佐竹家の領地を見回った六三郎が分かった事は
天正二十二年(1594年)八月九日
常陸国 水戸城
「六三郎!この数日で葡萄を育てる際の、何かしらが分かった事があるそうじゃな!常陸介と倅に話してみよ!」
「柴田殿、よろしく頼みます」
「柴田様!水戸城周辺のどの様な所が良くなかったのか、教えてくだされ」
皆さんこんにちは。大殿と佐竹親子を前に、常陸国での葡萄栽培の問題点を「俺なりに」発表しようと準備しております柴田六三郎です
これから小さいを通り越して、細かい部分の指摘をしていきたいと思います
「はい。それでは、先ず甲斐国との違いとして土に滋養が足りませぬ」
「土に滋養が足りないとは、どう言う事でしょうか?」
太郎くんが食いついて来ました。流石、史実では名君と呼ばれただけあります
「土に滋養と言うのは、出来るかぎり簡潔に言いますと、土に肥や枯葉や食事の食べ残し等を混ぜ、天道に10日程当てて、土に滋養を行き渡らせた状態の事です
これは米作りにも適用出来ますが、ただ肥を撒いた田畑と、滋養豊富な土を撒いた田畑では、明確に米の収穫量に差が出ます
大殿、20年以上昔の話になりますが、当時の尾張国に父上が領地を持っていた頃、父上の領地だけ米の収穫量が多かった事を覚えておりますか?」
俺が大殿に話を振ると、大殿は
「おお!あの時から既に滋養豊富な土を作っておったのか!確かに、権六の領地の村だけ異常に米俵が多かったのう!他の村は例年通りの米俵の数であったが、その様なからくりがあったか」
思い出しながら納得してくれたので
「はい。当時の領地にある山の中に春頃入っていった際、一部の木は多くの鹿や猪が糞尿をしていて、その結果見事な大木になっていたのですが、
一部の木は鹿や猪があまり糞尿をしていなかった為、可もなく不可もなしな木に育っておりました。ここから「土が滋養豊富ならば、作物が大量に育つのではないか?」と思い、試行錯誤しながら滋養豊富な土を作ったのです」
大まかに滋養豊富な土の作り方を説明すると、次郎くんが
「父上!今から滋養豊富な土を作りましょう!来月には右府様も柴田様も、奥州へ出立します!急ぎましょう!」
親父さんを動かそうとするけど、まだ話は途中だよ
「次郎殿。土を作って終わりではないですぞ?甲斐国での葡萄栽培に話を戻しますが、甲斐国では国内の中央に広大な盆地がありました
それをおよそ一年かけて埋め立て、葡萄や麦、更には桃栗柿と水を大量に必要としないだけでなく、いざとなれば、食糧にも酒の原材料にもなる物を植え、育てていきました
盆地にしてから滋養豊富な土を撒いて、土を耕し馴染ませてからが、始まりでした。こごまでは水戸城周辺でも可能ですが、佐竹殿、二郎殿、
甲斐国と常陸国、いえ甲斐国の中央の盆地と水戸城周辺での明確な違いとして、拙者なりの意見になりますが、水戸城周辺では、とても暑い日や、とても寒い日がそれ程無いのでは?」
俺の指摘に2人は
「確かに、水戸城周辺では寒暖差がそれ程無いですな」
「確かに、勝四郎殿の元服の時の様な寒い時期は、水戸城周辺ではほぼありませぬ」
思い当たるところがあった様です。でも、それだけじゃダメなんだよね
「そこです。甲斐国は夏はとても暑く、冬はとても寒い国です。だからこそ、葡萄に関して葡萄畑に常に人を配置して、夏は日焼けしない様に布を傘代わりに実に被せ、
冬は実を収穫した木が凍らない様に藁を巻きつけたりと、武士と百姓は勿論、杜氏ですら葡萄栽培に参加して、上質な葡萄を作ろうと一体となり、励んで来ました
他の作物でも、それは同じです。改めてお聞きしますが、佐竹殿!葡萄栽培を行なうのであれば、寒暖差が強い場所で行ないながら、人を配置して細かい処置を行なうべきです
無論、雑草取りや葡萄を木から間引く事も含めて、最初の1年のうち、前年の長月頃から種を蒔き、そこから先程言いました雑草取りや葡萄の間引きを行ない
長月から霜月頃に葡萄を収穫し、そこで初めてワインに適した葡萄になると言っても過言ではありませぬ。そこから更に、収穫した葡萄を潰してワインにする為の手順を踏み
最低でも1年熟成させた物が、大殿が納得してくださるワインになると思ってくだされ」
俺や武田家の面々、更には甲斐国で暮らす人達のやって来た事を説明すると、佐竹親子は
「柴田殿。甲斐国でのワイン作り、いや、葡萄栽培は、その様な背景があったのですな。葡萄を植えて、育った葡萄をワインにしたら完成とばかり思っていました
寒暖差や、領民達にも働かせて初めて、上質な葡萄が栽培されて、上質なワインになるのですな。いやはや、戦だけでなく内政においても、皆を動かすとは」
親父さんは、そう言って唸っておりましたし、太郎くんは
「一朝一夕では、新たな特産品は作れないと言う事であり、更に領地の事を知るべきであると痛感しました!柴田様、ご指摘ありがとうございます!」
何か、俺の指摘を大分オーバーに捉えた様な感じでした。まあ、此処で何か言うのは野暮なので言いません
そんな感じで話していたら、あっという間に夕方になっておりまして、親父さんから
「柴田殿。明日から土作りを指導してくださいませぬか?」
明日から土作りを教えてくれとのリクエストです。まあ、断れないですし
「ええ。明日から始めましょう。家臣の方も参加させてくだされ。このやり方を覚えて、常陸国中に広げていけば、常陸国の石高も上がるでしょうから」
「「忝い」」
こうして、葡萄栽培の前に土作りから始める事になりました。早く実家に帰りたいんだけどなあ
実家、どうなってるかなあ?そう言えば、最上家の皆さんは、無事に帰ったのかなあ?
※六三郎が実家の事を考えるのはフラグです。




