一大決戦の幕開け
天正三年(1575年)五月二十一日
三河国 設楽原にて
「あそこじゃな。織田と徳川の軍勢が布陣しておるのは。どうやら我々相手に守り勝つ策の様じゃな。
ご丁寧に我々の突撃を阻む柵まで設置しておる。余程、我々に怯えている様じゃな」
声高らかに織田徳川連合軍を馬鹿にしているのは、武田軍総大将、武田四郎勝頼。此処で織田徳川連合軍を叩きのめせば、三河国を奪えると判断すると同時に
亡き父、信玄も超えられる。超えてみせる。との強い思いから決戦に踏み切った。そんな勝頼に、
「四郎殿。どの様な策で戦うのですか?」
と、勝頼を主君扱いしない物言いをしたのは、穴山信君。穴山は自身の母が信玄の姉である事から一門衆の筆頭として振る舞い、
信玄亡き後、武田家の長老である信玄の弟の信廉の忠告や苦言を一切聞かない等、横柄な態度を取っていた。
そんな穴山に勝頼は、
「策など弄さずとも、いつもどおり突撃して敵を蹴散らせば良いだけの事!」
と強気な態度で接する。そんな穴山に馬場と山県が
「穴山殿。お館様にその様な物言いはやめぬか!」
「そうじゃ!お館様は!」
「馬場!山県!よい」
「「し、しかし」」
「穴山よ。儂はただ、武田の強者達を信頼しておるから、策など不要と思っておる。お主が儂に対して何か思うところがあっても、それは構わぬ。
だがな、これから戦なのだから、要らぬ不和を起こすな!分かったなら持ち場に戻れ!」
勝頼に言われた穴山は、何も言わずに持ち場に戻った。
そして、
「そろそろ戦を始めようではないか!原隊に先陣を任せる!準備出来た隊から突撃せよ!」
「ははっ!」
「原隊よ!一番首は我々がいただくぞ!」
「おおお!」
原某の部隊から突撃して、戦が始まった。それを物見から聞かされた信長と家康は
「三郎殿。武田は種子島を使わずに突撃して来た様ですな」
「ふむ。種子島を出し惜しみしているのか、古い戦いにこだわっておるのか?どちらにせよ、我々のやる事は変わらぬ!
武田に鉛玉を喰らわせてやれ!弓矢も撃ち続けよ!撃ち手達を指揮する大将達にそう伝えてまいれ!」
「ははっ!」
そして伝令が各武将の元に走り、信長の命令を伝えた。
そして、原隊が火縄銃の射程距離に入ると
ターン!ターン!タターン!
火縄銃の銃撃音が鳴り響く。そして、その中の1発が原隊の武士に直撃する
パンッ!
乾いた音と共に直撃した武士が後ろに倒れる。それに動揺した原隊の足が止まる。
そうなってしまっては、火縄銃と弓矢の撃ち手からは格好の餌食である。
そして、
「ご報告します。原隊、全滅にございます!」
「おのれ〜!次、土屋隊!矢弾に撃たれても足を止めるな!突撃してまいれ!」
「ははっ!」
次に土屋某の部隊が突撃した。それでも、原隊より少し進んだところで全滅した。
土屋隊の全滅を聞いた勝頼は
「次!突撃してまいれ!」
次の部隊に突撃を命じた。そして、その部隊も全滅すると、
「ええい!次の部隊!」
と、再び別の部隊に突撃を命じたが、これは戦における悪手の1つの「個別攻撃」で、1つの部隊しか攻撃に来ない、守る側からしたら、攻撃対象が1つだけなので、各個撃破がやりやすいのだが、
この日まで長篠城以外の城を全て落とし、戦に勝ち続けていた勝頼は
「な、何故じゃ!!何故、こうも突撃していく部隊が悉く全滅するのじゃ?」
未経験の窮地に冷静さを欠いていた。それを見た馬場はとうとう
「まだ分かりませぬか!良いですか、お館様!織田と徳川が援軍に来た時点で、我々に勝ち目はなかったのです!
最早、この状況ではお館様が討ち取られない様に撤退するしかありませぬ!何卒、撤退を!」
「し、しかし!先に突撃した隊は、柵に辿り着いたのだぞ!もう少しで!」
「その「もう少し」の為に、何人の味方を失うか分かっておりますか!?この場に引きずり出された時点で、我々は織田と徳川の掌で踊らされていたのです!
ここでお館様が討ち取られるという最悪の事態を避ける為にも、撤退してくだされ!殿軍は儂が引き受けまする!」
馬場がそこまで言うと
「馬場殿だけに殿をさせるわけにはまいりませぬ。我々赤備えも殿軍に参加させてもらおう」
山県も殿に参加する旨を伝えた。そして、
「赤備えのうち、三十以下の若武者は、お館様を護衛しながら撤退せよ!」
「馬場隊も同じく!三十以下の若武者は、お館様の護衛につけ!此処は、儂達戦経験豊富な者が受け持つ!
よいな!お館様のお命を守る事を最優先にせよ!殿の我々には目もくれずに、お館様を守るのじゃ!我々が突撃して時を稼ぐ!撤退せよ!」
馬場がそこまで言うと、
「馬場殿も山県殿も、二人だけで華々しい場に立つおつもりか?我々内藤隊も殿軍に入れてもらいまするぞ!」
「「内藤殿!」」
内藤昌豊も殿に参加を宣言した。そして、
「お館様!ご先代の信玄公に先に拝謁しておきまする!」
「次の武田をお願いしますぞ!」
「我々老将に任せてくだされ!」
それぞれ別れの挨拶をしながら突撃していった。それぞれの家臣と殿に参加する事を決めた、いわゆる決死隊の面々。総勢八千もの軍勢が
織田徳川連合軍に攻撃を仕掛ける。




