狸と鬼の子の初対面
元亀三年(1572年)十一月一日
遠江国 浜松城内一室にて
「良いか?徳川家と織田家は同盟国としていくつもの戦場を共にした。決して失礼が無い様にするのだぞ!」
「分かっております。その言葉は美濃に居る時から毎日嫌と言うほど聞いております」
「ならば良いが。お主がうつけな振る舞いをしたら殿の名声に傷がつき、ひいては織田家が敵から侮られるのだぞ。その事を」
「分かっております。そもそもそんなに拙者が何かやらかすと不安なら、美濃に置いて来たら良かったではないですか」
「やっぱり分かっておらぬではないか!良いか!徳川様は小勢とはいえ、武田を撃退した未だ元服もしておらぬ小童のお主から何かを得ようと恥を忍んで殿に頼み込んだのだぞ?それをお主は」
おはようございます。朝から親父にこれでもかと小言を言われて疲れている柴田吉六郎です。
先月に出た突然の出張命令で遠江国の浜松城に居ます。これが一月後には帰る予定らしいですが、その間は一切の休み無しという事が確定している様です。
まあ、いつ武田軍が攻めて来るか分からない状況だから仕方ないですが。こんな子供の言葉を頑固者でお馴染みの三河武士が聞く訳無いから無駄じゃないか?と思うのが本心です。
正直、美濃での戦は親父の立場が脳筋コンビと家臣の皆さんを動かしたと言っても過言ではないと思ってますが、
此処は徳川家康の領地で親父はあくまで使者なんだから、何かしらの策を出しても全員納得なんて不可能だろ?としか思ってません。とりあえず俺の居る間は武田軍と戦にならない事を祈りましょう
そんな考え事をしていると
「柴田様と御嫡男の吉六郎様。殿がお呼びでございます。大広間へ案内しますのでついてきてくだされ」
徳川家の家臣から呼ばれたので、親父の小言が一時中断になりました。助かったと思ったら
「仕方ない。吉六郎。ちゃんとするのだぞ?」
「分かっております」
最期の最期まで親父は小言を言い続けた、しかし大広間に着くと静かになった。そして
「中へどうぞ」
促されて入ると、徳川家の重臣だらけだった。そんな中で親父は
「久しぶりですな。柴田殿」
「姉川以来ですな」
「変わらず壮健な様で」
「いえいえ、某も年でございますので」
こういう場に慣れているからなのか、穏やかに会話していた。そんな中で俺は上座の後ろに居る凄いイケメンに目がいった
(おそらく俺と五歳くらいしか変わらないか?まあ、重臣の誰かの子供が小姓として仕えているんだろう)
そんな事を考えていたら
「殿のおな〜り〜」
皆が平伏した。俺達も勿論したけど、この頃の徳川家康って三十前半くらいの若い人だから、空気的なものはあまり重く感じないんだよね
で、おな〜り〜の声がして五秒程過ぎると
「面を上げよ」
声が聞こえて来た。やっぱりまだ若い人の声だから威厳はまだ薄い。そして
「柴田殿。およそ二年ぶりくらいか?変わっておらぬ様じゃな」
「ははっ。徳川様におかれましては」
「堅苦しい挨拶は良い。して、柴田殿の後ろに控えておるのが噂の神童か」
「神童かどうかは分かりかねますが、此奴が某の嫡男の吉六郎でございます。元服もまだの小童なので、無礼な振る舞いをするかもしれませぬが何卒ご容赦を。吉六郎。お主も挨拶せんか」
「柴田吉六郎にございます」
俺が挨拶すると、家康が駆け寄って来て
「ふっふっふ。今は幼いながらも既に目の力は柴田殿に瓜二つ。鬼の子もやはり鬼という訳じゃな?柴田殿」
俺の顔を見るなりそう言ってきた。この時代の鬼の子ってあまりいい褒め言葉ではなかったと思うんだけどな
「徳川様。あまり愚息を褒めないでいただきとうございます。調子に乗ってしまうかもしれませぬので」
「ふふっ。柴田殿がそこまで言うなら此処までにしておくとするか」
そう言うと家康は上座に戻って行った。そして
「改めてじゃが、儂が徳川従五位下三河守次郎三郎家康である。単刀直入に聞くが、吉六郎よ。そなたならこの遠江国に武田が来ると思うか?
来るとしたら、どれほどの軍勢で来ると思う。神童の予想とやらを聞かせてみせよ」
なんか威厳溢れる感じで言って来たぞ?さっきの感じは芝居だったのか。さすが狸と呼ばれるだけあるな。
ただ、聞かれた事に答えるのは構わないけど答えた場合、この人達パニックにならないかな?パニックになったなら仕方ない。俺は答えるだけだ
「では個人的な予想になりますが、武田は攻めてくるでしょう。攻撃に割く事の出来る全軍を使って、この遠江国を制圧して三河国へも攻め入り制圧して東海道を進み、最終的に天下を取る算段かと」
「領地拡大の戦ではなく天下取りの戦と」
「確かにこの時期に戦を仕掛けるなど、並大抵の覚悟ではない」
「しかもほぼ全軍で来るとなると」
うん、やっぱりザワザワしだした。でも、俺のせいじゃないぞ!俺はあんたらの主君に聞かれたから答えただけだ
「静かにせい!!」
そんなザワザワを家康が止めた
「武田が全軍で来る事を予想するだけでなく天下取りをかけた上洛、つまり武田の一か八かの大戦と言い切るか。して、吉六郎よ。その全軍で来る武田を倒すにはどうすれば良い?何か思い浮かばぬか?」
遂に本題が来たか。言っちゃあなんだけど、美濃での戦と遠江での戦は規模が違いすぎるんだよなあ。
美濃の戦は言ってしまえば局地戦で、勝敗にあまり関係ない戦だけど、遠江での戦は言わば全面戦争なんだよな。
こんな子供の思いつき一つでどうにかなると思わないんだけど?いくつか聞いてみるか
「徳川様。いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
「良いぞ!何でも申してみよ」
「では失礼ながら、武田との戦になった時、徳川様の中で勝利といえるのは、武田がどの様になった時でしょうか?」
「それは武田が軍の体を成してない時じゃな」
「それは武田の大将の信玄坊主を討ち取るまで戦い続ける!と言う事ですか?」
「うむ。三郎殿が今川義元公を討ち取った桶狭間の時の様に信玄坊主の首を取る事を目標にしておる」
うわ〜。とても嘘くさいんだけど?あの狸っぷりを見た後のその言葉は信用性ゼロなんだが。仕方ない
「では徳川様。殿の桶狭間の時の様な場所は遠江の何処にありますか?」
「む。何処だったかのう。お主、知らぬか?」
「存じ上げませぬ」
「お主は?」
「残念ながら」
おいおい。徳川家の皆さん?遠江国を領地にして数日とかじゃないんだから、ざっくりでも土地の形や何処に何がある。くらいは把握してないといけないと思うんですが?
「のう吉六郎よ。場所と言うのはそこまで大事なのか?戦になった時、野戦になれば家臣の三河武士達は武田を蹴散らすと言っても過言ではないぞ」
「そのとおり」
「武田なぞ一捻りじゃ」
「戦う場所など関係ない」
あーあーあーあ。何かテンション爆上がりしたんだけど?脳筋な人が多いとこんなに疲れるのか。でも仕方ない
「武田が馬鹿正直に徳川様の思惑に付き合ってくれるとお思いですか?」
俺の言葉に大広間が一気に静かになった。そして
「小童!柴田殿の嫡男でなければ切り捨てるところぞ」
「元服しておらぬくせに口が過ぎるぞ」
「殿!やはり子供に聞くなど間違いだったのです!此処は我々だけで武田と戦いましょう」
やっぱり空気が殺伐としてきた。親父は、うん見ないでおこう。きっと後でゲンコツ確定だろうし
「静かにせい」
で、家康の一喝でまた静かになったけど、今度は家康からの質問が来た
「では吉六郎よ。お主は美濃の戦において、武田をどの様な状況にしたら勝ちとしたのじゃ?」
「美濃での戦は武田を追い返したら、織田家の勝利と決めていました」
「戦う場所はどの様に決めた?」
「我が家臣の言葉ですが「斎藤道三公は勝ち戦は山岳戦で自らの得意な場所に敵を引きずりこんだ」との事なので、
物見を使い武田の者達が屋敷を攻めて来る時は山道を登ってくると聞いたので屋敷の近くの山道を走らせる様に仕掛けました」
「三郎殿の岳父で美濃の蝮の言葉か。確かに敵の得意な戦に付き合ってやる必要はないな。して、お主なら武田の対策をどの様にする?」
「拙者なら、大軍が動きにくい場所に行く様に誘導する等の正攻法とは言い難い策を使いますが、
その為には遠江国の地形を徹底的に調べて徳川様が有利に戦える場所に武田をおびき寄せて戦います。
勿論、物見を大量に使い武田の動きを注視した上での策になります」
「うむ。ただ闇雲に突撃するだけにあらず勝利の為に事前準備を怠らずの考えか。
見事じゃ。皆、これより急ぎ国中の場所で大軍が動きにくい場所を調べあげよ。物見も使って武田を注視しながらじゃ!急げ!」
「ははっ」
「御免」
「御免」
「御免」
「御免」
家康に言われて家臣の皆さんは一人を残して出て行った。で、全員の足音が聞こえなくなると
「弥八郎、全員行った様じゃな」
「その様ですな」
なんだか弥八郎と呼ばれる家臣と家康が笑顔で話し合っていた
「あの徳川様?これは一体?」
親父が不思議に思っていたのか質問した
「済まぬな柴田殿、吉六郎。儂も武田が攻めて来ても簡単には勝てない事は分かっておった。
しかしながら三郎殿からの書状で吉六郎が武田を撃退した事を聞いた時、これを利用しない手は無い!と思ってな、少しばかり神童としての吉六郎を使わせてもらった」
やっぱり芝居してたじゃねーか!見事に掌で踊らされたよ!ちくしょー!
でも、何で俺を使ってまで遠回りな地形調査をやってんだ?主君である家康が「武田対策で地形調査してこい」と命令したら終わりだろ?聞いてみるか
「あの徳川様」
「何じゃ吉六郎」
「国中の場所を調べあげるのならば、拙者を使わずとも徳川様の命令であれば皆様は動くと思うのですが?何故この様な遠回りな事を?」
「それはな三河武士達の頑固者過ぎるが故よ、三郎殿から書状を貰った後、吉六郎の武功の話を聞いて若者はやる気が漲っていたのだが、
口さがない者達は「武田も元服前の童の策にしてやられるとは情けないのう。織田家の武士も童に使われているなど恥知らずか?」
などと言っており、更には「武田なぞ我等が普通に戦えば勝てる」と言う空気が家中に広まっていった。だからこそ、家中の空気を変える為に利用させてもらった」
「つまり?」
「つまり、「武田を撃退した吉六郎が徳川家が武田に勝つ為にはどうしたら良いかを考えて献策して更には勝利の為の事前準備まで話して、それに儂が納得した」それを見た家臣達は命令を聞いた。と言う訳じゃな」
これ絶対、殿も分かっていたに違いない!
「しかし弥八郎よ。吉六郎はやはり神童と呼ぶに値するな」
「左様にございますな。我等の考えていた事よりも更に武田を倒す策や事前準備を考えているとは。あ、挨拶が遅れましたが拙者、本多弥八郎正信と申します」
大酒飲みの謀臣さんだった。確かこの人、戦で脚を怪我してからは槍働きが出来なくなったから内政メインにしつつ、調略とかやってた様なイメージなんだよね
「うむ。吉六郎。そなたのおかげで家中がまとまった!礼を申す」
「勿体無きお言葉にございます」
「柴田殿も我が子が責められている間、よくぞ耐えてくださった。礼を申す」
「勿体無きお言葉にございます。しかし徳川様、これで我等の役目は終わりと言う訳では無いのですよね?」
「うむ。一月ほどは当家に留まって柴田殿は我等の若いもの達を鍛えてくだされ。吉六郎は年が近い者達と会うのも良かろう。それでは下がって休んでくれ」
「「それでは失礼します」」
こうして俺と親父は大広間を出た
吉六郎と勝家の足音が聞こえなくなると、
家康と正信は
「弥八郎。あの小僧、どう思う?」
「あれで元服前など信じれませぬ。更に戦の経験を積めば三国志における趙雲子龍の様な智勇兼備の武将になるかと」
「それ程か。父である柴田殿の勇猛さも受け継いでおるとなると、将来的に欲しい人材じゃな」
「殿。お気持ちは分かりますが、今は武田の事を最優先に考えましょう」
「そうであったな」
どこまでも腹の底を見せない家康だった




