第四章 2
「何だお前たち。ついてきたのか」
「ご、ごめんユリウス、その、食事を持ってきたんだけど……」
ミシェルのその言葉に、ユリウスがマリーの持つトレイをちらりと眺める。はあーっと呆れたようなため息を漏らすユリウスに、ミシェルが続けて話しかけた。
「やっぱり、今回はルカの力を借りないとだめだよね……」
「ああ。だがこの有様だ」
「あ、あの……ルカさん、っていったい……?」
きょとんとするマリーの様子に、ミシェルが「あっ」と目を見張った。
だがミシェルが説明をするよりも先に、ユリウスが「とりあえず行くぞ」とマリーたちを追い越して階段の方に向かう。
一階に下りていく彼を二人が慌てて追いかけると、食堂に入ったところでようやくユリウスがこちらを振り返った。
「ルカは去年、この黒騎士団に転籍した団員だ。元々は魔術師団に所属していた」
「魔術師団?」
「そっか、マリーの世界には魔術がないんだったね」
するとミシェルは片手を広げ『炎よ』と念じた。
その瞬間、何もないところから突然ぼっと火の手が上がり、瞬く間に掻き消える。
「火、火が……」
「おれは『初級』だからこの程度だけどね。ユリウスは『上級』だから、もっとすごいことが出来るんだ。ほら、こないだ氷の壁を作って店を守ったのとか」
「そういえば……」
まるでファンタジー映画のCGのようだった、あの光景を思い出す。
魔術は扱える要素によって『火・水・風・土』のいずれかに分類されるらしい。さらにその熟練度によって『初級』『中級』『上級』というランク付けをされる。
ミシェルであれば「火の初級」、ユリウスは「水の上級」と呼ばれるそうだ。
「戦術の幅が広がるから、騎士団の人間は魔術の習得を推奨されてるね。もちろん絶対使えないとダメってわけじゃないし、実際全然使えない騎士もたくさんいるけど」
「使えない人もいるんですね」
「むしろ使える方が少ないかな。赤の騎士団とかほぼいないって聞いたし。逆に青の騎士団は中級以上の習得が絶対条件らしいよ」
突如名前が挙がったライバル騎士団たちを想像し、マリーはなるほどと何度か頷く。
するとミシェルの言葉を継ぐようにユリウスが話を続けた。
「逆に魔術に特化した者を『魔術師』といい、それらを集約したものが『魔術師団』だ。彼らはその数が圧倒的に少ないため、ほとんど表に出てこない」
「少数派エリート、って感じなんですね……」
「ああ。個々の能力は絶大で、彼らは全員『特級』を取得している」
「特級……上級のさらに上、ってことですか?」
「そうだ。条件と相性がかみ合えば、それだけで一中隊程度の攻撃力を有している」
一中隊、がどれほどの規模を表すのかは定かではないが、とにかくすごい人たちの集まりだと理解し、マリーははあーと感心する。
そこでようやく『転籍』という単語を思い出した。
「どうしてそんなすごい人が、黒騎士団に来てくださったんですか?」
「理由はわからん。だが当人たっての希望ということだ」
「おれたちも、当時はめちゃくちゃ喜んだんだけどね……。ただどういうわけか、全然部屋から出てきてくれなくてさ……」
聞けばルカは着任早々、簡単に挨拶を済ませると「しばらく一人にして欲しい」と言い残し、用意されていた自分の部屋へと閉じこもったそうだ。
その後歓迎会を開きたいと呼びかけても、任務があるから来てほしいと伝えても、いっこうに部屋から出てこないらしい。
「最初のうちは頑張って声をかけていたんだけど、全然反応がなくて……。そうこうしているうちにユリウスが入院して、みんなもやる気をなくしちゃって……って感じかな」
「そうだったんですか……」
事情を把握したマリーは困惑した様子でうつむく。
それを見たユリウスは嘆息を漏らし、ゆっくりと腕を組んだ。
「だがあいつの力は本物だ。今回の仕事を終わらせるためには、どうにかしてあいつを引っ張り出す必要がある。しかし――」
くそ、と苦々しく悪態をついたユリウスは二人に向かって告げた。
「時間も遅い、お前たちはもう寝ろ。明日も討伐に出るからな」
「は、はいっ!」
「あ、でしたらユリウスさん。すぐに食事の準備を……」
「いい。これをもらう」
そう言うとユリウスは、マリーがテーブルに置いていたトレイを手に取った。そのままさっさと二階に戻っていく背中を見送っていると、ミシェルがにこっと微笑みかける。
「食べてくれそうで良かった。マリー、おれたちも休もう」
「はい。そうですね」
マリーはミシェルと別れ、厨房の明かりを落とす。
カンテラを手に廊下を歩いていたところで――真っ暗な階段の先をじっと見つめる。
(ルカさん……大丈夫かな)
一抹の不安を抱えつつ、マリーはとぼとぼと自室へと戻った。
その後も翌日、さらに次の日と黒騎士団は連日討伐に赴いた。
だが繁殖スピードが早すぎるのか、はたまたどこからか仲間を呼んでいるのか――倒しても倒しても一向に魔獣の量が減らないのだ。
あまりの打つ手のなさにユリウスやミシェル、その他の団員たちもルカの力を借りようと彼の部屋を訪れるが、どれだけ呼びかけてもうんともすんとも言わないまま。
昼間一人で留守番しているマリーもそれとなく部屋の中の様子を探ってみるが、いびきどころか寝息一つ聞こえてこない。
(これ……中に誰もいない、ってことはないわよね?)
じいっと不安そうに鍵穴を見つめたマリーだったが、さすがにそれはないかと踵を返した。
厨房に戻り、今日もまた疲れ果てた様子で帰ってくるであろう団員たちを思って夕食の準備をする――だがそこで、昨夜まで戸棚に残っていたチーズがなくなっていることに気づいた。
「おかしい……まだ結構あったはずなのに……」
またも泥棒かとマリーは急に不安になる。
しかし出かける時にはいつも施錠をしていたし、建物のどこかが壊されたような形跡もない。それになにより――騎士団のお財布には一切手をつけられていないのだ。
そこでマリーはふと、ルカが引きこもっている二階の方角を振り仰いだ。
(もしかして……みんながいなくなってから、食べに下りてるんじゃ……)
思いついた仮説にマリーはしばらく逡巡する。
だがすぐにかまどの前に向かうと、今日の調理を開始するのであった。
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その日の深夜。
誰もが寝静まった黒騎士団の二階で、きいと小さく扉が開いた。
「……」
少年は頭をフードで覆い隠しており、紫がかった黒髪がわずかに見え隠れする。彼はまるで猫のように足音一つ立てずに移動すると、そのままするすると階段を下りていった。
やがて食堂に到着し、テーブルの上の物に気づくと目をぱちぱちとしばたたかせる。
「……なに、コレ」
そこには輪切りされた黒パンとビーフシチューがきっちり一人分取り分けられていた。
まさかと思い少年が近づくと、『ルカさんへ 良かったら食べてください マリー』と書かれた小さなカードが皿の下に挟まっている。
(マリー……新しく入った世話係、だっけ……)
扉や窓の向こうで、団員たちが何度も名前を呼んでいたから知っている。
顔を見たことがないが、よく廊下の掃除中に歌っている鼻歌や、帰還した団員たちを階下で出迎える声は聞こえていたから、自分と同い年くらいの女の子であることは把握していた。
だがまさか、こうして食事を準備してくれるなんて。
(シチュー……。久しぶりだ)
少年は背後から誰も来ないことを確認したあと、静かに椅子を引く。
そのままそっと両手を合わせると、皿の前に置かれたスプーンを手に取るのだった。





