第四章 8
「とはいえ、ピンチには変わりないんですけどね……」
「予備のナイフはあったけど、あとは――」
テントの奥に行って戻ってきたルカの手には、携帯用のフライパンが握られていた。大きさも重量もそれなりにあるが、そもそもどうしてこんなものを任務に持ってきているのだろうか。
だが丸腰よりはましかとマリーはありがたくそれを受け取る。
するとどこかから、ばりっと布が裂ける嫌な音がした。
二人が慌ててそちらを見ると、再三の攻撃でぼろぼろになった一カ所が破れ、隙間からうごうごと魔獣が入り込もうとしている。
「君は後ろにいて。今ならまだ塞げるかも――」
「は、はいっ!」
ルカはテント内に侵入したそれを慎重に仕留める。
マリーもまた両手でフライパンの柄を掴み、彼の援護をするように身構えた。魔獣を始末したルカは、適当な布ですぐにその破損部を修復しようとする――が、今度はマリーの背後からばさばさばさっという羽ばたきが響いた。
「いやーっ⁉」
どうやらまた別の場所が破られたらしい。
頭上から降ってきた小さな魔獣に向けて、マリーは力いっぱいフライパンの底面を振りかぶった。ごん、という嫌な感触と音が手を伝い、あっけなく魔獣は墜落する。
「後ろ、二匹いる!」
「ひいっ⁉」
ほっとする間もなくルカの声が飛んできて、マリーはそのままフライパンを振り仰ぐ。その勢いで一匹は弾き飛ばしたものの、もう一匹がマリーめがけて牙を剥きだしにした。
「――っ!」
間一髪ルカがナイフを投げ、魔獣はそのままテントの柱に縫い留められる。だが上部に開いた穴を塞ぐことは難しく、ルカは上着を脱ぐと魔獣たちを追い払いながらマリーをガードした。
「くそっ、……来るなよ!」
マリーもまた必死になってフライパンで応戦する。
しかし一際大きな個体がテント内に落ちてきたかと思うと、二人に向けて激しく威嚇した。その獰猛な風貌にマリーが震えていると、ルカは手にしていた上着をマリーの頭から覆いかぶせ、そのまま自身の背後へと庇う。
「ルカさん⁉」
「大丈夫、なんとか、するから……‼」
けたたましい鳴き声をあげる魔獣を前に、ルカはぎりっと唇を噛みしめた。マリーもまた安否を気遣うように彼の腕を掴む。
すると繋いだ箇所から、白い光の奔流がぶわりと流れ込んだ。
それとほぼ同時に、魔獣たちが四方からルカに襲いかかる。
『土の叡智よ、その力を我に貸し与えよ――』
彼は無意識に、自身の両手を魔獣に向けてかざした――
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ようやく周囲の魔獣を倒し終えた頃。
突如立っていられないほどの地震が起き、ミシェルは思わず目をしばたたかせた。
「な、なに、あれ……」
マリーたちがいるテント――そこを中心に巨大な土の壁が次々と『生えて』いる。
壁はテントとその周囲に集まっていた魔獣を余すことなく囲いこむと、咲いた花が蕾に戻るかのような動きで、ぴったりと半球の中に閉じ込めた。
次の瞬間――ドンッと空気を震わせる爆音とともにドームの天井と外壁が倒壊する。テントのあった場所には土塊が小山のように積み上がり、それを見たミシェルは血相を変えて駆け出した。
「マリー‼ ルカ‼」
当然他の団員たちも気づき、大急ぎでその土の山を取り囲む。
どうやらテントを襲撃していた魔獣の群れがまるごと下敷きになったらしく、あれだけ周辺を跋扈していた魔獣たちがどこにも見当たらなかった。
だがそれはテントの中にいた二人に対しても同様で――
「ユリウス、中にマリーたちが!」
「すぐに掘削作業に移る! 第一隊は街から人出を集めてこい、第二隊は医療班の手配だ!」
「は、はいっ!」
団員たちはすぐさま持ち場につき、道具を運び込む者や、テントがあった位置を憶測して最短距離を求める者などに分かれた。
だがミシェルだけは指示が聞こえていないのか、自身の手だけで必死に土を掘り返しており、それを見たユリウスが怒号を飛ばす。
「ミシェル! いいから人を呼んでこい!」
「でも、そんなことしていたら、二人は……!」
爪先から血を滲ませながらも決して手を止めようとしないミシェルに、ユリウスはぎっと苦虫を噛み潰した。
するとミシェルのすぐ脇で、突如ぼこっと地面が盛り上がる。
「――⁉」
隆起はそのままもこもこと畝のように進んで行き、ユリウスは「魔獣の残りがいたか」と剣を抜き、山の到達点を予測してその場で身構えた。
やがて地中から何かがそろそろと頭を出し、それを見たユリウスはすかさず長剣を振りかぶる。
だが寸でのところでぴたっと刃が止まった。同時にマリーの悲鳴が上がる。
「ぎゃー⁉」
「……女? どうしてここに」
「ル、ルカさんが、脱出用の道を作ってくれたので……」
ぎらんと研ぎ澄まされた長剣の刃を横目に、マリーが恐る恐る地面から這い出てきた。続いて同じく土まみれのルカが現れ、彼がそっと地面に手を置くと、モグラの穴のように膨らんでいた道筋が綺麗に平地される。
その光景に木材やシャベルを担いでいた団員たちはあっけにとられ、ミシェルもまた信じられないという顔つきでマリーの前に立った。
「マリー……無事なんだね?」
「はい。ルカさんのおかげで――きゃっ⁉」
いきなりミシェルから抱きしめられ、マリーは「えっ⁉ えっ⁉」と動揺する。思わず後ろにいたルカを振り返るが、彼もまた嬉しそうに微笑むだけだ。
やがて剣を収めたユリウスが苛立った様子で口を開いた。
「あの規模の土壁が倒壊すれば、中のテントはひとたまりもなかったはずだ。いったいどうやって避難した?」
「ええと、外側が壊れる寸前、内側にもう一つの強度のある部屋を作ってくれたんです。そのおかげで潰されずに済んだといいますか」
「なるほど、二重構造というわけか」
ユリウスはちらりとルカの方を見る。
マリーは簡単に言っていたが、特段相性の良い土地でもない限り、あれだけの規模で地盤を変動させるのは容易なことではない。それが二層ともなれば――と思わず目を眇める。
一方ミシェルは半べそ状態で、なおもマリーの無事を確かめていた。
「良かった……本当に良かった……」
「ミシェルさん、あの、本当に大丈夫ですから……」
さすがに恥ずかしい、とおずおずと体を引き離していると、突如背後でばたっと倒れ込む音がした。マリーは振り返り、慌ててルカの元に駆け寄る。
「ルカさん、大丈夫ですか⁉」
「……」
(まさか、急に魔術を使ったから体に負担が……⁉)
だがその直後、ぐう~っという何とも気の抜けたお腹の音が空へと吸い込まれた。きょとんとしたマリーがそうっと視線を下ろすと、まさに精も根も尽き果てたという感じのルカがお腹に手を当てたまま、かすれた声を絞り出す。
「おなか……すいた……」
「……ですよね」
彼がまる二日何も食べていないことを思い出し、マリーはふふっと笑いを零す。
それを見たユリウスは大きなため息を吐き出すと、いまだめそめそと瞳を潤ませているミシェルの首根っこを掴み、なかばやけくそのように団員全員に向けて叫んだ。
「原状回復と魔獣の残りがいないか確認! それが終わったらとっとと撤収準備だ‼」
「はいっ!」





