有無を言わさず岡崎城
天正三年(1575年)五月十日
三河国 岡崎城内にて
「三郎殿!家臣の方々!徳川家の危機に馳せ参じていただき、誠に、誠に感謝しかありませぬ」
「二郎三郎。三年前の三方ヶ原の戦では、援軍の数が少なかった事、改めてすまなかった」
「あの戦は、今となっては全て信玄坊主の掌の上で踊らされていたのです。生き延びただけでも奇跡と言える程です。なので、それ程気にせずとも良いと思います」
「そう言ってくれると気が楽じゃ。さて、話は変わるが、武田はどの様に動くと見る?」
「それは」
皆さんおはようございます。元服してから2ヶ月目に初陣を三河国で経験する事になりました、柴田六三郎です。
去年、殿に送った元服希望の文の中に「今年か来年、武田と戦う」と予想に見せた歴史知識を書いたら、
殿から「お前の予想どおりになったから初陣として父の権六と共に出陣しろ」と言われて、源太郎率いる赤備え全員に初陣が決まったから準備しておいてくれと話したら、
皆テンション爆上がりで「遂に若様の初陣じゃあ!!」と叫ぶものだから、親父から俺が怒られましたよ
「お主の家臣なのだから、落ち着かせろ!」と、正論オブ正論で。
で、皆には落ち着いてもらった後に、甲冑に軽く文字を入れました。武田の赤備えと間違えられない為に、
赤い甲冑の腹の部分に黒字で「鬼」と入れました
そしたら皆、「若様!これは、武田の赤備えを超える「鬼の赤備え」にするという意味合いですな!」と、
厨二病な勘違いをしだしました。こんな時、赤備えのリーダーである源太郎は冷静なんだけど、
「大殿は「鬼柴田」と呼ばれる程の猛将なのですから、若様はさしづめ「鬼の子」ですな。だからこそ、
我々の甲冑に黒で鬼の字を入れて暴れて来いとの意思表示ですな。これは我々全員、若様の初陣が派手になる働きを見せないといけませぬな」
なんて言ってくるんです。皆には岡崎城に着いたら事情を説明しようと思ったのですが、
「吉六郎殿、いやもう元服して六三郎殿か。六三郎殿。その節は本当に世話になった。それで、儂の弟と妹は健やかに育っておるか?」
「はい。於義伊様、於古都様は勿論、母である古茶様も病にかかる事無く壮健です」
「そうか。我が子と歳の変わらぬ弟妹が居るのは不思議な気持ちじゃか、父上もまだまだ子作り出来る体力があるならば、儂も負けておられぬな。なあ、徳」
「もう。三郎様」
久しぶりに会った徳川家の嫡男夫婦に捕まっております。そんな2人の子の竹千代様は、自分の父親より背が高くて、身体がゴツい赤備え達に高い高いをされて、
とてもご満悦な様子でした。もっとも、その様子を見ていた三郎様は
「やはり、あの者達の様に竹千代を軽々とかかげたいのう」
と、今でも充分逞しいのに、更に身体を鍛えようと決意した様です。まあ、これは俺がどうこう言う事じゃないから触れないけど
で、やっと2人から解放されて、赤備え全員にやっと、文字を入れた意味を説明したら、
「それでも!我々が暴れまわり、敵の首を大量に取りましたならば、若様の武名は日の本に広がり出すでしょう!
その為にも我々赤備え!粉骨砕身で働きまする」
なんて言ってくるもんだから、親父の隣か後ろに配置される事と、親父が最前線に配置されない事を祈るしかない心境です
とりあえず、俺が何か重要な役割を任せられる事はほぼないだろうから、皆と一緒に身体を動かしておこうも思っていたら
「六三郎!殿と徳川様より、お主も軍議に参加せよとの仰せじゃ!儂と共に来い!」
親父からまさかの当主&重臣が出ている会議に呼ばれました。こんな戦経験の少ない若造が何故?
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