六三郎は信長からの文を読むと
「それでは読ませていただきます。「六三郎!お主の事じゃ、儂が書いた文を二つとも、二郎三郎へ渡しておるじゃろう!なので、前置きなしで話す!
高代の側にまだ子を産んでいない、お主の家臣の嫁達を側に置いておけ!銀次郎の嫁の次が子を産んでおらぬのであれば、置いて構わぬ!
もっとも、この文を聞いているであろう二郎三郎へ金銭の負担をさせてはならぬ事も、重々承知しておる!
そこでじゃ六三郎!お主の家臣の真田源二郎が、甲斐国を出立した後、儂は勘九郎へこの件を書いた文を届ける様、家臣を走らせた。他にも関東の戦の件と
勝四郎の事を権六と市に伝える様にも書いておいた。だから、心配は要らぬぞ!そして、甲斐国の復興に参加した者達のうち、此度の儂とお主の長旅に参加したい者達が居るかの確認を行なえ!
居るのであれば、そのままお主の家臣として召し抱えて、その者達の娘や妹が居たら、高代や共に残る者達の世話役として、働かせたら良い!
改めてじゃが、六三郎!此度の長旅で儂は、関東の中で北条家と反目してないが、臣従もしておらぬ者達へ儂達が動く事がどういう意味かを見せつけるぞ!
そこで、臣従の申し出をするのであれば、そのまま領地を安堵してやる!だが、戦を仕掛けて来たり、日和見するのであれば、
後々、伊達家と最上家の領地よりも北の奥州の者達を叩く戦の前哨戦として、その者達を叩く!なので六三郎よ、儂の三千に加えて、お主の軍勢も少しは連れて来い!良いな!
そして、改めてじゃが二郎三郎よ!およそ一年の長旅になるからこそ、迷惑をかけて誠に済まぬ!
織田家との取次役として、現在、儂と共に甲斐国に居る池田勝三郎を浜松城へ連れて行く。何かあったら、勝三郎を働かせてくれ!
そして、六三郎がこの文を読んでおる頃、儂は勝三郎と共に浜松城へ向かっておるから、その時にでも細かい話し合いをしよう!そして六三郎!
権六と市へ、勝四郎の働きと領地が増えた事を文に書いて、玄蕃に渡しておけ!」との事ですが、徳川様」
「まったく、三郎殿らしいのう。あれもこれも一挙にやってしまおうとは。じゃが、分からんわけでもない
どうせ遠出するのじゃ、しかも六三郎殿という日の本随一の若き武将が居るならば、敵対勢力か否かを確かめようと考えても仕方ない
六三郎殿、間違いなく大変な長旅になるじゃろうが、頑張ってくれ!なに、高代殿や他の嫁達の事は心配しなくても良い
二十年前に三郎と徳と瀬名達、それから古茶と勝之尉と於古都が数年、世話になった事のお返しと思えば大した事ではないからのう」
家康は、身内が世話になった事へのお返しと伝えて、六三郎を安心させる。家康の言葉に六三郎は
「徳川様!誠に、ありがとうございます!」
平伏しながら、礼を述べた。こうして、信長が到着する事が確定したが、その前に殆どの問題が解決した
翌日
遠江国 浜松城
殆どの問題が解決して、勝家と市へ渡す文も書いて盛政へ渡して、高代達へ信長の了承を得た事も伝えて、新田家、楠木家、松永家の面々が柴田家へ臣従して
今回の長旅に参加する事に決まったのにも関わらず、ある事が不安で、赤備え達の元に居た。そのある事とは
「殿!右府様との長旅で移動について、何か懸念があるのですか?」
源太郎が六三郎の不安を口にすると
「うむ。大殿は若々しく動いておられるから、思わず年齢を忘れてしまうが、還暦なのじゃ。冬の寒い時期に馬で移動して、
体調不良を起こして万が一の事があってはならぬ!そこでじゃ!寒さを凌げながら、移動出来る方法を皆も提案して欲しい!」
六三郎は具体的な内容を赤備え達に伝える。しかし、脳筋多めの赤備え達からは、
「右府様へ布を多く着てもらうのはどうでしょうか?」
「右府様を駕籠に乗せて運べば冷えないのでは?」
と言った、ダメではないけど、信長が嫌がりそうな内容ばかりが出されていた。しかし、こんな時に頼りになる人物が1人居た。それは
「殿。それならば、毛利家との戦の帰り道で拾った一条家の二人を乗せていた物を、改良しては如何でしょうか?」
昌幸だった。昌幸の提案は、「馬車を改良して、信長を乗せて、寒くない様にしてはどうか?」だった
それを聞いた六三郎は
「ふむ。確かに、それならば内部を暖かくしたら、大殿の体調不良も起きない可能性も高いな。よし、今から徳川様へ使わなくてなった荷車を、
いただけないか頼んでみよう!了承していただけたのであれば、すぐに作ろう!皆も頼むぞ!」
「「「ははっ!」」」
こうして、六三郎が家康の元へ行き、使わなくなった荷車をもらえないか頼みに行くと、家康は
「それは構わぬが、また何やら面白そうな事をやるのか作るのじゃな?ならば、儂の目の前でやる事を条件に、荷車を持って行って良いぞ」
信長と同様に、「六三郎が何か面白い事、突拍子もない事をやろうとしている」と分かった様で、「自分の目の前でやるなら良いよ」とオッケーした
それを聞いた六三郎は、
「忝うございます!それでは、今すぐにでも取り掛かりたいので、荷車をお願いします」
家康へ準備を頼む。こうして、日本初かもしれない本格的な馬車作りがスタートする事になった。




