六三郎の知らない事が動きまくった結果
天正二十二年(1594年)三月十二日
近江国 安土城
「それでは殿!浜松城へ行って来ます!」
「「「「行って来ます!」」」」
「うむ。気をつけてな!」
この日、京六郎達が堀秀政の先導で浜松城へ向けて出立した。予定では畿内を東へ進み、美濃国から遠江国へ入るルートを通るとの事で、
往復2ヶ月から4ヶ月のスケジュールを取っていたが、そんな京六郎達とは対照的なのが、盛政達で
天正二十二年(1594年)三月二十日
三河国 某所
京六郎達が堀秀政の先導で遠江国を目指している頃、盛政達は三河国に入っていたが
「失礼します!皆様方は、播磨国へ向かわれる佐久間玄蕃殿と最上出羽守殿の一行で間違いありませぬでしょうか?」
「そうじゃが、貴殿は?」
「拙者、松平三河守様の元で、家老を務めております石川と申します。三河守様より御舎弟の勝之尉様の元服の際、
柴田播磨守様にお頼みすべき事を忘れていたそうでして、その事でお父上の殿へ話しましたら、「右府様と話はついている」言われたので、
その事を佐久間玄蕃殿伝える為に、そして実施してもらう為に、お待ちしていた次第にございます。よろしければ岡崎城へお越しいただきたく」
信康や信康の息子の竹千代と竹二郎の傅役を務める石川数正から、岡崎城へ来て欲しいと止められていた
勿論、織田家家臣が織田家の同盟相手である徳川家嫡男の呼びかけを無視する事など出来ないので
「分かりました。最上殿もよろしいでしょうか?」
「何やら、面白い事になりそうじゃな。拙者もご一緒させてもらおう」
盛政と義光は、岡崎城へ進む事になった。そして、岡崎城へ入り、すぐに大広間へ案内されると、そこには
「最上出羽守殿!佐久間玄蕃殿!いきなり呼び出して、申し訳ありませぬ!」
上座に信康が、上座の側に竹千代と竹二郎と長丸が座っていた。その様子に盛政は
「三河守様、御子息達も一緒とは何やら重大な事なのでは?それならば、拙者達ではなく安土城に居られます内府様達へお伝えした方がよろしいと思うのですが」
「重大な事なら、自分達じゃなく安土城へ伝えてくれ」と断ろうとする。しかし、信康は
「いや、これは播磨国へ向かう最上殿と佐久間殿にしか頼めぬ事なのじゃが、実は儂の父と義父上との間で、柴田家にて儂の子達と弟に理財を含めた色々な事を教えながら、
身体を鍛えたいとの事で話していたのじゃが、六三郎殿にその事を頼む機会を得られなくてな、それで義父上が、
「後で六三郎に言っておく!だから、今は佐久間玄蕃に連れて行ってもらえ!詳しい内容が書いた文は安土城へ送っておく!」と父に言っておったのじゃ
そこでじゃが、佐久間殿と最上殿。息子達と弟を、柴田家に連れて行ってくだされ!この通り!」
色々と説明しながら、最終的に平伏して頼む。更に竹千代達3人も
「「「お願いします!」」」
平伏して頼む。そこまでされては盛政は断れないので
「分かりました。それでは我々と共に一旦、安土城へ向かって、そこから播磨国の柴田家へ向かうという事でよろしいのですね?」
了承して、スケジュール確認を行なった。盛政の言葉に信康は
「佐久間殿、忝い!」と感謝を述べて、3人も
「ありがとうございます」と感謝を述べた。こうして、若い頃の信康と康勝に続いて、弟の長丸、信康の息子の竹千代と竹二郎が柴田家で学ぶ事になった
そんな事を知らない柴田家でも動きがあった。それは
天正二十二年(1594年)四月二十日
播磨国 某所
「越前守様!例の建物が完成しましたぞ!」
黒田家主導による学舎の建築が完了した知らせだった。勿論、勝家達も参加していたが、建築資材のおよそ半分は三木城を壊した時に出た物なので、
織田家からの建築費用は安く抑えられていた。更にこの学舎は、丹羽長秀も建築に参加していたので、織田家も内情を知っていた。なので勝家は、殆ど何もしていない状態だった
やった事と言えば、柴田家の屋敷を含めた居住スペースを学びに来る他家の子息令嬢の為に作った事くらいだ
しかし、勝家が「親元を離れて暮らす他家の子息令嬢に寝泊まりでも辛い思いをさせたくない!」と言う親心的な優しさを出した結果、3000人は寝泊まり出来る巨大な宿舎になった
この事を長秀から伝えられた信忠と松姫は
「それ程の広さか!それならば、三法師の弟や妹達を学びに行かせても、大丈夫そうじゃな!のう、松!」
「そうですねえ、私達では甘くなってしまうかもしれませんが、柴田家ならば厳しくしてくれそうですからねえ」
嫡男の三法師以外の子供達を預けるという、勝家と六三郎の胃に穴が空きそうなフラグ発言をしていた。そんな柴田家の巨大な学舎の話は、
尼子家以外の近隣の家臣にも当然、伝わる。その中でも
「兄上!柴田家が播磨国に巨大な寺子屋を作ったそうですぞ!しかも、毛利との戦で共に戦った黒田家と尼子家も協力して建築しただけでなく、織田家も建築に参加したそうです!かなりの規模らしいですぞ!」
「誠か!それならば、長望丸より下の息子と娘は、そこで学ばせる事が出来るな!これは親父殿に是非ともお願いしないといかぬな!
小一郎、親父殿へ文を書くぞ!善は急げじゃ!きっと、嫌、間違いなく柴田家で学ばせたい親は大量に居るじゃろう!早い者勝ちの争いになるから、先手必勝じゃ!」
ほぼ隣の羽柴家は、柴田家の学舎の情報を聞いて、居ても立っても居られない状態になっていた。そんな状態でも秀吉は、勝家に文を送る冷静さは持っていた
そんな事を知らない六三郎は信長と共に小田原城へ到着し、北条家の面々と挨拶していた
天正二十二年(1594年)四月二十二日
相模国 小田原城
「右府殿、柴田殿!良くぞ来てくださった!これより安房国の里見家へ行くそうですな。その為に領地を通る了承を得る為に来てくださるとは、丁寧な対応、忝い」
「いやいや、相模守殿。こう言った小さい事を怠っては、やらずともよい戦を起こしてしまうのでな。気をつけて動かないといかぬので、通行許可の文と了承を得る為に挨拶に来たのじゃ」
皆さんこんにちは。浜松城を出立して、約3ヶ月。現在小田原城へ通行の許可を貰う挨拶をしております柴田六三郎です。まあ、儀礼的な挨拶なので、やるのは俺ではなく大殿なので、俺はただの付き添いです
「そうでござったか。そう言えば、倅から聞いたのですが、確か武田家当主の虎次郎殿改め、勝四郎殿の元服の儀は半年前だったはず
そこから督の弟の於義伊殿改め、勝之尉殿の元服の儀の後で、何故これ程、間が空いたのですかな?何か急いで対応しなければならない事でも起きたのですか?」
「いやあ、それがですな相模守殿、この六三郎の側室の高代がやや子を授かったのですが、寒さが辛い時期に動かすのは良くないと判断したので、
儂が右少将へ高代を含めた数名を浜松城へ置いてくれと頼んでいたら、ここまでずれたのじゃ」
信長のこの言葉に北条家の面々は
「右府様!誠ですか!?」
「殿、高代殿は源三殿の奥方達の出産を助けてくださった方です。これは祝いの品を贈るべきかと」
「左京様!高代殿に祝いの品を贈るのであれば、私達夫婦で行きましょう!」
自分の事の様に喜んでいた。その様子を見た北条氏政は
「右府殿、そして柴田殿。その様な事であれば、陸路で行くよりも船に乗っていきなされ!北条家が船を出しましょうぞ!間違いなく陸路より早いですから!」
信長と六三郎へ、「船を出してやるから、それで移動しろ!その方が早いぞ!」と優しさを見せた
この厚意を信長は当然
「よいのか!ならば、言葉に甘えさせてもらおう!」
受け入れる。信長が受け入れるのであれば六三郎も受け入れるだけなので、六三郎も船での移動が決定した。




