頑固な父と戦好き過ぎる援軍
元亀三年(1572年)十月七日
美濃国 岐阜城内にて
「紫乃。吉六郎からの書状に書いてある事は間違いないのだな?」
「はい。吉六郎様は柴田様に書状を渡せば、織田様へ話が行くから書いてあるとおりの事しか話しておりませぬ」
「そうか分かった。先ずは子らと共に休むが良い」
「失礼致します」
紫乃達一行は一日かけて岐阜城へ到着した。吉六郎に言われたとおり、勝家に書状を渡してから休む間もなく信長の前まで来て、先述の話をしていた。そして紫乃が退出すると、即座に軍議が開かれた
「さて、皆集まった様じゃな。前置きは無しじゃ。此度の軍議は皆も知っている様に岩村城が武田に奪われて更に権六の領地にも攻め入るかもしれぬとの事じゃ。
権六の倅からの書状では、推定にはなるが武田の軍勢は凡そ三千。しかも領地の人間で戦える者は三百程だそうじゃ。権六の領地は信濃国との国境に位置する。
もしも、信濃国と飛騨国の領主達が武田に降った場合、美濃国に武田と共に攻めてくる可能性がある。権六の了承を得て国境周辺を固めたが、
いつ戦になるか分からないので援軍を求めるとの事じゃ」
「殿、倅は他の事は記しておりませぬか?」
「うむ。吉六郎曰く、自身が領地を離れては領民からの信頼が無くなる。ひいては織田家の信頼が無くなる。それだけは避けたいので元服前ではあるが残って戦う。との事じゃ」
「あ奴め。童のくせに生意気な」
「権六よ。お主の養育の賜物ではないか。幼いながらも領民と共に戦うとは、儂の倅達にも聞かせてやりたいくらいじゃ」
「殿、お言葉ながら、倅は武田の恐ろしさを知らぬだけかと」
「それならそれで構わぬ。しかし、吉六郎に援軍を出さねば、この美濃国で武田が暴れ回る事になる。しかし凡そ三千の武田を追い払うには、
同じく三千は兵が必須。権六よ、近江を攻める予定であったが、倅を助けに行くか?」
「御命令ならば出陣します。ですが倅は軍略の才、と申しますか悪知恵と申しますか、敵を攻撃する時こそ拙者には思いつかない事をやるので、その」
「自分が居ては邪魔になる。と思うておるのか?」
「単刀直入に申すならば」
「まあ、そう言う事にしておく。ならば権六は儂達と共に近江へ向かう。誰ぞ「自分に行かせろ」と申す者は居らぬか?」
信長は家臣達に聞いた。しかし殆どの家臣が武田の強さを知っているからこそ「自分が行く」とは言えなかった。そんな中
「「拙者に行かせてくだされ」」
二人の若武者が手を挙げた
一人は森勝蔵長可。後に「鬼武蔵」と呼ばれる程の猛将になるが、この頃は森家の家督を継いで間もない。
そしてもう一人は佐久間玄蕃盛政。彼も後に「鬼玄蕃」と呼ばれる猛将になる。そして彼は母親が柴田勝家の姉なので、柴田家とは親戚でもある。
そんな若武者二人が行く事を伝えた。しかし信長は
「お主ら、その気持ちは有難い。だがどれだけの兵を出せる?生半可な数では無駄死にするだけだぞ?」
「殿、我々佐久間は千二百は出せます」
「我々森家からも同じく千二百を出します」
「援軍は二千四百か。戦で希望的な部分は捨てたいが、ここは仕方ない。お主ら二人、今より出陣の準備を行い、準備が整い次第、出陣せよ。権六、お主の家臣を道案内につけよ」
「ははっ」
「これで軍議は終いじゃ。勝蔵、玄蕃。国境の武田を追い払ってまいれ」
「「はは」」
こうして軍議は終了した。しかし信長は勝家だけ残した。そして
「権六よ。本来なら父である自身が吉六郎を助けに行きたいところであろう?」
「いえ、その様な事は」
「ここには儂らしか居らぬ。正直に申せ」
「殿の前では何もかも露見しますな。拙者が行きたいです。しかし、倅が織田家の為に動いているのです。それを父である拙者が壊してはならぬと、あの様に振る舞ったのです。未だ幼いのに倅は」
「権六よ。改めてお主の養育の賜物ではないか。そしてお主の気持ちも父親としての愛情なのじゃ。恥じる事はない。吉六郎達を勝蔵と玄蕃が助けてくれる事を願ってやれ」
「はは」
こうして援軍が来る事が決まった。




