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第六章 2



「失礼、マリー様は……。ああ、良かった。意識が戻ったんですね」

「クロードさん! ご無事でしたか?」

「はい、あなたのおかげで。しかし本当に驚きました。まさかあなたがあんなにすごい『回復魔術』の使い手だったなんて」

「そ、それは、ええと……」


 そこでマリーはふと、リリアのことを思い出した。


「あの、リリアは……」

「彼女も無事です。ですが、その……」

「……?」

「実は彼女が、一度君と話したいと言っています。少し話をする時間をもらえないでしょうか」

「いいですけど……」


 そうしてクロードに連れられて、マリーは同じ病院内にあるリリアの部屋を訪れた。リリアは上体を起こしたままベッドに座っており、マリーの訪問に気づくと視線をじっとこちらに向ける。

 その顔はやはり以前の容姿ではなく、マリーはこくりと息を吞んだ。


「わたしは廊下におります。終わりましたらお声がけください」

「は、はい」


 クロードがいなくなり、マリーがどうしたものかと出入り口のところで立ち尽くしていると、リリアがようやく小さな声で「こっち、座って」と口にした。

 恐る恐る近づき、傍にあった丸椅子に腰かける。


「……あなたが、助けてくれたのね」

「え?」

「クロードから聞いた。わたしがドラゴンの焔で瀕死だったところを、助けてもらったって……」


 ありがとう、と掠れたリリアの声がベッドに落ちる。

 今までの高飛車な態度はどこへやら。

 ひどく落ち込んだ様子のリリアが珍しく、マリーは思わずふふっと微笑んだ。


「どういたしまして。……ねえあなた、前に私と同じ日本から来たって言っていたけど、その時はなんて名前だったの?」

「……馬〆(まじめ)璃々(りり)()

「あっ……本名だったのね……」

「あ、あなただって、マリーとかじゃない」

「そ、それを言われると……。でもそうね。改めまして、私は相良麻里」


 マリーが差し出した手を、リリアはそっと握り返す。

 だが手を繋いだまま、リリアがぽつりと呟いた。


「……あなたも、何か嫌なことがあって転生したの?」

「え?」

「わたしは――駅のホームから飛び降りて、気づいたら……女神様の前にいたの」


 突然の告白に、マリーは静かに目を見開く。


「ほら、わたし、ブスじゃん? それなのに名前ばっかり派手で、おまけに勉強も運動もそんなに出来なくて……。そしたらいつの間にかクラスの子たちから距離置かれて、別のグループラインとか作られたりして……」

「……」

「毎日学校行きたくないなって思ってて、お腹痛いとか、気持ち悪いとか言って。でもお母さんが許してくれなくて、無理やり電車乗れって言われて、もうほんとに行き場がなくて――」


 ベッドに小さな涙の粒が転がる。

 マリーは何も言わず、ただ彼女の言葉を待った。


「女神様に会えた時、やっと違う世界に行けるんだって思った。だから次の世界では誰からも馬鹿にされないよう、誰よりもいっちばん可愛くしてって『ギフト』でお願いしたの。そのおかげでこっちに来てからわたし、毎日がすっごい楽しかった」


 でも、とリリアが言葉を切る。


「ドラゴンの焔ね、魔力を全部燃やしちゃうんだって。だからわたし、もう何の力も使えないし、顔だってこんな、前と、おんなじに……戻っちゃった……」

「璃々亜ちゃん……」

「わたし……もう、ここでも、生きていけないのかなあ……」


 黒い瞳からぼろぼろと大粒の涙が零れ落ち、マリーの手を濡らす。

 ひっく、としゃくりあげるリリアを見たマリーは、ゆっくりと立ち上がると彼女の体を優しく抱きしめた。


「璃々亜ちゃんはブスじゃないよ。それは周りの人が意地悪で言ってただけ」

「で、でも……」

「顔が戻っても大丈夫だよ。やれることをやって、ご飯を食べて、いっぱい寝て。もちろん今までとまったく同じにはならないかもしれないけど、でも絶対――生きていける。今度こそ、リリアちゃんを大切にしてくれる場所が、きっと見つかるよ」


 けして上手い言葉ではないかもしれない。

 だがマリーは自分の思いを出来る限り丁寧に、懸命にリリアに伝えた。


「退院して、本当に行くところがなかったら、私のところにおいで? 黒騎士団のみんな、顔はちょっと怖いけど、すごく優しい人ばかりだし。ご飯の準備とか買い出しとか、もう一人くらい人手が欲しいなっていつも思ってたの」

「……いいの?」

「もちろん。この世界に、璃々亜ちゃんをいじめていた子たちはいない。まっさらな場所なんだから、ここでまた一から頑張っていったらいいんだよ」


 その言葉を聞いたリリアは、ようやく止まりかけていた涙を再びじわっと滲ませた。

 マリーの背中に両腕を回し、すんすんと洟をすする。


「麻里さん、……今まで、いっぱい嫌なこと言って、やな態度とって、ごめんなさい……。ほんとに……ごめんなさい……」


 最後の方は消え入るようなリリアの声を聞き、マリーはよしよしと彼女の背を撫でる。

 わずかに開けていた窓から風が吹き込み、白いカーテンをふわりと揺らした。






 一週間後、黒騎士団の邸に戻れる日がやってきた。

 その日はくしくも一年の終わり――日本で言う大晦日にあたるらしい。

 病院の玄関を出た途端、以前よりいっそう寒さを増した外気が頬を撫で、マリーはぶるるっと全身を震わせた。そう言えば逮捕や入院のごたごたで、まだ外套(コート)を買えていない。


(うう……明日にでもお店に見に行こう……)


 街路には昨日の雪がまだしっかりと残っており、マリーは慎重に一歩を踏み出す。

 すると向こうから柴犬のように白い息を吐き出すミシェルが走って来た。


「マリー、迎えに来たよ!」

「ミシェルさん、お仕事は?」

「ユリウスの指示で今日はみんなお休み! ほら、荷物かして」


 そう言うとミシェルは、マリーが遠慮するより早く荷物の入った鞄を受け取った。同時にマリーがコートを着ていないことに気づく。


「寒くない? 良かったらおれの着てよ」

「で、でもそうしたらミシェルさんが」

「鍛えてるからへーき」


 騎士団の冬の装備なのだろう。制服とよく似たデザインの外套を手渡され、マリーは「ありがとうございます」と言いながらもぞもぞとそれを着こんだ。

 冷たい風が遮断され、一気に寒さを感じなくなったが――ミシェルの体温が残っていたことに何となく赤面する。


(確かにあったかいけど、なんか……申し訳ない……)


 マリーがいない間の黒騎士団の様子やジローに新しい首輪を買ったことなど、とりとめもない雑談を聞いているうちに、あっという間に邸に到着する。

 しばらく放置していたため、いったいどれほどの惨状になっているか――というマリーの憂慮とは裏腹に、邸内は驚くほどぴかぴかに掃除されていた。

 久しぶりの自室に足を踏み入れ、ミシェルにコートを返却する。

 荷物を整理していると、ミシェルがどこかそわそわした様子で声をかけた。


「マリー。その片付けが済んだら、庭に来てくれる?」

「庭?」

「うん。あ、急がなくていいから!」


 そう言うとミシェルは瞬く間にいなくなった。

 はてと不思議に思ったマリーだったが、せっせと衣服や小物を部屋の収納に戻したあと、先に出て行ったミシェルを追うように玄関から庭へと回り込む。

 するとそこには――氷で出来た立派な城がそびえ立っていた。


「な、なに、これ……!」


 同時にマリーの登場に気づいた団員たちが、口々に声を上げる。


「マリーちゃん、おかえりー!」

「もう体調は大丈夫か? あんま無理すんなよ」

「あ、ありがとうございます……。それよりこれは……」


 もちろん庭内なので、実際の王城ほどの大きさはない。

 だが城壁やテーブル、細かな装飾やシャンデリアなどがしっかりと再現されており、まるで氷の国の舞踏会に招待されたような気分だ。恐る恐る壁の一部に触れるが、指先から確かな冷たさが伝わってくる。


「すごい……本当に氷だ……」


 すると驚くマリーのもとに、どこか得意げなミシェルが現れた。


「ユリウスに頼んで、今日だけ特別に作ってもらったんだ」

「ユリウスさんに?」


 思わずその姿を探す。

 案の上、他の団員たちから少し離れた位置にユリウスが立っていた。マリーの視線に気づくと、いつものようにふいっと顔をそむける。その態度にマリーは思わず苦笑した。



 

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