第二章 5
「……女、名前は」
「さ、相良麻里と言います」
「……特例として、世話係の任を請け負っている間に限り、この邸への滞在を許可する。ただし今後の仕事ぶりを見て、俺が不要だと判断した場合即刻解雇する。もちろん団長にもきちんと説明したうえでな」
「は、はい!」
(よ、良かった……クビを回避したみたい!)
どうやら首の皮一枚繋がったらしい。
視線を感じて隣を向くと、嬉しそうなミシェルと目が合った。同じく反対側を振り返ると、ヴェルナーが得意げにウインクする。
そんな彼らを目にしたユリウスは、体の前で腕を組んだままさらに続けた。
「平時の掃除や洗濯は、騎士団員に交代でさせろ。自己管理も騎士としての務めだからな。食事は毎日とは言わん。手伝いが必要なら当番制で当たらせろ」
「あ、ありがとうございます……」
てっきり「すべての雑務をこなせ」と命令されると思っていたマリーは、少しだけ肩透かしを食らう。だが直後、これがいちばん重要だとばかりにユリウスが告げた。
「それから――特段用がない限り、俺には無闇に近寄るな」
「はい……」
(徹底的に嫌われているわ……)
嬉しさ半分、悲しみ半分の複雑な気持ちを抱えながらも、マリーはとりあえず安堵のため息をついた。
だが安心するのもつかの間、ユリウスから厳しい一言が発される。
「それから――あの犬は捨ててこい」
「えっ⁉ ど、どうしてですか?」
「当たり前だ。俺たちは慈善事業をしているわけじゃない。大体ミシェル、引き取り手がいなかったからと言って、もらって帰ってどうするつもりだ」
「だ、だって、あのままだとあの子が……」
するとタイミングがいいのか悪いのか、マリーの部屋にいたはずのジローが弾むボールのように食堂へ飛び込んできた。
俯くミシェルをつぶらな瞳で見上げたまま、はっはと楽しそうに足元を回っている。その光景を前に、ユリウスは苦虫を噛み潰したような表情で続けた。
「役立たずを置く余裕はない。そのくらいお前でもわかるだろう」
「そ、それは……」
(ど、どうしよう……)
そこで突然ジローがぴたりと足を止め、ユリウスの方へくるっと振り返った。
そのまま「ウウ……」という今まで聞いたこともない低い唸り声を上げながら彼に対して激しく威嚇する。それを見たマリーは慌ててジローを抱き上げた。
「(だめよ、ますます怒られちゃう……!)」
しかしジローの警戒は収まらず、ついにユリウスに向かって激しく吼え立て始める。あああ、とマリーとミシェルが取り乱しているうちに、いよいよユリウスの堪忍袋の緒が切れた。
「――っ、ミシェル‼ 今すぐその犬を――」
「ちょーっと待った」
ジローの首根っこを掴んで外に放り出さんとする形相のユリウスを、ヴェルナーがゆるーりと制した。ぴき、とこめかみに青筋を浮かべる彼のもとに歩み寄ると、その胸倉をがっと強く掴み上げる。
突然の行動に食堂内は一時騒然となった。
「ヴェルナーさん⁉」
「貴様、何を考えてっ……」
「あーやっぱり。そいつ、これに吼えてたんじゃない?」
そう言うとヴェルナーは、ユリウスの襟元から何かをぶちっとむしり取った。再度開かれた手のひらには、まがまがしい紫色の種子が転がっている。
それはマリーが今朝資料で見た――討伐対象の魔獣が擬態する種子の姿そのものだった。
「退治してる時についたんだろ。動物の中には人間より魔力の匂いに敏感なやつもいる。こいつが気づかなかったら、明日にはオレたちこの邸ごとお化け屋敷になってたかもな」
「……」
ヴェルナーがそれを踏み潰すと、ジローは途端に大人しくなった。
で? とヴェルナーが先ほど同様、試すような口ぶりでユリウスに問いかける。
「役立たずはいらないって言っていたけど、どうする?」
「――っ、……!」
ユリウスはにやけ顔のヴェルナーを睨みつけたあと、マリーとその腕の中にいるジローをじっと見つめた。
やがてがしがしと頭を掻くと「ミシェル!」と呼号する。
「世話はすべてお前が責任を持ってやれ。何か粗相をした時点ですぐに放り出す!」
「は、はい!」
「悪天候時を除き、建物内に入れることは許さん。特に俺の部屋には絶ッ対に近寄らせるな。見かけた時点で即座に摘まみ出す」
「気をつけます!」
「分かったらとっとと行け!」
はいっ! と何故かマリーまで姿勢を正したあと、二人は逃げるように食堂をあとにした。しばらく無言で走っていたものの、嬉しさと安堵を滲ませるようにミシェルが顔をほころばせる。
「よ……良かったぁ……! 本当にダメかと思った……」
「はい! ミシェルさんのおかげです」
「そんなことないよ。マリーが頑張ったからだ」
互いの健闘をたたえ合うように、二人はふふっと微笑み合う。
さっそく玄関にジローの小屋を用意したところで、ミシェルがよっと立ち上がった。
「ジローのごはんとお水、準備してくるよ」
「あ、それでしたら私が」
「大丈夫。疲れただろうから座ってて」
引き留める間もなく、ミシェルはさっさといなくなってしまった。
一人残されたマリーは「くうん」と鳴くジローを抱き上げると、込み上げる嬉しさをじんわりと噛みしめる。
するといつの間に来ていたのか、背後からヴェルナーに声をかけられた。
「こんばんは。大変だったね」
「ヴェルナーさん! こちらこそ、助けてくださりありがとうございました」
「いえいえ。ユリウスは頭が固いから」
悪い奴じゃないんだけど、と笑うヴェルナーを前に、マリーはそういえばと口にする。
「あの、どうしてこちらに?」
「ん? だってオレ、元々ここの所属だもん」
「ここ……って、まさかヴェルナーさんも黒騎士団の方なんですか⁉」
驚きに目を剥くマリーを見て、ヴェルナーが「まじか……」と苦笑した。
「本当にずっと気づいてなかったんだなあ。荷物運ぶ時、おかしいとか思わなかった?」
「す、すみません、まったく……」
「うーん、これはまたどこかで騙されそうだ」
言われてみれば昨日ユリウスが「ヴェルナー」と名前を呼んでいた気がする。
何か失礼な言動をしていなかっただろうかと記憶を手繰るマリーをよそに、ヴェルナーは何も知らずにはしゃぐジローの前に座り込んだ。
「でも良かったね。君もこいつも、追い出されずに済んで」
「はい。ヴェルナーさんの一言がなければどうなっていたことか」
「あはは。まあ確かに効いたみたいだね。でも多分あいつ、パンケーキが出てきた時点でだいぶ揺らいでいたと思うよ」
「揺らいでいた、ですか?」
「うん。あいつああ見えて、甘いもの大好きでさ。でも人目があるからって外では絶対に食べないんだ。だから仕事終わりのあのパンケーキ、めちゃくちゃ嬉しかったんじゃないかな」
「そ、そうでしょうか……」
思い返してみるが、喜んでいたような様子は微塵も記憶にない。
うーんとマリーが頭を抱えていると、ヴェルナーがゆっくりと立ち上がった。
「とりあえず、これからよろしくね。マリー」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いします!」
するとヴェルナーはさっと身を屈めるとマリーの顎に軽く手を添えた。そのまま目の下あたりで「ちゅっ」と小さな音がし、マリーはぱちくりと目をしばたたかせる。
一方体を起こしたヴェルナーは楽しそうに片方の口角を上げた。
「じゃ、オレちょっと約束あるんで」
「あ、あの……ヴェルナーさん?」
「明日の昼には戻るからさー」
呆然とするマリーを残し、ヴェルナーはふらりと門扉の外に出て行ってしまった。
マリーはおそるおそる自身の頬に手を当てたあと、かっと頭に血を上らせる。
(い、今の、もしかして、キス……⁉)
この国では単に挨拶の意味なのかもしれない。
いやきっとそうに違いない、と冷静を装うマリーだったが、近づいた彼から漂ってきたふんわりとした甘い香りをつい思い出してしまう。
途端に心臓がどきどきと音を立て、マリーは思わずその場にうずくまった。
そこに両手に皿を持ったミシェルが、何も知らずに戻ってくる。
「ただいまマリー……ってどうしたの⁉ 顔真っ赤だけど」
「な、なんでも、ありません……」
しゅうしゅうと煙を立ち上らせそうなほど赤面するマリーを見て、ミシェルは皿を持ったままわたわたと狼狽する。
すべてを見ていたジローはやっとご飯がきたとばかりに「ひゃん!」と嬉しそうに鳴いた。





