第一章 8
「す、すみません! どうしてもかまどに火がつかなくて……」
「なんでもいいから早くしろ! 午後の競技に影響したらどうする!」
「昼飯、やっぱ無理かなあ……」
「どっか店に入るか?」
「さっき聞いてみたけど、どこも厳しいらしい。観客も多かったしな……」
どうやら寮の厨房が故障し、昼食の準備が間に合っていないようだ。同じ会話を耳にしたミシェルも「あらら……」という表情を浮かべている。
「大変そうだね……。早く直るといいんだけど」
「お昼ご飯食べられないのはさすがにね……。そういえば、あと二つの騎士団も見かけなかったけど、みんなどこで休憩してるの?」
「白騎士団は王宮の中に専用のサロンがあって、そこで食べてるって聞いたなあ。赤騎士団は馴染みの店があって、大会の昼はいつもそこに行くみたい」
「なるほど……」
ようやく寮に到着し、さっそく厨房へと入る。パン生地を成形して窯に放り込んだあと、明日の食材として使う予定だった塊肉を氷室から取り出した。
「よし、やるわよー!」
肉を細かく刻んでミンチを作り、調味料やパン粉とともにひたすらこねる。楕円形に整えているうちにパンが焼き上がったので、すぐにミシェルに取り出してもらった。冷ましている間、ついでにハンバーグを焼いてもらう。
「ええと、野菜の残りは……」
石鹸で手を念入りに洗ったあと、余っていたレタスやトマトを食べやすい大きさに切り揃えていく。玉ねぎもあったが、焼く時間がもったいないので省略した。焼き上がったパン、ハンバーグを順番に並べつつ、特製のソースも作っておく。
「よし、あとは重ねて――」
ミシェルと二人、手際よく重ねて油紙に包んでいく。あっという間にかなりの数のハンバーガーが出来上がり、空のバスケット二つが満杯になった。
「もしかして、ちょっと作り過ぎた?」
「大丈夫じゃない? みんなあればあるだけ食べそうだし」
「そうかも。とりあえず戻ろっか」
それぞれ大きなバスケットを抱え、二人はみんなが待つ中庭へと急ぐ。
すると行きがけに目にした青騎士団の団員たちが、今なお同じ場所に留まっており、マリーは思わず視線を向けた。
「かまど、まだ直っていないみたい」
「だね。うちの厨房で良かったら貸してあげられるけど、今から調理する時間は……」
「…………」
それを聞いたマリーは自身が持っていたバスケットに視線を落とした。黒騎士団の団員たちに配る分は、ミシェルの方だけあれば足りるはず――。
「ごめんミシェル、先に戻っていてくれる?」
「えっ?」
「敵に塩を送るみたいだけど、でも……やっぱりせっかくの大会だし……」
「…………」
マリーのやりたいことを理解したのか、ミシェルはすぐに口角を上げた。
「分かった。ユリウスにはおれから言っておくから心配しないで」
「あ、ありがとう!」
ミシェルと別れ、マリーは苛立ちの渦中である青騎士団のもとへ駆け寄る。イライラと眉間に皺を刻んでいるエーミールを見つけ出すと「あのー」と声をかけた。
「なんだ⁉ 今忙し――あ、あなたはたしか……」
「黒騎士団、世話係のマリーと申します。もしかして、まだ昼食を取られていないのではと思いまして」
「……あ、あなたが気にすることではありません。いざとなれば携帯食料もありますし、最悪食べずとも――」
そわそわと眼鏡を押し上げるエーミールを前に、マリーは手にしていたバスケットを開ける。山盛りになっているハンバーガーの一つを手に取ると、彼にそっと手渡した。
「余分に作ったものなんですけど、良かったら皆さんで食べていただければと」
「し、しかし――」
すぐさま拒否しようとしたエーミールだったが、不安そうな団員たちの顔を見てこくりと息を吞んだ。しばし葛藤していたようだが――やがて「はあ」と息を吐き出すと、あらためてマリーの方に向き直る。
「大変申し訳ないのですが……好意に甘えさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです!」
途端に場の空気がぱっと明るくなり、空腹の限界を迎えていた団員たちが次から次へとハンバーガーを口にする。黒騎士団の団員たち同様、美味しさを称賛する声が口々に挙がり、エーミールもまた難しい表情でかぶりついた。
「……美味しい」
「ふふ、良かったです」
なんだか嬉しくなり、マリーはつい笑みを零す。するとハンバーガーを食べ終えたエーミールがおもむろにマリーの手を取った。
「マリーさん……とおっしゃいましたか。ぼくら青騎士団へのお気遣い、心より感謝申し上げます。窮地を救っていただいたこのご恩、一生忘れません」
「い、いえ! 同じ王都で働く仲間ですし、あんまり気にしないでください。それより十分な量が準備出来なくてすみません」
「とんでもない。午後からもしっかり戦えそうです」
「それは良かっ――」
ほっとするマリーの手を、エーミールがさらに強めに握りしめる。「ん?」と顔を上げると、頬を染めたエーミールが真剣な顔つきで口にした。
「あなたはぼくたちの救いの天使……いえ、女神様です!」
「そ、そんな大げさな……。あの、私そろそろ戻らないと――」
「ぜひ今度、お礼をしたいのですが」
「いえほんとに結構なので……」
手をがっしり摑まれて逃げられずにいると、エーミールは眼鏡の奥の目をにっこりと細めた。
「そうだ! いっそ転職なさいませんか?」
「て、転職?」
「はい。うちはこう見えても働きやすい職場なんです。洗濯、掃除などは魔術を使ってすべて自動で行っていますし、食事もイベント時以外は団員たちの交代制です」
「うちも基本は自分で掃除洗濯しますし、食事もみなさん手伝ってくれますけど……」
「そ、それでしたら休暇はどうなっていますか⁉ うちは複数の世話係がいるので、仕事を調整して週に二日はお休みをとることが出来ます!」
「そっ……それは……」
マリーは思わず言葉に詰まる。あらためて考えてみると、世話係になったこの一年、まともに休んだ日はなかった気がする。
(昔の仕事がアレだったから麻痺してたけど……。今の仕事も結構ブラック?)
するとエーミールが「さらに!」と畳みかけるように続けた。
「お給金も弾みます! 今どのくらいもらっていますか? うちでしたらその二倍……いえ、三倍は出すとお約束いたしましょう!」
(ひ、ひいいいー‼)
破格の条件を突き付けられ、マリーは心の中で悲鳴を上げる。
そういえば前世でも、あまりの過酷労働ぶりにふらっと転職エージェントに登録したことがあった。その時も好待遇のオファーが何個も届いたが、結局忙殺されて返事をすることすら出来なかった記憶がある。
(うう、まさか異世界でも転職を考えるとは……)
週休二日、お給料三倍という魅力的な単語に惹かれつつも、マリーは「すみません」と小さく首を振った。
「ありがたいお話なんですけど、今はまだ黒騎士団で頑張りたくて」
「どうしてです? 同じ騎士団の世話係、より良い労働条件の方が良いと思いますが」
「それは……」
最近多少マシになってきたとはいえ、まだまだ黒騎士団を取り巻く問題は多い。仕事もぽっかり空くことがあるし、資金繰りをどうしようと悩む時もある。
でも――。
「……あの人たちと、働きたいからです」
立派な騎士になろうといつも頑張っているミシェル。
ちょっと怖いけど、誰よりも騎士団のことを思っているユリウス。
軽薄な言動をしつつも、さりげなく仲間をフォローしてくれるヴェルナー。
素直じゃないけど、前よりずっと話してくれるようになったルカ。
「たしかに楽じゃないんですけど、でも……私がこの世界に来て、初めて自分で見つけた居場所なんです。だからどうしても、離れがたいというか」
「…………」
「なのですみません、転職の話はお断りしますね」
そう言いながらマリーはそろそろと手を離す。エーミールはしばしその場で立ち尽くしていたものの、どこか優しい表情で眉尻を下げた。
「それは……残念です。しかし黒騎士団の方たちは幸せ者ですね。こんな素敵な世話係についてもらえるなんて」
「そ、それほどでは……」
「分かりました。――でしたら」
「⁉」
ようやく離れたと思った手が再度がしっと摑まれる。マリーがびくっと飛び上がっていると、エーミールがやや緊張しながら口にした。
「仕事ではなく、個人的にはいかがでしょうか?」
「こ、個人的とは?」
「もちろんぼくとです。今度二人で食事にでも――」
「あ、あの、ちょっと……」
その時、無理やり繋がれていた二人の手の間に、何かがすぱんっと割り込んだ。
びっくりしたマリーが慌てて手を引っ込める。脇を見ると、そこには何故かユリウスが立っていた。手を半端に掲げているところを見ると、どうやらさっきのは手刀だったらしい。
「おい、いつまで油を売ってる」
「す、すみません!」
「もうすぐ午後の競技が始まる。とっとと行くぞ」
マリーの手を握り、さっさと皆のもとに戻ろうとする。それを見たエーミールは、ユリウスにぶたれて真っ赤になった手をさすりながら騒ぎ立てた。
「ユリウス! いったいどういうつもりだ‼」
「悪いがこいつはうちの世話係なんでな。変な勧誘はやめてもらいたい」
「へ、変なとはなんだ! ぼくは彼女に、より快適な職場を提供しようとしただけで――」
なおも言い募ろうとするエーミールを無視し、ユリウスはマリーの手を引いたままずんずんとその場を去っていく。「ユーリーウースー‼」という絶叫を背中で聞きつつ、マリーは恐縮した様子でユリウスを見上げた。
「あ、あの……ありがとうございます」
「ミシェルから事情は聞いた。人助けは結構だが、用事が終わったらすぐに帰ってこい」
「は、はい……」
怒っているわけではなさそうだが、淡々としたユリウスの様子にマリーは少しだけしょんぼりする。だがそこでふと、自分がユリウスと手を繋いでいることに気づいた。
「あ、あの、ユリウスさん!」
「なんだ」
「手……繋いでいて大丈夫なんですか?」
「…………」
今にも気絶しそうなのを無理しているのでは、とマリーは内心焦る。だがユリウスはマリーの手を握ったまま、振り返ることもなくつぶやいた。
「お前だからだ」
「えっ?」
「この一年、世話係としてのお前の働きを見てきた。そのうえで純粋に俺たちのことを案じ、接していることを知っている」
「は、はあ」
「だから、大丈夫だ」
(……?)
よく分からないままぐいぐいと引っ張られ、いつの間にか中庭へと到着する。どちらともなく手を離したあたりで、遠くに立っていたミシェルが気づき、すぐさま駆け寄ってきた。
「マリー、大丈夫だった? なかなか帰って来ないから心配したよ。迎えに行こうとしたんだけど、ユリウスが代わりに行くって言うから」
「ユリウスさんが……」
見ればユリウスはとっくに姿を消しており、マリーはあらためて自身の手を見つめた。
(私、だから……?)
彼とは初めて出会った時から怒鳴られるわ、寮を追い出されかけるわ、嫌われるわで上手くやっていけるのか正直不安だった。だが日々の生活や任務のあれこれを経て、ようやく手を繋ぐくらいの信頼は得られたのかもしれない。
「……良かった」
力強い彼の手を思い出し、マリーはなんだか満ち足りた気持ちになるのだった。





