兵とは
兵とは、英雄や騎士の従卒でしかなかった。どこの国でも英雄に依存してきたこの世界においては。そもそももとの世界でも歩兵を示す英単語のInfantry、その語源は従者の少年を指すとも言われている。
しかしてそれをひっくり返してやるのが余の軍に与えられた使命であり、そして地獄へと進軍して行くだろう。我が軍に英雄は要らぬ。もしも英雄が戦死するなら、何で埋め合わせればよいのか?わからん量りようがない。同じ歩兵大隊ならば同じ歩兵大隊ぶんの働きをしてもらわねば困る。だが、他の国はそう考えないだろう。だから、消耗戦だ。消耗戦をしてやる。いま圧されている戦線を建て直したら、消耗戦をして、奴等を磨り潰すのだ。我々も擦り潰れて行くだろうが。
第一次世界大戦のときのドイツ帝国参謀総長ファルケンハインの考え出した泥沼の消耗戦。それは防御に徹することにて得られる。
戦術上存在する作戦、『専守防御』。それはとにかく守りに徹することで敵戦力を疲弊させ、その疲弊をついて反撃を行うまでの一時的なものである。しかして第一次世界大戦の近代戦ではそれは通用しなかった。敵は続々と兵を送り込めた。味方もそれは同じだ。つまりはいくら守れども敵は疲弊せず、反撃部隊は悉く敵火に散っていった。だからこそ消耗戦と言うものが考え出された。それは地獄だ。敵も味方も泥土に沈んで行く地獄だ。
お互いが堅固に守られた陣地に籠り、ただただ、『勝利』や『栄光』などの目的もなしに殺し合うだけの戦いだ。そのときに戦争というのは終わる。それからは戦争ではない。お互いに国の中身が空っぽになるまで戦場に新兵と武器弾薬を投げ込み続けるのだ。先に国の中が空っぽになったら負ける。それだけのことだ。そうでもしなければ『勇者』には勝てない。英雄は量産が効かない。だから、温存されるだろう。それこそ突破のための攻城兵器として、或いは突破後の戦果拡大に。だからこそ消耗戦なのだ。勇者以外の戦意を捻り潰して、孤立させ、数で圧しきる。それしかない。
それを忌避するならブルシロフ攻勢の真似事でもするか?或いは縦深突破かね?ソビエトのように。それもいいだろう。
だがそれは出来ない。鉄道が引けないからだ。この国も他国も道路事情は悪い。いまそれを補うべく鉄道を建設しつつある。初の路線は後二、三年後には完成するだろう。しかし、他国に線路はない。進軍するならば補給線を確保するために線路を引きながら戦うことになる。攻勢に出ると言うことはそう言うことだ。それが難しい以上消耗戦しかないのだ。
消耗戦をする軍隊を作る。だから、将校も兵も重要だが、それは入れ換え可能な「戦略的物資」として、だ。まあ、それに至るまでに失地回復を成してからだが。
2018.4.14
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