第五章 6
呼吸を整えてというルカの言葉に従い、マリーは大きく息を吸って吐き出す。
「魔術に必要なのは集中力と想像力だ。参考書にあった通り、自分の中に巡る魔力をしっかり感じ取って。ミシェルの身体の細胞の一つ一つが元通りに復元していくイメージを持つ。あとはそれをゆっくり再現するようにして――」
マリーはミシェルの体が直っていく姿を、出来る限り正確に想像した。
やがてリリアの時にも現れた光の粒が指先から現れ、ふんわりとミシェルの全身を包み込んでいく。うっすらと開けた瞳でそれを確認したマリーはさらに強く思いを込めた。
(お願い……みんなのことも、助けたいの――)
瀕死の団員たちのことを想像し、マリーは再び目を閉じる。
するとその瞬間――マリーの座っている場所を中心に、巨大な白い円陣が浮かび上がった。
その場にいたルカが思わず目を見張る。
「これは……?」
ルカが零した驚きに気づくこともなく、マリーは更に祈り続ける。
銀色に輝く円陣には、ルカですら書き上げたことのない複雑な魔術式が無数に描かれていた。それらは外周や二重になった内円部分をゆっくりと流れていたが、ある一点で鍵が嚙み合わさったかのようにぴたりと動きを止める。
直後、膨大な光の柱が空に向かって一直線にそびえ立った。
「高位魔術? でもこんな規模って……」
その途方もない光量を間近で浴びたルカは、自分の中にある魔力が今にも溢れ出さん勢いで活気づいていることに気づく。
慌ててマリーを見るが、彼女は瞑目して集中を続けたまま――やがて息をするのもやっとだったはずのミシェルが、ゆっくりと起き上がった。
「何だろう……息が、急に楽に……」
「――ミシェル!」
その動きにマリーもようやく気づいたのか、どうして治ったのかわからず茫然としているミシェルに向かって勢いよく抱きついた。
えっ⁉ あのっ‼ と真っ赤になる彼の胸元を握りしめると、半泣き状態でしゃくりあげる。
「良かった……。無事で……本当に良かった……!」
「マリー……」
さらに驚くべきことに、円陣の中にいた他の団員たちも次々と復活していた。やがてマリーたちの元にユリウスが駆けつけ、それぞれの無事を確認する。
「何が起きたのか、正直俺もまだ理解できていないが……。とりあえずクロードと聖女は無事外に出られたようだ。他の観客たちも全員避難を終えている」
「じゃあ、あとは……」
「ああ。これ以上被害を広げないため――あのドラゴンを討伐する」
ユリウスの言葉に、団員たちの空気が一変した。
「ルカは後衛、仲間への防御支援を頼む。ヴェルナーはドラゴンの注意を分散させるため、場所を移動しながら後方から援護射撃」
「了解しました」
「りょーかい」
「女、お前は可能な限り離れていろ」
「は、はい!」
「他の者は武器を取れ! 牙と爪、尻尾には十分注意しろ! それから焔を吐き出すには予備動作が必要だ。相手の行動を封じ、手を休めることなく全方位から攻撃するんだ!」
団員たちはいっせいに剣や斧といった武器を構え、苛立ったように尻尾を打ち付けているドラゴンの周囲を取り囲む。
先ほどまで皆瀕死の重傷を負っていたはずだが、何故か今はドラゴン相手でも負ける気がしないとばかりにいきり立っていた。
「総員、かかれ‼」
うおおという鬨の声をあげながら、黒騎士団たちが四方八方からドラゴンに立ち向かう。つい先ほどまで絶対的な強者であったはずのドラゴンが、ここにきて団員たちの怒涛の勢いに押されているようだ。
(みんな、すごい……!)
戦っている団員たちもまた、己の体が格段に軽くなっていることを実感していた。一度死線を踏み越えかけたせいだろうか。体の内側から燃え上がるような力が次々と湧いてきて、今であればどんな敵が来ても負ける気がしない。
一方ドラゴンは焔を吐こうにもタイミングを得られず、再三の攻撃で硬い鱗にも次第に傷が走り始めた。
最初は団員たちを応援していたマリーだったが――傷つけられるたび、まるで泣いているかのように激しく慟哭するドラゴンを見て、たまらず胸元をぎゅっと握りしめる。
(本当に……これで良いのかしら……)
もちろん、このままドラゴンが王都を襲撃すれば街は大変なことになる。人的、家屋の被害も今以上に甚大なものになるだろう。
だがそのために――あのドラゴンを殺すことは正しいのだろうか。
(どうしよう……でも――)
やがてドラゴンの動きが鈍くなったかと思うと、どしんという重量感とともにその巨体が瓦礫の上へと倒れ込んだ。
それを目にした団員たちは、すぐにロープで口を何重にも縛り、いよいよとどめだとばかりに我先にドラゴンの胸へとよじ登ろうとする。
その瞬間、マリーは迷いを振り切って走り出した。
「あ、あの、ちょっと待ってもらえませんか!」
「マリーちゃん? 危ないから離れて――」
「こ、このドラゴン……元の場所に、帰してあげられないでしょうか……」
突然の提案に団員たちは当然ぽかんとする。
傍で指揮を執っていたユリウスが、冷静にこちらを睨んできた。
「女、寝言も大概にしろ。こいつを今ここで仕留めなければ、必ずこれ以上の被害が出る」
「そ、それは分かっています。でもこのドラゴン、多分普段は違うところに住んでいるんですよね? 今まで近くで見たことないし……。もし偶然ここに迷い込んで来ただけとかだったら、仲間がいるところに戻してあげた方が、その、いい気がするんです……」
たどたどしいが懸命なマリーの言葉に、団員たちは思わず構えていた武器を下ろした。
マリーの言う通り、このドラゴンは望んでここに来たわけではない。聖女の――ひいてはこの国のしもべとするため、無理やり連れてこられただけなのだ。
「す、すみません、その……皆さんが頑張っているのに、こんな……」
「――いや。お前が言うことにも一理ある」
そう言うとユリウスは、作戦中止を知らせるようさっと右手を挙げた。
やれやれと胴体部分から下りてくる団員たちを横目に、マリーはドラゴンの顔の方に近づくとその真っ赤な目の脇にしゃがみ込む。
今はロープで閉じさせられているとはいえ、あの無数の牙と青い焔の恐怖は記憶に新しく、マリーは緊張から少しだけ身震いした。
だがそうっと手を伸ばすと、先ほど同様静かに祈りを込める。
「痛い思いをさせてごめんなさい。……すぐにあなたの家に戻してあげるから、少しの間だけおとなしく出来るかしら」
淡い光がドラゴンの全身を覆い、剣や斧によって刻まれた傷をみるみるうちに癒していく。団員たちはドラゴンが突然暴れ出さないか不安に駆られつつも、マリーが助ける様子を傍らでじっと見守っていた。
やがて蝶が飛び去るようにふわっと光が消え、ドラゴンの体は完全に元通りになった。痛みがなくなったことに気づいたのか、瓦礫の上に伏していたドラゴンは、そのままゆっくり起き上がろうとする。
「マリー、危険だ! すぐに離れて――」
ミシェルの警告に従い、マリーは慌てて立ち上がった。
しかしそこにドラゴンがぐいっと顔を近づけてきたかと思うと――そのままマリーの体に、ぐりぐりと己の頭を押し付け始めたのだ。
「え……えっ⁉」
ちらちらと覗く牙にドキドキするが、どうやら食べようとしているわけではないらしい。
恐る恐るマリーが手を伸ばすと、ドラゴンは「ギャウッ」と短く鳴いたあと、子猫が甘えるようにその手のひらに擦り寄ってきた。
ざりざりとも、ごつごつとも形容しがたい鱗の不思議な感触を直に味わいながら、マリーはそろそろとミシェルの方を振り返る。
「あの、これはいったい……」
「よく分からないけど……懐かれた、のかな?」
すると突然、地表に巨大な影が落ちた。
ばさり、と聞き覚えのある羽音にマリーが顔を上げると、いま撫でているドラゴンのさらに倍ほどの大きさのドラゴンが、まるで飛行船のように空のど真ん中を陣取っている。
(ま、また新しいのが……!)
だが蒼白になるマリーの懸念とは裏腹に、天上のドラゴンはばさっと大きく羽ばたくと、下にいるドラゴンに話しかけるように鳴いた。
それに気づいた幼体のドラゴンはすぐに体を起こすと、再度マリーに頭をこすりつけたあと、堂々と空へ飛び立っていく。
「ミシェルさん、あのドラゴンは……」
「多分だけど、あの子の親なのかも」
「さ、さっきのドラゴン、子どもだったんですか⁉」
まさかの真実にマリーが驚いている間に、親ドラゴンは我が子を迎え入れるとその口に掛けられているロープをいとも簡単に噛みちぎった。
目の前にばたばたばたっとロープの残骸が落ちてきたかと思うと、次いで頭上から不思議な声が響いてくる。
『――ありがとう、女神の子よ』
「……えっ⁉」
『この御恩は、いつか必ずお返しすると約束しましょう』
(いま話しかけてるのって、まさか……)
マリーは顔を上げ、遥か上空にとどまる親ドラゴンの目をじいっと見つめる。親ドラゴンもまたマリーの方をしばらく見つめたあと、子どもとともに厳然な姿で王都の上空を飛んで行った。
ドラゴンがいなくなった途端、一気にその場の緊張の糸が切れ、誰かがどさっと倒れ込む。
「びっ……くりしたー!」
「親が来ることなんてあるんだな! というかおれ初めて見たかも」
「すっげーでけー……。でも襲ってこなくてマジでよかった……」
団員たちは瓦礫の上に座り込むと、改めて先ほどの戦いの恐怖と興奮を口々に語り始めた。
マリーもまた危機が去ったことを実感し、ほっと胸を撫で下ろす。それと同時に先ほどのドラゴンの言葉が気になった。
「あのミシェルさん、さっきの声なんですけど……」
「声?」
「ほらあの、最後にドラゴンが喋ったというか、話しかけてきたというか」
身振り手振りで伝えようとしたが、ミシェルには本当に聞こえていなかったらしく、きょとんとした顔で首を傾げている。
「もしかして幻聴⁉」とマリーが恥ずかしそうに両頬を押さえていると、いつの間にか背後にいたユリウスが呆れたように応じた。
「長い時を生きたドラゴンは人語を理解し、直接心に語り掛ける能力を持つと言われている。……お前が聞いたのは、もしかしたらそれかもな」
「心に……」
改めてドラゴンの声を思い出す。
人のものとは全く違う。でもどこか優しくて、母親としての温かさに満ちていて――と思い出し、マリーは思わず微笑んだ。
するとそんなマリーを見ていたユリウスが、やれやれと頭を掻く。
「ともかく、今回はお前に色々と助けられた」
「え?」
「あのまま親ドラゴンの存在に気づかず、目の前で子どもを始末していればあいつは容赦なく俺たちに襲いかかってきただろう。それを回避できたのはお前の偉勲だ。……つまりだな、その、だから、なにが言いたいかというと――」
「……?」
珍しく言葉を濁らせるユリウスに、マリーは首を傾げる。
やがてわざとらしい咳ばらいを落としたあと、ユリウスがむすっとした顔で口を開いた。
「……よくやった、マリー」
最初、何を言われているか分からず、マリーは目をぱちぱちとしばたたかせた。
だが褒められたことと――初めて名前を呼ばれたことを認識し、一気に顔を赤くする。
すると周囲にいたミシェルやヴェルナー、ルカたちも気づいたらしく、にこにこと(ヴェルナーはにやにやと)ユリウスを眺めた。それに気づいたユリウスはすぐさま眉間に縦皺を刻む。
「おい貴様ら、何を見ている」
「別に? あのユリウスがなーってだけ」
「ヴェルナー、貴様……!」
すぐにいつものやりとりが始まり、団員たちからやんやと笑いが起きる。
そんなありふれた幸せな光景を見つめていたマリーだったが、やがて自分の体が青空の向こうに吸い込まれるような感覚に襲われた。
(なんだろ……なんだか、すごく眠い――)
心地よいまどろみのような。
世界が真っ白になるような。
(――でも良かった……みんな、無事だっ、た……)
いつの間にか、ぐらりと体が傾ぐ。
「――マリー? マリー⁉ しっかりして、マリー! マリー‼」
どこか遠くで、ミシェルの声が聞こえる。
マリーは幸せな気持ちに包まれたまま、静かに目を閉じた。





