万歳突撃
「廃坑道に点灯された光点を仮標的と為す。」
四小隊の射撃指揮官がそのように命ずる。各級幹部はそれを復唱し兵に実施させる。今開発中の野砲であれば真北を零として右回りに一周を6400等分にした数で狙いを定めるが、ここにある歩兵随伴砲は簡易な照準で扱うことを目的にしているため現在の砲の向きを零としている。一周は360等分である。
この状況はパノラマ照準器を用いて、その上側対物レンズを旋回させ廃坑道の出入口に点灯されたカーバイト灯の光点をその中心に捉えて、さらに照準器のメモリをここで零に合わせたところである。
廃坑道の出入口に今度は青色の蝋燭灯火。これは信号用だ。仮標的はカーバイト灯の原色のまま。この青色灯火の点滅が意味を持つ。それを読み解く射撃指揮官。位置は予想よりも下だ。指示を下す。
「左五つ、仰角六十、装薬二号‼」
照準器が『右回りに』五メモリ回される。そして今度は砲の旋回ハンドルを回して砲は左に回る。これで仮標的と照準器の照準点が合えば砲は先程の向きから五メモリ分左に回ったことになる。俯仰ハンドルも回されて水平から六十度となる。また弾薬手が薬莢のなかから不要の装薬を抜いて適切な量とする。そして弾頭を嵌合するのだ。
静かになった。戦闘前の弓を引ききったときのような触れたら切れんばかりの静けさだ。
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誤算であった。いや、予期はできたことであるが、築城した位置から小銃では狙い撃てない位置に相手は陣を張った。よって移動せねばならぬ。今空は重油を流したような紫だ。そろそろ日が落ちる。落ちたら移動しよう。その為に一小隊と二小隊の幹部たちを集めて打ち合わせをする。
幹部とは伍長以上に任ぜられた全てと言って良い。
打ち合わせは簡素に。命令に理由はあまりつけない方が良い。むしろ不要とさえ言える。亥の半迄に到達するように進むこと。匍匐しか手段がないこと。遭遇戦を想定して総員に着剣させること。帯革のバックルや銃剣鞘に布などを巻いて音を出さないようにすること。敵は四千、よって『静粛夜襲』を行うこと。
這う。ひたすらに這う。
静粛夜襲とは祖国の御楯、大日本帝国陸軍の編み出した戦術である。その原型はドイツ陸軍の浸透戦術である。その手法として強力なる砲火をもってして敵を叩き混乱を生んでその中にある弱点を突破し指揮系統を破壊するものである。しかして大日本帝国陸軍ではそのような砲火は困難であった。だから夜間に静粛に行動しその弱点を突破し指揮系統を破壊するものである。敵からも我らを見つけにくいがこちらからも敵が見つけにくい。つまり間違うと敵の火集点に出てしまい一方的にやられてしまうこともある。故に観察力が必要な高度の技術を必要とする戦術である。このために訓練は積んできた、うまく行く筈だ。指揮官がこれを信じずして誰がそれに従うのか?
途中監視と遭遇し、白兵で始末をつけた。音をたててはならない。誰かが私物で吹き矢なんか持ち込んでいたが、これも役に立っているようだ。立つことを極力せず這う。頭を下げることを意識しすぎてはならない。反対に腰が上がるから。恐れず敵を見据える。敵本陣まで目測三十間。あと五間は近付きたい。突撃で走る距離は短ければ短いほど良い。その方が疲れもなく敵を刺せる。とりあえず位置につけたからこのままここで砲の射撃を待つ。最終弾の弾着と共に突撃するつもりである。
その時に天を突く轟音。思わず振り返れば誰かが小銃を暴発させたようだ。何かよくわからない怒号がこの口から出て行く。眼前の敵もすわと立ち上がっては矢だの何だの射込んでくる。だから決断せねばならない。
「目標、前面の戦闘集団‼総力射撃!」
轟然とした幾重の銃声。黒色火薬のもうもうとした発砲煙。黒色火薬の良いところは兵が撃った結果をあまり見ずに済むことで殺しの罪悪感から解き放たれることだ。特にこんなベタ凪の時は。しかし同時に敵状が見にくくなる。指揮するために敵を見ねばならぬ、立ち上がるが見えない。白煙の向こうにうっすらと影が見えるよーな見えないよーな。とりあえず近くの木によじ登ってみる。後から後からわらわらと来おるな。足元の枝がおれた。何が起こったか把握できずに地面に腰から叩きつけられる。直後に登っていた木が燃えた。魔法か何かであろう。思わず乾いた笑いが出て、止まらない。全く度しがたい、戦を求める家系に生まれ育ったものだ。サァ、戦争を続けよう。
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「一番砲をもって基準砲と為す。修正射撃用意。装填せよ!」
一番砲に先ほど用意された装薬二号の榴弾が装填される。
修正射撃とは、間接照準の場合観測情報をもとに方向照準や距離の選定を行い、さらに気象条件なども元に狙うわけであるが、それらが万全であるとは限らない。つまり最初の1弾から当たることはないと考えて良い。例えば風の影響、例えば距離計測の誤差。それらを見るために撃ってみてどこに弾が落ちたかという観測情報をもとに修正して行くものである。相手を直接見ることのない射撃であるために必要な苦労だ。基準砲が撃ち、それの修正にあわせて他の砲も操作される。射撃指揮官が効果的に撃てると判断したときに基準砲以外も撃つ。まぁこの場には2門しかないのであるが。
射撃指揮官が腕を振り上げた。
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これまで聞いたことのない腹にくる衝撃。何が起こっているのかわからん。一度なら気のせいかもしれないが。
その時に恐れていたことが起きた。隣に居りし兵の小銃で、紙製実包が装填中に発火し炸裂した。これはこれまでも演習で何度か危険性が指摘されていたものである。要は薬室内に残る薬莢の残滓が装填を妨げると共に、撃茎の先端に前に使用した実包の雷管に内容されていた爆粉が付着している場合に生じる事故だ。依然演習で起きたときは軽い負傷ですんだが、今回は揺り起こそうにも動きやしない。死んだか気絶したかもわからぬし判断している暇もない。とりあえず下すべき指示は、何だ。
「撃ち方待て‼」
二個小隊の総力射撃のなかでさえよく聞こえる喇叭。皆射撃をやめて新たに装填して『待つ』硝煙がなかなか晴れない。しかしおかしいほどに反撃がない。ようやく薄くなった硝煙の向こうには、連続して着弾する味方砲火。先ほど来ていた増援も何も密集していた故に盛大に混乱している。
「撃ち方止め、抽出せよ‼」
総員が装填した弾を抽出する。安全装置のない着剣小銃で突撃するのだ、弾を抜かねば危険極まりない。その作業を横目に軍刀の柄に手をかける。抜け留めの駐爪を解除し抜刀。一応業物とも聞くが、正直業物なぞあまり好いてはいない。気軽に使い潰せる方がよい。
小銃を操作する音が聞こえなくなった。軍刀を振り上げる。軍刀は武器にあらず。叩きつければ相手を殺すことができるかもしれない指揮棒だ。その振り方にも細かく意味がある。ちなみに小さな指揮官旗でも同じだ。
「突撃にィ‼」
弓だ。極限まで引かれた弓だ。そのように感じるこの空気。
「前へ‼」
天に地に轟く万歳の喚声。万歳を叫んで突撃されたならたまらない。血が騒ぐ。日露戦争中、第九師団の幹部として旅順要塞東北正面を駆け上がった先祖の血は争えぬ。もはや血が騰くようだ。気がついたら万歳を叫びながら先頭をきって走り出している。
すでに敵は総崩れである。いきなりの不可視なる強力な打撃を受け浮足だったところに訳のわからない言葉を叫びながら白兵煌めかせて突撃してくるのだから。ほとんど抵抗を受けないままその背に刃を突き立てて排除する。目指すは一点。将の首のみ。疲れようが何であろうが求めるのはそれのみだ。
ふと気がつくのは女官が半裸で逃げ出す天幕。半裸の女官と言ったとて所謂リザードマン、いや、メスならリザードウーマンというのかね、それだからあまりよくわからない。とりあえずその天幕に飛び込む。目の前にいた槍持に咄嗟に軍刀を突き立てる。柄が壊れた。そのまま死体ごと蹴り飛ばして捨てる。腰のホルスタから拳銃を抜く。この拳銃は先込め式の輪胴式拳銃で再装填が手間であるからあまり使いたくはない代物。しかしもうそれは気にしなくていい。目の前に公爵閣下が居るじゃァないか。思わず口をつく言葉は日本語だ。
見 ぃつけた
変温動物の性質であろう、まだ満足に動けなさそうなその肩を踏みつける。撃鉄をあげながら、それを向けながら、まるで舞台の台詞廻しのような言葉を吐く。
「貴様は歴史のごみ箱行きだ。そこで永遠に踊り続けるがよい。死ね。」
次で第二部完




