に戻ろうか」

「はい。ヴェルナーさ――」


 だがその時、マリーの背後で「うわっ⁉」「捕まえろ‼」という声が聞こえた。

 振り返った視線の先で、拘束していた白騎士団員たちを突き飛ばし、ゆらりと立ち上がるロドリグの姿が見える。その動きはまるで瀕死の肉食獣が、最後の命を賭して狩りに挑もうとするかのような恐ろしさがあり、隣にいたヴェルナーも思わずたじろいだ。

 その隙をつくかのように、ロドリグが勢いよくこちらに向かって走り出す。


「――悪いが、人質になってもらうぞ」

「っ⁉」


 隠し持っていた短剣を手に、ロドリグはマリーに向かって一直線に駆け寄る。

 暗闇の中、閃光のような白刃が一筋流れ――。


(逃げ――)


 恐怖で反応することが出来ず、マリーは痛みを覚悟してぎゅっと目を閉じる。

 しかし衝撃が来るより先に、誰かがマリーの前に立ちはだかった。直後、どすっという肉を断つ音が聞こえ、マリーはすぐさま目を開ける。

 そこにあったのは――夕焼けのような赤い髪。


「ミシェル⁉」

「っ、う……」


 意識を失い、ヴェルナーに担がれていたはずのミシェルが、マリーを庇うようにして立っていた。

 どさっと地面に倒れ込んだその胸には、ロドリグが手にしていた短剣が深々と突き刺さり、服を真っ赤に染め上げている。


「――っ‼」


 近くにいたヴェルナーが、すぐさまロドリグの腕を摑んで組み伏せようとした。だが手負いの獣と化した彼は、尋常ではない力でそれを振り払う。取り逃がした白騎士団員たちも加勢しようとするが、その覇気に恐れをなしているのかなかなか斬りかかれない。

 一方マリーはミシェルの体を抱き上げ、蒼白になって呼びかけた。


「ミシェル! ミシェル‼」


 短剣を抜くべきかとも考えたが、出血がひどくなるからそのままにした方がいい、という前世の半端な知識が頭をよぎる。同時に、かつてドラゴンが起こした爆発に巻き込まれ、瀕死になったミシェルの顔がまざまざと甦った。


(助けなきゃ……!)


 彼の手を握りしめ、マリーは強く祈る。

 女神様からの忠告は、とっくに頭の外に追いやられていた。


「ミシェルお願い……頑張って……‼」


 座り込んでいる場所を中心に、《応援》による白銀の巨大な魔法陣が展開される。二重の円に挟まれるようにして見たこともない文字の羅列が流れていくなか、マリーはふと地面に転がっている結晶の存在に気付いた。赤く染まった鉱石。あれは――。


(どうしてここに、黒騎士さんのサージュが……)


 かすかな記憶と重なり合い、マリーは少しだけ首をかしげる。

 だがすぐに体の奥底から湧き上がる力に呑まれ――そのまま静かに目を閉じた。





 気づくとマリーはどこかの部屋の中にいた。

 温かい陽光が差し込む大きな窓。足元には精緻な文様が描かれた絨毯が敷かれ、壁には美しい女性を描いた絵画が飾られていた。

 部屋の中央には天蓋のついた大きなベッドがあり、周囲にメイドの衣装を着た女性が何人も立っている。おそらくかなり高位な貴族のお邸だろう。


(私、いったい……)


 どうやらマリーの姿は彼女たちには見えていないらしく、マリーは現実と夢の狭間にいるかのようなふわふわとした感覚のまま、なんとなくベッドの方に歩み寄る。すると廊下の方からドタバタと騒がしい足音が近づいてきた。

 やがてバン、と勢いよく部屋の扉が開かれる。


「エミリー! 無事か⁉」

「ライアン⁉」


 飛び込んできたのは黒髪の青年。精悍な顔立ちで、黒い騎士団の服をまとっている。

 一方ベッドの中から驚いた女性の声が聞こえ、下りていた天蓋のカーテンがさっと開いた。中から顔を覗かせたのは赤い髪の女性だ。

 そのやりとりを見たマリーの脳裏に『黒騎士』という単語がよぎる。


(もしかして、この人が――)


 メイドたちもざわつくなか、エミリーと呼ばれた女性が首をかしげた。


「週末まで戻れないはずじゃ……」

「知らせを聞いて飛んで帰ってきたんだ! ああ、早く顔を……」


 黒騎士――ライアンが両手をこわごわとベッドへ伸ばす。その両腕に赤毛の小さな赤ちゃんを抱き上げると、ほわっと顔をほころばせた。


「なんて可愛いんだ……男の子か?」

「ええ。あなたにそっくりの強い子になりそうだわ」

「いやいや、君に似て優しい子になるだろう」


 喜びを噛みしめながら、ライアンは愛おしそうに腕の中の赤ん坊を見つめる。それを眺めていたエミリーが「そういえば」と両手を合わせた。


「名前、考えてくれた?」

「ああ。色々と迷ったんだが……ミシェル、というのはどうだろう」

「ミシェル?」

「初代アルジェント王が苦境に立たされた時、女神様から遣わされたという御使いの名前だ。誰かを助け、救ってくれる人になってほしい――と思ったんだが……」


 ライアンの少し窺うような声のあと、エミリーが「素敵!」と微笑んだ。


「とってもいい名前だわ! この子にぴったりね」

「そう言ってもらえてほっとしたよ。ミシェル、今日から君はミシェルだ」


 ライアンは再び目を細めると、慎重に我が子を抱きしめる。その瞬間、彼の周囲にキラキラッと小さな瞬きが舞い飛んだ。


(――!)


 見覚えのあるそれは、いつもミシェルがまとっているカリスマの欠片。だがライアンの光はより眩しくきらめいていて、マリーは「もしかして」と口元に手を添える。


(ミシェルって、まさか――)


 その瞬間、どこかでぴちゃん、と水滴の落ちる音がした。

 直後、マリーの周囲が波紋を描いて変化する。次に立っていたのはどこかの廊下――装飾や壁紙の感じからいって、先ほどの邸と同じ建物のようだ。

 突然のことにぽかんとするマリーの眼前を、ライアンが足早に通り過ぎる。


「本当にどこにもいないのか? もしくは出かけているとか」

「邸内はくまなく捜索しました。街に使用人を出して捜させていますが、エミリー様らしき女性は見当たらなかったと」

「実家に帰った可能性は?」

「エミリー様はずっと、絶縁された生家と距離を取っておられました。何かあったとして、そちらを頼るようなことはまずないと思われます。勘当された経緯なども、わたくしどもにはお話しになりませんでしたし……」

「いったいどこに行ったというんだ……。生まれたばかりのミシェルを連れて、それほど遠くには行けないだろうに……」



 

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