第三章 3
「出られた……け、ど……」
現れた地上の景色を見て、マリーはたまらず息を吞んだ。
「さっきまでの建物は……?」
ここにたどり着いた経緯を思い出す。
ジローに導かれて四人が訪れたのは、王宮の隅にある小さな小屋だった。どうやらかなり昔に騎士団の寮があった場所らしく、そこに隠れる形で地下への道が繋がっていたのだ。
だが今、その小屋は跡形もなく消し飛んでおり、残骸らしき大量の瓦礫がそこらじゅうに散らばっていた。それどころか小屋の周囲に立っていた、立派な石造りの建物もあちこち崩壊している惨状だ。
瓦礫からは真っ黒な煙と炎が立ち上っており、恐ろしい速度で燃え広がっているのが分かる。隣で見ていたルカが「やばいかも……」と口元に手をやった。
「この火、練度がめちゃくちゃ高い。僕でも消すの時間かかりそう」
「ま、街の様子も確認しないと」
「ちょっと待った、ユリウスがまだ土の中だ。早く助け出さないとマズイぞ」
「それを言ったら団長を捕まえるのが――」
パニックになった三人は、ああでもないこうでもないと言葉をぶつける。
すると次の瞬間、ドンッと大地を揺らす振動がマリーたちの前方で響いた。うず高く折り重なっていた瓦礫がバキバキッと真上に吹き飛び、その下からロドリグがゆっくりと姿を見せる。ダメージは負っているようだが、しっかりとした足取りだ。
「っ……クソが……!」
「で、出て来ちゃいましたけど、どうしたら⁉」
「――ッ!」
とっさにヴェルナーが弓を構える。だが先ほどの騒動で弓幹の一部が破損しており、彼は短く舌打ちすると、残る三人に向かって叫んだ。
「ここはオレがなんとかする。ルカ、二人を早く遠くに!」
「いや無理でしょ。勝ち目ないって」
「だから早いとこ人呼んで。この状況見ればさすがに――」
そんな言い争いをしている間にもロドリグはこきっと首を鳴らし、猛然とこちらに駆け寄ってくる。それを見たヴェルナーは腰帯に下げていた長剣を抜き、三人を守るように身構えた。
「いいから早く!」
「ヴェルナーさん‼」
「あーくそ、もっと剣の練習しときゃよかっ――」
するとそんなヴェルナーとロドリグの間に、立派な矢がビュンと駆け抜けた。驚いたヴェルナーがそちらを振り返ると、聞き覚えのある豪快な声が飛んでくる。
「おい‼ いったい何が起きてんだ⁉」
「この声……ガイか⁉」
暗闇から滲み出るようにして赤騎士団のリーダー・ガイが姿を見せる。ヴェルナーと対峙する人物の姿を確認し、分かりやすくぎょっと目を見張った。
「って、ロドリグ団長⁉ どうして――」
「邪魔をするなガイ! 悪いのはそいつらだ!」
「はあっ⁉」
ロドリグの怒号を聞き、ガイは一瞬戸惑ったように動きを止める。しかしヴェルナーがマリーたちを庇っている姿に気づくと、すぐさまロドリグに向けて二本目の矢を放った。
「――んなこと、と言われても、よお⁉」
「……チッ、筋肉だけの役立たずが」
ロドリグはそう短く吐き捨てると、腰に佩いていた剣を引き抜き、いとも簡単にその矢を弾き飛ばした。ガイが「げっ」と零しているうちに、一気に彼我の距離を詰めてくる。
「まあいい、この場にいる全員始末してやる!」
「うおっ‼」
ロドリグが振り下ろした一撃を、ガキン、とヴェルナーが受け止めた。
だが強靭な二の腕から繰り出される剣戟はあまりに重く、ヴェルナーの剣は根元からあっけなく真っ二つになる。愕然とするヴェルナーをよそに、ロドリグは再度剣を振り下ろした。
すぐにガイが矢をつがえたが、とても間に合いそうにない。
「――っ‼」
身を守る武器を失ったヴェルナーは、仕方なく自身の両腕を頭上に掲げる。
すると突然、息が出来ないほどの突風がその場に吹き荒れた。警戒したロドリグが反射的に一歩下がると、ガイが現れたのと反対側から青騎士団のリーダー・エーミールが慌ただしく姿を見せる。
「マリーさん! ご無事ですか⁉」
「エーミールさん……」
眼鏡を押し上げながら、エーミールがマリーの傍に駆け寄る。その隙にガイが剣に持ち替え、ヴェルナーの前に庇い立ったのを見て、ロドリグは不快げに眉根を寄せた。
「まったく、どいつもこいつも……」
「団長、なぜ彼女たちを攻撃しているのですか? それにさっきの爆発は――」
「黙れ!」
エーミールの追及を聞き終えるより早く、ロドリグは上衣の胸ポケットからナイフを取り出し、マリーたちに向けて投擲した。
「っ、風よ!」
エーミールが風による防御を展開する間に、ロドリグがガイに斬りかかる。もはや言い逃れ出来ない騎士団長の乱心ぶりに、ガイが信じられないとばかりに叫んだ。
「おい! いい加減にしろよ!」
「黙れ。お前たち全員、反逆罪で処分してやる」
「この状況で、よくもそんな――」
進退窮まったロドリグが、不敵な笑みを浮かべながら剣を握る手に力を込める。
だがそこで急に、ロドリグが体をのけぞらせるようにして半歩横に反れた。不思議に思ったガイとヴェルナーが身構えていると、刹那、二人の間を縫うようにして背後から短剣が飛来する。振り返った先には白騎士団リーダー・クロードが立っていた。
「あっぶねーなクロード‼ オレらに刺さったらどうすんだよ⁉」
「すみません、ちょうど死角になるかなと思って」
ガイの文句に応じながら、クロードは瓦礫を踏みしめてロドリグのもとへ歩み寄った。
「ロドリグ団長、あなたの身柄を拘束させていただきます」
「クロード……」
「みなさん、大丈夫ですか? 今、全騎士団に緊急招集をかけています。王都への延焼被害が深刻です。至急対応しなければ」
騎士団のリーダー三人が揃ったのを見て、ロドリグは「はっ」と嗤笑した。
「俺の代わりに招集か。随分と偉くなったもんだな」
「団長とはいえ、王と王の民を脅かすものに容赦はしません。どうかおとなしく――」
「お前ごときに、俺を捕らえられるならな‼」
そう叫んだのとほぼ同時に、ロドリグがクロードに向かって斬りかかった。クロードはすぐに剣を構えてそれを受け止める。ガキン、ギャンと金属がぶつかり合う嫌な音がし、二人はそのままギャリ、と剣の刃を押し付け合った。
「――っ……!」
「お前はたしかに優秀だ、クロード。だが単純な力では俺にかなうまい?」
「そんな、ことは……っ!」
必死に対抗するクロードだったが、ロドリグの怪力に少しずつ押されていく。するとそこに勢いよく矢が飛んできて、ロドリグが忌々しげにそれを薙ぎ払った。遠くから「おい!」とガイの怒号が響く。
「オレたちもいるのを忘れんなよ!」
「その通りだ」
ガイの叫びとほぼ同時に、エーミールが長い詠唱を終える。一拍のち、ロドリグの足元から巨大な竜巻が巻き起こり、中央にいた彼の腕や足に次々と傷をつけた。
「ぐっ……!」
「覚悟‼」
剣を摑みなおし、クロードが渾身の一撃を振りかざす。
しかしロドリグは剣の一振りでエーミールの風の魔術を打ち破ると、そのままクロードの攻撃を受け止めた。耳障りな金属音のあと、ロドリグがにやっと口元を歪める。
「それで俺に勝ったつもりか?」
「何っ……」
睨み合う二人を前に、再びガイとエーミールが援護しようとする。
だがロドリグは剣を摑んでいるのと反対側の手でナイフを取り出すと、ガイに向かってすばやく投擲した。
「――っ!」
すぐさま防御姿勢を取ったガイだったが、狙いは彼ではなく、彼の持つ弓。ブツッという音を立てて強靭な弦が断たれ、掛けていた矢が地面へと転がった。
間を置かずして、ロドリグはエーミールに向けて手のひらを広げる。
『猛き炎よ、小賢しい風使いに鉄槌をくだせ!』
「ひいっ⁉」
すでに発動しかけていた風の魔術を食い破り、どす黒い炎がエーミールを襲う。たまらず詠唱を中断し、必死に逃げ回る彼を見ながらロドリグが「はははっ」と笑った。
「クロード、お前も――」
しかしロドリグが向き直った途端、二人が立っていた場所で突如地震が起きる。
「っ!」
「なんだ⁉」
次の瞬間、二階立ての建物くらいはありそうな巨大な氷柱が足元の瓦礫を突き破り、天を衝くようにして地上へと姿を現した。さすがに驚いたロドリグがそれを振り仰いでいると、氷柱の先端がバキッと音を立てて砕け割れる。
「なっ――」
すると割れた氷の中から、ユリウスが勢いよく落ちてきた。彼は両手に長剣を構えると、ロドリグに向かって力の限り切っ先を突き立てる。
「――っ‼」
ロドリグはそのまま右腕を深く貫かれる。だがすぐに剣を持ち替えようとしたのを見て、傍にいたクロードがとっさに彼の腕を叩き払った。武器を失ったロドリグはそのままユリウスに押さえ込まれ、ようやく地面に倒れ伏す。
動けないよう両腕を背中側にねじり上げたところで、ユリウスがやっと顔を上げた。
「ロドリグを確保した! 全員無事か⁉」
「ユリウス‼」
いちばんにヴェルナーが声を上げ、ガイやエーミールもその場に駆け寄る。しかしまだ問題は終わっていないと、各騎士団のリーダーを見回しながらクロードが口を開いた。
「彼はこのまま拘束します。急いで王都の被害を止めなければ」
「状況は?」
「相当悪いです。魔術による火のせいか、普通の水では消えないと報告が上がっています。エーミール、水の術者を大至急王宮に集めてくれませんか」
「分かった。土の術者も鎮火の助けになるだろうから連れて行く」
「あいにくうちに水の魔術師はいないが、体力的なもんは任せてくれ。避難が必要なところや、物資の調達があればどんどん派遣させよう」
「お願いします。ユリウス、君は――」
「問題ない。……ただ、あいつらは疲弊している。少し声をかけてきていいか」
「はい。それでは準備が出来次第、すぐに」
やがてクロードの部下たちが駆けつけ、ロドリグに縄をかけていく。リーダーがそれぞれ自身の騎士団へ向かっていくなか、ユリウスもまたマリーたちのもとに戻ってきた。
「お前たち、怪我はないか?」
「ああ。しかし、よくあの生き埋め状態から脱出できたな」
「爆発の瞬間、氷の壁を作って中にとどまっていたんだ。以前の蝙蝠型魔獣の時、ルカがそうして回避したのを思い出してな」
「簡単に真似されるの、ちょっと複雑……」
ルカから軽口が出たことで少し安心したのか、ユリウスとヴェルナーがわずかに苦笑する。ユリウスはその場にしゃがみ込み、ミシェルを抱いているマリーに話しかけた。
「危険な思いをさせて悪かった。お前はミシェルを連れて、今すぐ寮に避難しろ」
「は、はい!」
「それからヴェルナー、怪我をしているな? ついでだからマリーと一緒に戻っていろ」
「ありゃ、バレてたか。りょーかい。こんなじゃ戦力にならないしね」
「え、待って。僕は?」
「土の『特級』持ちが、どうして休めると思ったんだ?」
ぎゃーともわーともとれる抗議の声を上げながら、ルカがユリウスに引っ張られていく。その姿を見送ったあと、ヴェルナーは気絶しているミシェルの片腕を肩に担いだ。
「それじゃマリーちゃん。急ご――」
「‼」
その瞬間、遠くで大きな爆発音が響いた。もしや延焼が火薬庫に到達したのだろうか。
それと前後して、街から避難してきたらしい王都の人たちが王宮内の広場を走っていく。必死に涙をこらえている女の子、一人で泣いている男の子――。
(被害が街にまで……⁉)
立ち上がり、王都が見える場所まで駆け出す。どす黒い煙の柱が大通り沿いから何本も上がっており、一部崩壊した建物も目に入った。王宮内も誰かしらの悲鳴や怒号が響き渡っており、マリーは震える声でおそるおそる尋ねる。
「ヴェルナーさん、街は……街は大丈夫なんでしょうか?」
「……正直、朝になるまではっきりとした被害は分からないだろうね。でも今、王都のすべての騎士団が動いている。きっと最小限に抑えられるはずだ」
「でももうあんな……家やお店が……」
「人命が最優先だ。建物まで気にしている余裕はないよ」
「そんな……」
マリーの脳裏に、今まで過ごしたきたアルジェントの風景が甦った。
お祭りのたびに賑わう大通り。無愛想な肉屋さん。たくさんの人で溢れている大聖堂――この世界に来て一年、本当に色々な景色を目にした。日本の一部しか知らなかった自分には何もかも新鮮で、美しい異国の街並みも、そこに住む人々も――。
「……っ!」
このまますべてが失われるなんて、とマリーはすぐさま王都へと向かおうとする。しかしその腕をヴェルナーがすかさず摑んだ。





